嗜癖=アディクションという言葉があって、

モノや行為に溺れることを意味します。

 

その、モノや行為がないと、日常が回らなく

なるくらい依存していて、

 

しかし、当人は「そんなことないよ」と

思っていて、

 

その間に、

お金や私語や人間関係がおかしくなっていく、

という性質のもので、

 

行き過ぎたアルコールや買い物(借金)や

ギャンブル、ゲームなどは依存の典型で、

今では日常的にニュースにも登場します。

 

どのあたりからを依存症と呼ぶかはともかく、

ゆっくりと、しかし確実にその人の内面を

蝕んでいくもので、

 

今では依存の対象は、

 

テレビを見続けること、

スナック菓子を食べ続けること、

常に恋人を求めること、

 

など、

 

その行為が

 

自らの内面に潜む寂しさや怖れ、

自己肯定感の欠如などの

本音と向き合うことを避けるため、

 

自尊心の人工透析的に扱うもの全てを

指すようになってきました。

 

 

心が疲れてしまった方に向けて、

『癒し』の必要性が唱えられて久しいですが、

何となくひっかかることがあります。

 

癒しはひたすら与えられるもの、

と思われていることと、

癒しに対する嗜癖的な匂いを感じる

せいなのかもしれません。

 

癒しを求めること自体はよいのですが、

それがないと生きていけない、となると

穏やかではありません。

 

そう、

癒しは求めればいいと思います。

 

ただ、なぜ必要か、

その結果どうなることを望んでいるか、

そのために自分ができることは何か、

 

といったことを明確にしないまま、

セミナージプシーならぬ

癒し求めジプシーでいるのはもったいない。

 

残念ながら人類はまだ

心を映し出すレントゲンを発明しておらず、

 

優れたカウンセラーは

相談者から表出する言動を暗喩として捉え、

気づきのヒントを抽出しています。

 

思うのだけど、癒しの本質とは、

誰かに分かってもらうことではない

のではないでしょうか。

 

わかってくれる人は実は周囲にたくさんいて、

かといって彼ら彼女ら全てが

わかってくれたとしても、

 

本当の意味で癒されることとは

目の前にいくらでも存在する他者の言動や

手持ちの何かをヒントに、

 

自分の中に自分を理解・共感し、

感動できる自分を

作り上げることでしかないと思うのです。

 

つまり、自分を肯定する自分を

内在化することですね。

 

癒すと言っても色々あるわけですが、

ともかくも、これが有効に進むと、

自己の肯定感が確実に上がるようになります。

 

では、内在化とは何かというと、

頭(思考)と皮膚感覚(感情)の双方が

有機的に合わさって、

 

胸に去来する情動として

自分の中にしっくりと納まること、

ということでしょうか。

 

いずれにしても、

そうやって再構築されたあなたの心、世界観は

それ以前より、柔軟性を兼ね備えて

ずっと丈夫になっていると思います。

 

 

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