だるま感想文

だるま感想文

つらつらと思ったことを頑張って書きたいです。

Amebaでブログを始めよう!

2018年の、確か5月か6月ごろ。大学に入って知り合ったワグナーから、Wake Up, Girls! FINAL TOUR  -HOME-市原公演のチケットを譲ってもらった。同じころWUGアニメにハマり、僕が仙台出身ということもあり、興味が出てきていた。まあ、もともと翌日に行われる雨宮天のライブに行く予定だったので、当時は正直そのついで的に思ってた。当日は、一人で最寄駅から40分ほど歩いて会場へ行った。なんでこんな箱でやるんだよ、って思った。

 

ライブが始まると、この箱でやる意味が少しわかった気がした。演者が、普通に客席まで来たのだ。僕は本当に恵まれていて、演者の中で唯一よく知っていた、というかナナシスの推しであるまゆしぃに昼夜とも接近できた。でも、接近できたのを除いても、いいライブだなって思った。僕はアニメの曲しか知らなかったし、まゆしぃ以外の演者の顔と名前とカラーが一致しなかったほどだけど、心の琴線に触れるものがあった。それまではミリオンやTrySailみたいな、割とデカい箱で演者がライブして、オタクはそれを見てはしゃぐ。そんな、演者とオタクの双方向のやり取りがあまりないライブしか経験してこなかった。ナナシスに至っては、ほとんどステージ上だけでライブが完結していた(ナナシスのライブの良さはそこにもあるけど)。でも、WUGは、演者とオタクの双方向のやり取りが多いって思った。WUG、あったかいなって思った。今思うと、7GW、少女交響曲、BtBとかのメジャー曲のないセトリでもWUGを全く知らない僕をこんなにも魅了できたんだから、やっぱりWUGってすごい。

 

昼公演が終わるころには、僕は多分ワグナーになっていた。とりあえず、ツアーどこ行こうって考えた。結局その時点で先行とかはほとんど終わってるし金ないから一般で取っても入金できないしで、多くは行けなかった。

 

それから約5ヶ月後、12月9日。僕は岩手にいた。その頃にはもうワグナーの顔つきになっていた。大学の先輩やツイッターで知り合った人もいたし、曲もアニュータで聴きこんでいた。実は、ライブ前や後に、知り合いのワグナーと会うのがたまらなく嬉しかった。市原ではマジで知り合い3人くらいしかいなかったけど、もともと顔を知っている相手やツイッターで連絡を取り合って知り合いと会うほどになっていた。知り合いの知り合いとも繋がることが出来た。こんなに仲いい人たちと会うことが出来たからこそ、わぐちゃんをもっと好きになれたんだと思う。

 

かやたんプロデュースの企画を見て、もっとライブに行きたいと思った。最後というのもあり、少しでも多く彼女たちのライブを見届けなければと思った。Part2の大阪に行けない後悔が尾を引いてたので、Part3は大阪に行くことにした。

 

大阪には、夜行バスで行った。ケツが死ぬかと思ったが、ライブ中はケツの痛みも忘れるぐらい楽しかった。絶対聴けないと思っていたソロイベ曲を聴けたのは嬉しかった。そういうところもカバーしてくるあたり、WUG最高だって思った。WUG名義ではないソロイベ曲を歌うことで、解散しても私たちは大丈夫だよって言われた気がした。2日目はチケットが見つからず金もなかったので諦めてデブラ食ってたら、GloriA歌ったらしくて泣いた。3日目はsweet sweet placeを聴いて泣いた。これを書いてる今も泣きそう。WUGのセンター吉岡茉祐作詞。歌詞だけ、書かせてください。

 

『断然今日は君の中のほんの一部だってさ

 当たり前 でも当たり前じゃない

 きっともう一回が明日を連れて来てくれるな

 once again また会えるね「おかえり」』

 

ライブ参加も数を重ね、愛知公演ではずっとワグナーと行動していた。最寄駅で偶然仲の良いワグナーに会って会場まで一緒に歩き、割り勘でタクシーに乗り、開演までずっと話をしていた。開演まで暇だ~とか言いながらも、そういうなんてことないような時間が好きだった。いつの間にか、多くのワグナーと仲良くなっていた。

 

愛知公演は、バレンタインが近かったため、恋愛サーキュレーションを歌いながらチョコを配っていた。2日目夜、僕は一番上手側の通路席を譲ってもらっていて、まゆしぃのチョコをゲットできた。また、このころから(徳島・長野は分からないが)BtBのパフォーマンスが異常なまでに高くなっていった。それはSSAで極まったが、その話はまたあとで。

 

ツアーファイナル、仙台公演。朝っぱらから物販に並んだ。物販を買う、しかも早朝から並んでまで買うなんて、3年ぶりくらいだった。ファイナルと言うことももちろんあるが、それ以上に物販を買いたいって純粋に思っていた。仲の良いワグナーと待機列に並び、その知り合いと初対面だが話していた。この人とは、SSAの物販の時もたまたま会い、挨拶して話すくらいにはなっていた。ツイッターは繋がってないけどね。こういう人と人のつながりも、WUGのおかげで出来ているんだなって思った。数時間もある物販待機列も、楽しかった。

 

千秋楽、本当に運に恵まれ、全公演参加することができた。4公演かけて、新曲4曲を歌った。起ー承転結の順で。やはり宮城公演は、わぐちゃんもワグナーも、気合の入れ方が違うように感じた。影ナレのわぐちゃんの円陣の際も、余計な言葉はいらなかった。2日目夜では、初めてアンコールのWake Up, Girls!コールを叫んだ。すさまじいライブを見て、叫びたくなった。わぐちゃんに心を動かされた。4th以前にもWアンコールがあったかは分からないが、あの日のWアンコールには予定調和を感じなかった。ワグナーの熱い気持ちが、運営とわぐちゃんを動かした。上にも書いたが、やっぱりこういう双方向の働きかけみたいなのが、すごく好きだ。7色のサイリウム企画も含め、本当にいいライブだった。てか、今思ったけど、Wアンコールでタチアガレじゃなくて7GW歌ったの、タチアガレをSSAに取っておいたのかな?そんな機転きかせてたのか分からないけど。

