Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

ブログを更新しました:

『ソウルメイト』https://ameblo.jp/darshaan/entry-12403404743.html

前作『ハックニー・ダイアモンズ』から3年ぶりの新譜‘Foreign Tongues’。

 

 

ざっと聴いてみた。

 

先行してYoutube公式に上がっていたIn The Starsなど数曲を聴いた時には、妙に丸まってキレがなくなり、あたかも末期の『マカロニほうれん荘』状態。過去の栄光、その惰性。ストーンズも流石に老いた、こう感じたものだが、アルバム全体通して聴くと印象は一変。

 

オープニングはRough and Twisted.

神か悪魔かそれとも女か。誰かに車を運転させて、「なあ、連れて行ってくれよ。ミシシッピのナチェズでもプエルトリコでも、なんならシチリア、ローマだってイイぜ」「水が光り、詩とニジンスキーのダンスが輝く場所へ」。

 

 

どブルースである。かつてのKey to The Highwayや、クラシックなところでは『ルート66』、永ちゃん的には『トラベリン・バス』を彷彿させるロードムービー。もとい、ロード・ソング(?)。

しかし願っていたのに反し、着いた処は腐った米と汚水だらけの街。

「お前が連れてきたのは腐ったような街だった」「空気は刺すように有毒で、息もできない」「1軒だけあるクラブは〈陰謀〉って名前で、俺は歓迎されなかった」「サックスの響きみたいに俺は孤独だった」。

 

それでも彼は、〈此処より他の場所〉を希求し

 

Yes,why don't you teach me,teach me all those Foreign Tongues?

なあ、教えてくれよ。知らない言葉と世界を。

 

Desperateな歌詞はある意味ブルースの伝統に忠実。ロバート・ジョンソンよろしく彼は、冥界魔界を巡るのだ。

ダンテの『神曲』、ゲーテの『ファウスト』。レイナルド・アレナス『めくるめく世界』でもいいのだが、地べたに立脚しながらも、天空冥府をぐるぐると。冥府魔道は拝一刀@子連れ狼。

つまり、中村時代の活きのいい錦之助は寄る年並でもう無理だが、これ萬屋の、熟練の技。

 

音はミックのハーモニカ、そして右チャンネルのロニーと左チャンネルのキース、ギターの絡みが際立つ。この特長はアルバム全体を通して言えることだが、一方、スティーヴ・ジョーダンの太鼓は正確無比も、余白を殺し密着し過ぎて隙がない。

音数多く、音の密度が高く感じるのは彼のプレイゆえか。死んじまった者を恋い慕うのは詮無いが、‘お猿のタイコ’チャーリー・ワッツのあの「抜け」と、スネアの骨っぽさこそストーンズ・サウンドだったと今更ながら。

 

アルバム通して聴いて、印象が一変したのは曲の並び。Rough andの次にこれを持ってきたのはナイスプレー。

◆In The Stars

 

 

2曲続けて聴いてみてほしい。重めのブルースから軽快・ポップなサウンド。冒頭のリフもThis is Stonesで、ギターの絡みは一貫している。

 

〈流れ〉が特に秀でているのは、5曲目と6曲目。

◆Devine Intervention

 

 

◆Ringing Hollow

 

 

Devine Interventionは、往年のRespectable→(サビ部分の)She Was Hotへと展開。ギターソロはロニーだろうか、これはカントリー。

このソロが、次のまさしくカントリー曲Ringing Hollowにつながる。かつRingingはSweetで、それでいて情に流されてもいない。

 

この5曲目から6曲目の流れこそ、自分的には本盤のハイライト。

 

特徴の3つ目は、ルーツミュージックが前作ハックニー・ダイアモンズより前に出ていること。上記挙げた点に加え、アルバム最後をチャック・ベリーのブルースで締めているのもその表れ。

 

さて、みのミュージックのみの氏が最近、本盤を評していた。彼が疑義を呈していたのはミックのボーカルをピッチ補正した点や、In The StarsのPVで、なぜ若い肉体に若い頃の顔を貼り付けてやったのか ー といった点。

要は「老いを老いとして、なぜそのまま出さなかったのか。リアルを提出してこそストーンズではないのか」。

 

Youtubeのコメント欄は「いや、ピッチ補正くらいいいじゃん。だって80歳オーバーだぜ?」といった書き込みが多かった。うむ、同意。

聴くと分かるが、金を払うに値する作品・商品に仕上がっている。ピッチを幾分直したからって何だ、良い商品ならそれで良い ー というのが俺の考え。

これは「結果が全て」ということであり、逆に言うなら80だろうが90だろうが関係ない。良い物は良いし、悪い物は悪い。俺はいかなストーンズだって、下駄は履かせない。

 

これってみの氏より厳しくね?

ピッチがどうこう細かいことじゃなく「本質的に」だから。

 

厳しいのは、それこそ「だってストーンズだぜ?」だからである。敬意を払っているからこそ。

 

ただしみの氏が言ってることに、分かる点もある。「ミックは常に市場に気を配り、キースはいつもリアルの人。このバランスがストーンズを成してきた」「ところが本作では、ミックの‘フェイク’にキースが負けている」・・・

その答はキース曲、Some of Us にあり。つまりあんまりよろしくないのだ。The Nearness of You とかあの辺の焼き直し。才能が枯渇したのか、キース?

