私たちにはどうしても、

気持ちがのらない時があります。

 

単に気が向かないというだけなら

まだしも、

 

それが病のレベルに近づくほど、

身体の健康とは無関係に

動くことができなくなってきます。

 

それこそ、

ドアの開閉も

食事をとるのも、

苦しい。

 

何より、

動くこと自体が苦しい。

 

ただひたすら、

横になってじっとしていたい。

 

鬱の一歩手前ですね。

 

私もそんな状態に何度もなったことが

たびたびありました。

 

そんなとき、

 

お医者さんやカウンセラーから

「ゆっくりと休みなさい」

と伝えられて、

 

ひたすら眠っている、

お酒を飲んでリラックスする、

働かない、

 

といった方法を取ることも

あるのかもしれません。

 

ですが、ここではあえて、

こうお伝えしたいと思います。

 

それは心が動かない時にも、

体、そして感情は動かしてみよう、

ということです。

 

心と体はつながっているのだから。

 

ポイントは二つ。

大きく動かそうとしないこと。

 

そして、

地道に継続すること。

 

喝を入れるのではなく、

地味に、地道に、

まあ、これだけはやっておこう、

くらいのイメージで、

 

少しだけでも散歩したり、

ご飯を作って食べたり、

風呂に入ったり、

一度だけでも誰かに微笑みかけたり、

一行だけでも書類を書いてみたり、

 

何でもいい。

 

凄いことしたり、

大笑いを演出したり、

陽気にふるまったり、

バリバリ仕事こなす姿見せたり、

 

そんなことなんかじゃない。

 

今の自分に注力して、

最低限やらなければいけないことや

昔の日課を、

 

小さく区切って、

一つ一つ行っていく。

 

そういうことです。

 

すぐに変化はないかもしれない。

 

でも、ある日気が付いた時、

あれ、なんかちょっと

やれるようになってるぞ、

 

と思えるようになる。

 

もう一度言います。

 

体が動かないなりに、

外に出て歩いてみましょう。

 

ジョギングしてみましょう。

買い物してみましょう。

 

部屋を片付けてみましょう。

料理を作ってみましょう。

 

ちょっと映画を見て

笑って泣いてみましょう。

人に会って挨拶をしてみましょう。

週末に出かけてみましょう。

空を見上げてみましょう。

 

体は動かないかもしれない、

気持ちは暗く固まったままかもしれない

 

でも、動き出すのはその時なんです。

 

治ってから、ではなく、

気持ちよくなってから、ではなく、

気持ちよくなる前に動くんです。

 

それは自分を生きるための

コツのようなもの。

 

かけがえのなさを実践する

ポイントなんです。

 

本当の意味で、

自分を大切にすることなんです。

 

それじゃこれまでとかわらない?

 

いや、違います!

自分を抱きしめながら動くんです。

 

問題を抱えて

身動きが取れなくなっている状態とは、

 

これまでの生き方、自分への接し方に、

 

強烈に反論し、

反感を持ち、

拒否しようとする自分が

 

今自分の中で暴れている状態です。

 

それを、遠ざけたり、

無理やり押さえつけたり、

なすがままにされるのではなく、

 

折り合いをつけながら、

今の生活を自分の心と体を使って

維持するのです。

 

成長した感じはしないかもしれない。

でも、実は、

一番自分を貴んでいる行為なのです。

 

理想はと言えば、

こうなる前に対処する、ですね。

 

でも、それができなくて今があるなら、

それもまた私の一部、あなたの一部、

生き方になってしまっていると思うのです。

 

その生き方が出ているときに、

そこに溺れず、絡めとられず、反発せず、

受け入れながら、

 

そうではない生き方を実践してみよう、

 

そういう提案です。

 

地道だけど、

繰り返すうち、

自分の一体化が進み、

自分と相談しながら生きる術を獲得し、

大きく変化した自分になっています。

 

千里の道も一歩より。

 

 

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私たちは与えられた環境の中で

生まれ育ち、

 

日々起こる出来事や他者の言動の解釈、

自分の感情の受け止め方などを

学んできました。

 

それによって、

大人になってからの人生が苦しい人もいれば

そうでない人もいて、

そこには、如何ともしがたい運や

無意識の作用が含まれていたでしょうし、

 

それを無視して、

今が苦しい、

と嘆く時間は、

 