 

 

3月7日。ワグナーと共に仙台駅にいた。18切符でSSA前乗りをするためだ。電車に乗る前に駅前のゲマでファミ通を買った。ゲームの特集でもないのに18ページも使って取り上げてくれてて、愛されてるなって思った。完全版のインタビューを読んで泣きそうになったが、まだ泣くときじゃないと思って我慢して読んだ。

 

そして、3月8日。泊まってるところから始発に乗っても他の線より遅かったので、1時間ほど歩いて現地へ向かった。5時前くらいに着いたが、もう250人ほど並んでいた。並び始めたところで偶然知り合いのワグナーと会ったので、そちらに合流して一緒に並ぶことに。代行を頼まれていたが、公式がブロマと缶バッジ以外1限と突然発表したため、代行できなくなってしまった。20kガチャはめちゃくちゃ人並んでたので先にTSUTAYAのブロマイド回収していたら、20kガチャの特典が枯れたとの報告が。仕方なく2回目の特典チケない組に混ざってガチャ引こうと思ったが、目の前でS賞が枯れて泣いた。というか、多分1個か2個しか残ってなかったと思う。その後は、麺食べに行ってワグナーとだべったりしていた。誘ったら来てくれたナナシスのオタクに会って、白と赤のリウムをあげたりもした。

 

入場は、割と時間ギリギリだった。入ると客入れでWUGの曲が流れていて、一面のサイリウムが本当に綺麗だった。トイレに行ってたらハートラインが流れてて、落ちサビでよーっぴー!まーゆしぃ!のコールがかなり聞こえて、なんか大丈夫だなって思った。正直SSA埋まると思ってなかったし、埋まったとしてもワグナーはあんまりいなんだろうなって。でも、ツアーで進化したコールを入れられる人があんなにいて、一面緑のサイリウムの海が広がっているのを実際に見て、大丈夫だって思った。 (以下の画像は、竹内宏彰(@Hiroakitake)さんのツイートより)

 

 

 


 

1曲目、タチアガレ。1stシングルのタチアガレを制服を着てSSAで歌うの、めちゃくちゃ「青春」を感じて泣いちゃった。あの日はただの少女だった彼女たちが、今確かに夢だったSSAで、一面のサイリウムの中で歌ってるんだよ。やっぱり、WUGと言えばこの曲。Wake Up. Girls!は、少なくとも僕のmy only oneになっていた。

 

続いて16歳のアガペー、7 Girls War、ゆき模様 恋のもよう、言の葉青葉。初期曲連発で、「想い出のパレード」なんだなって思った。初期曲は歌い重ねてるからわぐちゃんにとっても想い出深いはずで、その曲をSSAで、こうやって意味を持たせて披露してくれたので、絶対この後のセトリもヤバいって確信した。アガペーは等身大の女の子ってイメージの曲なんだけど、SSAの舞台に堂々と立ってる彼女たちが歌うアガペーを聴いて、青春だなあって思って、また泣いちゃった。あと、目の前の1stTシャツのおじさんが落ちサビでアイチャーンってやってて、アイリーラブリーもやるかなって思ったけどやらなかった。目の前でアイチャーン見たの初めてで、ちょっと笑顔になった。ありがとう。そして、7GWでは思いっきり笑顔で飛び跳ねて振りコピしてた。

 

言の葉青葉の後、ムービーが入った。7人のアイドルからBtBまでのアニメ映像が流れていた。6年間の歴史を感じさせる、まさに「想い出のパレード」だなって(2回目)。で、BtBの映像の時。普通にイントロ流れ始めて、こんな序盤に歌うの!?って思った。結局曲流れただけで歌わなかったけど。ムービーの最後、「そして物語は次の1ページへ」という言葉が。

 

これ一気に7Senses辺りの新章曲だな~って思ってたけど、ツアー黒衣装に着替えてまさかのワンビリ。高まりすぎて気づかなかったけど、最初の横並びのフォーメーションの時、まゆしぃの横が一人分空いていて、そのスペースに白いスポットライトが照らされてたらしい。言うまでもなく、May'nさんのスポットが。曲終わりに、わぐちゃんが「ワグナーさん、そしてMay'nちゃん、出会ってくれてありがとう!」って言ってた気がします。そしてMay'nさん、関係者席じゃなくて自分でチケ取って入ってたらしいですね。わぐちゃんのこと好きすぎワロタ。

 

素顔では、センターステージに来て、正面だけでなく全方向を向いて踊っていて、さすがだなって思った。わぐちゃん発案なのか振付師さん発案なのか分からないけど、わぐちゃんそういうとこだぞって思った。

素顔で高まったボルテージを引き継ぐように、暴君。オレモー!とか会場中からめちゃくちゃデカい声聞こえてきて、マジですげえって思った。SSAでも間奏のクラップはやっぱり楽しい。

 

そしてまさかのキャラソン1のサビメドレー。ハジマルが聞こえた瞬間、頭抱えて崩れ落ちた。約束の地SSAで始まりのキャラソン歌うの、エモが過ぎるだろ。トロッコで近くに来たわぐちゃんの色にリウム変えられるの、流石すぎる。キャラソンの後は、Non stop diamond hope。イントロで一瞬ハートラインかなって思ったけど、「止まら~な~いで~」って歌い始めてすっ飛んだ。ツアーで全然聞けてなくて、7人バージョンとか聴きてーとか言ってたけど、まさかここで来るとは思ってなかった。市原でみゅーちゃんが、サビ終わりの「光る」ってとこで手を三角形に振るのが好きだったからやってたんだけど、トロッコだから誰も踊ってなくて、あっはい…ってなった。

