Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

ブログを更新しました:

『ソウルメイト』https://ameblo.jp/darshaan/entry-12403404743.html

〈その6、ヴラマンク編からの続き〉

 

前回、ヴラマンクについて

 

「フォヴィズムの代表格みたいに言われておるが、存外オーソドックス。実は伝統に忠実な作家なのではないか」

 

こう書いた。

 

その後、自分が初めてヴラマンクを観た展覧会(1989年)の図録が届いた。古書店にネット注文していた物で、同書にはフランスのシャルトル美術館館長(当時)、マイテ・ヴァレス=ブレッド氏が寄せた、こんな序文が。

 

「ブラマンクは、1920年にべリネーム・ジュヌ画廊で開かれた個展を機会についに成功を得ました。キュビズムの運動と抽象美術の展開が明確になり、対立をはっきりさせて激化した時期に、ブラマンク自身は、あらゆる動向からきっぱりと距離を保っていました」

「批評家や一般の人々は、彼の作品のなかにほとんど〚古典的〛ともいえる面をみて歓迎したのです」

 

ほらね?

 

これは1900年代(一桁台)のフォヴィズムからの転換を意味するか。この4月に京都市美術館で観た『セーヌ河畔の家並み』は1910年頃の作品で、セザンヌから「線」を学び取り始めた時期。とはいえカクカク笑っているようでマンガ的な家々は、まだフォヴィズム。

ただ、色彩や構図から古典的なトーンというかスピリットを自分は感じとったので、斯く記した。古典主義やロマン主義といった伝統的な文脈に沿った性質、その萌芽は、既にあったのだと。

マイテ・ブレッド館長の序文は、『セーヌ河畔』から10年後じゃあるがヴラマンクがブレイクした時のポイント ー やはり「古典的」 ー を表し趣深い。

 

気分の良いところで、そろそろ美術館を出よう。4月25日(土)の、もう16時半。四条烏丸の飲み屋で友人M君と待ち合わせたのは17時、ちょうどいい時間だ。

 

岡崎から白川沿いに南西へ、ぼちぼち歩く。窓に簾を垂らした家や、長暖簾の小さなお店。その間を水草なびかせ藻を浮かせ、川はさらさら流れていく。

 

 

 

川に膝まで入り、釣りをしている人が幾たりかあった。都会の真ん中でこんな風景は、なかなか見られまい。

 

さらさらの川辺をそよそよと吹く初夏の風。風に乗って、てくてく歩く。東大路を越えたあたりから、しかし街並みは、化粧を落とした中年女性の趣が。

昼間の花見小路である。

 

日本家屋はビルへと変わり、夜の蝶も素肌をあらわに。白川をきらきら照らした同じ初夏の光が、ビルの灰色の外壁や、ピンクと黒のネオンサインに反射する。これもまた興をそそる。というのも、夜のお店の艶っぽさは、お姉さん方の実生活の苦労や言うに言われぬ諸事情を、察して黙って互いに笑う、そのバランスの上に成り立つものだからである。

夜と昼、昼と夜。

 

むかしそれこそ烏丸四条の京都支店にいた頃、行ったもんです花見小路のクラブ。楽しかったなあ❤

 

夜の蝶たちに真っ昼間、そっと別れを告げて四条大橋を渡る。四条通りはくんくんに混み、あたかも東京上野で絵を観るかのよう・・・

かと思いきや、スイスイ歩かれる。鹿市早苗の台湾有事発言で、中国からの観光客が減ったせいだろうか。

 

四条烏丸の交差点手前、東洞院通を右折。目指す飲み屋は錦市場を出たあたり。

・・・ない。看板すら見当たらない。錦小路に面した、まさしく路面の店のはずだが。

おっかしいなぁ。グルメサイトに載ってた外観は、けっこう入口広くてドーンとした、大きめのホールっぽい店だったのに。交番で聞こうかなあ。

 

キョロキョロと、行ったり来たりで既に17時。待ち合わせ時間になっちゃったけど、まあイイや。

どうせM君、後輩だし✌

 

 

東の方はこの夏かなり雨が降り、千葉や北陸じゃ被害が出たそうな。

しかし関西、少なくとも阪神間では7月頭の梅雨明け以降、たった2回か3回しか降らなかった。自分は仕事柄、せめて週に一度は雨を必要とするので、ようやく降ったここ数日は嬉しいような悲しいような。

音は小川美潮『天気』、もとい『デンキ』@京大西部講堂(1992年)。この音は雨の京都を、白川の水面を思わせ余りない。

 

 

 

〈続く〉

 

〈7月にアップした《その5》の続き〉

 

京都市美術館『西洋絵画400年の旅』、心に残った5点の最後はヴラマンク。

 