 

たった1曲に全部背負わせるのは無理くりだが、あの添え物的なキースの1曲は、みの氏が言う「負け」を象徴しているようにも思えた。

※尤も、キースはギターでキースしており十二分に貢献。相変わらず素晴らしいのは言うまでもない。

 

老いを老いそのままに提出せよ。みの氏の意見はそして突き刺さる。ストーンズのアルバムに関わらず、未だ80歳ではないにせよ、同じく老いた我々年寄りには。

俺自身、アンチ・アンチエイジングだし。

 

でもなぁ。時々眉毛の白いのをカットしたりもするんだよなあ。だってジジむさいじゃん。

「老いを老いのままに」に心は同意、体は反応。

 

以上、ストーンズ‘Foreign Tongues’の感想文でした。体は反応。

◆ラストもブルース、Beautiful Delilah.

 

京都再訪記はちょっと休憩して。

先週土曜の夜、大学時代の友人から「いま、あいつとあいつと3人で、四谷で飲んでる」と電話があった。スパイスはどうしているかという話になり、3人それぞれに電話を替わって会話。

懐しさもさりながら、今でも気にかけてくれることがとても嬉しかった。

 

彼らと過ごした80年代前半の東京は、ハマトラ→ニュートラ、サーファーファッション。竹の子族からローラー族。

例えば渋谷は全然「若者(だけ)の街」じゃなく、年配・ファミリー・若い者がふつうに共存していた。文化なら、新宿のアングラ的な鋭さというより公園通りPARCO系の‘まろやかな’それ。DarknessじゃなくWhitenessのカルチャー。

自分はその担い手でも何でもなく、それこそ公園通りのフォルクス(※1)から眺め下ろしていただけであり、時折ファイヤー通りのプレッピー(※2)を冷やかしていたに過ぎないが、空気は吸っていた。

※1:リーズナブルな価格だった、チェーンのステーキ屋。学生でもさほど負担のない値段で、当時はダイエーがやっていた。店舗は都内どこにでもあった。

※2:ボートハウス@原宿などと並ぶファッションブランド。デッキシューズやチェックのパンツ等と合わせるトラッド系で、トレーナーやポロシャツが大人気だった。

 

糸井重里らのコピーライターが持て囃されたのもあの頃で、自分は消費文化のみを称揚する者では決してないが、あれだって文化といえば文化。PARCOについては総帥・堤清二氏が文人だったのも大きく、しかし渋谷の西武百貨店はこの9月に閉店するそうな。

*それどころか、東急込みで百貨店は1軒も無くなる?

 

以上、友人からの電話を機とした単なるノスタルジア。が、チェーン店すらステーキ食うのも高くなり、アンミラ=アンナミラーズに至っては店舗自体がほぼ壊滅。というより、其処此処の「場」ごとのカルチャー薄くなり、のっぺらぼう化が進んでいるような。

新宿、渋谷、銀座に赤坂、エトセトラ。街それぞれにキャラが立っていたものだが近ごろはどうなのだろうか。

 

音は当時の、なぜか渋谷を思い出させるカルチャークラブ。

◆Black Money

 

 

◆Time

 

 

 

ボーイ・ジョージって、何だかんだ言っても美人(だった)よね。

 

(前回の続き)

 

再び館内に戻ろう。

■セザンヌ『オーヴェールの曲がり道』(1873年頃)

 

 

京都市美術館『西洋絵画400年の旅』には、例のナポレオンの絵があるなぁくらいで、あらかじめ作品リストをチェックして行ったわけではない。が、遠くからでも「お、セザンヌだ」と分かった。それが本作だった。

 

ソウルミュージックに例えたらオーティスのような、いやオーティスはコローやミレーに近いからむしろダニー・ハザウェイとかボビー・ウーマックのほうが適当だろうか。「いなたい」色使い、そして分厚さ。決してゴッホみたいに挑発的じゃなく、別に‘’おいでおいで‘’もしていない。ただそこにあるだけなのだが、一発でセザンヌと分かる。

要は、Stableなのである。

 

モネたち印象派の連中が光を追ったのに対し、セザンヌは専らモチーフを探しに行ったそうな。モチーフは、主題・画題と言いかえてもよいが、どうしても拡散してしまう「光」ではなく、‘そっと両手を合わせ、指を1本1本曲げるように’対象を固定すること。こんな心の働きがStableさを生んだのかもしれず、『オーヴェールの曲がり道』は先輩ピサロとともに、屋内から外へ出て描き始めた頃の作品。

 

小林秀雄はセザンヌを、音楽に模して書いている。

 

「色のプラン(面)は、画面に平行して執拗に二次元性を保持しながら、その色調の大胆な或いは微妙な対照による緊張感や平衡感は、近づいたり、遠ざかったりして鳴る和音のようで、それにつれて描かれた物象は、眼に向かって進み或いは画面の奥に退く」

「彼には、機械的な遠近法は無用である。面と面との協和や反撥から生ずる空間や距離の感覚は、現実の遠近に応ずる視覚のイリュージョンとは全く異なるもので、それは空間感覚というより、何かリズミカルな運動感である」

 

(新潮文庫『近代絵画』より、セザンヌの章)

 

実際セザンヌはタンホイザーやワーグナーを好んだようだが、つまり小林秀雄が言っているのは、例の

 

