本日は旧暦八月十三日、壬寅己酉甲子。

 

 仲秋の十三夜、名月の宴の始まりです★彡

 

 葉月は名月の月であり、本日から廿日までが名月の宴です。

 平安時代はこの日程のどこかで必ず宴が催され連日連夜貴族たちはふらふらと宴に興じていたそうです(笑)

 

 実は十三夜というと、旧暦九月の名月のことなので、あえて「宴披き」とさせていただきました。

 

 なのでお軸は「老松披五雲」「雲披日影新」「東風披鮮雲」とかどーでしょ?(できれば月には関係ないものを紹介したいので)

 本日は八月十三日。壬寅己酉甲子。


 一気に涼しくなりましたね^^
 『暦便覧』では、「陰気やうやく重りて、露にごりて白色となれば也」とあることから「白露」と名づけられた二十四節気の第十五節気が本日からの約二週間です。

 秋が極まる秋分までの最後の夏の名残りになります。

 和服の衣更えとしては、本日から「褝(ひとえ)」に変わります。
 我が家でも小千谷縮を仕舞いまして、褝を出しています♪

 暑がりな私は薄物でも大汗だったのですが、褝になってしまうと余計に大汗ですね^_^;A
 とはいえ、もう麻竹や小千谷は着られないので洗うしかないのですけれども。

 また、この時期は秋の長雨が始まる頃ですので、正絹も着づらく、着物選びが困ってしまいます(苦笑)

 茶道の御道具では、いよいよ秋の強い道具立てが相応しくなってきますが、白露というと、螺鈿や青貝の細工物で一点だけ露を示したものが喜ばれるように思います。

 寒暖の差が大きくなる頃ですので、皆さまお風邪など御召になられませんように^^

 白露に相応しい御軸としては「清秋白露香」「紅蓮白露秋」 「明歴歴露堂堂」などは如何でしょう♫

 Twitterとか、Facebook、Instagramを見ていると、違和感を覚えることがたくさんあります。

 

 あなたが伝統と思っていることは、本当に【伝統】ですか?

 

 明治時代以降に変わった風習ではないですか?

 

 特に着物の更衣(ころもがえ)。

 

 江戸時代、新暦などありませんから、新暦合わせの更衣を伝統と捉えて従う必要なんてこれっぽっちもないと思うのですが、頑なに新暦合わせを貫く方々がおいでですよねぇ。

 

 不思議です。

 というか、不思議に思われなかったのでしょうか。

 

 江戸時代は旧暦か二十四節気に合わせて更衣をしていました。暦がそれしかなかったのですから、当然ですね。明治に新暦が入ってきて改暦があり、無理やり新暦に合わせたのが新暦合わせです。

 

 つまり、たかが百年程度の歴史しかないんです。

 

 そんなことを言ったら、伝統行事だと思われている初詣は大正時代の鉄道会社のキャンペーンが始まり。除夜の鐘は昭和初期のラジオ放送が始まり。成人式にいたっては戦後に始まったものだったりします。当時は町興しの一環だったとか。

 

 着物では江戸褄(現在の黒留)も明治、訪問着は大正。昔からあったものではありません。本来の礼装は黒無地紋付です。

 

 そもそも、江戸褄と訪問着は「椅子に座ったときに美しいように」と裾に柄が入っていますから、茶道などのように畳に坐って正坐してしまうならば、着ている甲斐がありません。茶席に訪問着や江戸褄があまり相応しくないと言われる理由、ご理解いただけましたか?

 

 色々あとからなんだかんだと変えられてしまっている「にわか伝統」。今一度、非合理なものは見直すべきだとは思いませんでしょうか。

 

 実はこれ、茶道にもたくさんあったりします。

 

 さて、どういうものが「にわか伝統」か、考えてみませんか?

先日の朱塗三足高坏盆(三脚盆)と一緒に購入したのが、こちらです。




 ちなみに共箱は誤植だそうで、共箱はありませんが、倉庫に余っていたものを付けてくださいました♪(ごねたりしてませんからねっ!笑)

 南蛮は室町後期〜桃山時代、南蛮貿易によって支那南部・南洋諸島・呂宋・安南の港からもたらされた炻器(せっき)のことです。

 炻器とは、英語のStone wareの訳語で、所謂焼締のことで、陶器と磁器の中間にあたります。

 土においては精粗様々で、生産された土地々々によって大きく異なるのも特徴です。また、発色も黒褐色から淡紅、自然釉まで多岐にわたり、一定していません(南から来た物の総称なのであたりまえですね)。

 日本の焼締とは違った風合いがあることから茶人に愛用され、伝世しています。

 近現代の南蛮写は、蛇窯と呼ばれる薪窯によって焼成され、南蛮の風合いを模したものの総称で、主に技術名として使われています。

 やや小振りではありますが、南蛮系の道具を一つも持っていなかったので、丁度、値ごろな物が見つかって有り難かったです♪

 こちらは、12月の葭棚の点前などに用いたらいいかなぁ?とか、いやいや、寒中だろう……などと、考え中です。

 これで建水コレクションも、菊割と桶系、鉄鉢を残すのみ。

 色々な物が少しずつ集まってきています♪
 
 墨東清友館・菊池商店さんから秋のカタログが届きました。何かないかなー?と探していましたら、母が「これいいんじゃない?」と言いまして、購入を決定。

 三足高坏盆は茶道要録に記述がある利休好みの干菓子器で、これについての逸話などの詳細は記されていないそうです。本歌は現存していません。

 ただ、江戸時代に写しとして作られた五代中村宗哲の作品が現存しており、それが数年前に松屋銀座で催された「利休のかたち」展に出品されていたそうですよ!

 また、『茶道筌諦』には「三脚盆 利休形、朱畳付黒」とあり、利休好ではなく、千家好(一般に利休形というのは本歌が現存していない場合、千家好である場合がある=懐石膳など)なのかも知れません。

 古くは菓子器として広く使われていたものだそうです。

 高坏は五寸以上のものが貴人用とされ、これを「高坏」、五寸以下のものが貴人以外にも用いられ、こちらを「高坏盆」と呼び分けます。

 形状としては、一足が多く、三足もこの利休形以外にも様々な形があるようです。こうしたものも少しずつ入手していきたいですね!