松平さまと安藤家御家流香道の板橋先生からのご好意で、安藤家御家流の茶道・香道大会に寄せさせていただきました。
生憎の空模様ではありましたが、うだるような夏日が続いていた中での恵みの雨。それほど気温も上がらず、褝(ひとえ)でも大汗を掻かずに済みました。女性にはいささか肌寒いようではございましたが、私には丁度よい涼しさです(笑)
受付を済ませて先ずは家元席。
床には消息。初代対馬守重信公の御親筆で、金地院崇伝宛の書状です。重信公は二代将軍家秀忠公の傅役。腹痛を起こしたことを心配し登城しようとする金地院崇伝に対して「上様は食欲も戻りましたので心配いりまさせん」と書き添えられているそうです。綾信公や綾冠さまを彷彿とさせる心配りの方だったのでしょうね。
花押の全体が鱗のようで、将軍家のように上から平らになっていない形式なのがとても好きです(笑)
床には伊賀の花入と染付の二段になって少し背の高い香合。香合はが品のある裂地の上に載っています。
裂地をお尋ねしますと、二条さまのご夫人が安藤家の表紋(裏葉に上がり藤・安藤藤)を刺繍してくださった物だとか。古伊万里の香合によく似合う山吹色の帛紗でした。
花入の伊賀は、伊賀は伊賀でも、藤堂伊賀。これは、茶入への伏線になっています。この辺りの物語の織り込み方は綾信公仕込みですね。
風炉先が能演目張りの銀屏風で、これは安藤家が十万石扱い(磐城平藩は六万五千石)で、許されていた演目を張り出してあるそうです。
風炉は常什とのことですが、使い込まれた歴史を感じさせる品です。これはおそらく釜に合わせて誂えた物だと思います。釜は家伝の時代霰釜。窯肌の肌理が細かく、質のいい時代物であることがわかります。使い込まれた寂びの景色が目を惹きますね。
棚物は香炉卓として用いられる中央卓。全体に螺鈿が施されているにもかからわず、華美すぎず、綾冠さまらしいふんわりとした雰囲気なのは、柱が猫足だからでしょうか。高麗卓にも似た形で、下が少しすぼまり、天板が欄干の上にあり、天板にも螺鈿が施されています。
そこに鷹の羽箒が添えられています。御家流さんでは、羽箒は常のものなのだとか。なるほど、点前で自然と清めるためにお使いなのですねぇ〜。
丸盆が置かれていて、「珠光飾り」とはなんぞや?と思っていましたが、なるほど「乱飾」のことだったのですね! 点前の途中で気付きました(笑)
葵盆というのは、青漆を用いた丸盆だからに因む名称だそうで、言われるまで全く気づきませんでした。私の位置(正客)からだと真黒にしか見えなかったのです。光が差し込むと青く(緑色に)光るので、なるほどあおい盆です(笑)
天の位置に表紋が描かれていました。
水指は明染付で八方になっていて、中央卓にピッタリの大きさです。口は皆口。蓋は共蓋で雲文様がぐるりと一周。つまみの前後にもたなびいていました。
泪(こぼし)は唐銅の一二三のようにも見えるのですが、下が三ではなく、一。中央に模様が入っているようでしたが、判別できず。残念。
蓋置は象牙。いささか小振りのようで、それに合わせてか柄杓も小さめでした。
実はお点前さんが顔見知りで、いつもは男子部なのですが、人手が足りないと家元席に呼ばれたようです。お陰でキリッと指導をなさる綾冠さまのお姿を見ることが叶いました。
普段はとても柔らかく笑顔を絶やさない穏やかな綾冠さまですが、やはり家元として指導をなさる姿は凛として素敵です!
さて、待ちに待った茶入。
仕覆に入った姿から見るにやや大振りの様子。本歌に倣ったのか間道織留の仕覆。近年は師匠坊と書かれる「四聖坊」に倣った美濃焼の茶入で「右京肩衝」。桃山時代の美濃焼ですね。古美濃と呼んだほうが分かりやすいかも知れません。
どっしりとした姿なのに、雅さが感じられる美しさです。茶杓の華奢で雅なのにどこか荒々しさを感じさせるのと対になっており、四聖坊が藤堂高虎所有であったことにちなんでの花入との合わせ方は流石です。
珠光が住んでいたのは右京(当時は左京が寂れていた)であり、そこからの「珠光飾り」なんでしょうか。
茶盌は「高麗青磁蓮辯」。日野間道の仕覆から出できたときには思わず「おぉぉぉぉぉ」と感嘆することしか出来ませんでした。お点前さんの長緒の捌きもじっくり見させていただきました♪
日野間道は日野輝資(大納言)が所持した日野肩衝に添っていた仕覆の柄を発祥とする名物裂。おそらく茶入の間道織留に合わせられたということでしょう。
蓮辯は当然ながら蓮華。二十四節気では初夏ですから、灌仏会も近い(当日は旧暦三月十八日。灌仏会は四月八日)ことからでしょうか。
高麗青磁の外はやや黄色味を帯びています。内側は灰褐色に沈んでおり、見込みに金継の跡が。清めていただくとキラリと光る様が、泥に浮かぶ蓮華のようで、まさしく仏の誕生を表すかのよう。
茶杓は金森宗和。宗和らしい二重折撓芽にはなっていなかったので若い頃の作か? 細身でとても繊細な煤竹であるにも関わらず、削り方は豪快で、一太刀でズバッ!と行っている感じ。節裏はキツく薬研腰とでもいいたくなるような鋭さがありました。
銘は鳴瀧。現在の右京区にある地名で、鳴滝川流域。尾形乾山の窯があった場所でもあります。茶杓全体が滝を表していたのですね。
見事だったのは菓子器。
口の中でほどけるふわふわのきんとんを載せていた色絵祥瑞の桃果図も見事な時代物でしたが、替えの明染付の葵兎が飛び抜けて見事でした。まだ西洋コバルトが入ってくる前の呉須であれほど濃い紺を出していたのですから(見れば分かる人には分かります)。
徳川御宗家の代替わりと今年は癸卯(実は家康の干支でもある)ということでの道具組みだとか。なるほど、言祝ぎに一興を添えられた……ということですね。
替えに紅安南。見込みに孔雀のいるこの茶盌は何度かお見かけしていますが、いつ見ても素敵な華やかさ。紅安南欲しくなります。
それと、宗入の黒楽。覚々斎の箱書があるそうで、紀州公への献上品かな?(こちらも見覚えがあります)
細川護光公の光悦写?の赤楽。口作りは雪峯に似ていました。
そして本命、南京染付縞文。織部好のものです。やや長高台で、馬上杯というには低いです。当時の染付の常識からすると、突飛な柄つけでしたでしょうねぇ。ニタリと笑う織部公が目に浮かびます(笑)
もうこの席だけで満足できるほどの物語と名品の数々に圧倒される思いでした。
【第二席に続く】