本日は旧暦六月一日、甲辰年辛未月辛未日、水無月朔日です。

 

 六月といえば水無月というお菓子を思い浮かべますが、やはりどこの和菓子屋さんも新暦で発売されるので、どうにも旧暦の水無月晦日に入手することはまず不可能です(涙)

 

 水無月というと「水の月」という意味だそうですが、これ「田圃に水が張られている(もしくは貼り始める)田園風景がみられる月」と解釈するのがいいそうです。新暦に当てはめて「梅雨だから」とか説明しているのは大間違いですので注意してくださいね。

 

 

 さぁ、恒例の別名解説です♪


水張月【みずはりづき】

 田んぼに水を張る月であることから、水張月と呼ばれています。

 

水月【みなづき・すいげつ】

 水無月の原形でしょうか。

 

皆仕月【みなしつき】

 田植えなどの農作業が一段落して終わったという意味で「みんな・しつくした」という意味から「皆仕尽」⇒「皆仕月」と呼ばれるそうです。

 


弥涼暮月【いすずくれづき】

 弥は接頭辞。涼しい暮れ方の月。涼暮月とも。

 

松風月【まつかぜづき】

 暑くなり、風が恋しく吹くのを心待ちにすることから。風待月とも。

 

涸月【こげつ】

 日差しが強くなり土が乾きやすくなりからでしょうか?

蝉羽月【せみのはつき】
 薄い着物を着ることを透ける蝉の羽に見立てて言う。

暑月【 しょげつ】
 暑中のある月。

田無月【たなしづき】
 田の月ではなく、農作業が終わった(田圃ですることが無い)という意味か?

常夏月【とこなつづき】
 常夏の花の盛んな月

林鐘【りんしょう】
 支那音楽の十二律の一。基音の黄鐘(こうしょう)より七律高い音。

鳴神月【なるかみつき・なるかみづき】
 雷鳴が多い月の意。鳴雷月とも。

炎陽【えんよう】
 照りつける夏の太陽のこと。転じて陰暦六月のこと。

建未月【けんびづき】
 北斗七星の柄が旧暦で未の方位を向くことから

旦月【たんげつ】
 陰暦六月を則旦ともいうので、その月の意か?

晩月【ばんげつ】

 晩夏の月という意味ですかね?

伏月【ふくげつ】
 夏の不摂生から、潜伏し秋に発病する温熱病を「伏暑」ということから?

陽氷【ようひょう】    
 氷は「陰」の意味。強い日差しと濃い影のこと。    


 ほかにもまだまだありますが、随時追加していきますね♪  

 とりあえず、暫くの間、紙釜敷を購入していこうと思います!w

 

 紙釜敷は、本来釜を載せるためのものですが、香盒を荘【かざ】※る台としても使います。

 

 炭手前を略したことを知らせる合図として、明治時代の大寄せから始まったそうです。

 

 そして、色やデザインが色々あるわけで、調べていたところ月の色というのがありました。

 

 

 一月 |深緋《こきあけ》
 二月 |今様《いまよう》
 三月 |若菜《わかな》

 四月 |一斤染《いっこんぞめ》
 五月 |藤紫《ふじむらさき》
 六月 |緑青《りょくしょう》

 七月 |濃藍《こいあい》
 八月 |月草《つきくさ》
 九月 |苅安《かりやす》

 十月 |弁柄《べんがら》
 十一月 |朱華《はねず》
 十二月 |常盤《ときわ》

 

 なかなかいい色合わせですよね。

 

 香盒との兼ね合いもあるので、必ずしもこの色じゃなきゃ!ということではないですが、一案としてはありですよね。

 

 表千家さんだと渦巻文などもあるでしょうし、千家さんはツボツボ文がありますよね。

 各流派の流派文のついた紙釜敷とかもほしいなぁ~と思ったり。

 

 皆さんのお好みの紙釜敷はなんですか?

 

※荘る【かざ-る】は床に道具を設えることをいいます。



購入先:ヤフオク
購入価格:☆

 中村陶彩作の種壺水指です。

 種壺は備前・信楽・伊賀などの焼締や自然釉の壺を水指と見做して点前に用いたものです。種籾などを入れたと考えられ、それ故に「種壺」の名があります。

 こちらはそれらを御本手で写した物で、我が家には種壺水指がなかったのと、御本手の水指は朝日焼しか持っていない(茶盌では持ってます)ので、有っても良かろう!ということで入札しました。

 こちらはなんと☆という超絶激安価格で入手。送料が落札価格の3.5倍以上というとんでも品(過去には落札価格箱付茶盌が四つで1円ということもありましたが)です。

 お救いした……と思っておきましょう♪

 御本の花がさながら蛍のよう。

 蛍では時期が違うか……と思い、改めて蛍を調べますと、真夏から晩夏にかけて草熅れ【くさいきれ】が起こる頃に「腐草化蛍【ふそうほたるとかす】」または「腐草為蛍【ふそうほたるとなる】」と呼ばれる七十二候があります。

