安藤家御家流さんの大寄せに寄せさせていただいて、残念ながら時間切れで香席には入れなかったのですが、少し感じたことがあります。

 

 それは、「千家の茶と大名の茶の違い」です。

 

 私の悪口を言う人達が一定数いるのは聞き及んでおります(私は直接知りません。エゴサもしませんし、口汚く言う人達はブロックしているので)が、そうした人たちの多くが「千家の茶しか知らない」のではないか?ということです。

 

 千家の茶が下とか、大名の茶が上とかいう話ではありません。

 

 千家の茶でよく聞くのは「唐物など最早扱うことはない」という認識なのですが、大名の茶では「当たり前に出てくる」ということです。

 

 この辺りの意識の差というものを強く感じたのです。

 

 勿論、唐物などそれほど多い訳ではないので、誰しもが持っている訳ではありません。しかし、触る機会があると思って稽古するのか、無いと思って稽古するのかでは、大きな差がでますよね。

 

 私の道具を「本物じゃない」と貶す方もいらっしゃるそうですが、本物とはなんでしょう? 十職の道具ではないことは明白です。私から言わせれば、道具は「人の手を経て、時代を経て本物になっていく」のだと思うのです。

 

 中興名物が、遠州の手によって格上げされたように、○○名物と後世のものが取り上げられたように、時代を経て、名手の手を経て本物になっていった物たちが沢山有るわけです。

 

 私は弟子にも古い道具を惜しげもなく触らせます。

 触らせなければ、価値はわからないですからね。

 

 何が言いたいかというと「他人のことをあれこれ言う前に、唐物を惜しげもなく使ってくれるような大名の茶を見聞して、見識を広げられたらいいですよ」ということです。

 

 ここを経験しているか居ないかで、大きくその後の茶湯人生変わると思います。

 三席目は不昧軒を使われた石州流不昧派の御家元・鈴木宗立宗匠のお席。

 

 こちらは配り会記無しなので、家に帰ってから自分で起こしました。

 

 床は津田宗及の子・江月宗玩の謝硯偈。謝硯偈とは、硯をもらったことに対する謝礼の文で、偈とは「禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたもの」です。

 

 これは調べたところ端渓硯を贈られたことによる礼状だったようで、「袖中東海」という名硯に江月宗玩の銘した蓋、小堀遠州の杉箱蓋、さらに銭屋宗徳の書付がされたようです。

 

 名硯は人を磨く――これは鈴木宗匠の仰っしゃりようですが、人との交流の中で人格が磨かれていくということではないかと思います。

 

 それには日頃から人と接することが大事で、家に引きこもることの欠点が表されているようにも思えますね。

 

 風炉は総紫銅の三日月風炉。石州流と名乗るだけあって、石州好ですね。釜は添えだそうですが、阿古陀形の舟虫釻付。作は失念しましたが下間の作でしょうか。

 

 風炉先が、桑かなぁ?と思っていましたら焼杉とのこと。腰張は金泥を掃いてある涼やかな景色で淡い水色の紙が、まるで雨を受けた石畳の水面のようでしたね。

 

 長板が変わっていて、杢目が見えています。しかし縁は紅く、所々黒が覗いています。そして杢目には摺漆が塗られており、一面に雨の降ったような水玉模様がいくつもあります。この水玉模様が石州好だそうで、金銀蒔絵になっていました。

 

 板の上には信楽の箪瓢。

 遠州好の膳所箪瓢を写した物だそうですが、長板に信楽というのは少し違和感がありました。但し、こちらは焼締ではないようなので、棚物に使えるよう爆ぜのない土を使い釉薬を掛けていたのだと思われます。信楽らしく耳付なのはご愛嬌でしょうか。

 

 建水は同門の金工師さんの作だそうで、鉄鉢に立ち上がりのある形。お名前を失念しましたが、独特な形で不昧公好の写なのかなー?などと考えていたらお尋ねする機会を逸しました(苦笑)

 

 長板の左端に鎮座する黄色のような金属っぽい蓋置が気になりお尋ねすると、拝見に回してくださいました。銀溜の漆蓋置。車波の金蒔絵があり、黄色く見えたのは欅の杢目と摺漆の色が銀溜に反射していたからだったんですね。

 

 手に取るといやはや軽い。こういう遊べる漆道具というのは余程の方でないと手にしませんから、流石は不昧派の御家元と感服いたしました。

 

 床の盆は見事な唐物で、香合も堆朱で唐物。但し、盆は馬の皮に漆を塗ったものだそうで、中央が割れてしまい、端に飾るしかなかったそうです。修繕するものでもなく、香合が転がってしまうため、已むを得ず。しかし、一発で唐物と分かる上質の盆です。四方隅入盆でいわゆる若狭盆と同形のものですね。

 

