9月7日(土)に、茶友のたぬさんと金沢文庫へ行ってきました。
金沢文庫【かなざわぶんこ】というのは駅の名前で、正式には【かねざわぶんこ】と言います。北条実時が金沢【かねざわ】の地に漢籍・典籍などを集積するための文庫を置いた、武家初の文庫です。ここから、北条氏庶流の金沢氏が始まり、称名寺を菩提寺として、得宗御三家(大佛氏・名越氏・金沢氏)の一つである金沢氏が成立します。
ここには、鎌倉以来の貴重な書物がたくさんあり、「文献史学の聖地」でもあるので、私としては超有名だと思っていたのですが、名前は知っていても、何があるところなのか知らない人のほうが多いということを後から知りました。人によっては「地名だと思っていた」という人も。
そうかー、そういうもんなのかー。
展示内容はほぼ9割が書簡または文書あるいは消息。
流石に「茶の湯以前」とあるところから、茶に関係するものの展示が中心でした。
国宝「茶経写」の紙片であるとか、かなりマニアックな特別展で、学術的な検証をしようとしている人は絶対に行くべき特別展ですね。
今回の特別展で特に印象に残っていたのが
・金沢貞顕が大茶垸にて茶を点ててほしいと依頼している文書
・金沢貞顕が息子の貞将に栂尾茶を送ってほしいと依頼している文書
・金沢貞顕が茶が不作で奔走して一箱だけ手に入れたので大事に飲むようにと送った書簡
・一箱に二十袋の茶が入っていたという文書
でしょうか。
一袋は十匁の半袋と二十匁の袋があるのですが、おそらく鎌倉時代は二十匁であったと考えられ、栂尾茶は鎌倉重要な贈答品であったとされています。
また、山茶という寺が育てている茶も登場し、これは寺が「◯◯山」という山号を持っていることと裏山で育てていることによる分類であるようです。
その他に京都茶という名前も見え、のちの宇治茶以外にも洛外にて茶を育てていたことが解ります。
大茶垸というのは、宋代に大陸で使われていた大振りの天目のことで、これで点てて小さな天目(現在我々が使っている天目)に小さな柄杓で掬って移していた点前の形が伝わっていたと考えるのが正しいと思われます(学芸員さんは宋代の茶式をご存知なかったのか回し飲み=吸茶をしたのか?と書かれていました)。
まだ、図録を読み込んでいないので、まだまだ発見があるかも知れませんが、私としては満足のいく特別展でした。
ただ、小さい博物館なので、展示数が限られているのが残念でした。