栃木県・日光東照宮 その4/5 陽明門 「仙人や賢人」の彫刻 | 神社に隠れていたモノ

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神社の彫刻を見て、何の物語か教えてほしいと思ったことがあり、調べた結果をブログします。タイトル「神社に隠れていたモノ」は覆屋の中にこんな素晴らしい彫刻が隠れていたのかという思いから付けました。

2022年4月14日 栃木県日光市山内の日光東照宮に参拝しました。

 

彫刻が多いため、5回に分けて記載します。

  ・栃木県・日光東照宮 その1/5 神厩舎(三猿)、五重塔

  ・栃木県・日光東照宮 その2/5 陽明門 「唐子遊び」の彫刻(正面・背面)

  ・栃木県・日光東照宮 その3/5 陽明門 「唐子遊び」の彫刻(東側・西側)

  ・栃木県・日光東照宮 その4/5 陽明門 「仙人や賢人」の彫刻

  ・栃木県・日光東照宮 その5/5 唐門、奥宮

 

陽明門の下層の組物間に、仙人や聖人の彫刻があります。

 

陽明門を上から見た俯瞰図(陽明門の下層の彫刻)

 

陽明門(正面) --- 下層の組物間に、仙人や聖人の彫刻7体がある。

 

琴棋書画の琴  「琴棋書画」は東洋で古くから為政者に必須の教養とされた四芸のことで、この彫刻は「琴」を彫刻しています。他の「棋」「書」「画」も陽明門(正面)に彫刻してあります。

 

琴棋書画の棋  棋とは囲碁のこと。

 

周公聴訴  --- 正面の右から3番目と4番目の彫刻で「周公聴訴」を構成しています
周公旦は古代中国の周王朝を創始した武王の弟で、摂政をしていた人物。周公は洗髪中でも人が訪ねてくれば中断して訴えを聞いたという。

 

周公を訪ねてきた訴人 (右から3番目の彫刻)

洗髪中の周公 (右から4番目の彫刻)

 

孔子観河
「逝く者は斯くの如きか、昼夜を舎かず」(過ぎ去るものは、川の流れのように昼も夜も休むことがない)という『論語』にある話を表現し、孔子が弟子たちと共に河を眺め、時の移り変わりの激しさに思い馳せている。

 

琴棋書画の書  書とは書物や書道のこと

 

琴棋書画の画  画とは絵の鑑賞のこと

 

 

陽明門(背面) --- 下層の組物間に、仙人や聖人の彫刻7体がある。

 

鯉に乗る琴高仙人
琴高は琴の名手で、長寿の術で二百年も生きていたという。ある時、弟子に「龍の子供を捕まえてくる」と言って去って行った。弟子達は帰ってくると約束の日に群衆一万余人と共に河原に出迎えると、波が高くなり、琴高は二尾の鯉に乗って現れたという。

 

龍に乗る黄仁覧
古代中国の南城の人物。ある時、黄仁覧は官庁勤めで遠地へ単身赴任することになった。しかし、黄仁覧は家から数千里離れた勤務地を毎日通っているという。不審に思った両親が問うと、黄仁覧は青龍を呼び寄せ、青龍に乗って飛んでいったという。

 

鐘離権  (剣の上に乗っています)
八仙の一人。姓を鍾離といい、名は権である。字は寂道。号は雲房先生。正陽真人とも呼ばれる。もとは漢に仕えており、左諌議大夫になったが、漢が滅んだ後は西晋に仕えて将軍になった。しかしある戦いで敗れ、終南山に逃げ込むも、道に迷ってしまう。山中をさまよい歩いていると、東華帝君に出逢い、長生真訣・赤符玉篆金科霊文・金丹火候青龍剣法を授かったという。笠を持ち、剣に乗り波を渡る姿で描かれることが多い。

 

不明。一説には費長房が空を飛んでいる様子を見て驚く人たちといわれている。

 

