指輪

 

仕事で、マンションの一室をスタジオとして使っている広告代理店がありました。

商品を、その部屋で黙々と撮影する仕事です。

 

マンションの一室といっても、いわゆる一般的な民間マンション。

6畳+4畳半、それにキッチン。

当然ながら天井も一般家庭と同じ高さです。

正直、撮影スタジオとしてはかなり狭いです。

 

小さなアクセサリーや時計、

指輪を撮影するだけでも、もう少し広さが欲しいところ。

それでも広告代理店としては、

「ここを使えばスタジオ代がかからない」

という事情があります。

 

こちらも仕事ですから、与えられた環境の中で、できる限りの撮影をします。

狭い部屋の中でライトを組み、レフ板を置き、カメラを構え、

ああでもない、こうでもないと試行錯誤。

汗だくになりながら、僕ひとりで指輪を撮影していました。

すると、広告代理店の制作スタッフの女性が、

スタジオの隣の部屋に置いてある資料を探しに来ました。

 

押し入れの奥まで、

ガサゴソ、ガサゴソ。

かなり奥深くに入っているらしく、一生懸命探していました。

 

そんな中、同じ広告代理店の女性営業さんが、

撮影の進捗確認にスタジオへやって来ました。

 

僕は普通に仕事をしていたのですが、

隣の部屋から聞こえるゴソゴソという音に気がついたようで、

「誰かいるんですか?」

と聞かれました。

僕が資料を探している制作スタッフの女性の名前を答えると、

女性営業さんは口に手を当て、

用件も済んでいないのに、そのままマンションを出て行きました。

 

いつも少し面倒くさい人だったので、

まあ、いいか。

と、そのまま仕事を続けました。

資料を探していた女性も、その後会社へ戻っていきました。

 

するとすぐに広告代理店から電話。

「今すぐ会社に来い」

とのこと。

緊急ならそっちが来ればいいのでは、

と思いましたが、

素直な僕は広告代理店へ向かいました。

 

到着すると、担当部長からいきなり、

「昼間からうちのスタッフと何やってんの?」

僕、

「……仕事です」

担当部長、

「営業の○○さんが、ゴソゴソ何かを隠す音が聞こえたって言ってたけど」

僕、

「資料を探しに来ていましたね。僕とは別の仕事です」

担当部長、

「○○さんの靴が玄関になかったって言ってたけど、隠してた?」

僕、

「ベランダは砂だらけなので、靴を持って行ったんじゃないですか?」

 

どうやら担当部長と、その女性営業さんの頭の中では、

僕がスタジオに広告代理店の女性スタッフを連れ込み、

昼間から何かをしていた。

そんな壮大な物語が完成していたようです。

 

実際には、

僕は汗だくで指輪を撮影していただけ。

女性スタッフは隣の部屋で資料を探していただけ。

事実は、それだけです。

 

この時、昔のことを思い出しました。

 

日本酒の酒蔵や味噌蔵へ撮影に行くと、

体中に酒精の香りが染みつくことがあります。

2日くらい経って、

お風呂に2〜3回入っても落ちないこともあります。

その状態で別の撮影現場へ行くと、

「昼間からビール飲んでるの?」

「俺もそんな仕事したいなあ」

と、飲んでもいないのに何度も嫌味を言われることがありました。

 

あまりに何度も言われるので、ご期待に添おうと思って、

本当にビールを飲んでから行ったことが2回くらいあります。

 

話をマンションスタジオに戻します。

人間というのは、

目の前で起きていることを冷静に考える人もいます。

 

でも実際には、

目の前にある少ない情報だけを材料にして、

反射的に勝手な物語を完成させてしまう人もかなり多い。

 

隣の部屋から音がする。

女性がいる。

玄関に靴がない。

それだけで、

「昼間から何かしている」

まで飛べるのだから、人間の想像力というのはたいしたものです。

 

ただ、

想像力が豊かなことと、

人を軽々しく疑っていいことは別問題です。

 

僕も説明するのが面倒になったので、

「そこまで疑うなら、今すぐ警察呼んでいいですか?」

と言ってスマートフォンを手に取りました。

すると、それまで勢いのあった女性営業さんが、

 

「待って。勘違いだったかもしれない」

 

と言い出しました。

疑った時は断定。

都合が悪くなったら勘違い。

いつも、こういうやり口でした。

 

軽やかに人を疑う担当営業。

そして、その話をそのまま信じて呼びつける部長。

どちらも、だいたい同じ種類の人です。

こういう人たちと良好な仕事関係を続けるのは難しい。

そう判断して、

その広告代理店とは取引をやめました。

 

あの狭いマンションスタジオを使いこなせるカメラマンは、

なかなか見つからないらしいです。

ちなみに取引をやめてから2年ほど経ちますが、

いまだに仕事の依頼が来ます。

たぶん、何かの勘違いだと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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