「あまりに速く廻る独楽は止まって見える」

 

ということだと断じてしまえば、端的に過ぎるだろうか。過ぎるな。

 

タッチといい絵の具のボリュームといい、微かにバルビゾン派の影響を感じさせるこの『オーヴェール』は、のちに「円筒と球と円錐で自然を処理せよ」と述べるに至る、キュビズムへのまさしく「曲がり道」。つらつら思うに、モチーフを本質を、捉え(固定させ)るには必ずしも対象に似せる必要はない、それこそ円筒でも球でも何でもいいから自然を「処理せよ」。こう言い切ったセザンヌより、少なくとも「見えるままに描いた」印象派の方が、写実的といえば写実的なのかもしれない。

 

 

音は、ことほど左様に乱暴な(?)セザンヌに宛てて。

 

血しぶき上げて  憤怒の大河を

走って渡る  出刃握りしめて

親の顔だけ  脳裏かすめるが

恥じることだけは  してないわ

 

シュトルム  ウント  ドラング

謝らないわ  ハハハ

 

失うものなど何もない

最初から  

 

ないわ

 

人脈を絶ち  自我に忠実に

悲しみ押さえず  炎上するのよ

炎上

 

◆ヤプーズ  ー  憤怒の河

 

 

 

(続く)

〈前回の続き〉

 

先月24日までやっていた『西洋絵画400年の旅』、食指の動いた絵画は5点あり、3つまで感想を書いた。あと2つ。

だが正確を期すと、別の意味で引っかったのがさらに3点。鑑賞録ではこれらにも触れねばならず、つまり先は長い。

韓国映画『白頭山大噴火』の感想文も書かにゃならんし。ここいらで、美術館からいったん外へ出てみよう。

 

市民もしくは土地勘のある向きには釈迦に説法じゃあるが、京都市美術館のある岡崎地区は市中でも高級住宅街とされている。ただし、東京の田園調布や成城・松涛、名古屋の東山地区、福岡の平尾などと異なり、岡崎はだだっ広い。

美術館の北側は平安神宮、東は動物園から南禅寺、粟田口〜比叡・琵琶湖方面。西は国立近代美術館に勧業館と、やたらスペースを要する施設が多く、遮るものが無い。

いきおい道幅も広く感じられ、いつ行っても風が吹き抜ける感じ。それも工場や倉庫とは真逆の、文化的施設群だからいっそう風薫るのである。

 

 

京都というと町家をはじめとする、悪くいえばちまちました商家/住宅のイメージあるが、岡崎あたりはどどーんと広い。この点、京都市内でも随一だろう。

大きいのは「水」の存在で、白川〜琵琶湖疏水に至る流れと溜り。これが美術館の南側を貫いている。あの吹き抜ける感じは場所の広さもさることながら、川べりだから。

 

※京都市美術館の南側。

 

 

こんな川べりに、オープンテラスのきっちゃ店があったり、なかったり。←ある

 

岡崎の高級住宅地ぶりというのは、少し入った南禅寺界隈の別荘群を別にすれば、マンションが表だっているような気がする。アムロちゃん家だってそうでしょう?

※いっぽう、先週の安田記念で久しぶりにG1を勝った武豊ん家はたしか一戸建。

 

田園調布や成城、平尾あるいは六麓荘と、この点異なり面白い。

 

有名人の自宅もあるハイソな岡崎地区はそして、自分のような貧民にも趣深く、卑近な例だと喫煙所。美術館の近くには喫煙所が3箇所あって、紫煙を食わなきゃたちまち呼吸困難に陥る自分はあらかじめ、それらの在り処を調べた上で同地に赴いた。ロームシアターのはわざわざ3階に上がらんとアカンからスルー。平安神宮公衆トイレ前のはついに見つけられず(廃止されたのか?)、第3の、美術館東側つまり岡崎通り沿い・動物園を前にしたところの喫煙所へ。

そこがですね、生垣に囲まれ和テイストの、何とも趣深い喫煙所でしたのよ。ん〜京都♪

 

3人か4人入れるくらいの小さなスペースだが、なにあんなとこ、どうせ誰も来やしない。東京や大阪みたく人間山盛り押し合い圧し合い、煙モクモクなんてことは一切ない。たま〜にオジさん、あるいは若いお姉さんが立ち寄るくらいでゆっくりまったり阿片窟。癈人となるに丁度よい佇まいであった。

 

春昼や 煙仇なす叢雲を 湛えてもなお 風の岡崎

 

わざわざ作ったわけじゃない。その辺にある枝で組んだだけの喫煙所は周囲と合和し野趣溢れ、要はセント・アンドリュースなのである。海沿いの、ブッシュぼうぼうただの野っぱらが実は全英オープンのコースというあの奥深さ。

そしてグレート・ブリテンと京都はけっこう似ている。どちらも古い歴史を持ち、且つ皮肉屋(笑)。

 

 

音は、岡崎の風に合うこの曲。最近アマンダ・サイフリッド(映画『マンマ・ミーア』のあの女の子)が米国の夜の番組で、ダルシマー弾きつつ歌ってました。

 

◆ジョニ・ミッチェル  ー  カリフォルニア

 

 

※アマンダちゃんのはUrlだけ貼っときます。

https://youtube.com/shorts/EhN7lt3CmGU?si=C9-B1nldDbQwoEq8

 

