
人生を変える断捨離
Amazon(アマゾン)
「蜉蝣火(かぎろひ)──生まれ出づる光のゆらぎ」
凛として、立つ朝──
杉本錬堂ワークショップ in リヒト。
始まりは、まだ闇の深い朝5時。
かぎろひ
しののめ
あさぼらけ
──闇に滲みゆく光の氣配、
──東の空がうっすらと白む頃、
──空気全体が、静かに白み、光が満ちる。
この宇宙の采配を、
ひとつひとつ、
心をかけて、
身体で味わう。
そう、
日常では決して得られない、
**「生まれ出づる光」**の体感。
ところで、「かぎろひ」とは?
誰かが、そっと教えてくれました。
蜉蝣火(かぎろひ)
──蜉蝣(ふゆう)は、もともと、
霊光が水際に立ち昇るさま。
──火(ひ)は、天火(あめのほ)、霊的な光源の響き。
つまり、
蜉蝣火(かぎろひ)= 生まれ出づる光のゆらぎ
ああ、
そうか──。
そう思うと、
これこそが、今の私の有り様。
まだ、ゆらぎの中に。
けれど、確かに、新たな光の芽を、
この胸に宿しながら。
──凛として、立つ朝。
見守る──「息」の交差点にて。
見守るつもりで、
気づけば、見張ってしまっている自分に出会う。
そんな時がある。
見守る
見張る
──このふたつ、似て非なるもの。
見守るは「愛」
見張るは「侵害」
けれど、これ、言葉で言うほど簡単なことではないですね。
頭では分かっていても、
心では、なかなか腑に落ちていかない。
なぜなら──
「見守る」とは、
課題を分かち、「祈りに還す」こと。
「見張る」とは、課題を奪い、
「支配に変える」ことだから。
そして、ようやく氣づく。
この違いを本当に理解できるのは、
“氣”と“霊”の交差点にて、
何度も何度も、「息」を繰り返したときだということに。
出息で、他者の課題をそっと手放す。
入息で、自らの中心へ静かに還る。
──この呼吸こそ、真なる「離」の修練。
断捨離の離
分け隔てるのではない。
切り捨てるのでもない。
ただ──
静かに、返す。
それだけでいい。
それが、私が、杉本錬堂先生から天息法を学び、
そして、啓示を胸に抱いて得た、大いなる氣づき。
杉本錬堂先生とトカラ馬
ーー 整えるのは、デスクじゃない。意識と空気と、そして未来。
断捨離®︎は、ただの片づけではありません。
それは空間を整えることで、
“場”の氣を変え、
“人間関係”を清め、
“会社そのもの”の波動を高めていく、
れっきとした組織変革のメソッドです。
今回ご紹介するのは、
断捨離を本気で導入した企業現場の劇的ビフォーアフター。
🔻社員たちの本音と混乱、そして気づき
🔻変わったのは空間だけじゃない。「働き方」そのもの
社員の顔つきが変わる。
社長のまなざしが変わる。
空間が静かに呼吸しはじめる――
もはや、これは“経営の断捨離”。
📌「片づけ」を通して、
📌「氣」の循環を変え、
📌「人生」と「組織」の進化をうながす。
そんな断捨離の本質を、
どうぞ、あなたの職場でも体感してみてください。
和讃──
響きが、美しい。
ただその音に、心がほどける。
リヒトに、帰ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
その言葉のやりとりに、
迎えてくれる人の笑顔に、
静かに涙がにじむ。
──ああ、これが「和讃」なのだ。
音でも、詞でもない。
ひととひととの響きあいが、すでに“祈り”。
この夜に、ひとさじの感謝を。
━━━━━━━━━━━━━━━━━
◆今日の断捨離
━━━━━━━━━━━━━━━━━
ごきげんさまです。
断捨離のやましたひでこです。
葉桜のソメイヨシノが春の役目を終え、
今は平戸ツツジが咲き誇る季節。
目にも鮮やかなその光景に、
「初夏の氣」が
静かに立ち上がってくるのを感じます。
そう──
あの冬の凍えるような寒さは、もう過去。
ちょうどそれは、
訝しみと憤りに震えていた私の
心の“季節”とも重なります。
いま、私の内も外もほぐれてきました。
