今日はスポーツの日(音は杉良、ルーリード) | Roll of The Dice ー スパイスのブログ ー

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稀に・・・となるかも、ですが、音楽や演劇、書籍について書きたく思ひます。

今まで一番熱中したスポーツは?

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つーか、体育の日は今日じゃなくって明日10月10日だろ? 昭和39年、東京オリンピックの開会式を記念して祝日となったのは。
ま、日曜日にくっつけて連休にしていただいたのはワタクシとしてもありがたい。今や土曜も出勤(半ドンだが)のプチ肉体労働者としては。
 
自分で言うのも何だけど、恐ろしく記憶力に秀でたわたくしは東京オリンピックを覚えてます。齢2歳だったにも関わらず。
これは絶対、後年の映像からした「補正」じゃない。裸足の王者アベベや我が国誇る「東洋の魔女」(大松監督率いた女子バレーボール)などのいわゆる〝メイン〝はあんまり記憶にないが、体操のチャフラフスカ女史、重量上げの三宅選手なんてはっきり覚えてますもん。
 
たかだか2歳にして今なお続く裏読み癖を獲得・・・というかNo.1には全然惹かれぬ癖が。大谷翔平や往時のイチローはメジャーでも凄いし凄かったが、大して関心ないものね。
いちばん偉いのは野茂だと思う。今でも芯から、そう思う。
 
昭和39年の東京五輪に話を戻すと、聖火ランナーのありまっしょう? アテネで火をつけたあの聖火、当時は確か鹿児島に来日 ー 沖縄はまだ米国占領下だった ー し、東京まで走って運んだもの。道中我が筑豊は飯塚市を横断する、国道201号線を聖火ランナー走ってですね。冷水峠(ひやみずとうげ)を山越えして隣の田川市へ。
ちょうどクソ麻生太郎の実家・御屋敷前あたりの沿道で、オレ父か母におぶわれれて(背負われて、という意味です)日の丸だか朝日新聞の旗だかを振った記憶がありますもん。
 
※ 母も父も昭和一桁生まれの戦中派。こと父は「いったいあの戦争は何だったのか」と敗戦後、ようやく出てきた記録を渉猟。それで「あいつらに騙された!」との確信を得、爾来現在に至るまで日の丸も君が代も一切拒否しているから、振ったのは新聞屋が配った朝日の社旗だったろう。
※ 余談だが、対して母は秋月藩下の庄屋の血を引く娘だからか、こっそり天皇を敬慕しておる。俺が実家に帰ると、父がいない間に2人で、現上皇夫妻の話で盛り上がったり盛り上がらなかったり。
 
自分はまあ、こんな2人の子どもでよかったと思います。互いに意見の異なる夫婦の息子で。
バランスつーより、双方の話を聞きつつ自分で裏をとり、何が本当かを調べる癖がついたので。
 
再び話を戻します。
オリンピックも万博も、当時と違ってもはやオワコン。昔から、保守政治屋は常にハコモノ・サーカス好きではあるし経済効果()を喧伝する。
昨日、坂口安吾『白痴』から次の文章引きました。
 

「流行次第で右から左へどうにでもなり、通俗小説の表現などからお手本を学んで時代の表現だと思い込んでいる。事実時代というものは只それだけの浅薄愚劣なものであり、日本二千年の歴史を覆すこの戦争と敗北が果たして人間の真実に何の関係があったであろうか。

最も内省の希薄な意志と衆愚の妄動だけによって一国の運命が動いている」

 

自民もそうだがとりわけ維新はアンチ文化芸術であるから通俗小説すら読まないし、いま日本に戦争はない。が、五輪も万博も日本二千年と云ふ長き堆積蓄積を俯瞰したとき、全く影響ないだろう。

ただ関係者だけが儲けたい、名誉と票を得たいだけ。衆愚がサーカスに踊らされるだけである。

 

先年の東京五輪にもアベノミクスにも、遅まきながら衆愚は気づいたようである。いかに愚劣であるかを。前者は汚職のオンパレード、新国立競技場建設時には自殺者さえ出ておる。後者は単にお札を刷って、日銀巻き込みインフレ・円安誘導。それが今のクソ物価高(※)となった。しかも総務省統計局の数字を無視ないし公文書を偽造しつつ。

※ 原油高の要因をロシアvsウクライナ戦争に求める向きあるが、むしろ原油価格は落ち着いてます。

 

外苑あたりの都営住宅追い出された等、東京五輪の酷さを買いたこの本を持ち出すまでもなく、

 

 

自分は

 

「IOCの改革解散なくして、全世界の何処ででもオリンピックはすべきじゃない」

 

当時から、そう主張してました。

 

金まみれのオリンピックなんかオリンピックじゃない。クーベルタン男爵は草葉の陰で泣いておるぞ。

どうせ金まみれなら、いっそ完全民間のWBCみたくやったらどうか。WBCにも国からいくぶん金が出てはいようが、公的じゃなくあくまで民間イヴェントとして。

何が日の丸だよ低脳。俺っちそげなもんには関係ねー

 

(父と違って)ナショナリズムを否定はしないが、要は使いどころ。個々人が密かに秘めた郷土愛同胞愛は、確かにスポーツの国際大会で発露しやすい。

ただそれは、国威発揚(国家=集団)とルサンチマン(個々人)の発露と化しがち。前者だと単純な「ニッポンすげぇ」のベクトルが「お国のために死ななきゃ」に転化しやすいし、後者なら「ニッポンすげぇ→中韓ダメだ→あいつらは低級民族→なれば殺しても構わない」と云ふ心理に至りがち。