そういえば、ブライアン・ジョーンズも弾いてましたねダルシマー。いや英国的には。

 

〈続く〉

〈前回の続き〉

 

◆アルフレッド・シスレー『レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ』(1897年)

 

 

山田五郎さんの指摘どおり、シスレーの作品にはどれも「パンチが無い」。決して悪くはないのだか、というよりむしろ良いのだが、どこが良いのか言語化するのがとても難しい。

つかみどころが無いのだ。

 

太陽光線を“発見”した印象派の作品では、対象はいきおい光に覆われ、その輪郭は曖昧模糊となることが多い。

今回展示されていたモネ『睡蓮』が代表的で、それは対象というよりもはや「印象」に過ぎない。シスレーはそんな印象派のド真ん中にいた人で、初期こそコローやミレー(バルビゾン派)の影響を受けた“黒っぽい”作品も散見されるが、総じて眠たくなるような物が多い。

 

では、なぜ自分はこの『レディース・コーヴ』に引っかかりを覚えたのか。ひと言で言うならそれは「寂寥感」。

 

英仏間の貿易で財を成した英国人の父の下、パリで裕福に暮らしたシスレーの前半生にはシャガール同様暗い影はなく、父の援助もあって親友モネやルノワールらと新しい絵画の創出に専念することができた。普仏戦争の影響で実家が没落、経済的に苦労することになっても ー ゴッホらと同じく彼の絵も生前ほとんど売れていない ー 生来の楽観性や穏やかな性格で、作品にそれが表れることはなかった。

ただ実際は、貧窮に加えて度重なるフランス帰化申請の不首尾、それが元で夫人と入籍できないなど、彼の後半生は湖を遊弋する白鳥のごとし。一見優雅に水辺を進んでいても、水面下では足掻いて足掻いて。

さらに喉頭癌を患ったシスレーが、英国へ最後に“帰郷”した折に描いたのが『レディース・コーヴ』である。生まれ育ったフランスには拒絶され、故国ともいえない故国へ最後の里帰りをした時ふっと、彼の水面下の苦闘が色と構図に表れた。自分には、そんな風に思えてならない。

 

画面右の2人は妻と子、中央に立つのがシスレー。

 

 

絵の中の彼はまるで、つげ義春『無能の人』のよう。多摩川の河原で、どこにでもある石をわざわざ小屋掛けで売る中年男。

『無能の人』で主人公は生活力のなさを妻に罵倒される。ただし彼女は「漫画描いてよ、あんたにはそれしかないじゃない」と。シスレーは罵倒こそおそらくされてはいないが、余所見しないで描いたは描いた。

 

つげ義春のようには自分自身を捨ててもいない。それでも絵は一向に売れず、世間は彼を捨てた。

彼の作品が初めて売れたのは、死の直後のことであった。

 

 

◆安藤秀樹 『さよならいとしのBaby Blues』

 

 

〈続く〉

〈続き〉

 

実際のところ、土曜日にも関わらず美術館は空いていて、ゆっくり観ることができた。

 

◆コロー『もの思い』

 

 

スカートの前に持っているのは刺繍のようで、それを俯き加減に眺めている少女は憂鬱そうでもある。刺繍じゃなくてお金だったら「あとこれだけしかないわ」、次に収入あるまでの日数で割ってみて、ため息ついているのかも。

メランコリアは(画風こそ違えど)ゴッホがそうであるように近代絵画の特徴の1つで、これは「意識」が表に出てくるということだ。集団肖像画でありながら中心の数人にのみスポットライトを当て、他は暗闇の中に押し込めたレンブラントの『夜警』から200年。「個人」の概念が確立された近代においては市井の少女を描くにも、それが表れ面白い。

とまれバルビゾン派のコローらしく、彼女の思考込みで写実的。「君はいったい何を考えているのだね」「頼まれてやった刺繍なのに、上手くできなかったの。これじゃ母さんに叱られちゃうわ」ー 少女とは、こんな会話をしたのだが、観ている者の「もの思い」に関わらず、彼女はただそこに佇んでいるのだった。

 

◆シャガール『曲馬』

 

 

サーカス団の公演はまことに祝祭的だが、シャガールの絵は常に哀しみを帯びている。あれは結婚式だろうか、カップルが長く伸びる『枝』(自分のいちばん好きな作品)でさえそうだ。

大好きな彼女と結婚できたシャガールの一生に、哀しいところは見受けられない。件の『枝』に神戸市美術館で出会った20余年前、自分はこの哀感の秘密を知りたくて母教会の牧師に話をしたところ、ドイッチャーの『非ユダヤ人的ユダヤ人』という本を教えてくれた。

西洋人が必ずしもクリスチャンというわけではないように、ユダヤ人も全員ユダヤ教徒というわけではない。それでも世界中にディアスポラ(離散)していた彼らはしょせんデラシネ。故郷は単に土地のみをいうのでなくて、宗教的、心的な「故郷」てあるから、それを喪失・根無し草となった彼らの中にはついに、全くユダヤ的でないユダヤ人が散見されるようになった。

シャガールもその1人。しかし「故郷」が人間に及ぼす影響は大きく、意識せずとも故郷の喪失は哀しみとなって表れる。また、ロシアに住んでたユダヤ人は帝国政府の同化政策もあって他の国よりはうまくやっていたようだが、それでも時折ポグロム(マジョリティによる暴行・襲撃)の危険に晒された。