 

WUGちゃんねるの映像を挟み、5周年衣装でヒガプリ。今日のプリンセス誰やねーんとか思ったけど、プリンセスはワグちゃんだった。ので、最後の「今日は私がプリンセスです」ってとこは、代わりに僕が紳士お辞儀しておいた。僕フロは相変わらずサビ前オイオイが無くて高まれた。

 

わぐちゃんが再びトロッコに乗って、7Senses、極スマ。極スマはここでやるか~って感じだったけど、トロッコの極スマはアニサマを思い出して、一瞬だけお気持ちになった。

 

モニターに、I-1やネクスト、ランガちゃんからのメッセージが映し出された。どのメッセージもわぐちゃんへの愛にあふれてて、また泣きそうになっちゃった。その後、メモリアル衣装で雫の冠を歌った。もうすぐ、ライブが終わるんだなって思った。WUGが解散しても、魂のようなものは続くんだなって。続いて、少女交響曲。イントロでの歓声が凄かった。落ちサビのよっぴーとまゆしぃの気合入りまくった歌声が凄すぎて、次に来るであろうBtB、どうなるんだよって思ってた。

 

さいたまスーパーアリーナ、I-1 Club ARENAで歌う、Beyond the Bottom。開演前は、正直BtB衣装ないしどうなんだろうとか思ってたけど、完全に杞憂だった。ツアーの愛知公演から強くなっていったこの曲だが、SSAで遂にこれ程までになるのか、という域まで来ていた。わぐちゃんは、「この曲(BtB)を歌ってるときは人間じゃなくて、メンバー同士目を合わせた瞬間に人間に戻る」的なことを言っていた。SSAでのわぐちゃんは、本当に神々しいとかそういうレベルを超えていて、今こうやって文字に起こすのも難しい。生でしか感じられない圧みたいなのがあるのは分かっているが、こればかりは早くBDで見たい。

 

この時、僕は人生で初めての経験をした。今まで、嬉しくて泣く、悲しくて泣く、というのは経験したことがある。だが僕はこの時、嬉しくも悲しくもない理由で泣いていた。わぐちゃんの、歌とそれに込めた魂の叫びが、僕の魂と共鳴したとしか言いようがない。パフォーマンスという一言で片づけることすらおこがましいが、わぐちゃんのあのパフォーマンスは、人間を超越した何かになっていた。

 

このブログの他の記事タイトルを見てもらえれば分かると思うが、僕は今までBtBの持つ意味なんかを考えてきた。SSAで歌うことによって初めてBtBは完成する、などと言ってきた。だが、現実は完成なんてちんけなものを超えてきた。まるで、最初からファイナルライブをSSAで開催し、そしてSSAで歌うことを想定してBtBは作られたのではないかと思うほどだった。もちろん、わぐちゃん然り作詞家然り作曲家然り、映画BtBの舞台(?)がSSAであることから、SSAで歌えたらいいなとは思っていたはずだ。だが、常識的に考えて、このような形でSSAに来てBtBを披露するなんて、誰も想定して作っていなかったはずだ。映画BtBだけでなく、WUGプロジェクトも含めてね。でも、結果的に、わぐちゃんはこんなにも圧倒的なBtBを披露した。初めからこれを想定していたのではないかという疑いは「買いかぶりすぎ」だとしても、これはあまりにも「出来すぎ」な話だ。きっと、田中秀和さんもそう思っていたに違いない。知らんけど。

 

そして、一番終わりのみなみの、「WUG最高~!」という叫び。WUGはハイパーリンクと謳われてきたが、その一種の到達地点が、このSSAでのBeyond the Bottomだった。ワグナー以外のオタクがいる、むしろそっちの方が多いかもしれないという状況。なのに会場は一面真っ白のサイリウムを振っている。わぐちゃんは圧倒的なパフォーマンスを以って魅せる。本当に、幸せな空間が広がっていた。

 

メモリアルの新曲4曲。ファミ通さんのインタビューによると、この曲は披露順に起承転結になっている。

 

海そしてシャッター通りでは、モニターに被災地の映像が流れていた。東日本大震災を機に立ち上がったプロジェクト、やはり、どこまで行っても、ここまで来ても、あの日への想いが絶えることはない。そういわれたように思った。

言葉の結晶は、CD音源とライブでは聴いた時の印象が全く違う。ライブでは、それまで押し殺してきた感情を、ラスサビで爆発させているように感じる。この曲はライトの演出も好きで、一番の「存在だけで 美しいもの」というところ。「存在だけで」でそれぞれわぐちゃんのカラーのスポットライトが当たるが、「美しいもの」で真っ白のスポットライトに変わるところが良い。「傷をけずって 透明になる」という歌詞を表しているのかなって思って聴いてきた。

土曜日のフライトは、解散に対するわぐちゃんの想いが歌詞に出ているとインタビューで話していた。よっぴーの「忘れないで でも上手に忘れて」、そしてみなみの「悔しい怖い泣きたい もうそのレベルじゃない」のところ、感情が入りすぎていた。

そして、さようならのパレード。愛知・仙台とこの曲をライブで聴いてきたけど、初めて泣かなかった。だって、推しが、まゆしぃが、笑って歌ってたから。わぐちゃんが笑ってんのに俺が泣いてちゃざまないなって思ったら、自然と涙は出なかった。間奏のWake Up, Girls!コールの時はちょっとだけ泣きそうになったけどね。

 

