
九州に戦跡、南は知覧飛行場。鹿児島県に置かれた特攻基地のあるところです。北はと言えば、やはり長崎を忘れることはできません。1945年8月9日、アメリカ空軍のB29が九州の小倉を目指していました。沖縄がアメリカ軍に接収されて、日本がポツダム宣言を受け入れなければ、次は九州に上陸して地上戦が行われるという時期です。
小倉は雲が多く攻撃目標は長崎に変更されます。長崎は山に囲まれて原爆が炸裂したときの威力を実験するには格好の地形をしていました。午前11:02で止まっている柱時計。プルトニウムが核反応を起こしファットマンは炸裂しました。

その瞬間、何が起こったのでしょう。熱線で解けたガラス瓶。長崎の地上がどんな温度になったかを伝えています。こんな兵器を人間の頭の上に落としていいものなのでしょうか。戦争では人道の罪が国際法で決められています。市民を無差別に攻撃することは認められていません。しかし、彼らはそれを行いました。

もうすぐお昼の時間。女学生が食べる弁当はピカドンで炭になってしまいました。それは弁当箱とともに原爆の恐ろしさを伝える遺品となりました。彼女の夢はどこに行ったのでしょう。彼女の未来は一瞬の閃光とともに消えました。

救世主イエスの十二人のお弟子の一人、聖ヨハネ。彼は気性の激しい男でしたが、愛の人に変えられました。大理石のこのお顔は、もとはどんな表情だったのでしょう。一見オランウータンのような眼差し。長崎原爆死没者追悼平和祈念館には救い主を抱いた聖母マリアもいます。涙を流しています。それは、光の加減なのかもしれません。自分の心に宿った心象風景だったのかもしれません。ローマ教会に列聖された殉教者達、2000年後、プルトニウムの光に浴びるとはだれが想像したでしょう。そのとき、聖人達も被爆したのです。
順路をたどっていくと一種の違和感を覚えました。あの写真がない。あの画像がなければどうしても長崎の原爆を語れない。なぜ展示してないのか?

果たして、展示してありました。順路の最後で見つけた一枚の画像です。これがなければ祈念館の意味が失われてしまうほど大切な一枚です。
アメリカの従軍写真家ジョセフ・ロジャー・オダネルは私用のカメラで長崎や広島を撮影していました。「焼き場に立つ少年」という題名をつけられた一枚。この写真は長く彼のトランクの中に密かにしまってありました。私的に被爆後の広島・長崎を撮影することは軍の規律に反することでした。しかし、戦争の惨禍を伝えなければ・・・。彼は重いトランクを開けました。45年間封印された写真が日の目を見た瞬間です。秘められた文書は歴史が必要とするときに発見されるものです。
真っ赤な夕日のようなほのおは、直立不動の少年のまだあどけないほおを赤くてらしました。その時です、ほのおを食い入るように見つめる少年のくちびるに、血がにじんでいるのに気が付いたのは。少年があまりきつくかみしめているため、くちびるの血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。夕日のようなほのおが静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去っていきました。
これは彼の手記です。拙い訳で申し訳ありませんが。彼の前では多くの遺体が焼かれ真っ赤に燃えた炎が彼の顔を照らし出しています。直立不動で無表情。唇には血がにじんでいます。これから弟を荼毘に付さなければならない。固くかみしめたために血さえ流れない少年の心はどんな状態なのでしょう。少年は弟が灰になるのを見届けて、黙って焼き場を去りました。その後、少年はどこへ行ったのでしょう。
この写真は長崎ではないという指摘もありますが、長崎本線道ノ尾駅近くの踏切と地形がほぼ一致することが日本放送協会の調査で明らかになりました。この画像は名札の位置が反対なので裏焼きで左右が反転しています。
「焼き場に立つ少年」は長崎原爆資料館に寄贈され、ローマ教皇のフランシスコが、この写真を印刷したカードを、戦争がもたらすものという言葉を添えて、世界の教会に配布するように指示を出し、世界的に広まりました。
1945年8月9日11時2分、B29は長崎に原爆ファットマンを投下しました。死者 73884人。当時の長崎の人口は24万人です。ニュースでは多くが原爆投下時刻を11:02としています。しかし、長崎では原爆炸裂時刻と呼んでいます。投下と炸裂では受け取る意味合いが大きく異なります。
大きく見渡せば7万4千人の人が亡くなったのでしょう。しかし、一人の死は、「焼き場に立つ少年」のように亡き方を愛する人たち、関わりのある人たちがどれだけいるのでしょうか。 73884人の一人ひとりの死の瞬間を一枚の写真で切り取れば、どれほど戦争が悲惨なのかがあぶり出されてるでしょう。
20世紀は二度の世界大戦があり、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など戦争の世紀でした。21世紀は平和の時代なのかと思えば、早くもウクライナ戦争が起こり、人間は歴史に学ぶことをしませんでした。戦争は何をもたらすのか。一枚の写真から心を静めて考えたいと思います。
人間の心理には極めて偏った感じ方があります。今、出刃包丁の刃を上を向けて心臓を突き刺した事件が起きたとします。被害者は苦しみながら亡くなりました。それはそれは凄惨な殺人現場です。もし、73884人の人を同じように出刃包丁の刃で突き刺した事件が起きたとしたら、どんな感じ方をするでしょう。約7万4千人の被害者とひとくくりにすると一件の殺人事件よりもその凄惨さは伝わってきません。戦争の悲惨さは大きくなりすぎると人はそれが悲惨とは感じられなくなる。そんな鈍さが私たちの心には巣くっているのです。
阪九フェリーで行く四日間の船旅。その最終目的地は、長崎でした。はからずもその四日間は巡礼の旅となりました。