苦痛以外の何ものでもありません。

 

その痛み、

その苦しみ、

 

それも自分ばかりでなく

大切な人々との関係をも蝕むことが

きちんと認識されるのなら、

それを何とかしたいものですよね。

 

少なくとも、私はそうでした。

 

何かを頑張って成果を出せば、

何かを得れば、

何かになれば、

 

その痛みや苦しみは薄らぎ、

 

良い経験、

良い人生、

良い気持ちを勝ち取れる、

それまでの人生を逆転できる、

 

そう思ってきた。

 

けれど、ある時、どこかで、

そこに大きな疑問符を持ってしまった。

 

それが凄まじいショックのためなのか、

他の何かのせいなのかはわかりません。

 

そして、

その疑問と今起きている苦痛へ

対処する方法、

 

いくつもある試みの中で、

地味ではあるけれど、

もっとも簡単にできること、

もっとも自分に身近にできること、

もっとも確実にできること、

 

そして、幾ばくかの時が

経過した後も続いていれば

 

おそらく間違いなく

自分のための成果が出ること、

 

それがこの“棚卸”だと思ったのです。

 

かつて自分に与えられた環境の多くは

人為的なものです。

 

良い雰囲気も

悲しい光景も

耐え続けた時間も

思わず耳を抑えたくなるような言葉も

 

皆、人の中で生み出されたものです。

 

良し悪しはともかくも、

人はそうやって

1次的な人格を形成されます。

 

逆に言えば、

その後で異なる環境に身をおいて、

 

自分を苦しめている影響を取り除き

(心理学用語で“脱学習”といいます)

 

身を置いた環境で

必要な要素を取り入れる。

 

それを行うことで

閉ざされていた自分を

受け入れられるようになるはずです。

 

そのきっかけ作りであり、

気付きをもたらし、

世界を変えていく方法

 

それが、棚卸です。

 

自分を大切に生きていくということは、

自分自身を日々“魔法にかける”ことを

繰り返しているのだ、と私は思います。

 

私たちは、常に自分で自分を

“魔法”にかけ続けて

この世界を生きている。

 

絶対、など存在しないこの世界で、

これは間違いない(だろう)と

“魔法”にかかり、

 

それを真実であるかのように生きている。

 

その“魔法”が、

自分に寄り添ったものか、

自分を否定するものか、

 

それが生きづらさの分水嶺になっている。

 

それは自分で変えられることを

多くの人が知れば知るだけ、

自分の納得を得られると思うのだけど。

 

 

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カウンセラー、セラピストに限らず、

問題にはまり込んでいる他者を

助けるためにできることとは

どのようなことなのでしょうか。

 

こんなときはこうする、

といったマニュアルがあるわけでは

ありません。

 

最初に、私なりの考えを書けば、

それは愛情と関心を持つこと

と考えています。

 

つまらないというか、

そんなことしか言えないのか、

と思われるかもしれません。

 

しかし、ほんとうに、

それ以上でも以下でもない。

 

専門的な方法として、

ロールプレイやヒーリング、

認知行動療法などを

クライアントに提供する場合も

あるでしょう。

 

ですが、

一つ一つの言動の是非は脇に置き、

その本質は、

目の前の相手に対して、

 

愛情と関心を持つこと、

持ち続けること、

これに尽きると思うのです。

 

好悪の情を含め、

感情を率直に感じつつ、

素の相手を受け止めながら、

 

彼は・彼女はどんな人だろう、

何を考えているのだろう、

どんな人生を望んでいるのだろう、

 

などと関心を持ち続ける。

 

それ以上のこと、

例えばカウンセリングの技法などは

大切ではあるけれど、

ごく付随的なことに過ぎないように

思うのです。

 

おそらく、それ以上の“何か”を

与えようとしたところで、

実は些細なことに過ぎなかったり、

どちらでもよかったりするものです。

 

時には逆効果だったりすることも。

 

では、

私自身が他者である誰かに対して、

通り一遍の説明をする教科書にはない、

もっと琴線にふれ、

もっと欲する生き方を提案できる、

そんな方策というものは

あるのでしょうか。

 

結局のところ、それは、

自分独自の経験や感性から湧き出てくる

言葉を紡ぐことにつきる、

 

そしてそんな形で伝えられた関心こそが、

勇気づける感情を芽生えさせる可能性を

与えられると考えるようになったのは、

 