わぐちゃんたちが裏に引っ込んで、ワグナーのアンコールことWake Up, Girls!コール。仙台2日目夜の千秋楽で初めてこのWUGコール叫んで、SSAでもWUGコールを叫んだ。というか、SSAで初めてWUGのライブでリウム持ってた。ほとんど振らなかったけど。わざわざ3.5k出して買ってまで、リウム持っていきたいとさえ思わせてくれた。まあ、草ブレードじゃなくて衣装店のとこで買ったPart1のやつだけどね。

 

アンコール一発目は、まさかのSHIFT。また聴きたいなとは思ってたけど、アンコールの、しかも一発目で来るとは思わなかった。初参加の人もある程度いる中でも、かなりコールが聞こえた。続いて地下鉄ラビリンス。頭で腎臓ファイアファイボワイパ~とか言ってたけど、なんかわぐちゃんが着替えてたらしくて尺がめちゃくちゃ余って連番者と顔見合わせて笑ってた。ラップ部分の掛け合いも健在で、喉のことは考えずに全力で声を出した。ラスサビでのマサイがめちゃくちゃ楽しい。

 

アンコールの締め、TUNAGO。この6年間の活動、仙台と全国各地、そしてファイナルツアーでの想い出、WUGに関わった全てを繋ぐ曲。震災復興を掲げ立ち上がったWUGプロジェクトだが、わぐちゃん自身に最初から震災復興という気持ちがあったというわけではないだろう。でも、活動を通して東北のことを知り、今では東北への感謝を込めてこの曲を歌っている。そしてワグナーも。もともと震災のことなんて画面の向こう側の世界、東北のことをほとんど知らなかった人も多かっただろう。それでもWUGを通じて東北のことを知り、聖地仙台に頻繁に訪れるワグナーもいっぱいいる。わぐちゃんの、そしてワグナーのあったかい気持ちが、この曲にはあふれているんだと思う。

 

再びアンコールがあり、わぐちゃんたちがポラリス衣装を着て登場。メンバーの手紙ですが、全員書くと長くなりそうなので、まゆしぃのことだけ書きます(もう既に長いけど)。

 

まあ、正直泣きすぎて内容あんまり覚えてないんだけどね。まず、今が人生で一番幸せだということ。僕はアニメ旧章(というかBtBまで)のオタクなので、3つの幸せのタイプの話がめっちゃ好きなんですよ。で、その幸せのタイプが、世の中の多くの人を幸せにできる人、身近な人を幸せにできる人、そして、自分を幸せにできる人。この3つのタイプは、7人のアイドルでも言及されていた。でも、アニメ旧章の最後に、真夢が、自分が幸せでなければ他の人を幸せにすることはできない、ってWUGの活動を通して気づく。それを踏まえて、まゆしぃの「今が人生で一番幸せ」だという発言。エモッ!そんな幸せなまゆしぃのおかげで、僕も、僕らも幸せになりました。本当にありがとうございます。

そして、これからもWake Up, Girls!をよろしくお願いしますということ。これ聞いた瞬間、マジでビビった。いわゆる解散ライブで、これからもよろしくお願いしますなんて聞くとは思ってなかった。今考えると、WUGのことじゃなくて東北にも足を運んでねとかそういう意味だと思うが、これを聞いた時こう思った。「僕はとんでもないユニットを推してしまったのかもしれない」と。そんな、ファイナルライブでよろしく頼まれちゃったら、よろしくするしかないじゃん。SSAで門出を迎え、7人が違う方向へ歩き始め、ワグナーもそれぞれの道を歩き始めるわけだけど、よろしく頼まれちゃったら一生ワグナーでいちゃうじゃん。頼まれなくても一生ワグナーでいるつもりだったけどね(笑)。

 

そして、全員が手紙を読み上げた後、Polaris。一面真っ白なSSAで、彼女たちが作詞した曲を歌う。わぐちゃん同士目を合わせ、ワグナーとも目を合わせ、大切にこの曲を歌う。互いが互いを照らしあうポラリスであることを、届けあうことができた。そして、落ちサビ。ワグナーではない人、WUGのライブを初めて見に来た人も大勢いたはずなのに、SSAが赤色に染め上げられていた。「満点の星空を ありがとうー!」というまゆしぃの感謝で、少し泣いた。ツアーで進化していったラストの肩組みも、一瞬ためらってる人が多かったように見えたが、次の瞬間には、少なくとも僕の視界では、全員が肩を組んで揺れていた。Polarisを歌っているときのSSAは、たぶん世界で一番幸せで綺麗な場所だった。

 

わぐちゃんが引っ込み、再びアンコール。本日の公演は終了しましたってアナウンスはまだないけど、トリプルアンコールあるかな~と思いながらWUGコールしていたら、まさかのわぐちゃん三度登場。「泣いてるだけじゃWUGらしくない。最後は笑顔で終わりたい!」とまゆしぃが言い、これはタチアガレだなと確信した。予想通りタチアガレのイントロ。最期の最期、全力でWake Up, Girls!と叫んだ。あのタチアガレは、間違いなく最強だった。間奏やアウトロでは、マジでアリーナの全人類が飛んでた。全員、全力でWUG最期の曲を楽しんでいた。

 


 

 

2019年3月8日の、今日のこの日のことを僕は一生忘れないだろう。WUG史上、僕の人生の中で、過去未来行われるこの世全てのライブの中で、最高のライブを見たと胸を張って言える、そんなライブだった。そうして会場を出て、仲の良いワグナーと会い、抱き合った。少しだべった後、それじゃあまたいつか、と言って別れた。現場が被らずに、もう二度と会わない人もいるだろう。でも、WUGが繋いでくれた人とのつながりは消えない。そうして僕らは、人生の第二章を歩いていくんだろう。でも、章は変わっても、僕がワグナーで、WUGが好きであることは変わらない。WUGが歴史に刻まれたかは年月が過ぎないと分からないが、少なくとも僕の心には深くふかく刻まれている。そして、僕はこの7人のことを誰かに伝えていく。みんなで過ごした、想い出のパレードを。