人が見かけによらないように、シャガールのカルナヴァルもまた、とても哀しいのであった。

 

〈続く〉

 

ーーー

 

◆音は屋敷豪太 ー Someday

 

 

4月25日(土)。

家から電車でたかだか1時間ちょいなのに、上洛は、京都劇場で劇団四季を観て以来2年ぶり。

武士は所用のない限り、軽々に他出しないものなのである。

 

午前中で仕事を終え、阪急電車で河原町へ。高瀬川沿いのあそこでエンタを1発燻らせて、三条大橋を渡り二条まで上がる。右折して、東大路を跨ぎ市立美術館(現京セラ美術館)へ。

 

むろん徒歩である。高雄や大原はさすがに無理だが洛中洛南、京都の街中はだいたい歩けるのだ。

地面はほぼフラットだし、特に四条からだとバスの路線も分からんし。河原町から、出町なんなら植物園まで歩いたことあるぞ。

 

さて美術館は正面、北側、どこも入口を固く閉ざして沈黙。ネーミングライツを京セラに売っぱらい、“プチ民営化”(?)したのにこれは異なことである。

と、平安神宮側(北西)にガラス張りの内側、地下へと下りるエスカレーターを発見。11年ぶりの訪問で、改装してからは初めてだったが、「改装」と言っても外見に変化なし。

歴史的建造物をそのまま残すのはとても良いことなのだが、旧来の入口を全部閉めた体でのこの改装は微妙。地下に下りるとグッズ売場にきっちゃ店、入場口もピカピカで、改装は専ら地下をアレしたものだろうか。

 

自分はいちおう障害者だから見料はタダ。介助者1名までタダ。M君一緒に来れば良かったのに、所用で夜から参加。

そう、京都来日夜の部は、同市の旧友M君&マイGFと飲むのであった。

 

例によって例のごとく、スタスタと最後の絵ぇまでザッとチェックする。そして最初に戻り、”引っかかり”のあった作品を1つずつ順番に、じっくり観てゆく。

鑑賞とは、「対話」に他ならないからである。作品と自分が双方向に思考を行き来させる、その営み。

とはいえ、こんな鑑賞法は大概空いている京都ならでは。東京だとこうはいかない。人流に、もまれ揉まれて鑑賞も、単なる流れ作業と化してまう。

 

企画展『西洋絵画400年の旅』はルネサンスから20世紀に至る、洋画の歴史をざっくりたどる「旅モノ」。東京の富士美術館所蔵品を持って来たということは東京に行けば観られるのかも知らんが、上述のとおり自分の鑑賞法がアレだし、そもそも常時公開しているのかどうかも分からない。

 

いざ入場して新鮮だったのは、一部を除き撮影OKだったこと。三十三間堂近くの国立博物館とは違って京都市美術館は、元から対応良かったが、写真まで撮って宜しいというのははて、馬鹿政府が

 

「国公立の美術館も、自分で稼げ」

 

なんて言い出したから、サービス向上()せざるを得なくなったものか。

この美術館側の対応に、ありがたいというより憐れを覚えた。

 

絵。最初から最後まで先ず俯瞰。引っかかりのあったのは全83点中、

 

・49番 コロー『もの思い』(1865−70頃)

 

 

・62番  シャガール『曲馬』(1967)

・69番  シスレー『レディース・コーヴ、ラングランド湾、ウェールズ』(1897)

 

 

・セザンヌ『オーヴェルの曲がり道』(1873頃)

 

 

・ヴラマンク『セーヌ河畔の家並み』(1910頃)

 

この5点。連中を、集中的にやっつけた。

 

〈続く〉

 

ーーー

 

長い文章を書くパッション、パワーがめっきりアレになり、対応に苦慮している今日この頃。なので京都再訪レポートも、細切れにアップして参ります。

第1回目の音は、京都的にMelon。 

◆Serious Japanese(1985)のエクソシスト・ミックス(笑)→ 2分20秒〜

 

 

なぜこれが京都的かというと、尖ったデジタル・ファンクであるというのが1つ。ほれ、京都って尖ってる(尖ってた)でしょ?  お店でも何でも。

ドラムスは京都府出身、あの屋敷豪太だし。桑原茂一さんも今は京都にお住まいとかで、まぁトータル的に。

なんとなく、そこはかとなく。

イラン戦争停戦協議中との報あるが、中東情勢は今なお不透明。

そんな中、2005年の映画『キングダム・オブ・ヘブン』(リドリー・スコット監督)を観た。

 

第2回十字軍遠征後(第1回十字軍のエルサレム簒奪から約100年後)の1,184年。日本では木曽義仲が範頼と義経の軍に敗れ、頼朝勢が京都を制圧。西に向かって平家追討軍を催していた頃。

フランスの寒村で、村の司祭が墓堀人に、若い女性の遺体を埋めさせようとしている。女性は子の早世を苦にして自殺した若妻で、いわば呪われた存在。どうせ地獄行きだからと司祭は彼女の首にかかっていた十字架のペンダントを奪い、その首を切り落とす。

 

