三席目は不昧軒を使われた石州流不昧派の御家元・鈴木宗立宗匠のお席。

 

 こちらは配り会記無しなので、家に帰ってから自分で起こしました。

 

 床は津田宗及の子・江月宗玩の謝硯偈。謝硯偈とは、硯をもらったことに対する謝礼の文で、偈とは「禅僧などが悟境を韻文の体裁で述べたもの」です。

 

 これは調べたところ端渓硯を贈られたことによる礼状だったようで、「袖中東海」という名硯に江月宗玩の銘した蓋、小堀遠州の杉箱蓋、さらに銭屋宗徳の書付がされたようです。

 

 名硯は人を磨く――これは鈴木宗匠の仰っしゃりようですが、人との交流の中で人格が磨かれていくということではないかと思います。

 

 それには日頃から人と接することが大事で、家に引きこもることの欠点が表されているようにも思えますね。

 

 風炉は総紫銅の三日月風炉。石州流と名乗るだけあって、石州好ですね。釜は添えだそうですが、阿古陀形の舟虫釻付。作は失念しましたが下間の作でしょうか。

 

 風炉先が、桑かなぁ?と思っていましたら焼杉とのこと。腰張は金泥を掃いてある涼やかな景色で淡い水色の紙が、まるで雨を受けた石畳の水面のようでしたね。

 

 長板が変わっていて、杢目が見えています。しかし縁は紅く、所々黒が覗いています。そして杢目には摺漆が塗られており、一面に雨の降ったような水玉模様がいくつもあります。この水玉模様が石州好だそうで、金銀蒔絵になっていました。

 

 板の上には信楽の箪瓢。

 遠州好の膳所箪瓢を写した物だそうですが、長板に信楽というのは少し違和感がありました。但し、こちらは焼締ではないようなので、棚物に使えるよう爆ぜのない土を使い釉薬を掛けていたのだと思われます。信楽らしく耳付なのはご愛嬌でしょうか。

 

 建水は同門の金工師さんの作だそうで、鉄鉢に立ち上がりのある形。お名前を失念しましたが、独特な形で不昧公好の写なのかなー?などと考えていたらお尋ねする機会を逸しました(苦笑)

 

 長板の左端に鎮座する黄色のような金属っぽい蓋置が気になりお尋ねすると、拝見に回してくださいました。銀溜の漆蓋置。車波の金蒔絵があり、黄色く見えたのは欅の杢目と摺漆の色が銀溜に反射していたからだったんですね。

 

 手に取るといやはや軽い。こういう遊べる漆道具というのは余程の方でないと手にしませんから、流石は不昧派の御家元と感服いたしました。

 

 床の盆は見事な唐物で、香合も堆朱で唐物。但し、盆は馬の皮に漆を塗ったものだそうで、中央が割れてしまい、端に飾るしかなかったそうです。修繕するものでもなく、香合が転がってしまうため、已むを得ず。しかし、一発で唐物と分かる上質の盆です。四方隅入盆でいわゆる若狭盆と同形のものですね。

 

 花はなく、牡丹が終わってしまい、香合を牡丹にしましたのでそれでご勘弁をと仰れてました。今年は花が異常に早く咲いて異常に早く終わるという狂い年。致し方のないことかなぁ。

 

 棗が拝見にだされると、一瞬の光でふわっと葉が浮かび上がります。「これは……」と声を挙げると「蔦なんですよ」と「紅葉のときにもつかえるので」と宗匠。私的には冬蔦(常緑の蔦・紅葉しない)文様として扱ってもいいんじゃないかなぁ?と思いました。

 

 立ち上がりに金蒔絵が施されており、闇蒔絵という名前に相応しい客を驚かせる棗でしたね。

 

 茶杓は 節上に虫喰のある煤竹で、節が稲妻のようにささくれた感じになっていてそれに沿って節裏を削り込んだ蟻腰です。虫喰の名の通り、節上に完全に貫いたような穴があります。

 

 ちょうど陰になったところにぽつんと光が通っており、光にかざさないと気が付かないほどの小さな小さな虫喰が、不昧公の感性であるのだなぁ……と感嘆頻り。

 

 全体的に「諸流皆吾流」と仰った不昧公らしく、様々な流派から取り入れた道具という感じで、当流に似たものを感じました(ウチもどこの流派の道具でも使いますので)。

 

 点前そのものは石州流らしく、鎮信流さんや伊佐派さんと大きく変わる感じはしませんでした。

 

 また、お席があったら是非入らせていただきたいですね。

 

令和5年5月7日(令和五年三月十八日)
不昧軒 石州流不昧派家元 鈴木宗立
 
床 謝硯偈 欠伸子
 香合 堆黒 牡丹 馬皮盆(四方隅入)
 
釜  阿古陀釜 舟虫釻付
 風炉 三日月風炉 石州好
 風炉先 焼杉 金泥引き
 
棚物 欅摺漆呂色水玉金銀蒔絵爪紅長板
 茶器 真塗 闇塗蔦蒔絵大棗
 水指 信楽 箪瓢
 茶盌 出雲 刷毛目
    黒楽 一入
    光悦写 仁阿弥道八
 茶杓 不昧公御作 虫喰
  蓋置 銀溜 車波金蒔絵
  建水 唐銅 鉄鉢
 
菓子器 鳴海織部 仁阿弥道八
菓子  薯蕷饅頭