できない理由 その3 | 北林ちかこのブログ

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並木道を優しい風が通り抜けるように、自然体で生きたい

おはようございます。

快晴の金沢です。

晴れている…

たったそれだけのことで、気持ちが上向きます。

窓から燦々と差し込む光。

昔から太陽は、崇拝の対象であり、
強さと温かさと光の象徴であり、
明るさと希望を周囲に放射する源でした。

「お母さんは、その家の太陽晴れ 
…なんて
よく言われますね。

家族をつなぐ要であり、
笑顔と優しさで場を明るくする存在。

お母さんが元気でごきげんであったなら、
太陽の輝きも増すというもの、

そのご家庭は、幸せですね。

(いや、別にお父さんが
太陽であってもいいのですが・・・(^^ゞ)
断捨離マラソンfrom金沢


さて、捨てられない理由の続きです。

→ できない理由   

断捨離をしたい…とアクセルを踏み込んでいるのに、
手はサイドブレーキを握りしめている。

そんなことをしていたら、
無駄にエネルギーを使うばかりで、
前には進めません。

断捨離する前から、

ぐったり疲れた経験は、ありませんか?

それは相反する思考と心の綱引きで、

消耗してしまったからかもしれません。

では、なぜ心はNOと言い続けるのでしょうか。

理由は人それぞれです。

高かった、人から頂いた、
まだ使える、もったいない…は、
比較的、分かりやすい理由です。


①高かった。


買った時は、何万円もした。

お給料をためて、やっと買った品。

今は使っていないけれど、
こんな高額なモノを捨てるなんて、できない。

→ 確かにたくさんお金を払いました。

手にした時は嬉しかったでしょう。

手放したら、

もう二度と買えないかもしれません。

将来、そんな経済的余裕がある保証
どこにもないのですから。


②人からいただいた


お土産でいただいた、変な人形。

親戚から届いた、大量の手作り野菜。

ママ友からもらったお下がりの子ども服。

本音を言えば、趣味にあわないし、

量が多すぎて消費しきれないし、

間に合っている。

置き場所にも困るし、ちょっと迷惑。

でも、好意なんだから、踏みにじることはできない。

 旅先で私のことを考えてくれた、
美味しい野菜を食べさせたいと思ってくれた、
うちの子に似合うと譲ってくれた、
その気持ちは、本当にありがたく受け取りました。

気持ちがこもっているモノだからこそ、

不要であっても処分はできません。

そんなことをしたら、
相手になんて思われるか・・・


③まだ使える


モノは大切に使いましょう…と、
家庭でも学校でも教わってきた。

使えるモノは捨ててはいけない。

 モノの処分と心の痛みはセットです。

それが使えるモノなら、
捨てる罪悪感も半端ではありません。

そんな痛みをわざわざ味わうなんて…。


④もったいない


もったいないは正義の言葉

国連でも採択された
インターナショナルな価値観です。

モノを大切にすることは、
国際的に正しいことなのです。

正しいとされることに反する行為は、

自分が正しくなくなるようで、
勇気がいります。

周囲に批判されるのは、耐えられません。


どうでしょうか?(^▽^;)

こんなブレーキを握りしめていませんか?

もう買えないかもしれない怖れ、
相手に嫌われる懸念、

罪悪感や批判されることへの不安。

断捨離は、
モノを通して、そういう不安や怖れと

向き合っていきます。

だから、しんどいし、疲れるし、
ため息も出るし、先延ばしもしたくなります。

でも勇気と覚悟を持って取り組めば、
モノと一緒に、心に巣食う不安や恐れも

手放すことは可能です。

不安と恐れの後には、何が入ってくるのでしょうか。

それは…、自信安心喜び感謝です。

高かった、人から頂いた、

まだ使える、もったいない…の裏には、
不安や恐れがあることは、分かりました。

ここまででも十分ですが、
もしよろしければ、

もう少し深く掘り下げてみましょうか?

つづきます。


断捨離マラソンfrom金沢
リビングの窓から見えるアメリカ楓。

どんどん色が変わっていきます。


おい、おい、どこまで引っ張るの?
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