IQの差は人間関係に影響を与えるのか? | デブリマンXの行方

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いつか見えない社会問題になると信じている自分のような存在について、自分自身の人生経験や考えたこと、調べたことをまとめ、その存在を具体的にまとめることを目的とする。

先日、わたしの中にある仮説が立った。

その内容は、わたしはIQが高いから周りの人と合わせられないのではないか?という傲慢なものである。普段なら考えても意味が無いと思い、棄却するのであるが、今回はなんとなくネットで調べてみる気になった。その結果、以下の記事に出会うこととなる。

この質問に対して松本 直樹さんという方が回答しており、その内容には一理あった。

以下にその一部を引用させていただく。

そもそも自分の日本語が間違っているかもしれない、自分のアイディアが頓珍漢なものかもしれないという恐怖感と共に訪れる、相手の「何言ってるの……?」という不審な目こそが、高IQの人たちの「話が合わない」なのです。

 

だからどちらかというと、IQが20違って会話の成立を拒否しているのは、自分たちに合わせて話をしてくれないがゆえに意味不明な話をしている気味の悪いやつだと排斥する「一般人側」ではないでしょうか。

 

私はまだメンサには入っていませんが(注:この記事を書いた20200504は現在コロナウィルスに伴う非常事態宣言が発令中)、もし入れたら快適だろうなと想像します。

 

一度似たような経験をしたことがあるからです。京都大学に入って、選抜された学友たちとスムーズに会話ができたときの嬉しさといったら、もう干支がひとまわりするのに今でも覚えているくらいです。

話が通じないと鬱屈した中高を経て、大学時代はストレスフリーに過ごし、そして社会に出るとまた中高の時代に戻ります。馬鹿なことを言っているのは自分じゃないのか、人と満足に交われないのは自分の性格が悪いのではないか、と悩み苦しみ

ただ、2点ほど弁明があります。

 

彼の主張の中に、私がハッとしたひとことみたいなのはひとつもないということです。小学生のころに当然検討済みで、自分の中でもなんども反芻し、そしてこんな風に時々他人からも説教されるんですね。

 

また、彼の仮説については何も返答していないのですが勝手に自己の仮説を補強する証拠として捉えられてしまうんですね。だから丁寧に返答しないとそれだけで誤解が生じるんです。

 

そして私も書きましたが、彼の主張の反証はすでに元の記事に書いてあるんですよ。

 

それがもうひとつの理由、疲れていると優しく出来ないということです。

 

理性的に振る舞うにはエネルギーが必要で、そのエネルギーを欠いていると誰だって投げやりになります。

 

彼のコメントをみた最初の印象は「正しいかどうかはどうでもいい、もううんざりだ」です。彼の主張を検討するだけで私のエネルギーを消費するのだという想像と思いやりがない。考えるのはタダじゃないですよ。

まず、「そもそも自分の日本語が間違っているかもしれない、自分のアイディアが頓珍漢なものかもしれないという恐怖感と共に訪れる、相手の「何言ってるの……?」という不審な目」について。これはわたしも希にある。「たぶん正しいだろう」と思った自分の考えを人に話すと怪訝な顔をされる。しかし、結果を見てみると自分の考えが間違っていたとは到底思えないことがある。

 

次に「学友たちとスムーズに会話ができたときの嬉しさ」。これは個人的な趣味で行っていた哲学カフェと短大の先生方、他一部の友人・大人が当てはまった。逆に言うと、それ以外の人に対しては当てはまらなかった。わたしのIQは116なので、この人ほど極端な状態には陥らなかったが、学友に関して言えば、配慮しないで話せた相手は4人しかいなかった。いずれも異性であり、保育や趣味についての語らいはほぼなかった。わたしは雑談が苦手だと思っているが、今にして思えば、彼女らは正しく雑談が成立する関係だったのかもしれない。

 

次が「馬鹿なことを言っているのは自分じゃないのか、人と満足に交われないのは自分の性格が悪いのではないか、と悩み苦しみ」。これはまさに今のわたし。

特に「自分の性格が悪いのではないか」については、わたしの以下の記事のオチがそういうように締めくくられていることから、共通の苦しみである信憑性はかなり高いと思う。

 

最後に「彼の主張の中に、私がハッとしたひとことみたいなのはひとつもないということです。小学生のころに当然検討済みで、自分の中でもなんども反芻し、そしてこんな風に時々他人からも説教されるんですね。」というところ。

このブログを読んでいる人には分かって欲しいのですが、わたしは結構色々な角度からものを考えていると思います。しかも、同じことを何度も考え、それを補強したりしています。何が言いたいのかと言われると、大抵の人からのアドバイスはそんなことわかってんだよ、もっとためになること話して下さい。こっちはブレイクスルーできずに苦しんでいるんです。お願いします。になるということである。その結果、わたしは周りの人のアドバイスではなく、様々な本を読んで自分の考えを補強しているのである。今日も、自分の趣味を含めて7冊の本を購入してきた。趣味の本は読みたくてたまらないが、今は心が安らかではないので読むことができずにいる。年末年始の休みが貴重な長期休暇であることは分かっているが、自分の身が定まらないことによる緊張感でいっぱいいっぱいなのだ。

 

最後に、わたしのIQについての話。

冒頭に「IQが20違うと会話が成立しないと言うのは、事実なのでしょうか?経験はありますか?」というリンクを載せた。そういう記事があるということは、つまりそれだけ差があると会話が成立しないと考えている人が一定数はいるということである。

そこで、わたしのWAIS-4の結果を改めて確認してみる。

WAIS-Ⅳ分析表(一部略)

 

【検査結果】全検査FSIQ=116

“平均の上”レベルに位置しています(平均 IQ=90~109)

 

 言語理解(VCI)=119 知覚推理(PRI)=120

 ワーキングメモリー(WMI)=94 処理速度(PSI)=114

 各指標は“平均”=“高い”レベルに位置しています。指標間ではっきりとした有意差がみられ、能力のアンバランスさは大変強い。

 

【まとめ】

 全体的にみると、“平均の上”の知能水準であり、知的発達のアンバランスさは強い。各指標では、「言語理解」:言語概念形成、言語推理能力、環境から得た知識、「処理速度」:単純な視覚情報を素早く正確に把握し処理する能力・視覚的短期記憶の能力は“平均の上”レベル、「知覚推理」:知覚推理、流動性推理、空間処理、視覚と運動の統合能力は“高い”レベル、「ワーキングメモリー」:聴覚的ワーキングメモリーの能力は“平均”レベルです。

 以上のことから、“平均の上”の知能水準であり、課題解決能力は比較的高いです。抽象思考の能力等、ものごとの理解力や考える力、言語や視覚の情報を処理する力、視覚的ワーキングメモリーの能力、手先を使った単純作業のスピードは平均以上の能力を有しています。聴覚的ワーキングメモリーの能力も平均的な結果ですが、他の能力に比べて相対的に低く、口頭での指示を憶えておく等、聴覚的な情報の記憶は本人にとって苦手さを感じやすい面かもしれません。

何が言いたいのかというと、他の能力に比べてワーキングメモリーだけIQ20が以上低いのである。知的発達のアンバランスさは強い、と書いてあるが、わたし自身の中に他人であれば会話が成立しないほどの差があるということである。この場合、ワーキングメモリーも平均程度あるし大丈夫!という楽観視はできないだろう。ちなみに、発達障害だとこの差が40くらいは普通にあるらしい。

 

この記事は厳密には発達障害の記事ではないが、ブログのテーマ分類としては「発達障害」に入れておく。IQを気にする人はだいたい発達障害も気にしていると思うので。