 

わぐちゃん、そして、ワグナー。僕と出会ってくれて、仲良くしてくれて、本当にありがとう。これからもよろしく。

こんにちは、だるまです。

 

 

今回は、Wake Up, Girls!の楽曲、"Beyond the Bottom"(以下、BtB)の「完成」について書いていきます。

 

僕の周りのワグナーは、ライブ後の感想で、「あの曲は理論値出てたな~」とかよく言います。僕自身も、岩手昼公演でのBtBは理論値出てたと思いました。横須賀夜のBtBも凄まじかったようですが、在宅してたので分かりません…。愛知公演からのBtBの吉岡茉祐さんは完全に理論値叩き出してましたね。と言うか、理論値超えてました。天元突破です。愛知からずっとまゆしぃの歌声というか、迫力というか、鬼気迫るような圧が凄い。まゆしぃ人間やめてない?

 

その愛知公演では"さようならのパレード"が初歌唱されました。MCでは、「(さようならのパレードは)あとは君たちで完成させてくれ」と、作曲の神前暁さんがおっしゃっていたと。

 

そのMCを受けて、楽曲っていつ「完成」するんだろうと思いました。さようならのパレードは、おそらく愛知・仙台を経て、SSAで歌うことで完成するんでしょう。

 

みなさんご存知の通り(?)、BtBは愛知から公演を重ねるごとに、明らかにその強さを増してきています。ツイッターでは、「異常」なほどだと表現している人もいました。

 

ですが、僕はまだBtBは完成はしていないと思っています。では、BtBはいつ完成するのでしょうか?

 

 

僕は、BtBはSSAで歌って初めて「完成」だと思っています。ですので、2017年のアニサマと、おそらくBtBが歌われる3/8のSSAの2回が、完成したBtBを披露した機会になります。BtB衣装で聴きたいですが、どうでしょうか…。

 

と言うわけで、これを読んでくれたみなさんは、BtBの考察をしながらSSAを楽しみにしていましょう。僕も楽しみにしています。

 

てか、今すぐBtBの歌詞見てください。残りのライブがSSAだけになってしまった今だからこそ分かる・共感できる歌詞ありません?今だからと言うか、SSAを経てWUGが解散した後と言うか、って感じですけど。例えば、、

 

 

また見えないダイナモが 激しく人を揺さぶる 
こうして誰も彼もが 心と歌を忘れる 
幼い日々の記憶が 打ち砕かれ今僕は 
どん底の淵を辿り 君を探す 

は解散後です。仙台公演でも印象強かった、まゆしぃのMCに繋がるものがあります。ワグナーの心にWUGがいる限り、思い出す限り、WUGは生き続ける。ただ残念なことに、人の記憶なんて時間が経てば曖昧になって忘れていってしまうものです。だから、打ち砕かれた幼い日々の記憶を必死に思い出し、WUGを探す。

 

とかですね。他にも、『教えてよ君の本当を 叫んでも姿は見えない』や、『そんなにも失うのに怯えるのか』とか、それっぽい歌詞がちりばめられています。辛矢凡先生がどこまで考えて作詞したかは分かりませんが。

 

 

というわけで、蛇足的に、解散を控えるWUGとBtBについてみたいなことも書いてみました。BtBは考えれば考えるだけ考察できるし、人によって全然違う考察の視点を持っているので、みんな軽率にやりましょう。

 

 

それでは、また。

こんにちは、だるまです。

 

こちらは、Wake Up, Girls!の楽曲"Beyond the Bottom"の考察(というか感想?)、ライブ中に聴くオタク編となります。

 

まあ、僕の感想を書きます。多分。

 

 

〇導入編はこちら

 

〇ユニット Wake Up, Girls!視点の考察はこちら

 

〇作詞 辛矢凡視点の考察はこちら

 

 

前にも書いたような気がしますが、僕が初めて生でBtBを聴いたのは、FINAL TOURの岩手公演昼の部です。

 

初めてこの曲を聴いた時から難解な歌詞だなと考えていましたが、あるか分からない次聴く機会のために少しは考察しないとなぁと思い立った次第であります。横須賀行けないんでPART3でも歌ってください。

 

 

今までWUG視点、ヤマカン視点を書いてきました。ヤマカン視点はまぁ作詞でヤマカンの想いを書きすぎたとのことなので書きましたが、ライブ中にはWUG視点のこととかを考えてればいいかな~と思います。

 

 

僕が初めてBtBを聴いた岩手公演は、ファイナルツアーで初めて「解散」を意識させた公演でした。アンコール前ラストに披露されたBtB。強かったですね。バリバリに感情が乗っていました。

 

今後の公演でもどこかに「解散」を示唆するような雰囲気が感じ取れると思います。BtBは歌われるか分かりませんが。

 

BtBは今まではなかった「解散」という物語の1ページを背負い、今までとは違ったものになっているとは思います。

 

ほんとPART3でもやってください。

 

 

 

余談ですが、ライブの2番終わりの間奏でステージのライトが消えてバックモニターだけが白く光り、ワグちゃんが逆光でシルエットみたいになってダンスをしているところがとてもカッコいいです。また見たい。

 

 

なんか全然書いてませんが、こんな感じで終わらせます。こればっかりはライブに行って自分自身で体験して感じてください。投げやり。

 

 

とりあえず愛知と仙台は行くので、そこらへんでまたブログを書く予定です。

 

 

それでは、また。

 

 

〇導入編はこちら

 

〇ユニット Wake Up, Girls!視点の考察はこちら

 

〇作詞 辛矢凡視点の考察はこちら

こんにちは、だるまです。

 

こちらは、Wake Up, Girls!の楽曲"Beyond the Bottom"の考察、作詞 辛矢凡視点編になります。

 

 

〇導入編はこちら

 

〇ユニット Wake Up, Girls!編はこちら

 

