大切な人。

 

ほとんどの方にとってそれは、

親や兄弟姉妹などの肉親であり、

伴侶や恋人、無二の親友だと思います。

 

大切である人々との関係に苦しむことは、

誰にとっても避けたいもの。

 

その一方で、

肉親であれ、長い付き合いであれ、

人と人とが緊密に接するということは

 

意見の食い違い、気持ちのすれ違い、

時には大きな衝突の可能性を孕むことも

当然ながらあるでしょう。

 

そうやってことが起こった結果を踏まえて、

 

新しい関係を築くなり

別の道を歩むなりと言うこともまた、

起こりえるでしょうし、

 

それを一つの分岐点として

新しい人生を歩むことになるのであれば、

 

それもまた、

その人らしさを形作る道のりかもしれません。

 

ただ、関係が近いほど、

そういった割り切りが難しいのもまた

世の常だと思います。

 

 

大切な人との関係を良いものにしたい、

良い関係を続けたい、

というのは誰もが願うことでしょう。

 

ただ人によっては、

その関係を維持するために

自分自身の言動が、そして日常が

おかしくなってしまっている人もいて、

 

しかもその人はそのこと、

つまりおかしくなっていることと

自身の言動がリンクしていることに

気づきません。

 

自分の本音とはあまりにかけ離れた

態度や言葉の選択は誰もが経験するかも

しれません。

 

そうは言ってもこの場ではね、

と言った感じで。

 

しかし、

 

それが無意識のうちに行き過ぎてしまい、

自分や取り巻きの不利益を被らせてしまう、

となってくると話は穏やかではありません。

 

例えば、典型的な例として

アルコール依存症の夫を支える妻や

その家庭で育つ子供などが

 

必死に家庭を維持しようとする時に、

該当するわけですが、

 

このような専門的、医療的症例でなくとも

日常の中でいくつでも例は見つかります。

 

仕事を維持するため、

恋人に見捨てられないため、

当座のお金を得るため、

友人の輪から外されないため、

消えてなくなったものを未だに守ろうとするため、

 

無用の長物と化した努力をしたり

(私がそうでした)、

 

ものの見方を思い切り歪めて受け取ったり、

発言したり、行動したり、

 

半ば破綻したはしゃぎ方をして、

内面を誤魔化したり

(鬱病を隠す典型です)、

 

ともかく傍から見れば明らかに

奇妙に映ったり、迷惑なだけだったり、

といったことを日常的に行っていて、

 

しかも当人からするとそれらの行動は、

自分に嘘偽りなく取ったものと思い込んで

行っていたりします。

 

このような行動や解釈を

メタファ(暗喩)と言います。

 

一見おかしく見える言動の裏には

隠れた意味が存在していて、

その意味は当人だけがわかる、

 

しかも当人にとっては、

大切な人との関係を維持するための

最重要なミッションだったりするわけです。

 

私たちは大人になって、

他者の助けを借りながら、

何とか自分の足で人生を歩みます。

 

当然、苦しいことや辛いことは

誰にでも起きるわけですが、

 

そんなとき、

無意識に大切な誰かと繋がることで

当座の不安を和らげたいと感じるのは

人の性でもあるのかもしれません。

 

しかし、その関係を維持することそのものを

目的にすり替えて、

大切な人に人生を預けることは、

 

結果としてあなただけでなく、

その大切な相手をも蝕んでいくことに

なってしまいます。

 

大切な人、愛する人と

適切につながるためにできることは、

拙かろうが、不安だろうが、

まずは自分と自分との関係を最重要視し、

そこから湧き出でてくる理解と想いをもとに

生きようとすることに尽きるのではないでしょうか。

 

 

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