鍵もらった
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今日は朝の処置をデュルーとやった。
ずっとインキュベーターに入っていて、やっとケージに移動したレッドテイルドホークは安楽死となってしまいました。貧血があり、食欲がなく、ハンドフィーディングを行っていたのですが、今日処置室に来たときは口の中にエサで与えたネズミの肝臓があり、口から血の色のどろっとした液が出て、元気がない状態だった。
その他はそれほど問題なく、昨日手術したバルドイーグルの皮膚はまずまず良好。しかし、昨日受け入れた脊椎骨折疑いのバルドイーグルは今朝も立てなかった。昨日の話では少し様子をみて、状態が回復するか、回復したとして野生に復帰して生活できるかを見極めた上で今後の方針が来週初めにも決まる。また安楽死になってしまう可能性が高い。
昼になり、ミネソタ大学のダイニング?ルームにランチを食べに行ったら、受付の人にミールプランに入ると得だといわれたが、そんなにくるわけじゃないからプランには入らなかった。その後、図書館に行って、必要な文献をダウンロードして持って帰った。
帰りに人だかりがあったので何かと思ったら、古本の安売り市だった。アメリカの人は本が大好きなように思える。日本人と違って、誰かが落書きしてあってもあまり気にしない。
アドバイザーのミッチがやっとラプターセンターに出入りするための鍵をくれた。これで、いちいちドアの前で誰かが来るのを待っている必要がなくなった。
眼科専門医やってきた
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ミネソタでは、カナダグースが編隊を組んで鳴きながら飛んでいるのをよく見かける。この前は、すごい数のグースが畑の中で群れて何かをとって食べていた。
毎週金曜日に眼科専門医が診察に来ることになっているらしい。
ということで、眼の先生がカラフルなボーダーセーターにジーパンと長いブーツをはいてやってきた。さすがにアメリカっぽい。学生も4人ついてきて、ジャケットのような白衣に黒のしっかりしたズボンをはいてついてきて見学をしていた。やり方は犬猫と全く同じで、先生が異常なところを指摘して、それをブロックが記録していた。先生の興味があるやつはポータブルの眼科用デジカメでパシャッと撮影していた。専門医の先生が眼を診察しながらでも、横からのぞけるような器具を使っているから、学生と混じって目を観察。こんな感じで、時々いろんな専門の先生が猛禽たちを診てくれる。これが大学の強みかな。
その後、廊下を利用したバードアウルの飛行訓練をのぞいてきた。放っておくとフクロウが勝手に端の止まり木から反対端の止まり木へと行ったり来たり飛ぶ。
初診は、脊椎骨折の疑わしいバルドイーグルだけ。
その他、ここに来る前に入院していた個体で、イーグルアタッキング(けんか?)により胸の辺りの皮膚が壊死して定期的に処置をしているバルドイーグルがいる。今日はその皮膚壊死のデブリードをしていた。このバルドイーグルは、皮膚にいくつも穴が開いていて、それは他のバルドイーグルにやられた傷だという。その部位が細菌感染を起こしているらしい。感受性検査などもやっていて、ドキシサイクリン以外は耐性と結果が出ていた。今回は、壊死した皮膚をできるだけとり、そこを乾かさないようにドレッシング材をあてて様子をみるというような感じでした。
安楽死について
野生復帰できないものは安楽死。アメリカだからこんな感じなのか。
実際は、そんな単純ではないと思う。何も考えず、感じず、機械的に処理されているわけではない。
安楽死にする時、それらに関わったスタッフはやっぱり悲しむ。だから、みんないろんな感情が入っているはず。
では、なぜ安楽死を早い時期に決断するのか?診察後すぐに安楽死となるのは、治療に耐えられないくらい状態が悪い鳥や明らかに治療により野生復帰ができない鳥。
当然スペースの問題や費用的な問題はゼロではないと思う。ただ、もっと重要なのは、蓄積したデータの裏づけがあり、さらにその個体の身体的・精神的苦しみが関わってくるから。
命は大事だから、数時間・数日以内に死亡する可能性が高い鳥を、やってみなければ分からないと、できるだけの治療をやってみるのが本当にいいのか。それは実験体?。その間苦しんでいるのは自分ではなく、鳥である。治療・世話している人々は一生懸命の自己満足に浸っているだけかもしれない。
外傷、中毒、飢餓が野鳥の3大死亡原因。
交通事故、衝突、鉛中毒、殺鼠剤中毒など多くの原因は、人間が作りだすものからきている。
野生復帰できない鳥はどうなるのか?
野生復帰できない鳥は、どこかで飼育されることになる。野鳥って、自由に大空を飛んで、採餌して、好きな相手を見つけて、本当に自由って感じがする。それを狭いところに閉じ込めることがいいのか。食べ物もらって、安全に暮らして、それで幸せだと感じることができるのかどうか。人に飼育された時点で野鳥ではないのだから、そんなこと考える必要もないのだろうか。
個人的には、野生でみるのと、飼育下でみるのとなんか違って見える。活力の違い?、色が違う?。それはただの自分の気持ちの問題なのかな。ただ、『生きている=幸せ』ではないと思う。それは、いろんな制約が一生つきまとうから。本当の『生きてる』って気持ちは、単に『命がある』ってこととは違う。
じゃあ、殺して(安楽死させて)いいのかと言われると、殺される側の気持ちを完全に理解できない限り、本当に正しい答えは出せないのかな。




