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川崎新田ジム 古橋岳也ブログ

川崎新田ジム所属 古橋岳也のブログ。

ついに始まったボクシング生活!

 

 

今までのモヤモヤが吹っ飛んだんのか、毎日が楽しい!

 

 

というよりもジムに行くのが楽しみになっていたんですね。

 

 

そんな新田ジムでの練習はというと…

 

 

まずは会長も現役時代にやっていたタオルを両脇に挟んで行う回転練習から始まり、縄跳び、シャドーボクシング、サンドバッグ、ミット打ち、シングル、ダブルボール、シャドー、筋トレとこなすわけです。

 

 

書くだけだとかなりシンプルに見えるでしょうが、やるのは全く別!

 

 

まず思ったのが、 3分長すぎ…

 

 

休憩は1分だけかよ…と思ったら40秒!?回復できるわけないじゃん…(うちのジムはインターバル40秒)

 

 

今は当たり前に出来ることが、始めた当時は達成不可能に思えるほど、困難なものばかりでした。

 

 

中でも自分を苦しめたのは縄跳び。

 

 

周りの見てると飛んでても二重跳び。

 

 

他はみんなその場で走るように片足ずつ飛んでるだけ。

 

 

え?この程度でいいんですか?

 

 

と思っていたのは初めの1分だけ。

 

 

「まだ2分もあるのかよ…」

 

「ふくらはぎ切れそうなんだけど、まだ続けんの?」

 

「てか、縄引っかかって全然飛べねえ…」

 

 

初めての縄跳びはこんな悲惨な結果でした。

 

 

小学生の時は遊び感覚で飛んでいたものがこんなにキツかったとは…

 

 

続いてはシャドーボクシング。

 

 

始めたばかりなので、まずはジャブ、ストレート、ワンツーを

前後左右のステップに合わせてひたすら繰り返す。

 

 

同じことをひたすら繰り返すだけなのですが、バンテージを巻いて鏡の前でファイティングポーズを構える。

 

 

もう、これだけで嬉しかったんですよ。

 

 

この時にmixiあったら鏡の前で写メ撮って載っけてたかもしれません。

 

 

ただ、そんな嬉しさが続くのは最初の1ラウンドだけ。

 

 

休憩の40秒の間はずっと挙げていた左腕の疲労抜くのに精一杯で…

 

 

そんな腕パンパンな状態でなんとか4ラウンドをこなすわけです。

 

 

それからサンドバッグ。

 

 

ここからはもう楽しくて、さっきの疲労なんか吹き飛んでしまいます!

 

 

思いっきり殴って良いところ当たると快音が鳴るし、良いフォームで打つと感触が全然違う!

 

 

絶対間違ったやり方だったんですが、楽しくて8ラウンドくらいずっと打ってたんですよね。

 

 

1番楽しかったのはミット打ち。

 

 

孫さんだけでなく、まだ忙しくなかった会長が直々にミット持っていただいたり。

 

 

「お〜!お前パンチあるな〜!」

 

 

なんて言われた時にはそのラウンド中ずっとニヤニヤしながらミット打ちを行っていました。

 

 

その後にはなかなかうまくいかないシングル、ダブルボール。

 

 

それでもやっている自分に酔っていたのか、少しでも上達しているのが分かると嬉しくてたまらなかったんですよね。

 

 

最後には教わった事を思い出しながら復習シャドー。

 

 

こんな感じで学校が終わるとジムに向かい上記のメニューをこなしていました。

 

 

最初はジムでの練習終わるとペットボトルの蓋も開けられないくらいに握力はなくなり、ずっと挙げていた腕はもう挙がらず…

 

 

それでも翌日は筋肉痛のままジムへ向かっていたのですが、数をこなすうちに不思議と身体は慣れるもので、日々の練習も当たり前にこなせるようになっていました。

 

 

ある程度通っていると、孫さんから「そろそろ実践始めるからマウスピースの用意しておこうか」と声が掛かりました。

 

 

さあ、いよいよ本格的な練習が始まります!

前回の続き。

 

 

そして、晴れて高校へ進学したわけです。

 

 

さあ、ここからボクシングを!…と思うでしょうが、実際にボクシングを始めるのは高校2年の直前。

 

 

結局野球への情熱も冷め、野球部にも入らず、何か楽しい事ないかと模索する日々。

 

 

なんの部活にも入らなかった為、学校終わりには友達と遊びに出掛けていたのですが、遊ぶにも何かとお金が掛かるので、近くのコンビニでアルバイトを始めました。

 

 

しかも、そこのアルバイトは居心地良く、勤務日数も自然と増えて行き、アルバイト中心の生活になってしまったんです。

 

 

ただ、どこか物足りなかったんですよね…

 

 

誇れる成績だったとは言えませんが、中学時代は野球という本気で打ち込める物がありました。

 

 

しかし、今はどうだろう?

 

 

そんな物足りなさを埋めるように刺激欲しさから遊び行く→お金が足りなくなる→よりアルバイト入れる…というようなループを繰り返していました(悪い遊びはしてません)

 

 

何の達成感も無く、ただ楽しかったで終わり、明日は何をしよう?と目的も無く遊んでいたので、モヤモヤは日々募るばかり。

 

 

こんな高校生活でいいのかな?なんて思ったり。

 

 

そんな時に再び出会ったのが「はじめの一歩」だったんです。

 

 

アルバイトしてお金もあるし、面白かったから集めてみるか〜、とそんな軽い気持ちで単行本を集め始めました。

 

 

あとはお察しの通り、グイグイとその魅力に引き込まれて行きました。

 

 

消えかけていたボクシング熱に再点火!



