この記事は、穂吉のブログの「2012-12-28 16:32:33」にUPした『日本の神話228. ~第四部 大和朝廷~ =第二一章 雄略(ゆうりゃく)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話227』
この回も、大君、大長谷命(おおはつせのみこと)
(雄略天皇(ゆうりゃくてんのう))様の御世のお話しです。
三重の采女(うねめ)が
大長谷命様より沢山の褒美をいただいたのと、
同じ、新嘗祭(にいなめさい)の宴の席の事のことです。
天皇、大長谷命様は、
春日の袁杼比売(をどひめ)様に、
そなたも歌ってみなさいと、所望され
袁杼比売様は、お歌を献(たてまつ)りました。
『やすみしし 我が大君の 朝とには い倚(よ)り立たし
夕とには い倚(よ)り立たす
脇机(わきづき)が下の 板にもが あせを』
(『我が大君が、朝に夕に寄りかかる、脇息(きょうそく)の下の板に私はなって、いつも大君のお側に居たいです。』)
と、お歌いになられるのでした。
その後、天皇は御年124歳でご崩御あそばし、
御陵は、河内の丹比高鷲(たじひのたかわし)に
今もなおございます。
- 追 記 -
春日の『袁杼比売(をどひめ)』様は、日本の神話225「金鉏の丘」で登場した、隠れてしまった女性の事です。
なお、ここからは余談なのですが、『雄略天皇』の皇后、『若日下王(わかくさかのおおきみ)』様の、兄君の『大日下王(おおくさかのおおきみ)』様が、亡くなられたことを覚えていらっしゃるでしょうか?
参照:
「日本の神話207 大日下王と根臣1」
「日本の神話208 大日下王と根臣2」
「日本の神話209 大日下王と根臣3」
この3話に、お亡くなりになるまでの経緯が記されています。宜しければ、もう一度読んでみてくださいね。
この時、皇后の兄である『大日下王』様を陥(おとしい)れた、『根臣(ねのおみ)』には、「古事記」には記載されていませんが、後日談があるのです。
雄略天皇が、大陸の呉国の民を大和に入れたことも、「日本の神話217 雄略天皇1」の部分で記しましたが、その呉人の長旅の慰労会から、とある事が始まるのです。
それをここで紹介したいと思います。
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【とある夏の事です。『雄略天皇』は、 『根臣』に命じ、大陸から渡って来た 「呉人」たちの長旅を癒す宴を催させたのです。
『根臣』は、ご自分が采配を振るう大事な宴の席で、「押木珠縵(おしきのたまかずら)」という宝を頭に飾り出席いたしました。
この「押木珠縵」の美しさは、宴席であっという間に評判を呼び、『雄略天皇』の耳へも届きました。
評判を聞かれた天皇も、早速その宝をご覧になり、とても美しいと心を動かされ、皇后の『若日下王(わかくさかのおおきみ)』様にも是非見せてやりたいと、この宴の席へ呼ばれたのです。
楽しげに宝を眺められた皇后は、どうしたことか、突然、大粒の涙を流しその場に伏せられてしまいました。
天皇は驚き、『いかがいたした?』そうお尋ねになったのです。
すると皇后は、『あの髪飾りは、私の兄、『大日下王(おおくさかのおおきみ)』が、『安康天皇(あんこうてんのう)』へのご命令を承(うけたまわ)って、私を雄略天皇へ嫁がせると、お約束をするためにお贈りした、我が家の家宝の「押木珠縵」 でございます。『安康天皇』は、兄の贈り物がお気に召さず、あそこに居る『根臣』へと下げ渡された上に、無残にも私の兄を処刑したのでございましょうか・・・』
そう皇后は、涙ながらに天皇にお話しされたのでした。
それを聞いた『雄略天皇』は、たいそう驚いてしまわれました。
ご自身の兄である、『安康天皇』から聞いた話しと、今、皇后が涙ながらに訴えた内容が、全く違っていたからです。
天皇は、直ぐに『根臣』を呼びつけると、「押木珠縵」をどうやって手に入れたのかと問い質(ただ)しました。
すると『根臣』は、真っ青になり、逃げることも隠れることも出来ぬと悟り、 真実を話すのでした。
『「押木珠縵」が余りに見事なので自分の物にしたくなり、『安康天皇』へ偽りを話し、『大日下王』を亡き者にいたしました。』と、真実を申し上げたのでした。
天皇は激怒し、『根臣』をその場で処刑したのです。さらに以後、『根臣』の一族を、家臣としての登用を一切禁じられたのでした。】
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という内容です。
どうでしたか? 胸がスッキリされましたか?
さて明日からは、『第22代 清寧天皇(せいねいてんのう)』に入ります。
宜しかったら、また読みに来てくださいませ
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。