こんにちは!
高槻市西町の大門ピアノ教室、
講師の大門涼子です(^-^)
コロナ関連で大変な時期なので気休めに。
需要ある
大門のピアノヒストリー今日から始まります笑
サラブレッド、エリート、等から程遠い、町のピアノ教室に普通に通っていた子が、どうピアノに目覚めていくかを書いてみたいと思います。
大阪のはずれの方に、真面目な父と音楽が好きな母の元、3人目の子どもとして育ちます。
父は音楽とは無縁、
母は色んなジャンルの音楽が好きで、やれママさんコーラスだの、シャンソン、ハーモニカ等色々習いに行ってました。
家ではいろんな音楽が流れていたと思います。
当時は大手音楽教室全盛期、クラスのほとんどの女子がピアノを習ってる時代です。
上2人ももれなく大手音楽教室に通っていて、幼稚園くらいの私はそれに付いて行っては退屈に過ごしていました。
そんな環境なので物心ついた時には既にアップライトとエレクトーンが家にありました。
(↑ここは恵まれてる)
やっぱり上2人がピアノを弾くので、弾きたくなります。
弾けもしないのにピアノを触っていて、弾けもしないので雑音そのものだったそうな。
私も習いたい!と言い続けたらしく
(↑記憶にない)
でも母は上2人の送迎等でいぱいいっぱい
そして一番下の子(←私)は、
特に歌が下手
この子は素質が無いだろうと、しばらく習わせてもらえませんでした。
いやぁ、、、私としては歌は楽しく歌っていた記憶しかないのですが、それがまさか下手だったなんて、
今でも何かの間違いでは
と信じられません笑
あまりにも習いたいとしつこく?言ったのか、年長の春から近所のピアノ教室に通うことになります。
上2人の大手音楽教室グループレッスンとは違って、いきなりの個人レッスン笑
子どもの足で歩いて3~4分ってとこでしょうか。
もちろん一番下の子なので放置。ずっと1人で通っていたような気が。
(母よ、記憶違いならごめんなさい)
やっと習えるピアノが弾ける
ルンルン
は、子どもですもの、長くは続きません。
すぐに練習しない日々が来るのです
続きはまた明日以降