〇ライブ中に聴くオタク視点はこちら

 

 

まずは、BtBについて書いた(と思われる)辛矢凡(=山本寛監督)のブログを紹介します。

 

 

 

★『もしも神がいるのなら』 2016/08/29 12:49 山本寛オフィシャルブログより

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/9977739.html

この歌だけは歌わせるべきではないな。

 

それ以前に何を歌ってるかみんな解ってないだろう。

しょうがないけど。

 

 

 

★『ネタバレ』 2016/08/29 23:05 山本寛オフィシャルブログより

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/10020265.html

BtBは僕にとって「書きすぎた」楽曲です。
何が書きすぎたかというと、彼女達ではなく、僕個人の思いを書きすぎた。

それ以外の曲はすべて彼女達に向けて書いたし、彼女達の口から出るべき歌詞を書いてある。
彼女達が歌う「べき」曲を書いてある。
しかしBtBはそうではなかった。という僕の認識。

あれは僕が弾き語りで、どこかのスナックとかで歌うべき歌である。
非常に反省している。

そういう意味で、彼女達に「歌わせる『べき』ではない」曲なのだ。
日本語チョー難しいね!


済まないことをした。今でもそう思っている。
「僕個人のこと」を歌詞に綴っているので、彼女達が十分に理解できる訳がない。
完璧に理解できたやつがいたら、いっそ嫁にしたいくらい(笑)。しないけど。

 

 

 

★『黒い目』 2017/06/27 09:29 山本寛オフィシャルブログより

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13141367.html

これどこかで言ったかな?
「黒い目の魚たち」の謎。

最初は「死んだ目の魚たち」と書いてたんですね。
でもアイドルソングに「死んだ目」とは、語感的にもあんまりだ、と思って、踏みとどまった。

しかし「黒い目の魚」というのは、普通むしろ新鮮さの表れなんですね。
それも知っていた。

でも、僕の印象というか、イメージでは「黒い目」の方が勝った。
そういう「目」を、ずっと見続けたんですね。特に当時。

「死んだ目」を想像してください。瞼がトローンと下がった状態。
白目の面積が少なくなって、黒目率が上がるでしょ?

そういう目を当時、散々見たんです。
だから敢えて「黒い目の魚たち」にしました。

 

 

 

★『真実の器』 2017/07/20 13:14 山本寛オフィシャルブログより

https://lineblog.me/yamamotoyutaka/archives/13141367.html

僕はアニメを「真実の器」だと考える。
僕が一方的にその器に真実を入れる訳ではない、アニメを通して、真実が見えてくるのだ。

「言葉」では真実を理解するのに限界がある。特に今年、それを痛感した。
だから僕はアニメを作るのだ。

ただしそのための気持ちや感覚の整理に、「言葉」は実に便利だ。
だから僕は語り、作る。
これは絶対不可分のものだ。

もう一度言う、アニメは「真実の器」だ。
だから世界中でこれだけ愛されるようになったのだ。

 

 

上3つは直接的にBtBのことを、『真実の器』は山本監督の考えるアニメ像みたいなものを書いていますね。

 

 

『ネタバレ』では、「BtBはWUGの想いではなく、僕(山本監督・辛矢凡)の想いを書きすぎた」と語っていますので、今回はその方向からBtBを見ていこうと思います。

 

まずは歌詞に出てくる人物等について。

・僕:山本寛、辛矢凡

・君:アニメWake Up, Girls!シリーズ(新章除く)

・黒い目の魚:アニメスタッフ、(萌え)アニメを浪費するオタク

・嘘の檻:ネットの匿名の批評

 

 

アニメ業界の衰退、クリエイターの情熱の喪失。そういったものからの脱却と言いますか。この『まだ闇の中の世界』で業界を牛耳っている「旧い業界人」を一掃し、『新しい朝』を迎え、『絶望の先にほんとうを見つけたい』ということなんでしょう。

 

僕はヤマカンではないので、詳しいところはヤマカンのブログを読み漁ってください。

 

 

今回はこの辺まで、次はライブ中にBtBをどんな顔して聴けばいいか、というか僕がどんな顔して聴くか、おすすめの聴き方みたいなのを書きますので、よろしければそちらも。

 

 

それでは、また。

 

 

〇導入編はこちら

 

〇ユニット Wake Up, Girls!編はこちら

 

〇ライブ中に聴くオタク視点はこちら

こんにちは、だるまです。

 

 

こちらは、Wake Up, Girls!の楽曲"Beyond the Bottom"考察の、ユニット Wake Up, Girls!視点編となります。

 

 

〇導入編はこちら

 

〇作詞 辛矢凡視点の考察はこちら

 

〇ライブ中に聴くオタク視点の考察はこちら

 

 

曲の背景

楽曲『Beyond the Bottom』は、映画『Wake Up, Gilrs!続・劇場版 後篇 Beyond the Bottom』の主題歌です。そのため、『続・劇場版前篇 青春の影』を含めた一連の物語に強く依存していると考えられます。
 
では、続劇場版のあらすじを振り返ってみましょう。
 
以下、ネタバレ注意。続劇場版を未視聴の人は、ぜひ視聴してから読んでください。
 
 
アニメWUG(旧章)でアイドルの祭典優勝を逃したWUG。だが、その様子を見ていた大手レーベルのbvexからメジャーデビューできることに。勝負をかけて東京進出をしたWUG、1stシングル『7 Girls War』は初動15000枚と、好調な売り上げで良い波に乗っているかと思われた。
 
だが、続く2ndシングルでは、7 Girls Warの作曲者である早坂相からの楽曲提供を受けられず、売り上げが低迷。東京で獲得したテレビレギュラー番組もすぐ降板。更にはbvex開催のフェスでWUGがいわゆるトイレタイムに。
 
