冗談めかして「月桑庵流点茶術」などと嘯(うそぶ)いていますが、本気で美味しくなる点て方であることは、絶対の自信があります。

 

 この点て方の肝腎な点は「茶筅が自立する」ことです。

 

 しかし、ふと、朝思いついたのです。

 

 この内穂は村田珠光が鷹山民部丞入道宗砌(鷹山頼栄の次男)に造らせた際の発明で、それ以前の茶筅には内穂がありません。

 

 つまり、天目では「茶筅が自立する必要がなかった」ということなんだと思います。

 

 これは、天目の形が尻窄まりで、茶筅に内穂がなくとも安定していたからだと思われます。

 

 しかし、天目から離れ、珠光青磁などの口が開いた茶盌を使うようになると、外穂だけでは茶筅の安定感が得られなかったのではないか?

 

 という仮説です。

 

 これは、内穂を取り払って、点ててみるしかないのですが、おそらくはそうなのではないかとおもいます。

 

 私の茶筅捌きでは、茶筅を持たないため、茶筅の振り子運動が肝腎であり、それには茶筅の安定が不可欠だからです。

 

 これは、「実験の価値あり!」ということで、改築工事中に試してみたいと思います!


 未だに疑問だったのですが、別のことを調べていて「一束立ち」という表記に出会いました。


 なるほど、これならば意味が通ります。一束立ち・一束坐りということになるかと。


 同じ音で一足と書いたことで意味が通らなくなったのではないかと思います。


 でも靴下は二つで一足だから一足でも意味は通ると言えば通るんですかね?


 表記揺れなのか改めて検証してみたいと思います。

 ちょっと前に、「附下げに紋を入れます」と言っていた知人の茶道家がおられて「え?」と思ったのですが、あまり親しい訳でもないので、黙っておりました。

 

 ですが、私の認識では「附下に紋は入れない」となっていたので、Threadsでそう書きましたら、「附下は附下訪問着の略です!!!!!」と噛みつかれました。

 

 では、本当のところ、どうなのか、服飾の本や着物の本、文献にさらりと当たってみました。

 

 附下とは、元々は仕立て方の名前で、訪問着と同じく、すべての模様が肩山を頂点として上向きになるよう「反物の状態で絵付けをしたもの」を言います。

 

 上から下に向けて柄が大きくなるようにするのを基本としていますが、衿と肩や、衽と前身頃、後身頃の模様が横につながっていないものです。これはわざとずらしたのではなく「元々合うように作られていない」ものなのですね。

 

 附下が生まれたのは大正時代。時代の要請で、外出の増えた女性向けに、訪問着ほど格式がなく、小紋よりも高級なものということで、「外出着」として始まります。当然紋は付けません。ここで訪問着と一線を画します。

 

 太平洋戦争中、絵羽柄の訪問着が禁止された(奢侈禁止令・華美禁止令・贅沢禁止令などといわれる)ため、代用品として訪問着扱いされるようになります。

 

 戦争が終わり、奢侈禁止令は解除されましたが、物が少ない時代のこともあり、この状態は昭和30年代頃まで続きましたが、徐々に豊かさを取り戻した民衆は、附下を外出着に戻していったんですね。

 

 ところが、世代の断絶が起こり、こうしたことが伝わらなくなって、紋の付いた附下を観た人が「附下に紋をつけてもいいんだ」と勘違いを起こし(それは時代的な背景を無視して)、呉服屋もそれを訂正しな事態が発生します。

 

 これは、バブルが弾け、呉服屋が衰退し始めたこともあって、いつの間にか礼装や平服のルールがブレるようになっていったのですね。

 

 さらに、技術の発達と売れない呉服の状態からか附下訪問着というものが登場します。これはコンピューターで絵羽になるよう計算して反物に柄を配置するようになったものなど様々な物があるそうですが、附下訪問着と訪問着の区別は玄人でも難しいんだそうです。

 

 改めてこういうことは正しく時代背景を理解して、きちんと踏まえた上ですべきです。

 

 ですが、敢えて私はいいましょう、「附下げに紋は付けない」と。

 先日、東京茶道会で不昧軒を担当された宗徧流さんの点前で、唐銅餌畚建水に陶器の蓋置で運ばれたときに、まるで古流のようにして持ち出されていらっしゃいました。

 

 なるほど、どうしても陶器の蓋置を使いたいときには、これがあった!と目から鱗でした。

 

 陶器の蓋置を運ぼうとすると、どうしても曲建水になってしまいますが、物語が付けられず困ることがあります。

 

 そういうときには、古流のように柄杓を建水に仕込まず、右手で横に持ち、蓋置を持って帰るときのように持ち出せば済みます。

 

 これで道具を傷つけず、自由に運び点前をすることができるようになるというものです。

 

 勿論、棚物であれば、棚飾りすればいいことですが、棚がないときもある訳ですし。

 

 一つまた蒙を啓いていただきました。

 

 感謝、感謝です。

 日曜日、建築会社の社長さんがお見えになり、なんと「確認申請不要案件」ということが判明した……と告げられました。


 ええええええええー?!


 今まで待たされたのは何だったんだ……orz


 建築確認書申請を作る前に確認してもらった筈ですよね?とお尋ねすると、「いやぁ、我々も確認したのですけど、まいりますよね」と。まぁ、確認をする事務処理側の問題ですね。


 なんでも、「二階部分が飛び出している分、そこ迄の増築は出来るように確認申請が新築の段階でされていた」らしいんです。


 ということで、「無駄に待たされた」訳ですが、これからが慌ただしくなります。


 年内に稽古場の荷物を全て片付け、三連休は鉢植えの移動が終われば、ようやく工事開始です。


 3月には「お茶会へ行こう」が再開できるかも知れません。


 年が明けましたら、菊池商店さんに釘を調達に参ります!