茶の定量、三人分で二・七匁と定められた理由が分かりました。
これは、神奈川県立金沢文庫の特別展「茶の湯以前―中世鎌倉の『茶』―」へ行ったからこその理解です。
中世鎌倉において、茶は紙袋に碾茶を詰めて箱に二十入れ、周りに薄茶を詰めて送って居ました。しかし、当時の茶は、金よりも高く、一袋二十匁では買い手が少なく、半分の紙袋で売られるようになります。
これが「半袋【はんたい】」です。
箱で送られてきた碾茶を葉茶壺に移し、封をして飲むときに石臼で挽いて抹茶とし、喫茶していた訳です。
半袋に入れられているのは十匁。これは十人分の濃茶の分量とされ、これを石臼で挽くと……九匁の抹茶ができます。
つまり、目減りします。
それ故に、一人分が一匁足らずの〇・九匁になっていたのです。
ナルホド、昔の人の合理というのは、昔の人の立場になってかんがえねばわかりませんね。
では、当流の分量を計算してみましょう。
当流は薄茶二匙半の流派なので、千家さんの薄茶が〇・四五匁なので、一匙か〇・三匁。つまり、二匙半は〇・七五匁。
濃茶は一・五匁。六人分で九匁。
つまり、懐石は五人一組ですから、茶入に入れる際一人前多めに入れる分量として、半袋一袋分に当たります。
なるほど、そういう量の割り出しですか。これはこれで納得です。