「WUGらしさ」とは何かを見失い、東京での活動の厳しさを知ったWUG。そんな中、早坂が新曲と共にアイドルの祭典の開催を知らせにやってくる。(確かここまでが『青春の影』ですが)
 
このままでは終われないと決意を新たにしたWUGは、仙台に戻り再スタートを切る。
 
早坂からの新曲『少女交響曲』でアイドルの祭典決勝進出を果たすも、決勝ではもう1曲の新曲が必要だと知る。
 
なんやかんやあり、社長のもとアイドル戦友であるサファイア麗子こと佐藤勝子さんに書いてもらうことに。ちなみにですが、アニメ旧章で社長が資金持ち逃げしたのは、上京して酒におぼれた彼女を助けるためらしいですね。圧倒的尺不足。
 
そして、その新曲こそが『Beyond the Bottom』。この曲をひっさげ、WUGはアイドルの祭典で優勝します。
 
 
つまり、この曲は、東京でどん底まで落ちたWUGが再スタートを決意し、見事アイドルの祭典で優勝するという背景を背負っているわけですね。
 
 
 

「ユニット Wake Up, Girls!」から見た『Beyond the Bottom』

ここからは、歌詞をつまみ食い的に追いながら、WUG視点での意味を考察します。
 

また見えないダイナモが 激しく人を揺さぶる

こうして誰も彼もが 心と歌を忘れる

ダイナモとは、一般的に発電機のことですが、ここでは激しく人の感情を揺さぶる、ジェネレーターみたいなものだと考えられます。その結果、民衆は誰も彼もが、心と歌を忘れてしまいます。

 

幼い日々の記憶が 打ち砕かれ今僕は

どん底の淵を辿り 君を探す

1stシングルが売れ調子に乗っていたがすぐに転落した僕=WUGは、どん底に叩き落されながらも「君」を探します。この君は、まあ応援してくれるオタクのことでしょう。

 

黒い目の魚たちが 流れの中沈んでく

この黒い目とは、この山本監督の記事にあるように、死んだ目のことですね。黒い目というとハイライトが無いような印象を受けることからも、死んだ目というのは了解できます。

 

「黒い目の魚たち」が誰かというのは、2通りの考えを思いつきました。

 1つ目は、WUGを含めた、「上京したものの売れずに消えていった有象無象のアイドルたち」です。本編で社長が「あなたたち(=WUG)みたいなアイドルが出てきては、夢破れて消えていくのが東京なのよ。」などと言っていました。

 2つ目は、先ほど出てきた、「心と歌を忘れた君」です。

まあ、そのどちらか、あるいは両方が、流れに逆らうことなく沈んでいきます。マイナスなイメージですね。

 

東の空睨みつけ 太陽を待ち続けてる

東の空は、もちろん太陽が昇ってくる方角です。太陽を待ち続けている様子からして、『どん底の淵を辿』ってはいるものの、まだ諦めていないようです。

 

どこへ消えてしまったの あんなにも熱いパトス

最後に微笑んだのはいつだったのか

そうは言っても、やはり上げて落とされたのはキツそう。たぎっていたパトス(=情熱)はどこかに消え、笑う余裕すら無くなってしまいました。

 

教えてよ 君のほんとうを

叫んでも姿は見えない

心と歌をなくした君はどこにいるのか、どう思っているのか。それを教えてよと呼び掛けても、返事はなく姿も見えない。先も周りも見えない真っ暗闇を進んでいきます。

 

嘘の檻に閉じ込められたのは

君のせいじゃない だから今届け! 届け!

『嘘の檻』とは、嘘か本物か分からないようなネットの風評ですかね。作中にもありましたし。それを信じてしまうのは君のせいじゃない。しかし、だからこそ、実際に僕(=WUG)を見て、嘘の檻が嘘か本物かを見極めてほしい。

 

もしも神がいるのなら 聞いて欲しい僕の想いを

世界中の憎しみを 全部僕が受けとめるから

絶望を力に変え もう何もかも怖くないさ

世界中の憎しみを僕が全部受け止めるとは、なかなか大胆不敵な歌詞です。どん底から這い上がると決めたWUGには、それくらいの覚悟があるということでしょう。一度は東京で絶望しましたが、それさえ力に変えられるというのはWUGの強みであります。

 

さあ、混沌(カオス)となったこの自由から逃げ出そう

これまた難解な歌詞です。自由とは、無限大の選択肢がひしめき合っている状態です。今のWUGで言えば、失墜はしたがまだ東京で頑張ってみるか、仙台に帰り再スタートを切るか、はたまたそれ以外か。

 

ですが、その自由から逃げ出すということで、無限大にある選択肢から一つ選び取り、それを果たすんだぞという覚悟の表れと取れます。

 

また、エーリッヒ・フロムの著書に『自由からの逃走』という、この歌詞から匂わせるようなものがあります。個人的には余り結びつかないかなと考えましたが、何かを結びつけて考えてみるのも面白いでしょう。

 

 

またラスコーリニコフが 刃(やいば)を立て薄ら笑う

剥がれ落ちた友情が 脆い心を突き刺す

ラスコーリニコフとは、ドストエフスキー作『罪と罰』の主人公です。詳しいことは導入編の下の方に書いたのでそちらを読んでほしいのですが、簡単に言うと、自分の信念を疑わず、それに則り斧で殺人をする青年です。

 

ここは殺人するために刃を立て薄ら笑っているラスコーリニコフの心情を表しているのでしょうか。自分の行動を正しいと思う彼のように、仙台に戻り再スタートすることを決めたのは正しいんだと。

 

剥がれ落ちた~は、正直よく分かりません。光塚とWUGを天秤に掛けた結果、光塚を選んだ菜々美のことかな、などと考えましたが、このパートを歌っているのがよっぴーなので違いそう。

 

信じるのかしないのか 黒い目の魚たちよ

そんなにも失うのに怯えるのか

また出てきました、黒い目の魚たち。ここはWUG説が濃厚です。再スタートという行動、そしてその覚悟を自分自身が信じるのか、それとも信じられないか。東京で活動して、これ以上何か、WUGらしさを失うのに怯えるのか。

 

伝えてよ 優しかった君に

僕はまだ今を信じてる

今では心と歌を忘れた君は、昔は優しかったそうです。東京に出る前の、仙台のファンたちは温かく優しかったけど、東京はかなり冷たかったのも絡んでいるのでしょう。ですが、仙台と東京を経験し、仙台に戻ってきたWUGは、まだ今の可能性を信じてるようです。

 

それが戦いの合図としても

立ち止まらない だからひた走れ! 走れ!

