遠い昔、1980年頃のことです。

 

NHKの銀河テレビ小説なる番組で

『優しさごっこ』という作品が

放映されていました。

 

夜、お風呂からあがって居間に行くと

必ずその番組が流れていて、

両親がいがみ合うこともなく

見ていた記憶があります。

 

ドラマは、母親が家を出て行って、

父親と娘の二人暮らしぶりを素朴に

綴ったものです。

 

当時は、

(何が面白いんだろう)と感じつつ、

それでも何となく画面を眺めていました。

 

大人になってその記憶を思い出し、

やはり何となく気になるものだから、

 

古本を取り寄せて小説版を

読んでみたことがあります。

 

内容は記憶にあるドラマより

もう少しシリアス感が強いものでしたが、

 

読んでいて自分の大きな勘違いに

気がつきました。

 

題名から、優しいふりをし合うことの

嘘くささを描こうとしていたと

ここでも何となく思い込んでいたのですね。

 

こんな明確な言葉で

意識したわけではないけれど、

子供の頃にテレビを見ながらすでに

そう思い込んでいたのでしょう。

 

それに気づいたときは、

なんとも歪んだ見方をしていたのだな、と

我ながらあきれたものです。

 

作品の中では、家族一人一人が

自分にとっての優しさとは何か、を

考えて生きようとしていました。

 

離婚して、自分の道を歩もうとした母親と、

大切な娘の子育てに骨折りを惜しまない父親、

大好きな父親と二人三脚で日々を生きる娘。

 

皆が与えられた時間と人の関係の中で、

できることをして生きている。

 

本当のところは作者に聞かないと

わからないけれど、

 

この作品が1977年初版の

『児童文学』であることを知って、

驚きました。

 

『親が別れてしまったために、

不幸になった子供がいる。

 

しかし、

 

親が別れなかったために、

不幸になった子供もいる』

 

表紙についていた帯だったかに

そう書かれていました。

 

私の両親は毎日泥仕合の衝突を繰り返した末、

父親が家を出て行き、

家族の形が変わりました。

 

お互いが感情を押し付けあいすぎて

生きることの息苦しさを体現したような

夫婦でしたが、

 

このドラマのことを思い出し、

また、

両親の年齢になって、

 

彼らなりになぜ自分たちがそこまで

苦しいのか、

 

その理由を知りたかった、

知ろうとしてあがいていた、

 

そして、

自分の世界を良いものにしたくて、

懊悩していた、

 

のだろうな、と思います。

 

当時は子供の立場にいて、

彼らが互いを傷つける

日々の言動に苦しみましたが、

 

大切な関係を、大切な存在を、

ただ破壊するために生きていたはずもないと

今ではごく当たり前に受け止められています。

 

家族の形が崩れ、

一人は自らこの世を去り、

とても哀しい時間を通りましたが、

 

一つのドラマを思い出したことで、

両親の本音を振り返ることができました。

 

願わくば、彼らなりに自分たちを

もっと許してくれていたら、と

今でもそう感じます。

 

 

自分の内側から湧き出る力で人生を生きる

https://nakatanihidetaka.com/

 

MDL(My Dear Life)の概要を知りたい方はこちらへお越しください

https://nakatanihidetaka.com/meeting/

 

個人の相談はこちらへどうぞ

https://nakatanihidetaka.com/business/