次なる未来へ、
整いゆく“氣”を感じています。
けれども、その前に。
離れるべき者と、共に進む者。
その“響きの濃淡”が、
さらにくっきりと、
あらわれてくることでしょう。
破顔にて、失礼を。
さて。
最近、私の中でひとつ、
腑に落ちたことがあります。
それは──
「ごきげんにも階層がある」ということ。
・体のごきげん
・心のごきげん
・魂のごきげん
・霊のごきげん
この四層が、
すべての人の中に在るのですね。
そして断捨離とは、
住まいを整え、環境を整え、
その人全体の“波動”を整えることで、
この「ごきげんの四階層」が、
そっと整っていく道。
だから私、
今も“不機嫌の空間”に飛び込む日々の中で、
この“氣の微細な変化”を、
ますます体感するようになってきたのです。
ということで──
「不機嫌の断捨離セミナー」、
開催いたします。
詳細は、こちらからご覧くださいませ。
↓
セミナーのご案内はこちら
断捨離とは──
空間の整理にとどまらず、
自己回復・自己探訪・自己成長という
霊的プロセス。
空間をクリエイトすることは、
すなわち、
“人生の創造(クリエイション)”なのです。
どうぞ今日も、ごきげんに──
あなたの「氣」の震えを、
断捨離とともにお愉しみくださいませ。
ありがとうございます。
やましたひでこ
⬇️どうぞ、あなたの笑顔の応援クリックを⬇️
What’s danshari ? Let’s danshari ! Viva danshari ♪
9刷重版決定!
ロングセラーですね。
◆やましたひでこ断捨離®︎塾
『断捨離®︎』は、やましたひでこ個人の登録商標です。
断捨離とは、
収納とは根本的に異なる、内的な問いかけ。
断捨離の現場がつづくと──
どうにも、執筆のモードになれません。
結果、ブログの更新も、ぽっかりと空いてしまいますね。
このブログは、私の日課。
飽きっぽい私の人生の中で、唯一、毎日続いている尊い習慣です。
そんな中でも、現場が重なれば、もうひとつ確実に起こることがあります。
それは……我が根城・マンションの部屋が、静かに荒れていくこと<涙&笑>。
はい、散らかりの解消が、どうしても後回しになるのです。
お粗末さま、でございます。
そう、自宅の断捨離の時間が、なかなか取れません。
……とはいえ、それもまた、時には致し方なし。
そんな日々の中で、ふと思うのです。
片づけられないことで、自分を責めてしまう女性たちのなんと多いことか。
でも、それは、怠慢ではない。
忙しさゆえの、当然の帰結。
育児に、家事に、仕事に──
一番後回しになるのが、「片づけ」なのです。
さらに加えて、「片づけ」に対する、深い誤解もあります。
片づけとは、始末。
この「始末」には、三つの位相があります。
整える
しまう
捨てる
多くの人が、片づけとは「しまう」ことだと思っている。
けれど──
モノは溢れ、しまう場所はどこも満杯。
しまいきれぬ状態を、さらに「しまう」ことはできません。
だから、まずは「捨てる」。
そう、断捨離とは、散らかりを責めるものではないのです。
断捨離が問うのは、
無自覚にモノを溜め込む、その「在り方」。
収納とは根本的に異なる、内的な問いかけなのです。
この違いが腑に落ちたとき、
断捨離が、なんとも愉しくなる。
そして、そのあとのお掃除──掃く、拭く、磨く──も、
おのずと動きたくなるのです。
さてさて。
今日も、これから現場へ。
戻ったら、我が根城の散らかりと、
静かに向き合ってみようと思います。
せっせと、動いてまいりましょう。
いってきま〜す。
お城をバックに、川のほとりで一枚。
「さて、ここはどこでしょう?」
──いえいえ、観光旅行じゃありませんってば。
その6時間後には、こちらで記念撮影。
はい、お疲れさまでしたね、ひでこさん。
……いえいえ、疲れていたのは私だけじゃありません。
このお宅のご家族さん。
撮影スタッフのみなさん。