◆『セーヌ河畔の家並み』(1910年頃)

 

 

※本作は写真撮影禁止だったので、拾った画像で。

 

ヴラマンクを初めて観たのは日本に消費税が導入された1989年、みなとみらいの横浜市美術館で催された『メトロポリタン美術館名品展』。そう記憶していたし作品名も『踏切』と覚えていたのだが、ヴラマンク作品が同年日本に来たのは日本橋三越など百貨店を巡る単独の展覧会で、みなとみらいにゃ来ていない。しかも自分が観た『踏切』は、この

◆7月14日の踏切

 

 

でも、

◆踏切のある風景

 

 

でもないような気がする。

えらく寂しい絵だったので、もしかしたら後者なのかもしれない。ヴラマンクには他に『踏切』という絵はないし・・・。

当時買った絵葉書、ずっと持ってたのに今は無く、どうも記憶が曖昧だ。

 

とまれ『セーヌ河畔』も『踏切』も、共通するのは寂寥感。これが他のフォヴィズム連中とは一線を画している。恥ずかしながら自分は、今回京都で展示資料を見て、初めてヴラマンクがフォヴィズムの作家と知ったのだが『セーヌ河畔』の笑っているような家々は確かに戯画的。

マンガのような家々が、ちょこちょこ並んでいるのを人によっては‘かわいい’などと思うかも知れないが、それは浅い見方。フォヴィズムの特徴である「戯画的・マンガ的」というのは取りも直さず「虚無」の謂。これはむしろ‘冷笑的’というべきで、マティスの『金魚』にせよ別途詳述するが(同じく今回展示されていた)マルケ『トゥーロン湾の眺め』にせよ、同じ戯画的でも日本の『鳥獣戯画』のような可笑しみは無い。自分に言わせりゃ‘空っぽ’であり、ニヒリズムに他ならない。

 

では、初めてヴラマンクを観た89年から40年近く経ってもなぜ自分はこれをフォヴィズムと気づかなかったのか。

それはやはり寂寥感であり、戯画的・マンガ的=冷笑的というのは要は「空っぽ」。つまり心が無いのだか、対してヴラマンクには「寂しい」という感情、つまり心がある。しかもその心は割合ハードで、ダーク系に赤といった原色、荒々しいタッチにこれが表れている。つまり彼は、ひどく寂しいのである。

 

フォヴィズム(野獣派)だから荒々しいのだろうか。一般にフォヴィズムは「伝統的な写実主義から逃れ、感覚を重視」とされる。だが『踏切』はもちろん『セーヌ河畔』だって、「見えるものを見えるままに」描いてはいないか。家並に戯画化は認められるものの、全体的な構図はむしろオーソドックス。既存の写実に感情を「上乗せ」した形であり、マティスやマルケみたいに浅薄な感覚で突っ走ってはいない。

また、歪み方にはゴッホの、色使いにはセザンヌの、後年彼が影響を受けることになるその萌芽が既に見られる。案に相違しヴラマンクは、極めて西洋絵画の伝統に則った作家なのではなかろうか。

 

またもや小林秀雄にご登場いただくが、人が泣いたり笑ったりするその仕方は、意識するとせざるとを問わず、民族とか国柄とか、各々が培い積み上げた土壌・文化伝統に沿っているものではないだろうか。能も歌舞伎も「よよ」と泣くのであり、寅さんにしたって「顔で笑って、心で泣いて」。日本人が日本の伝統に則って泣くのなら、西洋人たるヴラマンクも、あちらの文脈に従って泣いているように思えてならない。

だから洋の東西を超えても伝わるのであり、これはいわゆるフォヴィズムの「虚無」からは、最も遠いものだ。

 

 

今日は久しぶりにマック系。ニックスさんのOutside The Rain 〜 Dreams とフリートウッド・マック‘Angel’を連続で。

 

 

 

いちばん美しいものや最も無垢なもの

たくさんの夢が、私たちの側を通り過ぎていく

通り過ぎていくばかり

 

だから私はそっと目を閉じる

そして風の一部になるのを待つのよ

ずっと待ちわびていた、風の一部になれるのを

 

(‘Angel’より)

 

 

 

 

 

 

 

 

女優の小川真由美氏が今年3月、ひっそり亡くなっていたというのは既報のとおり。

毒親だっただの何だのと報じられたが、身内は兎も角我々が押さえるべきは彼女の仕事のみであって、他は些事に過ぎない。

 

◆映画『復讐するは我にあり』

 

 

◆鬼畜

 

 

これらで名演、強烈な印象を与えた氏はいっぽう、鮎川誠・シーナ夫妻と極めて親しかったとか。動画サイトで2人のトーク番組(87−8年頃)を観て、初めて知った。

 

