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いしのだっきゅうのブレたブログ

自由気ままに、書いていこうと思っています。
個人的な見解ですので、気軽に見てもらえれば・・・

わたしは、ASDの発達障害者です。

 

わたしは、発達障害だと診断されるまでは・・・

わたし自身、自分のことを、普通の人間? 普通の性格?だと思っていました。

 

しかしながら、今さらながら、過去を思い返してみると・・・

 

あきらかに、自分自身がおかしい、まわりの人と違っているということに・・・

納得がいくことができました。

 

みんなと違う、みんなが違う・・・と感じ始めたのは、わたしが、中学2年生のときでした。

 

具体的な細かいことなどは、忘れてしまいましたが、当時、仲が良かった、グループの間でも、浮いてきていて、

なんというか、普通に、話したり、おしゃべりしたり、遊んだりすることなどが、楽しいなかでも、苦痛に感じてきたりしていって・・・

 

でも、そんな違和感があっても、一緒にいたりする時間とかは、自分からは、避けたりはしなかったのですが・・・

 

ASDの特徴でもある、固執してしまうということで、逆に、その仲が良かった、グループと特に一緒にいる時間が多くなったりしていきました。

 

それで、中学3年生に進級したときに、その、仲が良かったグループの人たちと、見事にバラバラになってしまい、

受験、思春期、なども重なっていって、中学2年の3学期ぐらいから、自分の性格、感情を抑えていって、気配を殺していったというような流れになって・・・

 

でも、はたから見ると、「だれ1人にも心を開かない」というオーラを身にまとっていたみたいな・・・

 

とにかく、そういう感じで、とくに、10代のころは、悲惨な環境で?過ごしていきました。

 

 

わたしは、ASDの発達障害者です。

 

これは、コミュニケーション能力と関係があるのですが、

 

 

わたしが、20代前半のころ、周りの人たち、年上の人、年下の人、ところかまわずに、タメ口を使っていました。

 

それは、完全に、自分が勘違いをしていて、みんな平等に接するという、謎の自分ルールに従って・・・

 

今思えば、まぁ、今ではなくても、なんという、世間知らず過ぎたことだろうと・・・

 

当時の人たちに、とくに、年上の人たちに、お詫びしても、お詫びしきれない、という感じです。

 

この場を借りて、数々のご無礼等、大変、申しわけございませんでした。

 

それで、その後・・・

 

だんだんと、うすうすと、これは違うぞ・・・という考え方になってきて、

 

今度は、逆に、周りの皆さんに、年上、年下、を区別せずに、全員に、極力、敬語を使うようにしました。

 

タメ口<敬語・・・ということで。

 

ただ、仲が良い人には、話の流れでの、ツッコミの部分だけは、タメ口でやらせてもらうという、個人的なルールを、ちょっとだけ追加させていただきました。

 

この、全員に平等に敬語、という自分ルールは、現在進行形で継続中です。

 

 

それから、「よろしくお願いします。」と、「ありがとうございました。」・・・

 

この2つの言葉は、なるべく使うように心がけるという、自分ルールも追加しています。

 

 

わたしは、ASDの発達障害者です。

 

季節のほうは、秋、まっしぐらといったところでしょうか?

 

でも、体感的には、地球温暖化の影響もあるなか、いろいろと大変ではあります。

 

春夏秋冬・・・最近では、春と秋の季節がないって感じでもあるのですが、

 

わたしの個人的な、体感は、基本的には、とても暑がりです。

 

なので、ここ数年では、今の季節でも、11月ぐらいまで、半袖・・・

12月ぐらいになっても、薄手の長袖一枚・・・とか、

 

発達障害の特徴でもある、感覚鈍麻・・・なのでしょうか?

 

季節の体感温度とは、また別なことなのですが、

 

わたしは、セーター、ニットが、とても苦手でした。

セーター、ニットの肌触りが、幼少期、子どものころは、どうしても苦手だったので、

当時は、一度も袖を通すことができませんでした。

 

これは、感覚過敏なのかもしれません。

 

あとは、食へのこだわり?は、逆になくて・・・

逆になさ過ぎて、昼食は、毎日、同じものを、ここ、2~3年は食べ続けています。

 

これは、感覚過敏・感覚鈍麻と関係があるのかどうかは、分かりませんが・・・

 

ただ、今まで、自分では普通だと思っていたので、周りの人たちからしたら、

やっぱり、メチャクチャ変な特徴なのでしょうかねぇ。