 花はなく、牡丹が終わってしまい、香合を牡丹にしましたのでそれでご勘弁をと仰れてました。今年は花が異常に早く咲いて異常に早く終わるという狂い年。致し方のないことかなぁ。

 

 棗が拝見にだされると、一瞬の光でふわっと葉が浮かび上がります。「これは……」と声を挙げると「蔦なんですよ」と「紅葉のときにもつかえるので」と宗匠。私的には冬蔦(常緑の蔦・紅葉しない)文様として扱ってもいいんじゃないかなぁ?と思いました。

 

 立ち上がりに金蒔絵が施されており、闇蒔絵という名前に相応しい客を驚かせる棗でしたね。

 

 茶杓は 節上に虫喰のある煤竹で、節が稲妻のようにささくれた感じになっていてそれに沿って節裏を削り込んだ蟻腰です。虫喰の名の通り、節上に完全に貫いたような穴があります。

 

 ちょうど陰になったところにぽつんと光が通っており、光にかざさないと気が付かないほどの小さな小さな虫喰が、不昧公の感性であるのだなぁ……と感嘆頻り。

 

 全体的に「諸流皆吾流」と仰った不昧公らしく、様々な流派から取り入れた道具という感じで、当流に似たものを感じました(ウチもどこの流派の道具でも使いますので)。

 

 点前そのものは石州流らしく、鎮信流さんや伊佐派さんと大きく変わる感じはしませんでした。

 

 また、お席があったら是非入らせていただきたいですね。

 

令和5年5月7日(令和五年三月十八日)
不昧軒 石州流不昧派家元 鈴木宗立
 
床 謝硯偈 欠伸子
 香合 堆黒 牡丹 馬皮盆(四方隅入)
 
釜  阿古陀釜 舟虫釻付
 風炉 三日月風炉 石州好
 風炉先 焼杉 金泥引き
 
棚物 欅摺漆呂色水玉金銀蒔絵爪紅長板
 茶器 真塗 闇塗蔦蒔絵大棗
 水指 信楽 箪瓢
 茶盌 出雲 刷毛目
    黒楽 一入
    光悦写 仁阿弥道八
 茶杓 不昧公御作 虫喰
  蓋置 銀溜 車波金蒔絵
  建水 唐銅 鉄鉢
 
菓子器 鳴海織部 仁阿弥道八
菓子  薯蕷饅頭

 御家元席を後にして向かったのは月窓軒。

 

 こちらは男子席で、大台子と聞いていたので、絶対に外せません。

 

 床は四代将軍家綱公御親筆の柿本人丸画。

 

 人丸というのは、人麿(人麻呂)のことで、柿本人麿は飛鳥時代の歌人。人麿を人丸と呼ぶのは罪人になったからという説があるそうで、人麿刑死説の一因にもなっているそうです。

 

 ちなみに平安時代には「人丸」と表記されることが多かったようで「ひとまる=火止まる」と解して「火の神」としても祀られています。もちろん歌の神としても祀られています。

 

 徳川御宗家代替わりに因んだ家綱公の掛物なのでしょう。

 

 花入は青磁浮牡丹。蕾の牡丹と呼応しているのが大名らしい感じなのでしょうか(私なら牡丹の花入にはしないなーなどと思いながら)。

 

 堆朱蓮辨は勿論、蓮華。これは家元席と同じ趣向でしょうか。

 

 風炉は鳳凰風炉。これは二条関白家に旧蔵されていたものだそうで、千家にある鳳凰風炉と同じものです。釜も揃いで千本松。下間庄兵衛の作。こちらも二条関白家旧蔵の品。

 

 鳳凰風炉と知っていたので、すわ土風炉かっ!?と期待したのですが、残念。ただ、梨地定紋大台子との相性はバッチリですね。

 

 寄せ皆具になっていて、唐物青磁の大きな瑕のある算木水指に、高麗青磁蓮辨の泪(こぼし)、蓋置も青磁で伏龍。この伏龍がかなり素晴らしい造形。素人の作とのことですがいやいや、とんでもない一品です。

 

 こちらでも天目台で、根来に禾天目。

 一体いつのものなのか。素晴らしい天目でした。

 鸞天目と禾天目、御家流さんがお持ちの天目はあと何があるんでしょう(汗)

 

 棗は台子に合わせたのか、梨地の大棗で定紋(※)。

※定紋は代表的な表紋である安藤藤(上がり藤)と葵藤三つ巴のことです。

 

 茶杓は先代松浦宗家祥月公の作で、銘は石たたき。これは君が代にちなんで、徳川御宗家の長寿を願ってかも?

