高館義経堂から車で5分、毛越寺のすぐ裏の山

金鶏山に来ました。駐車場はないので近くの

平泉文化遺産センターに停めさせてもらいます。

藤原秀衡公が平泉の平和を守るために金の鶏を

土中に埋めた言い伝えがあります。

実際には分かりませんが、土中から経典や土器

などが見つかっていて仏教の信仰に基づいた

経塚だといわれてます。

登山口入口すぐのところに高館義経堂で自害した

義経公の妻子のお墓がありました。



金鶏山は標高100mですが、恐ろしいほどに

急勾配でした。標高100mをほぼ直線で登る

感じでした😵

急勾配をしんどい思いをして登ったのと、

世界遺産なので頂上はさぞかし立派なもの

でもと....と期待したのが間違いでした😑

頂上には源義経公のお墓があるだけでした。

まぁ義経公のお墓に出会えるだけでも貴重

なんですけどね。

景色も特別いいわけでもありませんでした。

住宅が見えました😅


それでも最初に記述しましたが、土中に藤原家

の想いが詰まった経典や土器などが埋められて

いるかと想像すると感慨深いものがありますね。


そしてこの金鶏山が中尊寺や毛越寺などの

平泉文化の中心に位置していることから、

金鶏山を平泉文化の拠点と考えられていた

そうです。


藤原一族の想いが詰まった場所ですね。

来て良かったです😌



心残りはありますが、平泉から国道347号を

経由して山形県へ向かいます 🚗




毛越寺拝観が予定より早く済んだので、

行きたいと思っていた高館義経堂に来ました。

「たかだちぎけいどう」と読みます。

毛越寺から車で5分です。中尊寺と毛越寺の

すぐ近くにあります。

源義経最後の地。兄頼朝に追われてた義経を

藤原氏三代秀衡公がかくまっていたが、四代

泰衡公が頼朝の圧力に耐えきれず、義経を襲撃。

追い詰められた義経と妻子が自害した場所と

言い伝えられています。

丘の頂上には、天和3年(1683)仙台藩主

第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂

があります。

義経堂 

なかには義経公の木造が安置されています。

現在の義経堂および高館は、毛越寺の飛び地

境内となっているみたいです。

源義経公供養塔です。

義経堂の隣に資料館がありました。

武蔵坊弁慶が討伐軍と戦っているところに、

義経が応戦に駆けつけた時の絵だそうです。

高館からの眺望は平泉随一といわれ、松尾芭蕉

が俳句を詠んだ場所でもあります。

そして有名な句「夏草や強者どもが夢の跡」

国破れて山河あり...まさに藤原一族や義経らが

夢見ていた栄華がはかなく散っていってしまっ

た思いが伝わります。


せっかくここまで来たので金鶏山に行って

みようかと思います。世界遺産です🤩






時刻11:50。中尊寺から車で10分、

世界遺産毛越寺に到着です。拝観料700円です。

慈覚大師円仁が開山。藤原氏2代基衡〜3代秀衡
の時代に多くの建物が建てられました。
当時では規模も豪華さも中尊寺以上ともいわれ
ていたそうです。

門を潜ると広く奥に新本堂が見えます。

国の特別史跡と特別名勝の二重の指定を受けて

います。新本堂は平安様式に習って平成元年に

建てられました。

残念な事に奥州藤原氏滅亡後には災害で全ての
建物が焼失して現在は基礎の石が残っている
くらいです。

建物は残ってないですが、浄土庭園と平安時代の
伽藍遺構は完全な状態で保存されている貴重な
史跡です。

優雅で華やかな当時の毛越寺を現した復元図


開山した慈覚大師円仁を祀っているお堂です。

中心に大師像、右側に大日如来像、左側に

藤原三代の絵画が安置してありました。




大泉が池に水を引き込む遣水は平安時代

のまま残っている貴重な文化財です。

水路に玉石を並べて濾過、上澄みを流す工夫が

そのまま残っています。


立石。石の配置や玉石のならびなど当時のまま

で、平安時代の庭園を造るにあたって配置等に

意味があるみたいです。

東日本大震災で傾いてしまったけど、修正されて

残っています。


知識の少ない僕には、良くありがちな庭園に

見えてしまいましたが😅当時の奥州文化の

象徴だと思って廻るとロマンがありますね。


四寺廻廊の三寺目を巡回終了👍