小川真由美がロケッツのライヴに来たのが初対面だそうで、大女優はリムジンか、せめてベンツに乗って来るものと思っていた鮎川さんは、彼女が汚いライトバンから降りてきたのでひっくり返ったそうな。衒いのないのは映画やテレビを観てもそこはかとなく伝わってきてはいたが、この時点で既にロック。

 

番組では多岐にわたって音楽/表現を巡る話が。まことに趣深かった。

ちなみに彼女が好んだ音は、こんな辺りであるようだ。

◆Blind Faith ― Presence Of The Lord

 

 

◆Staple Singers ― Leave It All Up To You

 

 

◆B.B. King ― That's Wrong Little Mama

 

 

◆The Band ― Ophelia

 

 

◆Chuck Berry with Keith Richards ― Little Queenie

 

 

 

これはもう、玄人である。ガチのロック好きと言って差し支えない。

映画『ヘイル!ヘイル!ロックンロール』もしっかり観たそうで、「キースがどんなにチャック・ベリーに叱られようとも尊敬のあまり耐え忍ぶのよね、あのキースが」と。

パッション(※)はキャラクターをも突き抜け、これがロックンロール/表現の特徴の1つ。そんな話をしていた。

※小川真由美は「生命力」という言い方をしていた。

 

もう1点、興味深かったのが「ナイーヴさ」。しかしパッションはパッション自体でどこまでも押して行かれるものでなく、例えば観察、時には相手に合わせるというナイーヴさが必要で、小川真由美は鮎川誠を「そんな人」と評していた。

 

一見衒いのない小川氏も、また「そんな人」であったように思う。というのも、芝居は感情表現を伴うが、内なる引き出し・外なる相手、このコラボでそれは出てくるものだから。相手役の観察も要るし、よく言われることは「自分の台詞を覚える前に相手の台詞を覚えろ」。実際、彼女は攻めの芝居のみならず受けの芝居が上手かった。

 

また、彼女を育てたのが文学座、ということもあっただろう。杉村春子を筆頭に北村和夫、奈良岡朋子・・・。太地喜和子は俳優座養成所を出て文学座に入り直したのだが、千田是也に小澤栄太郎、東野英治郎、仲代達矢ら俳優座の「剛」に対し、文学座は「柔」のイメージが強い。

俳優座がナイーヴじゃないということではなく、文学座の方がより「一歩引く」感じがあるのだ。

 

とまれ小川真由美がかなりのロック好きというのには、感銘を受けた。

そんな彼女に捧げます。あの世できっと、お気に召すと思う。

◆アラン・トゥーサン、ドクター・ジョン、エタ・ジェイムズ  ー Groove Me

 

 

安らかにお眠り下さい。

当該のシリーズ、ここまで5回書いたので、中締め。

 

維新の肝いり副首都法案、これはつまり‘大阪都構想’こと大阪市廃止構想を目したものであるが、福岡、愛知、群馬などの他自治体が「おらが所こそ副首都に!」。続々立候補しているのが面白い。

大阪、落ちればいいのに(▼∀▼)。実際、これまで2回も住民投票で否決されてるもんね。

 

そんな中、こんなツイートを見た。

「京都は立候補できないなあ。だって首都だもん」

 

つぶやいてたのは京都人だが、うむ、然り。

そもそも東京を首都とする法的根拠はない。明治維新の時に大久保利通が天皇を東行させそのまま居着いているに過ぎないので、勅令も何もない。遷都したのは長岡京→平安京が最後である。

したがって件の京都人氏は正しいし、俺もまた、日本の首都は未だ京都だと思っている。

 

確かに現在、帝は千代田城におわし御所に常駐はしていない。ここで想起されるのが副首都法等と並んで下らない皇室典範改定法案。何やかんやと弄り回し、無理押しに押すの感。

‘皇室の在り方’などに全く興味のない自分も、敢えてマジレスすると天皇制については「消極的支持」だった。理由を話すと長くなるから割愛するが、しかしあんなにガチャガチャするんならもう止めちゃえばいいじゃん、こう思うように。

そもそも人権問題であることに、諸般の事情で目をつぶってきた訳だし。これを機に、いっそ止めれば?

