〈その6、ヴラマンク編からの続き〉
前回、ヴラマンクについて
「フォヴィズムの代表格みたいに言われておるが、存外オーソドックス。実は伝統に忠実な作家なのではないか」
こう書いた。
その後、自分が初めてヴラマンクを観た展覧会(1989年)の図録が届いた。古書店にネット注文していた物で、同書にはフランスのシャルトル美術館館長(当時)、マイテ・ヴァレス=ブレッド氏が寄せた、こんな序文が。
「ブラマンクは、1920年にべリネーム・ジュヌ画廊で開かれた個展を機会についに成功を得ました。キュビズムの運動と抽象美術の展開が明確になり、対立をはっきりさせて激化した時期に、ブラマンク自身は、あらゆる動向からきっぱりと距離を保っていました」
「批評家や一般の人々は、彼の作品のなかにほとんど〚古典的〛ともいえる面をみて歓迎したのです」
ほらね?
これは1900年代(一桁台)のフォヴィズムからの転換を意味するか。この4月に京都市美術館で観た『セーヌ河畔の家並み』は1910年頃の作品で、セザンヌから「線」を学び取り始めた時期。とはいえカクカク笑っているようでマンガ的な家々は、まだフォヴィズム。
ただ、色彩や構図から古典的なトーンというかスピリットを自分は感じとったので、斯く記した。古典主義やロマン主義といった伝統的な文脈に沿った性質、その萌芽は、既にあったのだと。
マイテ・ブレッド館長の序文は、『セーヌ河畔』から10年後じゃあるがヴラマンクがブレイクした時のポイント ー やはり「古典的」 ー を表し趣深い。
気分の良いところで、そろそろ美術館を出よう。4月25日(土)の、もう16時半。四条烏丸の飲み屋で友人M君と待ち合わせたのは17時、ちょうどいい時間だ。
岡崎から白川沿いに南西へ、ぼちぼち歩く。窓に簾を垂らした家や、長暖簾の小さなお店。その間を水草なびかせ藻を浮かせ、川はさらさら流れていく。
川に膝まで入り、釣りをしている人が幾たりかあった。都会の真ん中でこんな風景は、なかなか見られまい。
さらさらの川辺をそよそよと吹く初夏の風。風に乗って、てくてく歩く。東大路を越えたあたりから、しかし街並みは、化粧を落とした中年女性の趣が。
昼間の花見小路である。
日本家屋はビルへと変わり、夜の蝶も素肌をあらわに。白川をきらきら照らした同じ初夏の光が、ビルの灰色の外壁や、ピンクと黒のネオンサインに反射する。これもまた興をそそる。というのも、夜のお店の艶っぽさは、お姉さん方の実生活の苦労や言うに言われぬ諸事情を、察して黙って互いに笑う、そのバランスの上に成り立つものだからである。
夜と昼、昼と夜。
むかしそれこそ烏丸四条の京都支店にいた頃、行ったもんです花見小路のクラブ。楽しかったなあ❤
夜の蝶たちに真っ昼間、そっと別れを告げて四条大橋を渡る。四条通りはくんくんに混み、あたかも東京上野で絵を観るかのよう・・・
かと思いきや、スイスイ歩かれる。鹿市早苗の台湾有事発言で、中国からの観光客が減ったせいだろうか。
四条烏丸の交差点手前、東洞院通を右折。目指す飲み屋は錦市場を出たあたり。
・・・ない。看板すら見当たらない。錦小路に面した、まさしく路面の店のはずだが。
おっかしいなぁ。グルメサイトに載ってた外観は、けっこう入口広くてドーンとした、大きめのホールっぽい店だったのに。交番で聞こうかなあ。
キョロキョロと、行ったり来たりで既に17時。待ち合わせ時間になっちゃったけど、まあイイや。
どうせM君、後輩だし✌
*
東の方はこの夏かなり雨が降り、千葉や北陸じゃ被害が出たそうな。
しかし関西、少なくとも阪神間では7月頭の梅雨明け以降、たった2回か3回しか降らなかった。自分は仕事柄、せめて週に一度は雨を必要とするので、ようやく降ったここ数日は嬉しいような悲しいような。
音は小川美潮『天気』、もとい『デンキ』@京大西部講堂(1992年)。この音は雨の京都を、白川の水面を思わせ余りない。
〈続く〉

