 

 替茶盌は朝日豊斎の作。昭和帝践祚五十年にあたり、松浦家主催の記念茶会にて、秩父宮妃殿下、三笠宮妃殿下御来臨の折に先代綾信公が陪席され玄窯初の左馬の鹿背茶盌を松浦家より贈られたものだそうです。

 

 菓子器は東照宮祭器だそうで、朱塗隅入四方高坏。それに載っていたのは御家流さんの表紋の安藤藤がついた和三盆と結琥珀。

 

 琵琶床には乾隆玻璃。瑠璃色ガラスの最初です。

 

 台子は元々大台子の寸法であったものが、珠光が小さくして現在の真台子大になり、利休が小を作ったと言われるのは間違いなさそうです。

 

 竹台子については、現在の大が珠光好とも紹鴎好と呼ばれるのも、もしかしたら、珠光好は大台子の寸法だったのかもしれないなーなどと頭の隅で考えながら、席を愉しませていただきました。

 

【第三席につづく】

 松平さまと安藤家御家流香道の板橋先生からのご好意で、安藤家御家流の茶道・香道大会に寄せさせていただきました。


 生憎の空模様ではありましたが、うだるような夏日が続いていた中での恵みの雨。それほど気温も上がらず、褝(ひとえ)でも大汗を掻かずに済みました。女性にはいささか肌寒いようではございましたが、私には丁度よい涼しさです(笑)


 受付を済ませて先ずは家元席。

 床には消息。初代対馬守重信公の御親筆で、金地院崇伝宛の書状です。重信公は二代将軍家秀忠公の傅役。腹痛を起こしたことを心配し登城しようとする金地院崇伝に対して「上様は食欲も戻りましたので心配いりまさせん」と書き添えられているそうです。綾信公や綾冠さまを彷彿とさせる心配りの方だったのでしょうね。


 花押の全体が鱗のようで、将軍家のように上から平らになっていない形式なのがとても好きです(笑)


 床には伊賀の花入と染付の二段になって少し背の高い香合。香合はが品のある裂地の上に載っています。


 裂地をお尋ねしますと、二条さまのご夫人が安藤家の表紋(裏葉に上がり藤・安藤藤)を刺繍してくださった物だとか。古伊万里の香合によく似合う山吹色の帛紗でした。


 花入の伊賀は、伊賀は伊賀でも、藤堂伊賀。これは、茶入への伏線になっています。この辺りの物語の織り込み方は綾信公仕込みですね。


 風炉先が能演目張りの銀屏風で、これは安藤家が十万石扱い(磐城平藩は六万五千石)で、許されていた演目を張り出してあるそうです。


 風炉は常什とのことですが、使い込まれた歴史を感じさせる品です。これはおそらく釜に合わせて誂えた物だと思います。釜は家伝の時代霰釜。窯肌の肌理が細かく、質のいい時代物であることがわかります。使い込まれた寂びの景色が目を惹きますね。


 棚物は香炉卓として用いられる中央卓。全体に螺鈿が施されているにもかからわず、華美すぎず、綾冠さまらしいふんわりとした雰囲気なのは、柱が猫足だからでしょうか。高麗卓にも似た形で、下が少しすぼまり、天板が欄干の上にあり、天板にも螺鈿が施されています。


 そこに鷹の羽箒が添えられています。御家流さんでは、羽箒は常のものなのだとか。なるほど、点前で自然と清めるためにお使いなのですねぇ〜。


 丸盆が置かれていて、「珠光飾り」とはなんぞや?と思っていましたが、なるほど「乱飾」のことだったのですね! 点前の途中で気付きました(笑)


 葵盆というのは、青漆を用いた丸盆だからに因む名称だそうで、言われるまで全く気づきませんでした。私の位置(正客)からだと真黒にしか見えなかったのです。光が差し込むと青く(緑色に)光るので、なるほどあおい盆です(笑)


 天の位置に表紋が描かれていました。


 水指は明染付で八方になっていて、中央卓にピッタリの大きさです。口は皆口。蓋は共蓋で雲文様がぐるりと一周。つまみの前後にもたなびいていました。


 泪(こぼし)は唐銅の一二三のようにも見えるのですが、下が三ではなく、一。中央に模様が入っているようでしたが、判別できず。残念。


 蓋置は象牙。いささか小振りのようで、それに合わせてか柄杓も小さめでした。


 実はお点前さんが顔見知りで、いつもは男子部なのですが、人手が足りないと家元席に呼ばれたようです。お陰でキリッと指導をなさる綾冠さまのお姿を見ることが叶いました。


 普段はとても柔らかく笑顔を絶やさない穏やかな綾冠さまですが、やはり家元として指導をなさる姿は凛として素敵です!