肉親の自死による混乱と

ダメージを専門機関で対処してきた

後のことでした。

 

誰が、も、誰に、もない。

 

当人が持っている資質を最大限にいかして

その人自身のために生きていける

ようにするためには、

 

自分がそうであった「事実」と

その時に信じていた「想い」、

それらを専門的な知識と併用して、

 

自分の言葉で誠実に語るしかない、

と考えています。

 

 

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「責めやすいところだけを責めて、

被害者を続ける人間と

圧倒的な力を持っている存在に甘い、

という人は、

駄々っ子のようなものです」

 

心理カウンセリングの勉強と並行して

何かのセミナーに通っていた頃に、

その時の講師か誰かから聞いた言葉です。

 

インターネット上で匿名のまま発信する

輩の無責任さを指して、

批判した際の一節だったような

記憶があります。

 

 

家族が壊れてしばらく

混乱の日々を過ごした後、

心理の世界にたどり着いた私は、

 

自分のことを被害者だ、と

思っていた時期がありました。

 

それも、単なる感情論ではなく

心理の学習の結果なのだから、

これはまごうことなき事実なのだと、

激烈に思い込んでいました。

 

それにより混乱が収まり、

罪悪感が減ったものだから、

局所的に楽な感じになるとともに、

 

父母にも、社会に対しても、

徹底して非を突きつけたい衝動に

駆られていた時期です。

 

自分を被害者だと位置づけると、

自分が悪者ではない

新しい世界が開けてきます。

 

ああ、自分は間違っていなかったんだ。

悪いのは彼らだったんだ、

ならば自分はもう

苦しまなくてすむはずだ。

 

悪者が別にいて、それは自分ではない。

 

書いていて残念ですが、

それが若かりし頃の私が

率直に感じていたことでした。

 

周囲も世界も味方だと捉えるようになり、

落ち込む心を“鼓舞”して

笑顔を作りこんで接していくと、

 

周囲もまた仲間に

加えてくれるようになります。

 

しかし、

自分と付き合う自分、

これからもつき合い続ける自分にとっては、

そうではありませんでした。

 

ある意味では

それまで以上の地獄になってしまいます。

 

理由はただ一つ。

 

自分以外の誰かを悪者にしたところで、

歪み荒れ狂った自分、

混乱した自分はずっと

そこに残ったままだからです。

 

彼(彼女)は、

時に自分を攻撃し、

返す刀で周囲に腹を立て、

最後は自分自身を貶めてしまう、

という自分との接し方を

放置されたまま、

 

途方に暮れ、

笑うことも、

楽しむことも、

話すことも、

喜ぶことも、

 

これまで以上に、

自分の外側の基準に沿って

行うようになります。

 

そしておそらく、

自分がそんな状態、

つまり自分の感情と行動が

自分の内側でなく

外側の基準にあわせていることにさえ

気づかないまま、

 

周囲から見たら笑ったり楽しんだり

しているように見えながらも、

 

どこかで溺れかけ、

これまで以上に苦しむ

自分ができあがってしまうのです。

 

不思議ですよね。

 

自分が悪かったから混乱している、

と思っていたのが、

 

悪者が別にあって

自分は問題なかったんだと

霧が晴れたと思ったら、

 

実は何の解決にも

なっていなかったなんて。

 

自分を含めた誰かを悪者にしておくのは、

都合がいいことです。

 

なぜなら、

その時の状態を正当化できるから。

 

そして、

ゆっくりと自分が蝕まれていきます。

 

実はこれ以上に

自分を痛めつける見方・考え方は

ないんですね。

 

駄々っ子と称しましたが、

これほど苦痛にのたうち回る存在もない。

 

他者、ことに親を、

一時的であるのならともかくも、

悪者にし『続けて』は、

いいことなどありません。

 

どうか、

自分をそうしてしまっていないか、

振り返ってみてください。

 

 

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混乱し、問題と考えるものに

日々心を押しつぶされそうになり、

やりきれなさと絶望感に

取り込まれている人は

 

何をどう考え、感じ、

行動することが正しいのか、

その基準を欲します。

 

ダイバーシティ(多様性)が

うたわれて久しいですが、

 

人のあり方、生き方、働き方、

そういった多くの“生き様”のようなものが、

 

より個人に即したところまで

浸透している世の中で、

 

