_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/

「抹茶は甘い飲み物です」

_/ _/ _/ _/ _/ _/ _/ _/



 お抹茶に抱くイメージってどんなものがありますか?
 お茶会ってどんなところでしょ?
 茶道ってどんなことしてるんでしょ?

■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□

 実は、お茶会って愉(たの)しいところなんです!

 一般的なイメージだとしゃべっちゃいけないみたいな感じですかね?

 でも、本当はそんなことなくて、正客と亭主の会話の邪魔をしなければ、話していいんですよ。雑談はダメですけどネ(笑)

 そして、抹茶はとても甘い物なんです。

 苦い抹茶は「安い抹茶」とか「点てる人が下手」ということ。上手な人は甘い抹茶を点てられます。

 さらに、自分たちだけのために用意された小さな美術館として、日本の伝統工芸に身近に触れられます。陶器、漆器、指物、竹工、金工、羽細工、鋳物、織物、染物、建築、造園、書や香などが所せましとそこにあります。

 そして着物で出掛ける場所としてこれほど相応しい場所もありません。

 月桑茶道教室では、そうしたお茶会へ行くための心構えや喫(の)み方、お菓子の頂き方など、様々なシチュエーションで体験いただけます。

 ご興味ございましたら是非お出掛けください(*˘︶˘*).。.:*♡

 コロナ対策は手洗いの徹底、マスクの着用にて各自お願いいたします。当日発熱の方はご参加をお断りすることがございます。予めご了承ください。
 

 9月23日は旧暦八月廿一日、十五夜は過ぎておりますけれども、月見の設えをいたします。

 

 

 また、会終了後はおしのぎがございます。

 お時間の許す方はお召し上がりくださいm(_ _)m

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

 

 濃茶 
 薄茶


 定員5名(別途手伝い枠3名)
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■日時
 令和6年9月23日(月・祝)
 濃茶:13:00~14:30
 薄茶:15:00~16:30
 

 開始15分前までにお越しください。
 時間はあくまで目安です。時間通りに終わるとは限りませんのでご理解ください。
 茶事終了後、お時間のある方はお残りください。簡単な酒席がございます。
 

※濃茶【こいちゃ】
 本来のお茶。一般的に思い浮かべる抹茶よりもどろっとして濃い抹茶。菓子は上生菓子を添える。
 

※薄茶【うすちゃ】
 一般的に抹茶といわれると思い浮かべる抹茶。菓子は干菓子または半生菓子を三種以上添える。
 大寄せでは上生菓子にてお出しすることも多いです(笑) 
 

▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲
 

■会費
 5000円(濃茶・薄茶)
 会費は当日封筒に入れてお出しください。
 

▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼
 

■参加方法
下記予約ボタンより予約をお願いいたします。

 

STORES 予約 から予約する


■申し込み締め切り
 定員になり次第募集終了です。
 また、菓子の都合もありますので、一週間前には締め切らせていただきます。ご注意ください。
 加えて、キャンセルもそれまでの受付とさせていただきます。キャンセル料は全額お支払いいただきますので、ご了承ください。


■ご新規さまへのお願い
 当日キャンセル後、ご連絡取れない方が多いため、ご新規さまにつきまして会費の事前振込をお願いすることになりました。何卒ご協力おねがいいたします。


▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲▲


■服装
 洋装OKです。
 ただし、できるだけゆったりとした【外出着】でお越しください。ジーンズやミニスカートはお控えください(できるだけ膝丈より長いもの)。カジュアルすぎる物はお避け下さい。
 男性は七分裾などの短いものはNGです。
 また、当会はお稽古会ですので、お着物の場合は小紋、浴衣、絣など普段着や紬などの普段着・お洒落着(無紋の訪問着)でOKです。
※通常のお茶会は色無地紋付以上の礼装となります。

 

