何が分かってないのか分からない | デブリマンXの行方

デブリマンXの行方

いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

以前からプログラミングに興味があり、少しずつ知識を入れているが、相変わらずさっぱりである。

 

以前、ようやく「Visual Studio Code」という開発環境に辿り着き、そこで「Python」という言語を使って「FizzBuzz」(3の倍数ならFizz、5の倍数ならBuzz、両方ならFizzBuzzと出力されるプログラム)を作成した。しかしその時点で「で?これが何?」となり、放棄。プログラミングとはしばらく距離を置いた。

 

先日、唐突に「スマホアプリを作ってみたい」と思ったので作り方を調べたが、どうもそれは現実的ではなく、Webアプリであれば何とかなりそうなことは分かった。そして、Webアプリを作るなら「Webアプリケーションフレームワーク」というものがあると便利で、Pythonなら「Django」というWebアプリケーションフレームワークところまで突き止めた。

 

そして、このDjangoはVisual Studio Code上で起動できる!Visual Studio Code便利!というところまで来ているのだが、結局のところ「で?これが何?」に戻ってきている。

一応、断片的なIT知識はあるので、全く理解不能な言葉は少ないが、それが何をしているのかよく分からない。本当に単語だけ覚えている状態なのだろう。

 

常々思うが、わたしは自分が何が分かってないのか分からないことが多い

「無知の知」とかではなく、本当の無知だ。

分かってる人からすると「何でこんなことも分からない?」と言われること間違いないが、分からないものは仕方が無いのである。

プログラミングに関して言えば、何度か初めから学ぼうとトライしているが、どれもやり方が異なっていると感じる上に話が飛躍していると感じることが多い。

こんなに千差万別では、プログラミングの全てを理解している人など本当に一握りだろう。

IT人材の不足というのも頷けるし、有能な人がどこまでも有能であることも分かる。

 

何が分かってないのか分からないことの最大の弱点は、知識人に説明できないことである。

だって仕方がないじゃない、分からないんだから。

だから1から分かりやすい説明が欲しいのだが、どうにも途中で梯子が外されることが多い。

理解力の問題……というよりも勘が悪いのだと思う。

勘が良ければ分かって無くてもなんとなくできてしまうこともある。

あと記憶力の問題。ワーキングメモリーが低いのは以前の心理テストで出ているが、昔から算数・数学の文章問題が苦手である。数式は覚えているが、それを問題に適した形に変形させるのも苦手である。この辺りはもうシナプスが繋がっていないという他ない。見たままを覚えるのは人並みだろうが、本当に見たままから変えられないのだと思う。

 

まあ、それでも自分が「何か」を理解さえできれば、その後はスムーズである。

問題は、その「何か」が「何か」分からないことだが。