女性の夫、バリアン(オーランド・ブルーム)は村の鍛冶屋。妻の自殺は夫にも罪ありと、投獄されていた。そんなある冬の日、領主ゴッドフリー・オブ・イベリン(リーアム・ニースン)が一隊を率いて村へやって来る。十字軍に入る者を募る体で、実は自分の私生児たる、息子バリアンを迎えに来たのだ。

牢から出されたバリアンは、領主の誘いをいったん断る。が、「もうこの村にお前の居場所はない」。そう告げる司祭。遺体の首を切ったと仄めかす、彼の首には亡き妻の十字架が。

バリアンは逆上し、司祭を刺して鞴の火に彼を投げ入れる。

 

一気に燃え上がる鍛冶場。バリアンは馬にまたがり、ゴッドフリーを追いかける。

森で一隊に追いつき、領主に告白する。「私は人を殺しました」。 

「十字軍たる私たちも同じだ」と、ゴッドフリー。

 

そしてバリアンは問う。

 

「聖地エルサレムに行けば、私と妻の罪は赦されるのでしょうか」

 

領主は答える。「それを一緒に確かめに行こう」。

 

こうしてバリアンはエルサレ厶へ。

 

『キングダム・オブ・ヘブン』は一見壮大な、いわば大河ドラマである(自分が観たディレクターズカット版は3時間14分)。村の鍛冶屋が旅の途中で父の後を継ぎ、男爵に。フランスの寒村から陽光溢れるメッシーナへ。地中海で難破して、打ち上げられた砂漠での、あるサラセン人=ムスリム(アレクサンダー・シディク)との邂逅。これが後に奇縁となる。

ハンセン病を患う、仮面姿のエルサレム王・ボードゥアン4世(エドワード・ノートン)に謁見したバリアンは、その姉たる既婚の王女シビラ(エヴァ・グリーン)と恋に落ちる。

彼の運命は縷々転々。

 

ただしその結構は、聖地を巡るキリスト教(西洋)とイスラー厶(西アジア)との対立。物語はほぼ史実に基づいていて、今に通ずる部分も多い。

 

ボードゥアン4世が英明だったのは本当のようで、映画では、ムスリムもユダヤもクリスチャンも、エルサレム王国で共生している。これはイスラエル建国前の状況に近い。

※宗教を跨ぐ共生は、教皇レオ14世が現在しきりに訴えていることでもある。

 

いっぽうエルサレムの外は強大なサラセン帝国が取り巻いていて、王国の平和もあくまで戦間期の、危うい均衡の上で成り立っている。いつ均衡が破れてもおかしくない。そして必ず、これを破ろうとする者が現れる。王の側近、ルノー(ブレンダン・グリーソン)とシビラの夫、ギー(マートン・チョーカシュ)は停戦協定に違背しサラセンのキャラバンを攻撃。

このあたり、今のイスラエルそのものだ。

 

両権力の凄さは聖都・王宮の佇まい

 

 

や、軍団の威容・その兵数

 

 

に表れ、ラストの戦闘シーンも迫力満点。リドリー・スコットらしい派手な作りだが、実際こうだったのだろう。

印象的なのは西洋(及びイスラム)の“Fullfil Your Obligation”(汝の義務を果たせ)ということ。領土領民を支配する者は、先頭に立って戦わなければならないというのが向こうの貴人の掟。なので、いわゆるノブレス・オブリージュ=高貴なる者は相応の義務を負う ー も、単なる道徳ではなく王室の成立過程に基づく歴史的概念だ。

ここが日本の皇室とは異なる。

 

バリアンも、亡き妻と自身の罪を贖うためにエルサレムへ行ったはず。が、男爵すなわち騎士となったからには、相応の義務を果たさなければならない。

エルサレムの、父の邸宅や土地を継いだ彼は、まず領地の灌漑に勤しむ。領民とともに汗をかき、率先して水源を探る。「井戸掘り名人」もバリアンの民の1人だ。

じきに砂漠の黄白色は、濃い緑に変わる。

 

死に瀕したゴッドフリーは息子に4つの誓いをさせる。

「敵を前にしても恐れるな」

「勇敢で、かつ正直であれ」

「常に真実を語れ」

「弱者を守り、正しいことをせよ」

バリアンは、その第二の人生における指針を示された。そして父は、ナイトの印たる宝剣を彼に譲り渡してこの世を去る。

 

いっぽう、ボードゥアン4世はバリアンにこう語る。

 

「覚えておけ。誰がお前を操ろうとも、お前の魂はお前自身の中にある」

「たとえお前を操るのが王であっても権力者であっても、神の前に1人で立った時お前は“でも、他の人からそうするように言われたんです”とか、“あの時は美徳を表すのに都合が悪かったんです”などと言うことはできない」

 

妻の自殺=呪われた死、そして自責の念からの、救いを求めてエルサレムに行ったバリアン。だがこれらの言葉を与えられ、次第にナイト(騎士)へ変わっていく。

これがラストの凄まじい籠城戦につながる。

 

本作はいわば貴種流離譚。ただし青年は、位地にとどまらず魂のレベルで変わっていく。

結局、彼に救いはもたらされたのだろうか。王も他の貴族もいなくなり、たった1人で指揮する籠城戦。強大なサラセン軍を相手に奮闘し、なんとか五分の停戦に持ち込んだバリアンは英雄だ。

だが、エルサレムを明け渡し、シビラとともに故郷の村に戻った彼は、第3回十字軍の徴募でやって来た獅子心王リチャード1世に言う。

 