■ご用意いただくもの
・懐紙【かいし】
 お菓子を頂いたりする際に用います。
 

・菓子切り【かしきり】
 菓子を着る金属や竹などでできた楊枝です。金楊枝ともいいます。
 

・扇子【せんす】
 茶道用の扇子です。礼をする際などに必要です。五寸、五寸五分、六寸、六寸五分があります。
 

・帛紗【ふくさ】
 茶道用の帛紗。点前をする際に亭主が腰につけ、道具を清めるのに用います。
 ※習われている方以外は不要です。
 

・小帛紗【こぶくさ】または出し帛紗【だしぶくさ】など
 茶盌(ちゃわん)が熱いときや道具を拝見する際に用います。濃茶には必須です。
 ※お貸しいたします。
 

 以上のものにつきましては、
 ・薄茶席の方はできるだけお持ちください。
 ・濃茶席の方はお持ちください。
※ご用意のない場合はお貸しいたします(未経験の方)。
 

・替え白足袋または白靴下
 足袋カバーをお脱ぎいただいても構いません。洋装の方は履き替えていただきますので、必ずご持参ください。
 

・封筒
 会費は封筒に入れてお名前をお書き添えの上、ご持参ください

 

 

 

 

 

 九十九髪茄子とは、村田珠光が古道具屋の店頭にあったものを九十九貫文で買い求め、『伊勢物語』の和歌「百年に一年足らぬ九十九髪我を恋ふらし面影に見ゆ」の歌から「九十九髪」の銘をつけたという伝説が残る茶入です。

 

 この茶入は元々、足利義満公(鹿苑院殿)が肌身離さず持ち歩いたと『総見記』に見えます。後に足利義政公(慈照院殿)より、山名礼部(山名政豊)に与えられます。これは男色を以て仕えたといわれ、その後見失われます。山名礼部も義満公同様肌身離さず持ち歩いたといわれ、戦場にも持っていったため、瑕がついたとも言われています。

 

 

嘉吉元年(1441)~明応八年(1499)一月廿三日(3月13日)

 与えられたのは元服をしたときだそうなので、享徳四年(1455)頃でしょうか。そこから死ぬまで保持していたと考えられます。

 

 

応永廿九年(1422)~ 文亀二年(1502)5月15日(6月19日)

 

 明応八年に流出したとして、そこから3年後に亡くなる珠光が入手したとは考えにくいのです。

 ここに面白い話がありまして、九十九髪茄子は2つあったというではありませんか。


 すると、足利義政が山名政豊に贈ったものが、朝倉宗滴に渡り、小袖屋が袋屋に預けていたものを松永久秀が計略を用いて取り出し、信長に献上されたと。そして本能寺の変で紛失されたということになるかと。

 

 もう一つは、珠光が発見して、三好宗三に伝わり、その後の所伝はわからなくなっていますが、本能寺の変後、秀吉に献上され、大阪の陣で燃えてしまいます。家康は藤重藤厳・藤元父子に命じて探し出させ、修繕させますが、見事な修復の褒美に藤重父子に九十九髪茄子と松本茄子を与えました。明治に入り、岩崎弥太郎が所有し、現在は静嘉堂文庫に収められています。

 

 というように、二つないと、両方の所伝が上手く噛み合わないことから、私の小説では義満公の方を『如意宝珠』として、『九十九髪茄子』と同手の茶入ということにしています。

 

 さて、小説の中では、計略の道具として用いられることになる『如意宝珠』。

 

 物語は鋭意執筆中ですので、お愉しみに。

 

 すでに使用を始めましたが、こよみの月見ビジュアルアイコンを作りました。

 今後、月に関する記事をアップするときは、こちらのアイコンで投稿させていただきます♪

 

 二十四節気のアイコンもバージョンアップを考えておりますし、通常のこよみも特定のものだけ変えていこうかと思ってます。

 

 あまり煩雑にならない程度に、みなさまが「あ、変わったね!」と思えるようにしようかと。

 9月7日(土)に、茶友のたぬさんと金沢文庫へ行ってきました。

 

 

 

