名古屋発渓流釣行記〜53才になりました -37ページ目
高館義経堂から車で5分、毛越寺のすぐ裏の山
金鶏山に来ました。駐車場はないので近くの
平泉文化遺産センターに停めさせてもらいます。
藤原秀衡公が平泉の平和を守るために金の鶏を
土中に埋めた言い伝えがあります。
実際には分かりませんが、土中から経典や土器
などが見つかっていて仏教の信仰に基づいた
経塚だといわれてます。
登山口入口すぐのところに高館義経堂で自害した
義経公の妻子のお墓がありました。
金鶏山は標高100mですが、恐ろしいほどに
急勾配でした。標高100mをほぼ直線で登る
感じでした😵
急勾配をしんどい思いをして登ったのと、
世界遺産なので頂上はさぞかし立派なもの
でもと....と期待したのが間違いでした😑
頂上には源義経公のお墓があるだけでした。
まぁ義経公のお墓に出会えるだけでも貴重
なんですけどね。
景色も特別いいわけでもありませんでした。
住宅が見えました😅
それでも最初に記述しましたが、土中に藤原家
の想いが詰まった経典や土器などが埋められて
いるかと想像すると感慨深いものがありますね。
そしてこの金鶏山が中尊寺や毛越寺などの
平泉文化の中心に位置していることから、
金鶏山を平泉文化の拠点と考えられていた
そうです。
藤原一族の想いが詰まった場所ですね。
来て良かったです😌
心残りはありますが、平泉から国道347号を
経由して山形県へ向かいます 🚗
毛越寺拝観が予定より早く済んだので、
行きたいと思っていた高館義経堂に来ました。
「たかだちぎけいどう」と読みます。
毛越寺から車で5分です。中尊寺と毛越寺の
すぐ近くにあります。
源義経最後の地。兄頼朝に追われてた義経を
藤原氏三代秀衡公がかくまっていたが、四代
泰衡公が頼朝の圧力に耐えきれず、義経を襲撃。
追い詰められた義経と妻子が自害した場所と
言い伝えられています。
丘の頂上には、天和3年(1683)仙台藩主
第四代伊達綱村公が義経を偲んで建てた義経堂
があります。
義経堂
なかには義経公の木造が安置されています。
現在の義経堂および高館は、毛越寺の飛び地
境内となっているみたいです。
源義経公供養塔です。
義経堂の隣に資料館がありました。
武蔵坊弁慶が討伐軍と戦っているところに、
義経が応戦に駆けつけた時の絵だそうです。
高館からの眺望は平泉随一といわれ、松尾芭蕉
が俳句を詠んだ場所でもあります。
そして有名な句「夏草や強者どもが夢の跡」
国破れて山河あり...まさに藤原一族や義経らが
夢見ていた栄華がはかなく散っていってしまっ
た思いが伝わります。
せっかくここまで来たので金鶏山に行って
みようかと思います。世界遺産です🤩
時刻11:50。中尊寺から車で10分、
世界遺産毛越寺に到着です。拝観料700円です。
慈覚大師円仁が開山。藤原氏2代基衡〜3代秀衡
の時代に多くの建物が建てられました。
当時では規模も豪華さも中尊寺以上ともいわれ
ていたそうです。
門を潜ると広く奥に新本堂が見えます。
国の特別史跡と特別名勝の二重の指定を受けて
います。新本堂は平安様式に習って平成元年に
建てられました。
残念な事に奥州藤原氏滅亡後には災害で全ての
建物が焼失して現在は基礎の石が残っている
くらいです。
建物は残ってないですが、浄土庭園と平安時代の
伽藍遺構は完全な状態で保存されている貴重な
史跡です。
優雅で華やかな当時の毛越寺を現した復元図
開山した慈覚大師円仁を祀っているお堂です。
中心に大師像、右側に大日如来像、左側に
藤原三代の絵画が安置してありました。
大泉が池に水を引き込む遣水は平安時代
のまま残っている貴重な文化財です。
水路に玉石を並べて濾過、上澄みを流す工夫が
そのまま残っています。
立石。石の配置や玉石のならびなど当時のまま
で、平安時代の庭園を造るにあたって配置等に
意味があるみたいです。
東日本大震災で傾いてしまったけど、修正されて
残っています。
知識の少ない僕には、良くありがちな庭園に
見えてしまいましたが😅当時の奥州文化の
象徴だと思って廻るとロマンがありますね。
四寺廻廊の三寺目を巡回終了👍

