過日、A子ちゃんの事を書きました。
彼女と出会ったのは1974年、中学入学時で御座います。当時は末期のフォークブームで、吉田拓郎・井上陽水が2大巨頭。さだまさしのグレープが出てきたのも確か翌年。
※ いわゆる日本のフォークとは、そもそも高石ともやや三上寛らを指します。拓郎陽水はあとの後。
ユーミンこと荒井由美(旧姓)『ルージュの伝言』を機に、ニューミュージックなる言葉が開発されたのは翌75年の新春。新幹線が遂に博多へ開通。
新幹線の博多開通は、ユーミンの当該曲と相まって、希望の春ではありました。
◆ルージュの伝言(カヴァーだが)
そんな頃、A子ちゃんと私は一緒に。
だが人生は厳しいものである。いかな若き中坊とはいえ、そうそう神は楽をさせてはくれません。
その顛末は上記貼り貼りご参照。
1974(昭和49)年にはいろんな曲がありました。のちにワタクシ進学する、東京の某私学近くのきっちゃ店がモデルの『学生街のきっちゃ店』。これは少し前だが、当該ガロさん発表した
◆木馬(カヴァーでひとつ)
さあ、言ってみてごらん 僕の何がいけないか
何でいつもこんなに喧嘩ばかり 君はもう、子どもじゃないよ
わかって
いつも思っているよ
ふたりは別々なのさ
でも、ひとつになれた時もあった
けれども同じ 道は行けないね
そうだろ
すべては木馬のように・・・
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これって俺とA子ちゃん。時代はまさに、2人の鏡であった。
が、くだんの坂口安吾は「時代」について書く。
「新聞記者だの文化映画の演出家などは賤業中の賤業であった。彼等の心得ているのは時代の流行ということだけで、動く時間に乗り遅れまいとすることだけが生活であり、自我の追求、個性や独創というものはこの世界には存在しない。彼等の日常の会話の中には会社員だの学校の教師に比べて自我だの人間だの個性だの独創だのという言葉が氾濫しすぎているのであったが、それは言葉の上だけの存在であり、有金をはたいて女を口説いて宿酔の苦痛が人間の悩みだと云うような馬鹿馬鹿しいものなのだった」
ー 『白痴』
シロガネーゼも公園デビューも今や死語。ああ、そんな言葉もあったわね程度であって、コピーなんならマーケティングなぞ、澱みに浮かぶうたかたに過ぎぬ。
その伝でいうと、若かりし頃の俺と彼女のあれこれも、ある意味時代的っちゃ時代的。澱みに浮かぶうたかたの。
されど私の人生は。
もうどうでもいいのさ
つまらぬ事は考えないで
そこからの道を急ぐのさ
それが最も肝心さ
長く暑い一日が終わり
振り返る時はすべて灰色に
心の中は荒れ果て尽きて
先を見ることさえ 苦しみ覚える
変わる変わる 目の前が
変わってそれでおしまいさ
されど私の人生は
されど私の人生は
◆斉藤哲夫 ー されど私の人生
人間の真実とは何か。昨今の歌詞は〝わたしがんばれボクがんばれ〝〝踏まれても踏まれても立ち上がる〝等々、マスターペーションよろしき自慰ソングばかりで真実にはほど遠い。
こんな深夜に己の顔を、鏡でじっと見ることから始めましょう。お前はいったい誰なのか。どこからきて、どこへ行くのか。Byゴーギャン。
「流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思い込んでいる。事実時代というものは只それだけの浅薄愚劣なものであり、日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果たして人間の真実に何の関係があったであろうか。
最も内省の希薄な意志と衆愚の妄動だけによって一国の運命が動いている」
(坂口安吾)
A子と自分も浅薄愚劣な時代の反映だったかも知れない。還暦すぎて述懐するに、そんなきらいもある。
ただし悩みは多かった。
◆悩み多き者よ
悩み多き者よ 時代は変わってゆく
ああ、人生は一片の木の葉のように
ああ、風が吹けば
何もかもが終わりなのさ
旧約聖書の預言者コヘレトの言葉:
「空の空、伝道者は言う。
空の空、すべては空。
日の下でどんなに苦労しても、それが人に何の益があろう
風は南に吹き、巡って北に吹く
巡り巡って風は吹く
しかし、その巡る道に風は帰る。
人間の一生は悲しみであり、その仕事には悩みがあり、その心は夜も休まらない。これもまた、むなしい。
風を追うようなものだ」
それでも彼女と往時の音楽は、少なくともグッドタイムでありました。
◆グッドタイム・ミュージック
所詮人生、こげなもの。良き思い出をどれだけ作るか。
幻の道はいくつにも分かれ
どのように生くべきか定かではなし
ただひたすらにレールの上を、真っ直ぐに進み行けばと思うのだが
一時停車を試みてみたが
冷たい風はわたしの中を
狂気の如くさまよい歩き
果ててこの世を去ることのみ
ー 斉藤哲夫『されど私の人生は』 ー
苦悩も腐心も、振り返れば良き思い出。あとは神の御許で、さて、これからどうしようか。