私たちはともすれば

今よりもっと自分に合った、

自分が楽に生きられるような

場所、方法、考え方があるのではないかと

考えています。

 

そして、その土台として、

正しいことは何だろう、

 

今の自分が取り込まれている

不安や苦痛を消して、

もっと自分が納得いく生き方を

できるような考え方、思想、基準とは、

いったい何だろうと考えます。

 

一気にすべてを解決する

処方箋というものはなかなかないですが、

心と体の歪みが、

その状況を作っていることは明白です。

 

自分を蔑む、

人を蔑む・怖がる

 

その裏返しに、

自分を尊大に見せる

 

そういった自分を

粗末に扱う場所に居続ける

 

自分ができることをやらない

弱くなる

弱くなるとは、

自分は無力だと思い込むということです。

 

これらに対して、

基準となる対処方法、

それは、一言でいえば、

 

自分に『大切なこと』をする、

自分が『大切なこと』をする、

自分を『大切なこと』にする、

 

ということです。

 

例えば、

 

心と体はつながっているのだから、

最低限のコンディションを

整えることは大切です。

 

自分を受け入れ、

おかしいと感じたことは

素直に変えようとすることは大切です。

 

目先の益やメリットを求めるより、

自分が大切だと思うことを

実践することは大切です。

 

自分がかけがえのない存在、

素敵な存在であると

伝え続けることは大切です。

 

自分の根っこにある想いこそが

『大切』の基準になります。

 

愛情、愛着、望み。

 

おそらくは、

感じられなくなって久しい状態を

感じられるようにするために、

 

いくつものシーンの自分と

出会い続け、受け入れ、一体化すること。

 

胸を締め付けられるような想い、

鼻の奥がつんとするような涙、

忘れたくない記憶、

 

そういったものを皆が持っているはず。

 

もしかしたら、

それは幸福や感動ではなく、

切なさに起因していることだって

あるかもしれません。

 

それでもやはり、

あなたがもっと

あなたを『大切』にするための

『大切』な想いであるはずなのです。

 

体に入ってこないこと、

理屈っぽいこと、

そういったやけに“正しいこと”に

振り回されないようにしましょう。

 

当ブログの内容も含めて。

 

それはあなたにとって、

“正しくないこと”かもしれないのです。

 

ある意味、

自分を大切にするとは、

寂しさと隣り合わせになること

かもしれません。

 

でも、その中には

あなたと『大切』な人々が

生きたいと願う想いが

隠れているはずです。

 

自分を『大切』にする基準というものがある、

そして、

その基準に沿って生きていくことが、

かけがえのない自分を

生きていくことなんですよね。

 

 

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一緒にいて楽しい人と落ち着く人、

 

あるいは、

 

つながりの最初が楽しい関係の人と

弱みや苦しみを共有する関係の人

 

魂的なつながりを必要としない人と

それを大切にする人。

 

前者を友達、

後者を仲間と呼ぶとすると、

 

友達と仲間が異なる人もいれば、

同じ人もいます。

 

一部が重なっている人もいる。

 

片方はいるけれど、

もう片方はいない、

 

または、

 

意識したことがない、

 

という方もいるでしょう。

 

どちらが、どれがいいとか悪いとか、

という話ではありません。

 

一見、

仲間の方が友達より

高尚であるかのように

読めるかもしれないけれど、

 

そんなことはありません。

 

どちらも大切。

 

ただ、

 

恒常的に抱えている、

生きづらさや行き詰まり感が

孤立を招いていたり、

 

自分一人で抱えることに

無理を感じているとき、

 

寄り添ってほしい人を

友達という関係に求めるには

限界があります。

 

いえ、そういう人を『友達』と

呼べばいいのかもしれませんが。

 

他者に甘えすぎることなく

自立した対処を実践していく上では、

仲間がいるといいですね。

 

仲間は、

慣れあったりだべったりするに

は不向きですが、

 

互いが同じく共有する価値によって、

独立して生きていくことを見守りあい、

信じてくれる関係になりえます。

 

読まれて感じる通り、

仲間という関係だからこそ

弊害となる可能性もあります。

 

ある種の宗教や、

自己啓発でつながった人の関係は、

そういうところに陥りがちである

現実を見せてくれています。

 

ですが、

私たちは人の関係の中に

恐れを見出して、

 

なかなか根源的な部分で

つながろうとしなくなっている、

という側面もあると思います。

 