 日本では芒種の次候(6月中旬=6/10〜15頃)ですが、支那では大暑の初候(7月下旬=7/22〜27頃)に当たります。これは、日本における蛍の見頃が5月下旬から6月中旬であるためで、支那の蛍と大きく時期が異なるからです。

 芒種の次候の頃ですと確かに暑いのですが、草熅れが起きる程ではなく、7月の暑中になってからの蒸し暑さの方が「腐草」に相応しいのでは?と思う訳です。

 日本でも、この頃に見られる蛍があり、平家蛍といいます。清流に棲む源氏蛍に対し、どんなところにも棲む蛍で、強い光を放つ源氏蛍に対し、少し儚げな弱々しい光を放ちます。

 これが初秋の頃まで見られる「残り蛍」です。平家蛍は源氏蛍と同じ時期に見られ始め、秋口まで見られますが生息期間は余り変わらず、成虫になる期間が長いだけみたいですね。

 遅蛍【おそぼたる】とでも呼んで使い倒してあげますかね♪


 こちらは次回作の予定で、現在書いている本編の前の時代を四人の主人公を軸に書こうと思っているネタです。

 そもそもなんで歴史小説なの?といいますと、子供の頃から「なんで戦国時代を一気通貫した物語がないんだろう?」と思っておりまして、三国志演義的な作品がほしかったんです。

 でも、そんなものは市場も求めていないし、おそらく出版社も出そうとは思っていないのではないかと。

 商業ベースにはならないんでしょうね。

 でも、私はほしい。ただ、未だ嘗て一気通貫の作品はない。

 なら、自分で書くしかないのか?

 その思いはずっと、持ち続けていました。いろんな設定も考えて、主軸に天皇家に据えたらいいのでは?とか考えたりしてきました。

 でも、そうではないんですよね。

 三国志演義だって、メインストーリー以外のエピソードは端折られていたりしている筈ですから、そうしたものは外伝などで補完するしかない訳で、総体的な話は歴史の中心――日本でいうなら畿内=天下のストーリーでなくてはならない。

 そう思えたのは、実は『数寄の長者』書いていてのことでした。

 利休を取り巻く世情を詳らかにするためにも、つぶさに戦を拾いつつ、分からないことも推論を重ねながら集めていく。

 すると、幾ばくか見えてきたものがあります。

 地方史の観点と中央史の観点と両側から書けばいいのだと。それは歴史群像劇にしかできないことです。

 利休の小説といいつつ、利休前史から書き始めたのなら、いっそ【応仁の乱前からの話を書いてもいいではないか】と。

 勿論、これは余白ですから、本編を書き上げてからのものでよいのですけれど、茶道の根源たる足利義教の茶湯御政道だって描いてもいいはずです。

 そうなると丁度、細川持之の時代と重なります。

 なら、義持の世から書けます。

 『数寄の長者』本編を書き終えたら、天下紊乱篇として、前史を書きたいと思います。

 まだ、どれほどのボリュームとなるか分かりませんが、ライフワークとして、行きたいと思います!

 無我の境地というと「私心なく執着を離れた無心な心の状態」を意味しているのですが、辞書などでは「自分の存在を意識しない状態。忘我の境地。」と説明されています。

 

 これはニュアンスが違うのですが、言い回しとして難しいよなーと思わないでもありません。

 

 私心というのは「個人的な欲求」のことで、ああしたい、こうしたいという雑念のことです。そうしたものを忘却して、ただひたすらになにかに打ち込むことを「無心」とか「忘我の境地」というんですね。

 

 これは、欲求を「我欲」ということからも分かる通り、「雑念」である訳で、無心とは「何も考えずに空っぽになる」ことではなく、「何か一つのことに集中している状態」のことなんですね。

 

 つまり「無心に墨を擦る」のなら、「墨を一定の速度で往復させることだけを考える」訳です。

 

 見ているのは硯と墨。それ以外のものは目に入れない。

 意識から外していく。

 

 これが「無心」。

 

 慣れないと雑念がポップしてきて、RPGのモンスターの如く、無心でいられなくなるので、速やかに退治しましょう。

 

 法華経の世界では「唱題をすることで無心になる」修行を世俗でも行うため、集中がしやすいと私は思っていますが、茶道でも同じで、茶筅を振るときは「美味しくなるために無心で振る」ことを求めます。

 

 雑念はいりません。

 

 正しい動きを丁寧に繰り返せばよいのです。

 

 無心に、ひたすらに。

 

 今時風に言うなら、全集中ですかね。これが無心です。