町に暮らしているせいで
そう感じるわけでもないのだろうけれど、
アスファルトや
コンクリートブロックの隙間に
小さな草花が咲いていると、
何となく目が行きます。
ほぼ全ての人は素通りするし、
目についた私も別に
それを見つけたからといって、
人ごみの中で突然しゃがみ込んで
じっと見入ったりはしません。
でも、
社会人になりたての頃、
こんな場所、つまり、
アスファルトやコンクリートの隙間に
生えている草花に見入っていた、
そんな時期があったことを覚えています。
★
当時住んでいた町の駅から
自分の住む部屋までの往復に
古い空き家が並ぶ裏路地があって、
コンクリート塀と
玄関へ通じるブロックタイルの間に
数滴の緑を固めたような小さな雑草が
生えている場所がありました。
仕事帰りによく、
そこに咲く小指の詰めよりも小さな花に
見入ってしまい、
小一時間ほどもそんな場所に腰を下ろして
本を読んだり、煙草をふかしながら
ぼんやりと座っていたものです。
本当に、何をするわけでもなく
ただひたすらそこに座り込んでいた
普段着の若造の姿に、
家路を急ぐサラリーマンや主婦などの
通行人が奇異な視線を向けたけれど、
そんなことも気になりませんでした。
そういう視線に反応する気力もないほど
心の中のある部分が
弱り果てていたのでしょう。
自分が座るすぐ脇に、
まさにこの世の誰にとっても
どうでもいいような草が
彼らにとって悪条件であるはずの
人工的な空間に存在して、
時に小さな花を付けて
自分の横で生きている、
そんな状況に
奇妙な親近感と落ち着きを覚えていました。
原家族がおかしくなって、
そのことにダメージを受けながら、
何もすることができずに
ただいじけて腹を立てて、
感傷に浸っていた、
そんな自分にとって、
そこは、当時、
居場所と感じていた数少ない場所でした。
これは久しく忘れていた光景です。
傍から見れば
その光景は、そして当時の私は、
暗くて、
孤独で、
ある意味危なくて、
独りよがりで、
人によっては近寄りたくない
若造だったと思います。
そして、このことを思い出した時、
私は、
当時の私、
今よりずっと若くて、
格好悪くて、
一人孤独だった私のことが
気に入ってしまいました。
私の感性、
私の思い込み、
私の独りよがり
私が大切にしていた存在の歪み、
悲壮感、
被害者意識、
そういった諸々を抱えて昇華しきれずに
生きづらさの中にもがいていた私自身が
あまりに身近に感じられたのかもしれません。
それは
今のこの自分につながる
私にとってのとても大切な存在なのです。
私が私である以上、
そんな一時期を過ごした当時の私は、
決して自分の一部として外すことのできない
存在で、
それが今を取り巻く世界とのつながり方の
根っこの一部にあります。
もしまた、
この部分の私を見失ったり遠ざけたりすれば
自分にとって何が大切で必要かという
私自身の基準と
かけがえのない自分という存在の一部をも
見失ってしまい、
それを思い出させようと
闇の世界が現れるはずです。
過去の私の物語は、
話して受けるような、
そんな類のものでないことは
読んでいただいた通りです。
今回の話などはその最たる一つで、
当時の私自身が、
自分に対して素直に認められないまま
そう感じていた感情でもありました。
リア充の方から見ればきっと、
「暇人だよ」
の一言で片づけられてしまうでしょうね。
そうかもしれません。
何をする気力も湧かなくて、
ただそうやっていても生きていられる、
そんな生活ができていたのですから。
今わかることは、
そう感じていた自分が
どれだけ自分自身を
世の中の基準で批評していたか、
ということです。
元気が出ないまま
自分なりに取った行動に対して、
そんな行動をした自分を忌み嫌うことなく、
一緒に寄り添いながら、
自分がなぜそうしているのかを
自分自身に問いかけ続けることで、
自分のそれまでの歩みと
今の自分にとっての
最も大切な解が得られるのですが、
そのことを体得するまでに
ちょっとばかり時間を要してしまいました。
自分の内側から湧き出る力で人生を生きる
MDL(My Dear Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください
https://nakatanihidetaka.com/meeting/
個人の相談はこちらへどうぞ
https://nakatanihidetaka.com/business/