 

江戸にいるからこんなことになるんだよ。政治の中心・東京から距離を置き、畏きあたりにおかれては学問文芸を専一になさるべし・・・って、禁中並公家諸法度かよ。

と、いう。

 

余談が過ぎました。

 

自分が京の都に初来日したのは中学の修学旅行。金閣寺(鹿苑寺)くらいしか覚えてないが、当時すでに三島由紀夫『金閣寺』を読んでいたため「焼くほど綺麗か?」というのが正直な感想。

次は大学時分。東京の大学に通うも実家は九州。なので帰省のたびに途中下車。

高校時代の友人が京大と関大におり、彼らの下宿を拠点に@1週間は京都や神戸でソレソレ。付き合ってた彼女が関西の人間、というのが何よりデカい、途中下車の動機だった。

今は夏冬=炎暑/厳寒の時期にゃ上京せんが、当時はそれこそ夏休みと冬休みがメイン。河原町から友人下宿のある高野まで歩くのもザラ、大汗かいて或いは手足の先までキンキンにしばれて。東京でそのまま就職するも関西の顧客がメインとなったため再来日した折、四条で「あれ? 何か感じが違う」と思ったのも、地上を走っていた京阪電車が見当たらなくなって(つまり地下に潜って)いたからだった。

 

むろん自分は他所者であり、他所者たるを意識している。京都人話法、いわゆるイケズに興味はないが、地雷を踏んだことはある。あの空気の固まり方は、冬の京都より寒かった(笑)

イケズはある種の都市伝説的に、こんな本読んで楽しむくらいが丁度いい。

 

 

10年前に大ヒットした本書。著者の井上章一先生は最近まで京大日文研@桂の所長を務められた偉い人。しかし嵯峨の出身で(「しかし嵯峨の出身で」?)洛中の人間に対する恨みつらみが超面白い。

嵯峨という、至近距離から洛中をアレするところに妙味あり。差異がデフォルメされるし、それがご自身の来し方そのもの(笑)だから説得力あふれるのだ。

こういう本は遠方の者には書けない。俺みたく、せいぜいヒット&アウェイして遊ぶに如くはない。

 

 

明日月曜日はワタクシ夏休み(その1)です。今夜は土曜の夜も同然。

ゆえにデヴィッド・レターマン、レイトショーより2曲。

◆ウォーレン・ジヴォン― Raspberry Beret

 

 

◆ロバート・パーマー.― Simply Irresistible

 

 

イェー、ノリノリだぜぃ。エアコン壊れたけど、これで平気♪

なんぼ何でも京都よりは暑くないってば✌(ホントか?)

 

 

 

前作『ハックニー・ダイアモンズ』から3年ぶりの新譜‘Foreign Tongues’。

 

 

ざっと聴いてみた。

 

先行してYoutube公式に上がっていたIn The Starsなど数曲を聴いた時には、妙に丸まってキレがなくなり、あたかも末期の『マカロニほうれん荘』状態。過去の栄光、その惰性。ストーンズも流石に老いた、こう感じたものだが、アルバム全体通して聴くと印象は一変。

 

オープニングはRough and Twisted.

神か悪魔かそれとも女か。誰かに車を運転させて、「なあ、連れて行ってくれよ。ミシシッピのナチェズでもプエルトリコでも、なんならシチリア、ローマだってイイぜ」「水が光り、詩とニジンスキーのダンスが輝く場所へ」。

 

 

どブルースである。かつてのKey to The Highwayや、クラシックなところでは『ルート66』、永ちゃん的には『トラベリン・バス』を彷彿させるロードムービー。もとい、ロード・ソング(?)。

しかし願っていたのに反し、着いた処は腐った米と汚水だらけの街。

「お前が連れてきたのは腐ったような街だった」「空気は刺すように有毒で、息もできない」「1軒だけあるクラブは〈陰謀〉って名前で、俺は歓迎されなかった」「サックスの響きみたいに俺は孤独だった」。

 

それでも彼は、〈此処より他の場所〉を希求し

 

Yes,why don't you teach me,teach me all those Foreign Tongues?

なあ、教えてくれよ。知らない言葉と世界を。

 

Desperateな歌詞はある意味ブルースの伝統に忠実。ロバート・ジョンソンよろしく彼は、冥界魔界を巡るのだ。

ダンテの『神曲』、ゲーテの『ファウスト』。レイナルド・アレナス『めくるめく世界』でもいいのだが、地べたに立脚しながらも、天空冥府をぐるぐると。冥府魔道は拝一刀@子連れ狼。

つまり、中村時代の活きのいい錦之助は寄る年並でもう無理だが、これ萬屋の、熟練の技。

 

音はミックのハーモニカ、そして右チャンネルのロニーと左チャンネルのキース、ギターの絡みが際立つ。この特長はアルバム全体を通して言えることだが、一方、スティーヴ・ジョーダンの太鼓は正確無比も、余白を殺し密着し過ぎて隙がない。

音数多く、音の密度が高く感じるのは彼のプレイゆえか。死んじまった者を恋い慕うのは詮無いが、‘お猿のタイコ’チャーリー・ワッツのあの「抜け」と、スネアの骨っぽさこそストーンズ・サウンドだったと今更ながら。

 