この曲を歌い、優しかった君に伝えるということは、事実上アイドル日本一を決めるアイドルの祭典決勝に立つということ。それはまさしく『戦いの合図』ですが、それでもWUGは立ち止まらずにひた走る。

 

傷だらけになってでも 必ず僕は君を護る。

それが僕には最後の 生命(いのち)の燃やし方だから

東京での活動がうまくいかず、傷だらけになったWUG。それでも、嘘や憎しみのようなものから、必ず君を護る。ここだけ歌詞に句点が打ってあるのも、堅い決意の表れぽいですね。

 

そして、それが「最後の」生命の燃やし方、という意味深なことを言っています。

 

世界はまだ闇の中 でも新しい朝は来るさ

そう、絶望の先にほんとうを見つけたいんだ

「君」はまだ闇の中、嘘の檻に閉じ込められています。でも、必ず太陽は東の空から昇ります。

 

どん底に落ち絶望さえしたものの、その先にある「ほんとう」を見つけたい。この「ほんとう」とは、辛矢凡視点編で書きますが、このヤマカンのブログにある「真実の器」ってことなんじゃないかなと思います。

 

未来の永遠さに僕達は苦しむ

幸せに裏切られた君を 抱きしめる

このパートをななみんが歌ってるのいいですよね。「光塚を受けなかったらいつか絶対後悔するから」と永遠の未来に苦しんだ菜々美が、噛みしめるように歌う。

 

東京でのWUGがそうだったように、幸せなんてそう長く続かないものです。幸せから一転不幸になってしまうなんて珍しいことじゃない。そうなってしまった「君」を、同じ境遇に立ったWUGが抱きしめる。天使か?

 

もしも神がいるのなら 聞いて欲しい僕の想いを

世界中の憎しみを 全部僕が受けとめるから

1番サビと同じ歌詞。ライブでのここのまゆしぃ、いいですよね。

 

絶望は希望の種 前を向き祈り捧げるよ

さあ、混沌(カオス)となったこの自由から逃げ出そう

ラスコーリニコフが絶望の中でソーニャという希望を見い出したように、人はよく絶望の中で希望を見つけます。前を向き祈りを捧げ、決意を堅めて曲が終わります。

 

 

 

まとめ -曲全体を俯瞰して-

今までは歌詞それぞれを見てきましたが、これからは曲全体を見ていきます。
 
それに先駆け、作中でワグちゃんが言っていたセリフを何個か紹介します。
 
・サビの歌詞が今のWUGの心境にそっくり
 
・「WUGらしさ」ってなんだろう?
 
まずはこのセリフについて見ていきます。
 
 
最初の「サビの歌詞が今のWUGの心境にそっくり」について。東京での活動がうまくいかずにどん底まで落ちたものの、仙台で再スタートしアイドルの祭典優勝を目指す、作中のWUGにはぴったりと言えます。
 
次に「WUG」らしさについて。一応公式の回答としては、「真摯であること、正直であること、一生懸命であること」とされています。まあこれはあくまで、公式が考えたWUGらしさです。
 
山本監督もブログで言っているように、WUGらしさっていうのは、WUG本人だけでなくその関係者、ワグナー全員によって形成されると思います。無責任なことを言ってしまえば、考える人の数だけWUGらしさは存在するということです。
 
以上、作中のセリフよりでした。
 
 
では、曲全体としてどういう意味を持っているのかを書いていきます。
 
 
僕はBtBを、まだワグナーではない「君」へと届けようとしている曲だと考えています。
 
この「君」は、情熱もなく、心と歌を忘れ、あまり感情を出さずに日々を無為に浪費している人です。
 
世界中の憎しみを受け止めて傷だらけになってでも、そんな君を抱きしめる。優しく抱擁するような曲だと思います。
 
作中で言うなら、まだWUGを知らない人たちへも「届け!」と願い、アイドル戦国時代を制覇するための曲。数多くのアイドルが跳梁跋扈するこの時代、情熱を失くしてしまったオタクたちに救いの手を差し伸べるWUG。それなんてセブンスシスターズ?
 
 
また、これは伝聞なのですが、Beyond the Bottomは『タチアガレ!』のアンサーソングというか、セットになっているような曲だと山本監督がおっしゃっていたらしいです。
 
確かに、7人のアイドルとBeyond the Bottomはストーリーに共通点が見られます。まゆしぃの仙台左遷・しほっちの博多左遷などが象徴的ですね。
 
ただ、タチアガレ!とBeyond the Bottomの歌詞を見比べると違う部分も見受けられます。
 
タチアガレ!にも『絶望の淵に立った瞬間に』などの歌詞は入っているものの、全体的に希望に満ち溢れています。ですが、BtBでは、世の中にはびこる絶望を理解しつつ、それを乗り越えるような印象があり、そこからもWUGの成長みたいなものを感じられますね。
 
 
はい、そんな感じであんまりまとまりませんでしたがBtB考察のWUG編はこのくらいで終わりにします。
 
次は作詞の辛矢凡先生(山本元監督)視点の考察になります。
 
 
それでは、また。