私自身もそういうところがあったし、

今だってある。

 

私とお話しする方々もまたそうです。

 

なので、

心のこと、生きること、家族や人の関係、

自分を受け入れられていない人が感じる

否定感などで人を求めてしまう、

 

そんな心境になっている人は、

友達ではなく仲間がほしいのだと

理解してください。

 

自分が欲することを

自らに明確にしておくことで、

その先の行動や反応が変わってきます。

 

友達と仲間。

 

繰り返しますが、

どちらがいいというものでもありません。

 

友達は友達で、いるといい。

仲間も同じ。

自分に合った人とのつながり方を

考えてみましょう。

 

 

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『新世紀エヴァンゲリオン』に

世代という概念がどこまで通用するのか

わかりませんが、

 

かなり広い年齢層で楽しまれている

作品なのは間違いないと思います。

 

2021年に最後の作品が公開されましたが、

きっと老いも若きも好きな人は見たはず。

 

私も立派な?おじさんですが、

しっかり見ました。

 

ちなみに私はこんなのを見ると、

思わず吹き出してしまう世代です。

https://www.owndays.com/jp/ja/news/gundam2-char

 

私がエヴァを見だしたのは

カウンセリングの勉強をしていた時期で、

今世紀に入って少ししてからのことです。

 

20世紀の終わりに始まって以来、

流行っていたことだけは

知っていたのですが、

 

再放送があることを知って

特に期待もせずに見てみたら、

面白くて、

琴線に触れる部分がずいぶんありました。

 

エヴァの監督である庵野秀明さんは、

作品を作りながら、

自殺をはかったり、

もう死ぬとつぶやいたりしていたそうです。

 

抑うつ的で、

結構追い込まれていたんですね。

 

彼のことが頭の片隅に残っていたのは、

その昔ジブリ映画『もののけ姫』について

読んだ宮崎駿さんのインタビュー記事で、

 

「憎しみは何も産み出さない。

庵野にはそれを言っているんだけどね」

 

というニュアンスのコメントを

見つけたからです。

 

エヴァという作品とともに、

庵野さんの心の葛藤にも

興味があったんですね。

 

米国でアカデミー賞候補にも

ノミネートされた『もののけ姫』。

 

この作品では、

森の守り神である動物神が、

怒りや憎しみで祟り神に変質し、

人に祟りを及ぼすようになっていきます。

 

森を破壊する人と

人を襲う森の住人(神)の構図は、

互いにとっての善と善が衝突し、

憎しみを加速させます。

 

怒り、憎しみは、誰にでも芽生えるけれど、

相手が悪い、の一言で

善を絶対化して対立したとき、

憎しみの連鎖は起こる。

 

ほんとは、

この感情にどう対処するかによって

その後の人生は変わっていくわけで、

その寓話的な物語でもあるわけです。

 

そんな怒り・憎しみの感情と

エヴァの監督の心の状態がどう繋がるのか、

何となく気になっていた、というのも

興味を持った理由だと思います。

 

パッと思い出すだけでも、

以下のようないくつもの場面が、

 

カウンセリングかメンタル治療の場で出る、

シーンや言葉と重なる感じがして、

 

それがずっと私の記憶の片隅に

焼き付いているんですよね。

 

「逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ」

シンジ君が自分に言い聞かせているのは、

ホントは何に対して?

 

襲ってくる使徒は何を意味している?

 

無数に替えがきく存在として描かれた

綾波レイ。

人のモノ化として現実に置き換えると

どう表現できるか?

 

綾波レイが生まれた部屋が意味するものは?

 

碇ゲンドウの幼稚さと身勝手さは

どこからきている?

 

ミサトのトラウマが意味するものは。

 

ビデオ版で綾波レイが最後に言った

「あなたと会えてよかった」の意味は?