アルバム通して聴いて、印象が一変したのは曲の並び。Rough andの次にこれを持ってきたのはナイスプレー。

◆In The Stars

 

 

2曲続けて聴いてみてほしい。重めのブルースから軽快・ポップなサウンド。冒頭のリフもThis is Stonesで、ギターの絡みは一貫している。

 

〈流れ〉が特に秀でているのは、5曲目と6曲目。

◆Devine Intervention

 

 

◆Ringing Hollow

 

 

Devine Interventionは、往年のRespectable→(サビ部分の)She Was Hotへと展開。ギターソロはロニーだろうか、これはカントリー。

このソロが、次のまさしくカントリー曲Ringing Hollowにつながる。かつRingingはSweetで、それでいて情に流されてもいない。

 

この5曲目から6曲目の流れこそ、自分的には本盤のハイライト。

 

特徴の3つ目は、ルーツミュージックが前作ハックニー・ダイアモンズより前に出ていること。上記挙げた点に加え、アルバム最後をチャック・ベリーのブルースで締めているのもその表れ。

 

さて、みのミュージックのみの氏が最近、本盤を評していた。彼が疑義を呈していたのはミックのボーカルをピッチ補正した点や、In The StarsのPVで、なぜ若い肉体に若い頃の顔を貼り付けてやったのか ー といった点。

要は「老いを老いとして、なぜそのまま出さなかったのか。リアルを提出してこそストーンズではないのか」。

 

Youtubeのコメント欄は「いや、ピッチ補正くらいいいじゃん。だって80歳オーバーだぜ?」といった書き込みが多かった。うむ、同意。

聴くと分かるが、金を払うに値する作品・商品に仕上がっている。ピッチを幾分直したからって何だ、良い商品ならそれで良い ー というのが俺の考え。

これは「結果が全て」ということであり、逆に言うなら80だろうが90だろうが関係ない。良い物は良いし、悪い物は悪い。俺はいかなストーンズだって、下駄は履かせない。

 

これってみの氏より厳しくね?

ピッチがどうこう細かいことじゃなく「本質的に」だから。

 

厳しいのは、それこそ「だってストーンズだぜ?」だからである。敬意を払っているからこそ。

 

ただしみの氏が言ってることに、分かる点もある。「ミックは常に市場に気を配り、キースはいつもリアルの人。このバランスがストーンズを成してきた」「ところが本作では、ミックの‘フェイク’にキースが負けている」・・・

その答はキース曲、Some of Us にあり。つまりあんまりよろしくないのだ。The Nearness of You とかあの辺の焼き直し。才能が枯渇したのか、キース?

 

たった1曲に全部背負わせるのは無理くりだが、あの添え物的なキースの1曲は、みの氏が言う「負け」を象徴しているようにも思えた。

※尤も、キースはギターでキースしており十二分に貢献。相変わらず素晴らしいのは言うまでもない。

 

老いを老いそのままに提出せよ。みの氏の意見はそして突き刺さる。ストーンズのアルバムに関わらず、未だ80歳ではないにせよ、同じく老いた我々年寄りには。

俺自身、アンチ・アンチエイジングだし。

 

でもなぁ。時々眉毛の白いのをカットしたりもするんだよなあ。だってジジむさいじゃん。

「老いを老いのままに」に心は同意、体は反応。

 

以上、ストーンズ‘Foreign Tongues’の感想文でした。体は反応。

◆ラストもブルース、Beautiful Delilah.

 

京都再訪記はちょっと休憩して。

先週土曜の夜、大学時代の友人から「いま、あいつとあいつと3人で、四谷で飲んでる」と電話があった。スパイスはどうしているかという話になり、3人それぞれに電話を替わって会話。

懐しさもさりながら、今でも気にかけてくれることがとても嬉しかった。

 

彼らと過ごした80年代前半の東京は、ハマトラ→ニュートラ、サーファーファッション。竹の子族からローラー族。

例えば渋谷は全然「若者(だけ)の街」じゃなく、年配・ファミリー・若い者がふつうに共存していた。文化なら、新宿のアングラ的な鋭さというより公園通りPARCO系の‘まろやかな’それ。DarknessじゃなくWhitenessのカルチャー。

自分はその担い手でも何でもなく、それこそ公園通りのフォルクス(※1)から眺め下ろしていただけであり、時折ファイヤー通りのプレッピー(※2)を冷やかしていたに過ぎないが、空気は吸っていた。

※1:リーズナブルな価格だった、チェーンのステーキ屋。学生でもさほど負担のない値段で、当時はダイエーがやっていた。店舗は都内どこにでもあった。

※2:ボートハウス@原宿などと並ぶファッションブランド。デッキシューズやチェックのパンツ等と合わせるトラッド系で、トレーナーやポロシャツが大人気だった。

 

糸井重里らのコピーライターが持て囃されたのもあの頃で、自分は消費文化のみを称揚する者では決してないが、あれだって文化といえば文化。PARCOについては総帥・堤清二氏が文人だったのも大きく、しかし渋谷の西武百貨店はこの9月に閉店するそうな。

*それどころか、東急込みで百貨店は1軒も無くなる?