 金沢文庫【かなざわぶんこ】というのは駅の名前で、正式には【かねざわぶんこ】と言います。北条実時が金沢【かねざわ】の地に漢籍・典籍などを集積するための文庫を置いた、武家初の文庫です。ここから、北条氏庶流の金沢氏が始まり、称名寺を菩提寺として、得宗御三家(大佛氏・名越氏・金沢氏)の一つである金沢氏が成立します。

 

 ここには、鎌倉以来の貴重な書物がたくさんあり、「文献史学の聖地」でもあるので、私としては超有名だと思っていたのですが、名前は知っていても、何があるところなのか知らない人のほうが多いということを後から知りました。人によっては「地名だと思っていた」という人も。

 

 そうかー、そういうもんなのかー。

 

 展示内容はほぼ9割が書簡または文書あるいは消息。

 

 流石に「茶の湯以前」とあるところから、茶に関係するものの展示が中心でした。

 

 国宝「茶経写」の紙片であるとか、かなりマニアックな特別展で、学術的な検証をしようとしている人は絶対に行くべき特別展ですね。

 

 今回の特別展で特に印象に残っていたのが

 

・金沢貞顕が大茶垸にて茶を点ててほしいと依頼している文書

・金沢貞顕が息子の貞将に栂尾茶を送ってほしいと依頼している文書

・金沢貞顕が茶が不作で奔走して一箱だけ手に入れたので大事に飲むようにと送った書簡

・一箱に二十袋の茶が入っていたという文書

 

 でしょうか。

 

 一袋は十匁の半袋と二十匁の袋があるのですが、おそらく鎌倉時代は二十匁であったと考えられ、栂尾茶は鎌倉重要な贈答品であったとされています。

 

 また、山茶という寺が育てている茶も登場し、これは寺が「◯◯山」という山号を持っていることと裏山で育てていることによる分類であるようです。

 

 その他に京都茶という名前も見え、のちの宇治茶以外にも洛外にて茶を育てていたことが解ります。

 

 大茶垸というのは、宋代に大陸で使われていた大振りの天目のことで、これで点てて小さな天目(現在我々が使っている天目)に小さな柄杓で掬って移していた点前の形が伝わっていたと考えるのが正しいと思われます(学芸員さんは宋代の茶式をご存知なかったのか回し飲み=吸茶をしたのか?と書かれていました)。

 

 まだ、図録を読み込んでいないので、まだまだ発見があるかも知れませんが、私としては満足のいく特別展でした。

 ただ、小さい博物館なので、展示数が限られているのが残念でした。

 

 

 

 

 

 茶の定量、三人分で二・七匁と定められた理由が分かりました。

 

 これは、神奈川県立金沢文庫の特別展「茶の湯以前―中世鎌倉の『茶』―」へ行ったからこその理解です。

 

 中世鎌倉において、茶は紙袋に碾茶を詰めて箱に二十入れ、周りに薄茶を詰めて送って居ました。しかし、当時の茶は、金よりも高く、一袋二十匁では買い手が少なく、半分の紙袋で売られるようになります。

 

 これが「半袋【はんたい】」です。

 

 箱で送られてきた碾茶を葉茶壺に移し、封をして飲むときに石臼で挽いて抹茶とし、喫茶していた訳です。

 

 半袋に入れられているのは十匁。これは十人分の濃茶の分量とされ、これを石臼で挽くと……九匁の抹茶ができます。

 

 つまり、目減りします。

 

 それ故に、一人分が一匁足らずの〇・九匁になっていたのです。

 

 ナルホド、昔の人の合理というのは、昔の人の立場になってかんがえねばわかりませんね。

 

 では、当流の分量を計算してみましょう。

 

 当流は薄茶二匙半の流派なので、千家さんの薄茶が〇・四五匁なので、一匙か〇・三匁。つまり、二匙半は〇・七五匁。

 

 濃茶は一・五匁。六人分で九匁。

 

 つまり、懐石は五人一組ですから、茶入に入れる際一人前多めに入れる分量として、半袋一袋分に当たります。

 

 なるほど、そういう量の割り出しですか。これはこれで納得です。