とりわけこの物価高・生活苦しい現今だとルサンチマンも嵩じる。

 

暮らしがキツいと右翼ファシズムが幅を利かせるのは、第一次大戦後のドイツが戦勝国への賠償金で超インフレとなり、結果ナチスを招来したのにも明らかである。

 

人間決して強くはない。強いと思うなら、それは大きな勘違い。

成功したならしたで「俺の努力の所以→お前らもそうせよ」と、部下や周囲に。また、すぐに誰か敵を見つけ、連中をディスる事でようやく心のバランスを保つ。日々の ー 経済的社会的・精神的の ー 鬱憤を、仮想敵にぶつけることで鬱憤を晴らす。

※ 差別されてる沖縄が、かつて奄美を差別していたのもこの道理だ。差別は常に弱い者に向かう。

 

ナショナリズムも使いよう。決して自己と集団を、同一視する事なかれ。己と国家とを。

国には国の〝国家意思〝と云ふものがあるが、それは必ずしも俺個人と意見は一致しないし国家と俺自身はそもそも全く別の存在だ。まずこれを峻別すべき。

また、大谷翔平がいかにメジャーでホームラン王になろうとも、それは俺のおかげじゃない。日本国のおかげでもない。もっぱら彼と、彼の周囲の成果である。

逆に言うなら池袋あたりで妻子を轢き殺した高齢上級国民も、俺は全く非難しない。だって俺は遺族じゃないもん。非難する権利は遺族にのみある。他人には無いのだ。

 

むろん、我々集団の安寧秩序を保つべく「提言」はして良いとは思う。初代助さんの杉良太郎氏が自動車運転免許を自主返納したように「これでいいのか運転免許」等々。

※杉良太郎さんのあの行いは良し悪しともあれ〝まず隗より始めよ〝的に立派だと思います。氏は延々、刑務所慰問も続けておる。そのベクトルからして決してパフォーマンスじゃないでしょう。

 

◆これ遠山の金さんか・・・すきま風

 

 

だから時代劇を見れと、そう何度も。。。

 

日本人の心とは、「人を見て、我が振り直せ」の自他意識にあるんじゃないか。ともすれば人に倣い、人に靡くのその習性は同調圧力や全体主義につながるが、馬鹿とハサミは使いよう。

〝人を見て〝とは、まず以って観察である。日本人は概ね、彼や彼女の振る舞いに脊髄反射しがちだが、観察は冷静を要しかつ前提する。でないと、真の観察はでき得るべくもない。

観察は、しかして安吾が言う「内省」の基である。あいつはあんな事しちゃったが、私はどうか。していないにせよ奥底に、そんな心はないだろうか。

ひいてはそれが「我が振り直せ」となる。

 

昭和39年のオリンピック辺りまで、日本の輸出品は「安かろう悪かろう」と外国から評された。1ドル=360円の超円安ということもあって「安かろう」。しかも技術イマイチで「悪かろう」。

それがなぜ、一時は米国に続く世界第二の経済大国となったのか。欧米の一流の品物や連中の振る舞いを

 

「まず、冷静に観察」

 

したからだ。

 

高度成長だけじゃない。古代から我が国は中国-朝鮮の文化を取り入れ、それで国の基を成した。聖徳太子はもちろん、聖武天皇の仏教マンセー。

室町幕府三代将軍義満公の勘合貿易だってそうですよ。明国の、いったん属国と化してかの国から勘合符なる貿易許可の免状をいただき、それで我が国繁栄したわけ。

これこそ真のThis isナショナリズムだろうが低脳。

 

聖武天皇も足利義満公も、真のリアリスト。大陸と半島を冷静に観察し、神州日本に「必要だ」と断じたから頭下げてもやったわけ。

 

一方、昨今の五輪にせよ万博にせよ、そんな感性なにもない。ただただアレなだけ(再三)。

 

日本人は情に厚く信義を重んじると言われる。涙脆くて、義経以来の判官贔屓とも。

ただ、札幌五輪招致延期にあたり、こんな冷静沈着の意見をこそ重視すべきじゃなかろうか。

 

「札幌五輪云々といふより、そもそも札幌ドームのあの辺り。例の体育館再建築を含めた総合都市計画の一環である。この問題は、数年前から道新(北海道新聞)、後追いで朝日新聞のみが報じていたのだが、人民は、全く食いつかなかった。

なので日ハム@エスコンフィールドvs 札幌ドーム@オワコン問題を云々しても、それは近視眼的に過ぎるし全然本質ではない。札幌市の総合的な都市計画にこそ注目すべきであり、札幌ドームがどうとか札幌五輪がどうであるとかは、瑣末な事である」

 

「反省すべきは札幌市当局ではない。注目しなかったマスメディアと人民である」

 

ー ヤフコメには珍しく、正しいA氏の書き込み

 

以上、酔っ払いがまたもや脳を1mgも使っていない日記です。なので音楽。

◆今は亡きルー・リード ー ワイルドサイドを歩け

 

 

ロックンロールとは、ゆえに「荒野を歩け」の謂である。単なるエンターテイメントではない。

音を観察し、音符を辿る。そこから初めてオリジナリティが生じるし「さて、事実はいったい何なのだらうか」「なぜ俺は感動したのか」。客観視する第二の自分が肝である。

荒野はそして、たった1人で歩くもの。世人は知らず、システム的に内省を強いられる。

 

体育の日に、取り急ぎ。