 

以上、友人からの電話を機とした単なるノスタルジア。が、チェーン店すらステーキ食うのも高くなり、アンミラ=アンナミラーズに至っては店舗自体がほぼ壊滅。というより、其処此処の「場」ごとのカルチャー薄くなり、のっぺらぼう化が進んでいるような。

新宿、渋谷、銀座に赤坂、エトセトラ。街それぞれにキャラが立っていたものだが近ごろはどうなのだろうか。

 

音は当時の、なぜか渋谷を思い出させるカルチャークラブ。

◆Black Money

 

 

◆Time

 

 

 

ボーイ・ジョージって、何だかんだ言っても美人(だった)よね。

 

(前回の続き)

 

再び館内に戻ろう。

■セザンヌ『オーヴェールの曲がり道』(1873年頃)

 

 

京都市美術館『西洋絵画400年の旅』には、例のナポレオンの絵があるなぁくらいで、あらかじめ作品リストをチェックして行ったわけではない。が、遠くからでも「お、セザンヌだ」と分かった。それが本作だった。

 

ソウルミュージックに例えたらオーティスのような、いやオーティスはコローやミレーに近いからむしろダニー・ハザウェイとかボビー・ウーマックのほうが適当だろうか。「いなたい」色使い、そして分厚さ。決してゴッホみたいに挑発的じゃなく、別に‘’おいでおいで‘’もしていない。ただそこにあるだけなのだが、一発でセザンヌと分かる。

要は、Stableなのである。

 

モネたち印象派の連中が光を追ったのに対し、セザンヌは専らモチーフを探しに行ったそうな。モチーフは、主題・画題と言いかえてもよいが、どうしても拡散してしまう「光」ではなく、‘そっと両手を合わせ、指を1本1本曲げるように’対象を固定すること。こんな心の働きがStableさを生んだのかもしれず、『オーヴェールの曲がり道』は先輩ピサロとともに、屋内から外へ出て描き始めた頃の作品。

 

小林秀雄はセザンヌを、音楽に模して書いている。

 

「色のプラン(面)は、画面に平行して執拗に二次元性を保持しながら、その色調の大胆な或いは微妙な対照による緊張感や平衡感は、近づいたり、遠ざかったりして鳴る和音のようで、それにつれて描かれた物象は、眼に向かって進み或いは画面の奥に退く」

「彼には、機械的な遠近法は無用である。面と面との協和や反撥から生ずる空間や距離の感覚は、現実の遠近に応ずる視覚のイリュージョンとは全く異なるもので、それは空間感覚というより、何かリズミカルな運動感である」

 

(新潮文庫『近代絵画』より、セザンヌの章)

 

実際セザンヌはタンホイザーやワーグナーを好んだようだが、つまり小林秀雄が言っているのは、例の

 

「あまりに速く廻る独楽は止まって見える」

 

ということだと断じてしまえば、端的に過ぎるだろうか。過ぎるな。

 

タッチといい絵の具のボリュームといい、微かにバルビゾン派の影響を感じさせるこの『オーヴェール』は、のちに「円筒と球と円錐で自然を処理せよ」と述べるに至る、キュビズムへのまさしく「曲がり道」。つらつら思うに、モチーフを本質を、捉え(固定させ)るには必ずしも対象に似せる必要はない、それこそ円筒でも球でも何でもいいから自然を「処理せよ」。こう言い切ったセザンヌより、少なくとも「見えるままに描いた」印象派の方が、写実的といえば写実的なのかもしれない。

 

 

音は、ことほど左様に乱暴な(?)セザンヌに宛てて。

 

血しぶき上げて  憤怒の大河を

走って渡る  出刃握りしめて

親の顔だけ  脳裏かすめるが

恥じることだけは  してないわ

 

シュトルム  ウント  ドラング

謝らないわ  ハハハ

 

失うものなど何もない

最初から  

 

ないわ

 

人脈を絶ち  自我に忠実に

悲しみ押さえず  炎上するのよ

炎上

 

◆ヤプーズ  ー  憤怒の河

 

 

 

(続く)

〈前回の続き〉

 

