このところyoutube動画を見るようになったんですが、今まで本当と思っていたことの真の姿がどんどん明らかになっていますね。
私は戦記に興味があります。
その主たるものはドイツものですが、それ以外、航空機や艦船にも興味があります。
神話は好きではありません。
事実を知りたいです。
youtube動画にも色々ありますね。
大きく分けて、自分が信じたいエビデンスに乏しい昔話を強調する人と、事実を追求したい人に分けられると思います。
人数的には圧倒的に前者が多いですね。
残念ながら私は後者ですが。
反面、私は第一次戦記ブームのときに少年時代を暮らしましたので、当時読んだ話は強烈な印象を持っています。
ところが、それって事実とは大分違うようなんですよね。
1)第三次ソロモン海戦の駆逐艦 綾波
多分初めて読んだのはもう半世紀以上前、太平洋戦争ドキュメンタリー(今日の話題社)じゃなかったかと思います。
綾波1隻で米駆逐艦4隻を打ち取るという大戦果を挙げた話ですね。
確か次々に魚雷を命中させてやつです。
で、この話、現在でも相当流布されているんですが、ちょっと気になって調べたところ、米軍は綾波の魚雷は1発も命中していないと判定しているようですね。
これには正直驚きました。
もしそれが真実なら、米駆逐艦を討ち取ったのは、綾波の砲撃と軽巡長良、駆逐艦五月雨、電、白雪、初雪の魚雷と砲撃ということになります。
もちろん綾波がサウスダコダ以下に砲撃を命中させたのも事実ですし、奮戦したのは紛れもない事実だと思いますが、綾波1隻の無双状態ではなかったということになります。
2)第三次ソロモン海戦の駆逐艦 夕立
この話を知ったのは上の話よりももう少し後で、こちらは当時の少年向けの本だったように覚えています。
敵中に孤立した夕立が大混戦の中、米艦隊のど真ん中で切った張ったの無双ぶりで、大活躍ってやつですね。
しかし、これも米軍側の記録を見ると、完全なフィクションのようです。
それどころか、夕立の被弾はフレンドリファイアであり、なおかつ動力を失って帆走しようとした話も、実は降伏しようとしたという説さえあるようですね。(帆走説もあります)
某有名作家のお陰で有名人となった吉川少佐は完全な興奮状態にあり、普通ではなかったんだとか。
結局、自沈処理もできず、アメリカ軍に撃沈されてしまいました。
まあ、米軍も復讐心のあまり無人の夕立を沈めてしまうという大失策を演じていますが。
上記のような状態では、暗号書等の機密書類の処分ができていなかった可能性も高く、もし入手できれば大戦果ですので。
3)酸素魚雷
世界に類を見ない超兵器として日本ではつとに有名ですね。
バダビアでは早発に悩まされたものの、ソロモンでは大活躍って。
確かにルンガ沖とかではその通りですが、実は案外だめでしたね。
有名どころでは、敵1隻を多数で滅多打ちのチャンスだった第三次ソロモン海戦では、多くを放ったのにその時戦場に居たただ1隻の敵艦である戦艦ワシントンになんと一発も命中していません。
実はバタビアの悪夢が全く改善されておらず、多くが早発してしまったようです。
大戦初期~中期までの米潜水艦の魚雷に不発が多発した話は例の第三図南丸を筆頭に多数ありますが、実は酸素魚雷の早発、不発も実に多く、また肝心なときに何度も起きています。
ベララベラなどでも爆発したら米艦隊の損害はもっと増えたでしょう。
魚雷戦の不振はその後も続き、ブーゲンビル沖海戦やサマール沖の第10戦隊も全く命中しませんでした。
そんでもって日本に比べて劣っているともっぱらの評価の米海軍駆逐艦の雷撃は、成功例だけ挙げると
・「31ノット」バークのセントジョージ岬開戦
駆逐艦5対5で戦い、3対0で日本側完敗
・ベラ湾夜戦
駆逐艦4対6で戦い、3対0で日本側完敗
・スリガオ海峡夜戦
戦力では米海軍が圧倒的だったが、駆逐艦隊の雷撃の一番の成功例でもあり、雷撃だけで戦艦扶桑撃沈、山城中破、駆逐艦2隻撃沈、1隻大破という大戦果を挙げた。
第二次世界大戦において、戦艦を駆逐艦の雷撃だけで撃沈した唯一の例のはずです。
のみならず水雷戦隊の雷撃で一番成功した作戦と言えるでしょう。
なお、米海軍の損害は駆逐艦グラントが被弾(フレンドリファイアもあり)のみでした。
・サマール沖海戦
上と真逆で圧倒的不利な殲滅戦において、反撃に転じた米駆逐艦は果敢にも魚雷で反撃し、日本艦隊の進路を妨害し、隊形を崩して、空母が逃げる時間を稼いだだけでなく、なんと重巡熊野の艦首に一発命中させるという離れ業をやってのけました。
同じ状況で、初月や松、檜も孤軍奮闘しましたが、敵に魚雷を命中させることは出来ませんでした。
もう戦後、80年が経過しようとしています。
ところが、ネットの世界では未だに第一次戦記ブームの際の一方的、かつエビデンスに乏しい架空の物語ばかりが強調されています。
戦争中の極端すぎる情報統制により、国民の知りたいという欲求はとても高かった。
しかし占領下では出版に対し、非常に大きな制限がありました。
サンフランシスコ講和条約締結後、このような国民の切なる要望に呼応して、数多くの「戦記」物が出版され、その多くがベストセラーになりました。
確たるエビデンスはありませんが、個人戦記がここまで多く出版された国は他にはないと思います。
これは、世界で最も識字率が高く、かつ個々人の言語レベルが高い日本だからこその話でしょう。
しかし、米軍側の資料が全く使えず、日本側の一方的な判断であること、そして何よりも「著者」は多くの場合、ゴーストライターで、また当時の出版社の多くが売らんがために、話を大いに盛ったことは今では明らかになっています。
これは敗戦により完全に自信を喪失した当時の日本人の士気を高めるためのには大いに役立ちました。
ですから時代背景を鑑みるに一概に悪いとは言えないでしょう。
とは言うものの、これらの戦記は歴史的事実と言えない場合も多いのです。
そして事実と違う情報からは、誤った判断しか出てきません。
故にどんなに辛くても、厳しくても、事実は事実として受け入れるしかないと個人的には思います。
近代史というのは物語ではなく、事実です。
戦後約80年が経過し、それまでは知る由もなかった相手側の資料の公開も進みました。
やはり双方の資料を駆使して、事実を知りたいと私は思います。