そして、夥しい“モノ”たちと格闘した全員が。
昨夜、ご家族はきっとバタンキューだったことでしょう。
私はといえば、
帰途の新幹線でハイボールをひと缶。
それでようやく、身体も心も緩んで──
東京の根城マンションへ無事帰還。
それにしても、どこの断捨離現場でも思うこと。
「ダンボール箱って、なんて罪つくり。」
あの中にしまってあると、
なんだか“宝物”みたいに思えてくるんですよね。
けれど──
取り出して、広げて、バラしてみると。
そこにあったのは、
とっくに意味をなさなくなった過去の残像。
趣味グッズ。
漫画本。
記憶の切れっぱし。
そして、これもまた…
「プラスチックの収納ケースって、なんて誤魔化し上手。」
生活感に溶け込んでいるけれど、
中身はもう要らないものばかり。
サイズアウトした服。
くたびれたトレンド。
すでに終わった暮らしの断片。
ダンボールも、収納ケースも、
“外側”がちゃんとしていると、つい安心してしまう。
だけど、ほぐして、取り出して、目の前に広げてみると──
「なんで、こんなモノたちのために、
一部屋まるごと潰していたのかしら?」
ようやく気づく。
断捨離とは、気づきの連続。
箱の中に隠された“心のクセ”。
ケースに閉じ込めた“過去の執着”。
そう、それは、
人間にも言えることかもしれませんね。
外見が整っていても、
心の中身を一つずつ開いてみないと、わからない。
やましたひでこ公認
断捨離®️トレーナーたち。
ああ、そうでした。
たしか四期生だったかしら──
その頃の彼らに、私はこう言い放ちました。
「みんな、どんぐり。
比べても、落ち込んでも、妬んでも──
それ、まったく意味ないわよ。」
……そんな言葉を、泣き笑いで受け止めていた彼らも、
今では、立派なブナ林になりつつあります。
そう、仲間同士で励まし合って、
時には嵐に耐えながら、根を張り、葉を広げ、
やがて一本一本が、森をつくってゆく。
『どんぐりたちの逆転!』
〜断捨離トレーナー認定おめでとう〜
(令和二年、第四期生の記録)
そして──
このたび、十期生たちが、新たに羽ばたきました。
まだまだ蕾。
けれど、確かにそこに、色も香りも息づいている。
いつかきっと、
それぞれが見事な花を開かせ、
互いの咲き方を祝福し合えるような、
薔薇園となることでしょう。
🌱どんぐり、蕾
🌳ブナ林、薔薇園
そして私は──
今はまだ、小さな芽やつぼみたちを
少し上から見下ろすように眺めているけれど。
これから先、
どんな気持ちでブナの森を見上げ、
どんな想いで薔薇の園を見渡すことになるのでしょうね。
やましたひでこの断捨離トレーナーたち、
これにて 175名 となりました。
──みなさま、ありがとう。
そして、これからもどうぞ、よろしくね。
講演という舞台──
たしかに、舞台の上には私ひとり。
まるで、やましたひでこの独演のように見えるかもしれません。
けれど、その“ひとり舞台”が成立するまでに、
どれだけ多くの人が、陰で、後ろで、見えぬところで、支えてくれているか。
そのことを思うと──
感謝と畏れが、静かに胸を満たします。
大阪市中央公会堂 やましたひでこ断捨離講演会
この4月。
東京、中国・深圳、そして大阪。
立て続けに続いた大きな講演会。
ステージの裏で動き続けるスタッフの皆さん。
私の目には映らない場所で、黙々と整えてくださる方々。
その数は、きっと私の想像をはるかに超えて──
✦ その期待を、重荷と感じるか
✦ その期待を、エネルギーと変えるか
それが、私の内なる火の整序にもなっているのです。
受付を担当してくれた私の断捨離®️トレーナーたち
講演が終わって、
全身にやさしい疲れが残る夜──
心からの安堵と、湯船に満ちる温もり。
その中に宿る、「ありがとう」という響き。
もちろん、講演後の打ち上げでは、
断捨離®️トレーナーたちとの再会も重なり、
ワインとお料理の美味しさは格別でした。