先月24日までやっていた『西洋絵画400年の旅』、食指の動いた絵画は5点あり、3つまで感想を書いた。あと2つ。

だが正確を期すと、別の意味で引っかったのがさらに3点。鑑賞録ではこれらにも触れねばならず、つまり先は長い。

韓国映画『白頭山大噴火』の感想文も書かにゃならんし。ここいらで、美術館からいったん外へ出てみよう。

 

市民もしくは土地勘のある向きには釈迦に説法じゃあるが、京都市美術館のある岡崎地区は市中でも高級住宅街とされている。ただし、東京の田園調布や成城・松涛、名古屋の東山地区、福岡の平尾などと異なり、岡崎はだだっ広い。

美術館の北側は平安神宮、東は動物園から南禅寺、粟田口〜比叡・琵琶湖方面。西は国立近代美術館に勧業館と、やたらスペースを要する施設が多く、遮るものが無い。

いきおい道幅も広く感じられ、いつ行っても風が吹き抜ける感じ。それも工場や倉庫とは真逆の、文化的施設群だからいっそう風薫るのである。

 

 

京都というと町家をはじめとする、悪くいえばちまちました商家/住宅のイメージあるが、岡崎あたりはどどーんと広い。この点、京都市内でも随一だろう。

大きいのは「水」の存在で、白川〜琵琶湖疏水に至る流れと溜り。これが美術館の南側を貫いている。あの吹き抜ける感じは場所の広さもさることながら、川べりだから。

 

※京都市美術館の南側。

 

 

こんな川べりに、オープンテラスのきっちゃ店があったり、なかったり。←ある

 

岡崎の高級住宅地ぶりというのは、少し入った南禅寺界隈の別荘群を別にすれば、マンションが表だっているような気がする。アムロちゃん家だってそうでしょう?

※いっぽう、先週の安田記念で久しぶりにG1を勝った武豊ん家はたしか一戸建。

 

田園調布や成城、平尾あるいは六麓荘と、この点異なり面白い。

 

有名人の自宅もあるハイソな岡崎地区はそして、自分のような貧民にも趣深く、卑近な例だと喫煙所。美術館の近くには喫煙所が3箇所あって、紫煙を食わなきゃたちまち呼吸困難に陥る自分はあらかじめ、それらの在り処を調べた上で同地に赴いた。ロームシアターのはわざわざ3階に上がらんとアカンからスルー。平安神宮公衆トイレ前のはついに見つけられず(廃止されたのか?)、第3の、美術館東側つまり岡崎通り沿い・動物園を前にしたところの喫煙所へ。

そこがですね、生垣に囲まれ和テイストの、何とも趣深い喫煙所でしたのよ。ん〜京都♪

 

3人か4人入れるくらいの小さなスペースだが、なにあんなとこ、どうせ誰も来やしない。東京や大阪みたく人間山盛り押し合い圧し合い、煙モクモクなんてことは一切ない。たま〜にオジさん、あるいは若いお姉さんが立ち寄るくらいでゆっくりまったり阿片窟。癈人となるに丁度よい佇まいであった。

 

春昼や 煙仇なす叢雲を 湛えてもなお 風の岡崎

 

わざわざ作ったわけじゃない。その辺にある枝で組んだだけの喫煙所は周囲と合和し野趣溢れ、要はセント・アンドリュースなのである。海沿いの、ブッシュぼうぼうただの野っぱらが実は全英オープンのコースというあの奥深さ。

そしてグレート・ブリテンと京都はけっこう似ている。どちらも古い歴史を持ち、且つ皮肉屋(笑)。

 

 

音は、岡崎の風に合うこの曲。最近アマンダ・サイフリッド(映画『マンマ・ミーア』のあの女の子)が米国の夜の番組で、ダルシマー弾きつつ歌ってました。

 

◆ジョニ・ミッチェル  ー  カリフォルニア

 

 

※アマンダちゃんのはUrlだけ貼っときます。

https://youtube.com/shorts/EhN7lt3CmGU?si=C9-B1nldDbQwoEq8

 

そういえば、ブライアン・ジョーンズも弾いてましたねダルシマー。いや英国的には。

 

〈続く〉

〈前回の続き〉

 

◆アルフレッド・シスレー『レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ』(1897年)

 

 

山田五郎さんの指摘どおり、シスレーの作品にはどれも「パンチが無い」。決して悪くはないのだか、というよりむしろ良いのだが、どこが良いのか言語化するのがとても難しい。

つかみどころが無いのだ。

 

太陽光線を“発見”した印象派の作品では、対象はいきおい光に覆われ、その輪郭は曖昧模糊となることが多い。

今回展示されていたモネ『睡蓮』が代表的で、それは対象というよりもはや「印象」に過ぎない。シスレーはそんな印象派のド真ん中にいた人で、初期こそコローやミレー(バルビゾン派)の影響を受けた“黒っぽい”作品も散見されるが、総じて眠たくなるような物が多い。

