もともと不安定だとは感じていたけれど、

父母の関係が終わり、父が家を出て、

原家族がおかしくなっていき、

 

そのうち、

 

一人が自らこの世を去り、

もう一人も後を追いかけたり、

ということを経験するうち、

 

生きること自体にとてつもなく息苦しさを

感じるようになっていた時期がありました。

 

食事も仕事も人と会うことも、

まるで機械のように日常を繰り返すことで

毎日をやり過ごす感じ。

 

その時は、“これから先”のことについて

考えることもありませんでした。

 

余裕がなかったと言えばそれまでですが、

 

おそらくそれをやってしまったら、

いくつもの蓋をしていたことに

気づいてしまう怖さを

無意識にわかっていたからでしょう。

 

もう社会人になっていましたが、

そういう意味では心の中は

多分に子供のままで、

 

だから、

 

この苦痛の理由は現実社会の方にあって、

世の中は自分に対する敵意で満たされていて、

自分はそこからの脱出を試みるべきだ、

 

と妄想していたことさえありました。

 

きっと、その方が当時の精神衛生上では、

都合がよかったのかもしれません。

 

その考え方のおかしさに気づいて

すぐに自分らしく生き生きと生きられるように

なればいいけれど、

 

実際に自分の身に起こったことは

元気を失うことでした。

 

いざ行動を起こそうとしても

その度に気持ちが萎えてしまうのです。

 

もう何というか、

動こうとするとため息が出るばかりで

体が反応せず、

 

やっぱり何もできないんだ、

とあきらめの感覚に襲われてばかり。

 

今から振り返れば、

それまでの自分の生き方を貫いて、

何某かの結果を出し続けることで、

 

原家族、なかんずく

父と母が幸せになってくれる

そう思い込んでいたのだから、

 

それが全否定される結果を

目の当たりにして、

 

深いふかい無力感に陥ったのも

仕方なかったのかな、と思います。

 

世の中のせいにもできず、

自分を修正する結果も出せず、

ある意味で一番危険な状況だったかもしれません。

 

何が足りないんだ、と

動かない心と働かない頭を使って悩んだ末、

動き出すことができるようになったのは、

 

足りないものなどないと

気づいた後のことでした。

 

足りないものがあるとすれば、

足りている自分を信じられず、

自分の中に既にあるものを使って、

自分自身として生きていこうとする

姿勢そのものだったということです。

 

いつ頃から足りないなどと

思うようになったのか思い返すと、

もともとがそういう生き方だった、

というのもあるけれど、

 

これまで生きてきた時間が

実は嘘だったのか、と

思い込んでしまった瞬間に思い至ります。

 

幸せだった時間をフェイクに見立てることで、

大切なものを失った衝撃を和らげようと

無意識が取り計らった結果、

 

心身の致命傷はギリギリのところで

避けられたかもしれないけれど、

大切な感覚を見失ってしまったのです。

 

 

同じような場所にいる方へ。

 

私たちが自分らしく生きるためには、

“感じられる自分”を取り戻さなければ

なりません。

 

生きるということは、

自分自身にとっての幸せを感じ続ける旅だ、

と私は考えています。

 

その結果紡ぎ出されるものを

自分の宇宙と呼ぶならば、

宇宙はその感覚なくして

成り立たないのではないでしょうか。

 

それはかつてあったし、

今だっていくらでもあるはず。

 

自らの内に泉のようにわきあがる

“ささやかな”しかしあなただけにはわかる

感動や満たされ感をしっかりと感じ取ることです。

 

そのためには、

 

怖くても小さくてもいいから、

もう一度、一歩を踏み出してみてください。

 

今のこの状況は、

自分の力が及ばないことが原因でなってしまった

不本意な結果かもしれません。

 

それでもこれを、自分自身で選択した結果だと

受け止められるようになると、

変化が始まります。

 

感じないようにしよう、

その方が楽になるし傷つかなくて済む、

そうしないと生きていくことが苦しくなる、

 

そう思って、

徐々に心を閉じてしまったのかもしれません。

 

もしその位置に留まり続けているのなら、

もうそろそろ終わりにしませんか。

 

今ある、日常、生活、人の関係を、

急激に、劇的に変えることはできません。

 

しかし、自分がどう受け止め、

どう振舞い、

どのように次の行動につなげていくかは、

 

自分で選択することができます。

 

繰り返しになりますが、

私たちは選択する力を持っていて、

 

これまでの“結果”は、

そういう選択の蓄積によって導かれた

“結果”です。

 

この“結果”は言い換えれば、

自分を見失った自身が、

どこかに間借りした世界ではないでしょうか。

 

本来自分がいる世界を自分の宇宙と呼ぶなら

それを取り戻しましょう。

 

呆然と見つめて儚んでいる必要なんて

さらさらないんです。

 

 

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