「わたしはただの鍛冶屋です」

 

英国王の誘いを断り、そして亡き妻が埋められたと思しきあたりを一瞥すると、彼は故郷を去っていく。

 

「歴史や宗教に疎い自分に3時間超えはキツかった」「妻子を喪った悲しみが、もうひとつ深掘りできていない」「いきなり後を継いだからといって、部下がそうそう信頼するものだろうか」など、ネット上のツッコミは様々。ロッテントマトの平均点も5,60/10だから、決して高いとは言えない。

 

が、自分の心には深く残った。3時間などあっという間。

時勢も時勢だしそもそも自分は歴史好き、クリスチャンでもある ー ということはあろう。それ以上に、オーランド・ブルームの抑えた演技と敢えて心情には深く分け入らず「事(何が起きたか)」をより重視した、つまり叙情詩というより叙事詩に寄った作りはテンポ良く、却って余韻を残らせた。ゴッドフリーやボードゥアン王の言葉が、だから生きたのだ。

 

救いは果たしてあったのか。映画でそれは明示されない。

ただ、サラセンの王・サラディン(ガッサーン・マスウード)は、「エルサレムとは何か」と問うバリアンに答えて、

 

「無だ。そして全てでもある」

 

 

本作の奥行きは、このひと言に集約されていると思う。

 

 

◆ボブ・ディランのChanging of The Guards(衛兵の交代)にのせた、素晴らしい動画。

 

 

16年

16の旗が連なる  善き羊飼いが嘆く沃野に

絶望した男たちと女たちが分かれて広がる

舞い落ちる、枯葉の上で翼のように・・・

 

従前に比してブログアップの頻度が落ちたのには理由があって。

 

1、アンドロイド端末に変えた(携帯屋に嵌められた)せいで、めっちゃ書きにくいわ、ブロ友さんの記事にイイねはできないわでアレだから。

 

2、春で体調悪いから。

 

3、何かしら主張するというより今は専ら俯瞰モード。つべこべ言わずに黙って見ている、そんな心境だから。

※キリストの神は言われる。「お前のその小賢しい口を閉じよ」と。

※但し主が仰るのは、「すべからく批判するな、反知性であれ」という意味ではない。「神の御前に愚かであれ。己を神とするな、高ぶることなく謙虚であれ」という意味である。

 

そんなことである。

 

さて現在、ツイッターでは

 

「ほぼ無宗教の日本人 VS 海外クリスチャン(主にカトリック)の宗教議論」

 

が、めっちゃバスっている。

 

今月からツイッター、つぶやきが自動翻訳されるようになった。すると日本語だろうが英語だろうが、ポル語でつぶやいても世界中の人が分かる。

そこでまず海外の人が驚いたのは、日本にネトウヨが多いこと。

 

そしてそれと関連するのかしないのか、アメリカだかどこかの人が「(ほぼ教義の無い)神道なんかじゃ駄目なんだよ。日本人もカトリックに改宗すべき!」。

これにジャパニーズ諸氏が反発。いわく、八百万の神がどうじゃとか「日本は日本じゃ。ほっとけよ、この低能」とか。

ワールドワイドで喧々諤々。こと今はイスラエル&米国によるイラン戦争中で、トランプ大統領やピート・ヘグセス国防長官の発言に対し、毎日のようにローマ教皇レオ14世が聖書を基に反論するなどホットだから、まあ盛り上がること盛り上がること。

 

時に自分は日本のクリスチャン。なのでジャパニーズにも海外勢にも思うところは多々あるが、一切発言することなく、ただ黙って見ています。

「面白れえなぁ」「馬鹿だなあ」なーんて思いつつ。

 

外国のクリスチャンも決して一枚岩では当然ないし、日本の無宗教者・あるいは信仰持つ者にもいろんな意見がある。自動翻訳されるようになり、言語の壁をサクッと超えたことでいろいろ分かって面白いっす。

 

ひとつ秀逸だったのは、

 

「いや日本人はキリスト教どころか、神道も仏教も何も分かってねえっすよ」

 

という、あるジャパニーズのツイート。

すこぶる的を射ていると思う。多くの日本人にとって宗教は、信仰というより習俗なんなら単なる“儀式”だもんね。そもそも教義なんかに興味無いし。

そこへ持ってきてキリスト教 ー それも“西洋の宗教”と思われている ー を押し付けたら、反発するのは火を見るより明らか。

麻雀に例えれば、

 

「えっ、七筒八筒九筒の面子で、なんで余った字牌じゃなくてもう1枚余った七筒単騎にするわけ? 」

「下手やなぁ〜(絶望)」

 

ド下手の宣教。これはもはや強制的の折伏であって、完全に逆効果。

・・・って欧米の、とりわけクリスチャンは麻雀なんかしないか。。。

 

ーーー

 

じゃ、音。

 

Pファンクを別にすれば、今年はデフォルト的に80年代モノをよく聴いてます。

今からちょうど40年前の1986年4月にワタクシは、Tという、今や潰れかけの総合電機メーカーに入社しました。横浜磯子のタコ部屋に放り込まれ、東京港区芝浦の本社を拠点に朝は早うから深夜まで、入社早々馬車馬のように働かされておりました。

 

通勤自体、2時間弱かかるというのに。磯子から東京行きの電車に乗り横浜駅で、さて京浜東北線のまま行った方がよかろうか。それとも東海道線に乗り換えるべきか?