それどころか、その火はますます大きく燃え上がっていました。

 

 

もう、読んでいるだけでは物足りず、一度体験へ行ってみることに。

 

 

ラッキーな事に通学路の途中にボクシングジムが出来ていたんです!

 

 

そこが“新田ジム”

(現 川崎新田ジム)

 

 

とにかく近くにある所にしようと考えていたので、早速新田ジムへ体験の申し込みをしました。

 

 

体験へ向かうとそこにはチーフトレーナーである孫さんが待ち構えていました。

あ、間違えた💦

 

 

こっちです!

めっちゃ厳つそう…

トレーナー?選手じゃないの?

 

 

第一印象は申し訳ありませんが、そんな感じでした。

 

 

当時はガチンコなんてテレビ番組もあったので、ボクシング=ヤンキーのイメージが今よりかなり強かったです。

 

 

やっぱりそんなイメージのままなのかな…と若干後悔していましたが、話してみると凄ーく丁寧に優しく教えてくれるんです。

 

 

また、体験中にも会長が話し掛けていただいたり、帰り際にはマネージャーとしばらくお喋りしたり。

 

 

絶対このジム入ろう!!!

 

 

もう、この1日体験で決めました。

 

 

という事で、早速入会案内いただいて記入、提出!

 

 

…のつもりだったのですが、未成年は親の承諾が必要だったんです。

 

 

家に持ち帰り、どうしてもやりたいとお願いしましたが、なかなか受け入れられず…

 

 

それでもしつこくお願いした結果、プロを目指す選手コースではなく、スパーリングをしない一般コースなら認めるとの事。

 

 

「ワカリマシタ」

 

 

と返事はしたものの、当然ながら黙って選手コースへ入るわけですよ。

 

 

だって、なりたいのはプロ!そして、世界チャンピオンだから!

 

 

そして、念願の新田ジムへ入会。

 

 

これが2003年10月の出来事でした。


さあ、ここからようやく憧れていたボクシング生活が始まる!!!

 

 

 

 

 

 

 

キリがいいので次回に持ち越します。

今からじゃなくて始めた時のお話です。



あまりこういう話は自ら発信した事はなかったのですが、自分をより知っていただける機会になればと思い、自分語りしてみます。



自分がボクシングをやろうと思ったきっかけはこちら。


今も続いているボクシング漫画「はじめの一歩」



中学校2年時にこれを読んだのが、そもそものきっかけでした。



その時の自分はというと、喧嘩すらした事なく、賑やかな部類にいたとは思いますが、スクールカーストでいうなればトップ層に入ってるかどうか怪しいポジションにいた、目立ちたくても目立ち切れない痛い奴。



あだ名は分かるんだけど、本名なんて言うんだろ?って人が結構いたみたいです。



もちろん格闘技には興味無し。



そんな中学時代の自分は面白くない授業中に仲間内で持ち寄った漫画を読んでいました。



そんな時に出会ったのが「はじめの一歩」



喧嘩した事も格闘技にも興味無かった自分でしたが、この漫画にどっぷりハマってしまいました。



小学生の頃にちょろっと型だけの空手はやっていたものの、テレビで格闘技やっていたらチャンネル変えるくらいに観るのですら興味無し。



でも、この漫画を読んでからはテレビ放送あれば食い入るように観るほどの変貌ぶり。



観るから実際にやってみたいへ興味が移るのは時間の問題でした。



当然近くにボクシングジム無いかなと調べるのですが、当時は川崎新田ジムが出来ておらず、近くに3つあるジムのどこにしようか迷っていた中坊古橋。



そんな時にヤンチャしたがりな同級生から興味あるなら一緒にやろうぜのお誘いが!



もちろん😃



…と答えたかったのですが、当時は野球部に所属しており、そちらへの熱量もあったのです。



こんな感じでね。


どうしようか迷い、周りにも相談した結果、とりあえず中学の間は野球部に専念し、卒業してから始めれば良いじゃないかという結論に。



今思えば、やる気あったなら相談なんかせずに始めていたのですが、やはりまだ未知のものに対する怖さがあったのだと思います。



それに加えて古橋は絶対無理だよ!とか殴り合いなんかやめた方がいいよなんて周りの意見に流されたりね。


そんなネガティブコンビネーションもあり、中学は野球部に専念しようと決意。


その結果として野球部ではレギュラーでライトの座を獲得しました。
(たまーにピッチャーも…)


その頃にはボクシング熱は冷めつつあり、高校でも野球部に入ろうかどうしようか迷いながら中学校最後の大会を終えました。


ちなみに最終成績は川崎市ベスト8


最後は今もご飯いったりする元日本チャンピオンの齋藤裕太がいた西中原中学校に負けました。



そして、今でも覚えている中学校最後の思い出は卒業式。



自分と帰り道が同じ連中は部活でも活躍していたり、体育祭の応援団長なんかやってたりしてたわけです。



人気ある奴らは同級生、後輩の女の子から


「〜先輩!名札ください!」とか「ネクタイください!」なんて言われるわけですよ。


当然自分も期待するわけじゃないですか。



応援団長は出来なかったけど、合唱コンクールで指揮者やったり、野球部もそこそこ…



そんな淡い期待を抱きつつ、卒業式を終えて校門でみんな集合。



周りは名札、ネクタイはもちろんの事、絶好調の奴はブレザーあげたりしちゃってるわけです。



自分ですか?



もちろんご期待通りフル装備で帰りましたよ。