 

では、なぜ自分はこの『レディース・コーヴ』に引っかかりを覚えたのか。ひと言で言うならそれは「寂寥感」。

 

英仏間の貿易で財を成した英国人の父の下、パリで裕福に暮らしたシスレーの前半生にはシャガール同様暗い影はなく、父の援助もあって親友モネやルノワールらと新しい絵画の創出に専念することができた。普仏戦争の影響で実家が没落、経済的に苦労することになっても ー ゴッホらと同じく彼の絵も生前ほとんど売れていない ー 生来の楽観性や穏やかな性格で、作品にそれが表れることはなかった。

ただ実際は、貧窮に加えて度重なるフランス帰化申請の不首尾、それが元で夫人と入籍できないなど、彼の後半生は湖を遊弋する白鳥のごとし。一見優雅に水辺を進んでいても、水面下では足掻いて足掻いて。

さらに喉頭癌を患ったシスレーが、英国へ最後に“帰郷”した折に描いたのが『レディース・コーヴ』である。生まれ育ったフランスには拒絶され、故国ともいえない故国へ最後の里帰りをした時ふっと、彼の水面下の苦闘が色と構図に表れた。自分には、そんな風に思えてならない。

 

画面右の2人は妻と子、中央に立つのがシスレー。

 

 

絵の中の彼はまるで、つげ義春『無能の人』のよう。多摩川の河原で、どこにでもある石をわざわざ小屋掛けで売る中年男。

『無能の人』で主人公は生活力のなさを妻に罵倒される。ただし彼女は「漫画描いてよ、あんたにはそれしかないじゃない」と。シスレーは罵倒こそおそらくされてはいないが、余所見しないで描いたは描いた。

 

つげ義春のようには自分自身を捨ててもいない。それでも絵は一向に売れず、世間は彼を捨てた。

彼の作品が初めて売れたのは、死の直後のことであった。

 

 

◆安藤秀樹 『さよならいとしのBaby Blues』

 

 

〈続く〉

〈続き〉

 

実際のところ、土曜日にも関わらず美術館は空いていて、ゆっくり観ることができた。

 

◆コロー『もの思い』

 

 

スカートの前に持っているのは刺繍のようで、それを俯き加減に眺めている少女は憂鬱そうでもある。刺繍じゃなくてお金だったら「あとこれだけしかないわ」、次に収入あるまでの日数で割ってみて、ため息ついているのかも。

メランコリアは(画風こそ違えど)ゴッホがそうであるように近代絵画の特徴の1つで、これは「意識」が表に出てくるということだ。集団肖像画でありながら中心の数人にのみスポットライトを当て、他は暗闇の中に押し込めたレンブラントの『夜警』から200年。「個人」の概念が確立された近代においては市井の少女を描くにも、それが表れ面白い。

とまれバルビゾン派のコローらしく、彼女の思考込みで写実的。「君はいったい何を考えているのだね」「頼まれてやった刺繍なのに、上手くできなかったの。これじゃ母さんに叱られちゃうわ」ー 少女とは、こんな会話をしたのだが、観ている者の「もの思い」に関わらず、彼女はただそこに佇んでいるのだった。

 

◆シャガール『曲馬』

 

 

サーカス団の公演はまことに祝祭的だが、シャガールの絵は常に哀しみを帯びている。あれは結婚式だろうか、カップルが長く伸びる『枝』(自分のいちばん好きな作品)でさえそうだ。

大好きな彼女と結婚できたシャガールの一生に、哀しいところは見受けられない。件の『枝』に神戸市美術館で出会った20余年前、自分はこの哀感の秘密を知りたくて母教会の牧師に話をしたところ、ドイッチャーの『非ユダヤ人的ユダヤ人』という本を教えてくれた。

西洋人が必ずしもクリスチャンというわけではないように、ユダヤ人も全員ユダヤ教徒というわけではない。それでも世界中にディアスポラ(離散)していた彼らはしょせんデラシネ。故郷は単に土地のみをいうのでなくて、宗教的、心的な「故郷」てあるから、それを喪失・根無し草となった彼らの中にはついに、全くユダヤ的でないユダヤ人が散見されるようになった。

シャガールもその1人。しかし「故郷」が人間に及ぼす影響は大きく、意識せずとも故郷の喪失は哀しみとなって表れる。また、ロシアに住んでたユダヤ人は帝国政府の同化政策もあって他の国よりはうまくやっていたようだが、それでも時折ポグロム(マジョリティによる暴行・襲撃)の危険に晒された。

人が見かけによらないように、シャガールのカルナヴァルもまた、とても哀しいのであった。

 

〈続く〉

 

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◆音は屋敷豪太 ー Someday