こんにちは!
高槻市西町の大門ピアノ教室、
講師の大門涼子です(^-^)
需要ある大門のピアノヒストリーです。
サラブレッド、エリート、等から程遠い、町のピアノ教室に普通に通っていた子が、どうピアノに目覚めていくかを書いてみたいと思います。
前回はこちら
中学校へ入り、誰もが運動部へ入部すると思われていた私ですが、ギターマンドリン部に入りました。
姉がここでコントラバスをやっていて、小学校への出張演奏会で来てくれてたのがカッコ良かったんです。
吹奏楽部もあったけど、弦楽器がやってみたいと思って入部しました。
花形はやっぱりマンドリンです。
(ヴァイオンリンのようなもの)
が、
人数や体格の関係でマンドラへ
(ヴィオラのようなもの)
左から、マンドリン、マンドラ、マンドセロ、クラシックギター
当時はやっぱりメロディーやりたい!
若いですからね笑
13歳。ピッチピチですわ。
今はGパンがピッチピチ。
おいしいメロディーは全部マンドリンが。
くっそーーー
そして中2。新入生も入ってくるし再編成です。今度こそマンドリンやりたい
顧問転勤により
まさかの廃部
世の中の厳しさを知る
中2は吹奏楽部の先生が掛け持ちで一応顧問という名でしたが、ほぼ同好会のような感じで、新入部員は募集せず、ギターマンドリンで遊ぼうみたいな、のらりくらり演奏を楽しみました。
顧問の目や厳しい先輩もいなくなり、他のギターなどの楽器も教えてもらったりととにかくゆるーーく遊びました。
マンドリンのどことなく哀愁漂う音色にマッチしたのか、マンドリン・オーケストラには当時ポール・モーリアの編曲がたくさんありました。
なのでこの頃は、恋はみずいろ、涙のトッカータ等の音楽に触れました。
秋の演奏会シーズンは吹奏楽部へ助っ人に行ったりして、吹奏楽の中でパーカッションも経験しました。
ピアノが弾けるのでやはり即戦力の鍵盤に回されます。
ビブラフォン、グロッケン、マリンバ、楽しかったです
このまま遊んでるわけにはいかないので、中2秋以降には正式に吹奏楽部に入りました。
長いものに巻かれとけ~~
中2秋から始めて、中3秋には引退。それだけのためにクラリネットをすることに。
本当はサックスしたかってんけどなー、人数多いから無理でした。
クラリネット、何てしんどい楽器
音出すだけで大変
気持ちよさそうに吹いてるやん笑
あれこれってピアノヒストリーのはず。
脱線しまくり💦
ええと、中学では
中1→ベートーヴェンソナタ、ツェルニー30、インヴェンション後半
中2→モーツァルトソナタ、ツェルニー30?40?、シンフォニア
中3→ショパンワルツ、ツェルニー40?、平均律
こんな感じで進めてたと思います。
合唱コンクールは毎回伴奏してました。
1つ上の先輩でどうやら音大を目指してるらしいという人がいて、とてつもなく上手って噂でした
ほうほう、音大ってやっぱりすごい人が行くんやなー。
そんなとてつもなく上手らしい人が頑張って入るくらいやから、大変な世界やな
程度に認識していたと思います。
その頃、小学校の時に共にピアノを頑張ったY子ちゃんとは文通(時代ですね)が続いていました。どうやらショパンの革命のエチュードをやったりと、私とは異次元の世界に行ってしまわれたようでした
高校編へ続く