 

最後のエヴァを見終わった後、

あらためてそんなことを考えました。

 

きっと、

マニアたちの間では語り尽くされた

話題なのでしょうね。

 

 

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相談にのったり、

自分の悩みを専門性を生かして

対処しようとしていて、

 

たまに

「あ~、心の中を写すレントゲンがあると

いいのになあ」と

思うときがあります。

 

そう思いませんか。

 

なんなら、

胃カメラならぬ心カメラでもいいんだけど。

 

心カメラって、どんな感じになるのかな。

 

心の痛みの質を色で、

強度を濃度で分類し、

体全体のどのあたりで生じているかの

分布とともにモニタで示し、

 

痛みの変動周波数を測定して、

時間変化のグラフとともに画面端に表示、

 

解析から脳の海馬のあたりと

同期している結果と、

 

クライアントが現在抱える問題、

および書いてもらったジェノグラム

(個々人の家族構成を祖父母や

曽祖父母の代くらいまで遡って

記載したもの)情報とから

総合的に診療し、

 

必要な薬と心の持ち方、

日々の生活習慣などを一通り

所見として出力するようなシステム。

 

そんなシステムがあるといい……かなあ。

 

…………………………

 

本当にあるといいかなあ?

 

…本当にそんなシステムがあって、

購入するお金があったとして、

私は購入するだろうか……

 

きっと、

最後まで購入しない口だろうなぁ……。

 

このシステムで痛みの場所がわかりますよ、

というメッセージは、

 

痛みの裏側に隠れた望みを

何も満たすことなく、

痛みどもども消し去ってしまいかねない

 

……そんな気がするんですよね。

 

子供のころ、国語の授業か何かで、

悩みを取り除く機械の話を

読んだことがあります。

 

詳細は忘れましたが、

以下のような話だったような。

 

ある先生が作った箱型のその機械を、

悩みを持った人に頭から

すっぽりと被せると、

 

どこからかは忘れましたが

悩みが砂となって流れ出てきます。

 

砂が流れ終わり、

かぶせた箱を取り除くと、

 

箱をかぶせられた当人は

とてもすっきりして、

ルンルン気分で帰っていきます

(ルンルンとは表現されていませんでしたが)。

 

ある時、

その機械を作った先生自身が

箱を被ることになりました。

 

先生が箱を被ってしばらくすると、

砂が流れ出しました。

 

砂はそれまで箱を被ったどの人よりも

長く流れ出続けます。

 

やがて砂は、

先生の姿も飲み込んでしまっても

まだ流れ続けていました。

 

結局、

悩みを解消する機械を作った先生自身が

もっとも悩みをため込んでいた、

という落ちだったような記憶が

シュールな感覚の名残となって残っています。

 

大人になってから、

安倍公房氏の『赤い繭』と重なりました。

 

 

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2027年のラグビーワールドカップの

組み合わせが発表されました。

 

前々回の2019年の大会で、

日本代表が決勝ラウンドに向けて

勝ち上がっていく予想外の姿に、

多くの日本人が興奮しました。

 

自国とかひいきのチームや個人が

勝つ姿を見るのは

やっぱり嬉しいですよね。

 

映画やドラマでも、

社長になったり、玉の輿になったり、

世界チャンピオンになったり、

何かと下克上的な物語は受けがいい。

 

もっとも、そこには必ず、

パターンがあるわけですが。

 

物語の中にいるときはそれなりに

幸福な気分に浸ることができても、

 

意識が現実に戻ると、

そうとばかりも言っていられない人が、

現実には少なくないようです。

 

日々襲ってくる苦痛。

これまで生きてきた中で

受けてきた、感じてきた、多くの苦痛。

 

仕事がうまくいかない、覚えられない、

夢がない、つまらない

働くこと、批評されることがつらい

夫婦関係が苦しい、一緒にいたくない

友人関係が苦痛だ

収入が少ない

将来が真っ暗だ

自分は低能、屑、卑怯だ

過去の怒り・恨みが離れない

 

多くの人は、感情を占有する苦痛を

何とかしようとして悪戦苦闘します。

 

外側を変えようとするか、

自分の欠点や欠陥を

否定して変えようします。

 

そして、

その痛みを緩和するために、

冨や名声のような代償を得ようと

することをゴールとすることもあります。

 

狙いは何でしょう。

 

自分の中の何かを

満たそうとすることでしょうか。

 

自分をそう足らしめた者たちへの

意趣返しでしょうか。

 

抑圧されてきた自分らしさを

世間や周囲に知らしめるためでしょうか。

 

誰に、何を、どうやって、

結果がどうなったら、

満足なのでしょう。

 

苦痛は、事実でしょう。

それを否定しても仕方がない。

 

でも、苦痛の元を追っていき、

そこにある感情を認識して、

直接何とかしようともがいたところで、

その感情を変えることはまず不可能です。

 