 さて、待ちに待った茶入。

 仕覆に入った姿から見るにやや大振りの様子。本歌に倣ったのか間道織留の仕覆。近年は師匠坊と書かれる「四聖坊」に倣った美濃焼の茶入で「右京肩衝」。桃山時代の美濃焼ですね。古美濃と呼んだほうが分かりやすいかも知れません。


 どっしりとした姿なのに、雅さが感じられる美しさです。茶杓の華奢で雅なのにどこか荒々しさを感じさせるのと対になっており、四聖坊が藤堂高虎所有であったことにちなんでの花入との合わせ方は流石です。


 珠光が住んでいたのは右京(当時は左京が寂れていた)であり、そこからの「珠光飾り」なんでしょうか。


 茶盌は「高麗青磁蓮辯」。日野間道の仕覆から出できたときには思わず「おぉぉぉぉぉ」と感嘆することしか出来ませんでした。お点前さんの長緒の捌きもじっくり見させていただきました♪


 日野間道は日野輝資(大納言)が所持した日野肩衝に添っていた仕覆の柄を発祥とする名物裂。おそらく茶入の間道織留に合わせられたということでしょう。


 蓮辯は当然ながら蓮華。二十四節気では初夏ですから、灌仏会も近い(当日は旧暦三月十八日。灌仏会は四月八日)ことからでしょうか。


 高麗青磁の外はやや黄色味を帯びています。内側は灰褐色に沈んでおり、見込みに金継の跡が。清めていただくとキラリと光る様が、泥に浮かぶ蓮華のようで、まさしく仏の誕生を表すかのよう。


 茶杓は金森宗和。宗和らしい二重折撓芽にはなっていなかったので若い頃の作か? 細身でとても繊細な煤竹であるにも関わらず、削り方は豪快で、一太刀でズバッ!と行っている感じ。節裏はキツく薬研腰とでもいいたくなるような鋭さがありました。


 銘は鳴瀧。現在の右京区にある地名で、鳴滝川流域。尾形乾山の窯があった場所でもあります。茶杓全体が滝を表していたのですね。


 見事だったのは菓子器。

 口の中でほどけるふわふわのきんとんを載せていた色絵祥瑞の桃果図も見事な時代物でしたが、替えの明染付の葵兎が飛び抜けて見事でした。まだ西洋コバルトが入ってくる前の呉須であれほど濃い紺を出していたのですから(見れば分かる人には分かります)。


 徳川御宗家の代替わりと今年は癸卯(実は家康の干支でもある)ということでの道具組みだとか。なるほど、言祝ぎに一興を添えられた……ということですね。


 替えに紅安南。見込みに孔雀のいるこの茶盌は何度かお見かけしていますが、いつ見ても素敵な華やかさ。紅安南欲しくなります。


 それと、宗入の黒楽。覚々斎の箱書があるそうで、紀州公への献上品かな?(こちらも見覚えがあります)


 細川護光公の光悦写?の赤楽。口作りは雪峯に似ていました。


 そして本命、南京染付縞文。織部好のものです。やや長高台で、馬上杯というには低いです。当時の染付の常識からすると、突飛な柄つけでしたでしょうねぇ。ニタリと笑う織部公が目に浮かびます(笑)


 もうこの席だけで満足できるほどの物語と名品の数々に圧倒される思いでした。


【第二席に続く】

 GWは皆さまごゆるりとお過ごしになられましたでしょうか?


 私は一回ネクタイを買いに池袋→新宿→有楽町と移動してデパートをハシゴして探し回った挙げ句、何処にもバネル柄のネクタイがなく、ネクタイ専門店を見つけて原宿に移動。giraffe(ジラフ)というブランドのショップで3本ほど購入したのと、5/7にお茶会へ行った以外は、ずっと家に閉じ籠もっておりました(笑)


 九連休で、その2回だけという何もしなさ加減はそれだけ歳を取ったということでしょうか(出掛ける相手が居ないだけです・(爆))。


 さて、土曜日は立夏でしたので、金箔散の風炉先屏風を網代腰張透に取り替え、炉を塞ぎ、助炭を片付け、炉椽を仕舞い、点前道具も箱に入れました。


 荒目板大を出し、眉風炉を据えて、敷瓦を入れて電熱炭を設置(早く水屋がほしいなぁ)。


 ここまでやって、翌日がお茶会(御家流さんの)なので、予習をしておきませんとね。時事ネタから、季節の花、などなど……咄嗟に対応できないので、予習・復習が大事です。


 過去に出た道具はあまり出ることがないので、復習はそこまで熱心ではありませんが、一通り目は通します。


 10月の道具組みもなかなか思い浮かばず、ひとまず「扇卓」だけは宗靜先生の強い要望で決まっておりますが(苦笑)


 茶巾板使うかなぁ(笑)←それ濃茶用


 ここで石州好の三日月風炉とか手に入るなら全部石州好で揃えるのもありなんですが、水屋を作るまでは我慢、我慢。


 十周年を迎え、十一年目に入り、もう一弾上の月桑庵になれますように! 心機一転、頑張ります!