逡巡の挙句乗り換えることに。東海道線はほら、横浜の次は川崎でそして品川と、間の駅を飛ばして速いでしょう?

ところが人間、考えることは全員同じで。根岸線降りた向かいの東海道線ホームは立錐の余地もない。1本2本、3本乗れずに見送って、ようやく4本目に乗れた。

 

こんなことなら根岸線(京浜東北線@各停)にそのまま乗っといた方が速かったじゃん、という。

 

這々の体で出社すると、

 

「はい。今日は会社四季報・製造業の欄、1ページから30ページまで電話しアポ取り訪問しましょうね😀」

 

マジすか!

 

阿呆というか、若くクソ真面目だったワタクシは、四季報記載の代表番号に延々電話。ええ、もちろんアポ取りましたとも。

しかし安価な商材を売る訪問販売会社ならいざ知らず、当社のはどんなに安くても1千万円以上のコンピューターシステム。いきなり行ってどうこうなるもんじゃない。

あとでわかったことだが、我が社の実態はKA(キーアカウント・ユーザー)と呼ばれる東証一部・二部の上得意企業がビジネスターゲットなのでした。

 

では、なぜワタクシどもにそんなことをさせたのか。

要は気合と根性。さらに言うなら「新人教育という名の無教育」。

 

いま振り返るに如何なものかと思わなくもないけれど、自分の磯子時代は、概ねそんな風でありました。。。

 

そんな当時、村田和人(今でいうシティ・ポップ )が拙休日の、オアシスだったりなかったり。

◆山下達郎がプロデュースしたデビュ−・シングル、『電話しても』

 

 

「電話しても、思うことが

ひとつも言えないまま」

 

って、まるで俺のアポ取りじゃんね。がはは。

 

Youtubeの拙再生リスト@非公開を連続で。

◆マクセルのカセットテープのCMソング『一本の音楽』

 

 

◆Love You for The Night ー 25時のアベニュー

 

 

◆湾岸ウイング(スタジオライヴ)

 

 

 

◆いちばん好きな歌、Stay The Young

 

 

いかがでしょうか。歌詞は存外、凡庸だけれども。

 

ーーー

 

進学就職、あるいは解雇。状態違えど4月になって皆様、転機っちゃ転機を迎えられていることと思います。

幸に不幸と様々あれど、とにかく「黙ってじーっと俯瞰してみる」。己のことも他人ないしは環境も、焦らず騒がず観察すると、いろんなことが見えてくる。

ツイッターでの喧騒しかり、拙思い出も「ああ、あれはこういうことだったんだなぁ」と、俯瞰してみて初めて分かる。

 

そしてそれが、次のステップに繋がったり繋がらなかったり。4月とは、かくなる時節なのかも知れません。

 

めっちゃ体調悪いけど。

 

ーーー

 

◆村田和人、オマケはSee You Again.

 

 

しかし村田さんてば、音は良いけど詞が絶望的にダメなんだよなあ。

 

「長すぎた春の日が、いま終わりを告げる」

 

の一句は秀逸で、どんな話になるかと思いきや。

よく聞いてみると、てめぇの都合で別れておいて「君の笑顔が戻ったら、また会おう」。

これは無いでしょう。

 

もしかして反キリストか?(笑

 

 

 

さて、ある意味Pファンクの対極にあるのは日本の古い歌謡曲。なかでも平山みきである。

Pファンクはやたら音数が多いし、総帥ジョージ・クリントンはじめ皆さんサービス精神が旺盛。いっぽう平山みきといえば、とにかく投げやり(笑)

ところがこの投げやり感、蓮っぱ感がたまらなく良かったりする。自分が子どもの頃に大ヒットした、例の『真夏の出来事』から50余年。氏が今なお語り継がれているのは、楽曲の良さだけではない。そんな気がする。

◆真夏の出来事(1989年、パワステでのライヴ)

 

 

「いちおう演っときゃいいんでしょ?」的な。まあ、なんて投げやりなんでしょう。

が、この投げやり感が氏のハスキーボイスと相まって、何とも言えぬダウン・トゥ・アース(死語)な味わいに。

89年パワーステーションのライヴは特に良くって、

◆マンダリン・パレス

 

 

このグルーヴ感たるや、もはやロックンロールである。

橋本淳と筒美京平の最強コラボ。彼女の楽曲はほとんどこのコンビが書き、そして平山みきさんは黄色しか着ません(本当)

 

でも若い頃はいろいろ着たはったようで。例えばこのレコードジャケ。

◆クールス/横山剣でも有名な『真夜中のエンジェル・ベイビー』

 

 

疾走する、This isロックンロール。

往年の歌謡曲、というか邦楽は、とてもセンスが良い。今は昔の話だが、これも中東から石油を輸入していたからに相違なく、つまり「良く遊び、良く学べ」。真似びと書いて学びと読む、的な。

 

何が言いたいのか判然としない 。って、まるでいつもは判然としているみたいだが、平山さんはしかし70年代において、Pファンクの対極にあるのではなくむしろ並走していたんじゃなかろうか。

 

いずれにせよ彼女のカッコ良さを再発見したので、取り急ぎ。