その昔、感情は屁みたいなものだ、

と聞いたことがあります。

 

「せめて“大気の流れ”くらいの表現しろよ」

と内心思いましたが、

 

自分の体から出てくるものであることを

考えれば、

あまり認めたくないけれど

絶妙な表現の気もします。

 

アパホテルの会長の名言に

「入れたものしか出てこない」

というのがありますが、

もちろん、屁もその一つですね。

 

感情も同じなんですよね。

 

人や世の中の何かを(体を媒介して)

心に取り込んで、

 

自分の中で消化吸収し、

湧き出てくる感情を作り上げているわけです。

 

入れるものと

吸収する心の機関というか

組成を変化させていかないと、

出てくる感情は変えようがありません。

 

そこに気づかない限り、

出てくる感情に翻弄されて苦しいまま、

 

世に成功と言われる何かを求める

“代償行為”に走り、

また感情の沼へ。

その繰り返しではないでしょうか。

 

行き詰って、苦しんで、

自分も大切な人も

幸福とは感じられない日常にあるのなら、

1つだけ確実なことがあるはずです。

 

それは、

今の自分に対して何らかの

変化を望んでいるということ。

 

もう一度問います。

 

誰に、何を、どうやって、

結果がどうなったら、満足なのでしょう。

 

誰の、何が、どうなって、

結果がどうであれば、満足なのでしょう。

 

変えていくために、

自分がやることは何でしょう。

 

今までそれがうまくいかなかったとしたら、

何がおかしいのでしょう。

 

もう機能しなくなっている

何かがそこにないでしょうか。

 

心も体も動かなくなっても

既存の価値を求めて、

鞭打っているところは何でしょう。

 

自分に優しくすることは、

人にも社会にも優しいということ。

 

自分を認めるということは、

人も社会も認めるということ。

 

そうなったとして、

自分はどうしているでしょう。

 

そうしたとして、

自分はどうなっているでしょう。

 

自然に、

自分を認めてあげるように自らに働きかけ、

人や社会を大切にするように

自分ができることで

貢献していこうとしていませんか。

 

大逆転=ひっくり返すことがあるとすれば、

それはあなたが幸せに気付くことだけでは?

 

えっ?

 

そんなこと知ってる?

 

そうかもしれないけれど、

実践できていないのでは?

 

だって、

自分を呪い続けてるんだから。

 

えっ?

 

いつもいがみ合っているけれど、

大切な人々が不幸なままで

自分だけ幸せになれるはずないって?

 

いやいや、順序が逆ではないですか?

 

自分呪うのやめて、

自分の中を満たして、

自分がよくなっていくように、

 

自分を受け入れ続けてください。

 

あなたが勝手に変わっていくと、

周囲もその影響を受けるようになります。

 

あなたの大切な人々も変化しだしますよ。

 

 

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友達が欲しい、という人がいます。

 

そう言われて、

「では、あなたの方から

話しかけていきましょうか」と

ひとまず提案します。

 

案の定、「それはできない」

という答えが返ってきます。

 

ハードルが高い人には

ハードルが高い行為。

 

私も似たような状態の時があったので、

とてもよくわかります。

 

たかが声をかけていくことができない、

そんなメンタリティにまで

落ち込んでしまうときがあるんですよね。

 

そんなときは、

無理に動こうとしないで

少し心を休ませているのがいいのだけど、

 

寂しさが優先されて

おかしな方向へ活動しては勘繰ることを

繰り返してしまう人も少なからずいます。

 

友達は、必要なものでしょうか。

 

いればありがたいかもしれないけれど、

いない人、

とても少ない人はいかがでしょう。

 

恋人もそうだけど、

寂しいから、欲しいから、作る、

といった類のものではないと思うのです。

 

寂しさは、

個々人の環境に訪れた自分自身の

深い部分とつながるための

心の“友達”。

 

『その時の自分といかに寄り添うか』こそが、

その人自身の友人関係を

決めているように思うのです。

 

決して、数の多寡などではありません。

自分が追い求めるものが、

自分の中から湧き上がる、

 

もっと世界を知りたい、

もっと世界とつながりたい、

もっと世界にとけこみたい、

もっと世界を楽しみたい、

もっと世界に好きを知らせたい、

 

そんな思いだったとすれば、

そこに当てはまるもう一人の誰かと

出会うんじゃないかな。

 

 

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