鶴仙人の費長房 
費長房は市場で役人をしていたが、その市場で薬を売る仙人・壺公と知り合いになり、費長房自身も壺公の弟子となって、仙界に行き様々な仙人になるための試練を受けるが最後の試験に失敗し、その道を諦めることになる。しかし、人間界に戻っても万病を治し、百鬼を祓い、土地神を使役するという能力は失うことなく活躍したと伝わっている。巻物を見ながら鶴に乗っている姿で表現されることが多い。

 

梅福仙人 
梅福は中国前漢時代の人である。もともとは漢の役人であったが王莽(紀元前45~紀元後23) の専制に嫌気がさし、仙人となるために諸山遍歴の旅に出た。空同仙君に教えを請いつつ、飛鴻山で庵を結んで修行した結果、金童玉女が青鸞を 連れて梅福の前に現れた。梅福は青鸞に乗って天空に飛び去ったという。

 

李鉄拐?  (鉄の杖も、口から魂も出ていない。李鉄拐の特徴が無いのだが・・・)
八仙の一人。鉄の杖(拐)をついて歩いたとの言い伝えから「鉄枴」の名前が付いたといわれています。逸話に、鉄拐は弟子に「7日経って戻ってこなければ焼いてよい」と告げて、太上老君に会うために自分の魂を肉体から遊離させて崋山へ出かけて行った。6日目、弟子の母が病気になり、弟子は鉄拐の体を焼いて母の元へ行きました。7日目に鉄拐の魂が戻ってきたものの、体は既に焼かれて無く、仕方なく付近にあった乞食の死体に入ったということである。そのため、鉄拐がボロを身に纏い、かつ魂が抜け出している姿で表現されることが多い。

 

 

陽明門(東面) --- 下層の組物間に、仙人や聖人の彫刻4体がある。

 

鄭思遠
ある日、夫婦の虎が二匹の子虎を生んだが、母虎は射殺され、父虎はこれに驚き逃げ、子虎だけが残った。鄭思遠はこれを不憫に思い、子虎を飼うことにした。これを見ていた父虎は鄭思遠のところに現われ、立ち去ることはなかった。鄭思遠は移動時に、父虎に乗り、子虎には仙薬や衣服を担がせたという。

 

四睡
豊干禅師・寒山・拾得が虎とともに眠っている。森羅万象の静寂を表したもので、悟りの境地を示すとされている。(豊干禅師・寒山・拾得の3人に、1匹の虎を足して"四"睡。)

 

寿老人と福禄寿

寿老人と福禄寿ともに、南極老人星の化身で、長寿の神様です。

 

 

麒麟に乗る張良?   (張良は龍に乗って移動していたはずだが・・・)

 

 

陽明門(西面) --- 下層の組物間に、仙人や聖人の彫刻4体がある。

 

商山四皓
「商山」は中国にある山の名前。「四皓」はあごひげと眉が白い四人の老人のこと。東園公・綺里季・夏黄公・角里先生が乱世を避けて商山に隠れた4人の賢者。前漢の初代皇帝・劉邦は自分に仕えなかった彼らが長男に仕えているのを見て長男を皇太子に決めたという。

 

虎渓三笑
中国での浄土教の開祖である慧遠法師は来客を送る際、精舎(精進する者たちの舎宅)の下の虎渓という谷川で足を止め、川を渡ることをしない戒律「安呉禁足の掟」を守っていました。ところが詩人の陶淵明と道教の大家である陸修静が来訪して、三者でそれぞれの専門分野について話していた時、興が乗じて慧遠法師は思わず、虎渓を越えてしまいました。虎の吠える声を聞いて、それに気づき、三人とも大笑いをしたとのことです。(儒、仏、道の三賢者が一同に合して話をしたところ、夢中になってしまい、自分たちのいる場所もわからなくなってしまったという故事)

 

西王母と東方朔?  (西王母なら、桃があるはずだが・・・)

 

三聖吸酸
孔子、釈迦、老子が酢をなめて、、その酸っぱさを共感している様子を表現したもの。酢が酸っぱいという事実は皆同じであり、儒教、仏教、道教など、宗教や思想が異なっているとしても、真理は一つであるという「三教一致」を意味しています。

 

コメント:陽明門は有名なため、参考となるサイトは多い。分からない彫刻は参考にしているのだが疑問に思う解説も多いように感じます。