こんにちは!
高槻市西町の大門ピアノ教室、
講師の大門涼子です(^-^)
需要ある大門のピアノヒストリーです。
サラブレッド、エリート、等から程遠い、町のピアノ教室に普通に通っていた子が、どうピアノに目覚めていくかを書いてみたいと思います。
前回はこちら
5年生で隣のクラスのピアノが上手なY子ちゃん(ピアノの良きライバル、と勝手に思っていた。相手には、相手にされてなかったと思う)と同じクラスになり、仲良くなりました。
ピアノで遊ぶのが楽しくなったのもこの頃です。
Y子ちゃんはいつも私よりも先に進んでいて
(↑当たり前)、
耳コピが上手でTVで聴く曲をすぐに伴奏付けて弾いてくれました。
ツェルニー30とソナチネに入った頃、姉のおかげで、宿題になる曲ほとんど知ってる!ツェルニーは昔からずっとやっていたので好きだったから楽しい。
指は動いた方だったので
(↑はい、3回目。もうええか笑)
なのでこの頃は純粋にピアノを楽しんでいました
練習したと言うより、楽しくてたくさん弾きました
Y子ちゃんに追いつきたいというのもあったし、やればどんどん進む達成感も良いなと。
(↑やっとです。)
まあ、何より本当にピアノを弾くのが楽しくなったんです。
何ということでしょう
あれだけ練習しなかった子が、小5でいきなり練習するようになったではありませんか
ツェルニー前半やソナチネ序盤は宿題に出されてから最初のレッスンで少し訂正を受けて、同時に次の曲を譜読み、次の週には合格。
というペースでどんどん進みました
小1~小4の毎週鍛えられた初見演奏力、姉のピアノを聴いていたのが大きく後押ししてくれました。
Y子ちゃんとの差も徐々に少なくなっていき
ノリに乗ってる私を見て、ピアノの先生が
「ソナチネ3番でコンクールに出てみない」
と勧めてくれました。
えコンクール
あの、めっちゃ上手な子たちが競い合うとんでもない世界へ私がでも3番はオクターブがたくさん出てくるので自信がないのも事実。
(手が小さく、壊滅的に固いので高学年になってもオクターブが安定しなかった。そして今も然り。。)
↓1楽章。音削られてますな。
↓3楽章。これも届かんのかーい💦
ドキドキして、帰宅後母に伝えました。
「先生がコンクールに出てみないかって」
「あんたなんか無理に決まってるやろ。コンクールなんて指から血ぃ出しながら一日何時間も練習してる子が出るもんや。」
バッッッッサリ
親の言葉の影響力はすごいです。
そうか、私なんかがやっぱりコンクールは無理か。今まで練習せーへんかったくせに、ちょっと最近よく弾いてるからって調子乗ったらあかんな。。
自分でも3番のオクターブが弾ける気がしなかったので、これ以上何も言いませんでした
でもこれ、あかんと思うんですよね~
例え無理ってわかってても、子どもがやりたいって言ったら挑戦させてあげてほしいと思います。
小5?小6?の涼子ちゃん、少し凹みながらも、この頃には合唱の伴奏は私とY子ちゃんでよくしていました。
当時はオーディションも無く、学校の先生が「これ次やるから練習しといてー」って渡されるだけでした。
まあ、そこに私も入れたので弾ける子認定には届いていたわけです。(何たって2クラスしかない田舎。小6には2人転校して1クラスになりました)
そして、
まさかの、、
小6の終わり、、
Y子ちゃんの転校
気軽に会えない距離
このまま一緒に中学に行って、ずっとピアノで遊べる友達だと思ってたのに
次、中学校編へ続く~