この記事は、穂吉のブログの「2012-12-07 16:32:59」にUPした『日本の神話207. ~第四部 大和朝廷~  =第二〇章 安康(あんこう)天皇=』という記事を再編成してUPしています。



最初のお話し 『日本の神話01』     前回のお話し 『日本の神話206』




先の天皇、

男浅津間若子宿禰命(おあさづまわくごのすくねのみこと)

(允恭天皇(いんぎょうてんのう))
様のご崩御後に、

皇太子であった、木梨軽王(きなしのかるのおおきみ)様に変わり、

穴穂命(あなほのみこと)様が

石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)にて

天の下をお治めになられ、

のちに、安康天皇(あんこうてんのう)と呼ばれます。



さて、ここからタイトルの、

大日下(おおくさかのおおきみ)根臣(ねのおみ)』が始まります。



安康天皇は、弟君の

大長谷命(おおはつせのみこと)

(後の雄略天皇)(ゆうりゃくてんのう)
様のために、

坂本の臣の祖先の、根の臣(ねのおみ)

大日下(おおくさかのおおきみ)様の元へと遣わして、



大日下様の妹君、

 若日下(わかくさかのおおきみ)様を

 大長谷命様のお妃にしたいと、

 安康天皇からのご命令でございます。』



そう、天皇のお言葉を伝えさせたのでした。

すると、大日下様は非常に丁寧に、



『妹には、このような有り難き、

 縁談もあると思いまして、

 外には出さず、大切にしてまいりました。

 天皇のお言葉に従いましょう。』



そう仰られたのでございました。



- 追 記 -

石上穴穂宮(いそのかみのあなほのみや)」とは、奈良県天理市の田町もしくは、田部あたりだということです。

ここに出てまいりました、『大日下(おおくさかのおおきみ)』様とは、『仁徳天皇(にんむてんのう)』の御子様のお一人です。
穂吉の以前の記事での紹介では、『波多毘能大郎子(はたびのおおいらつこ)』様というお名前で登場しています。
幼少の頃のお名前が、『波多毘能大郎子』で、成人されてからのお名前が『大日下』のようです。

そしてその妹君の『若日下(わかくさかのおおきみ)』様も、幼少のころのお名前は、『波多毘能若郎女(はたびのわかいらつめ)』様として登場しています。

参照までに・・・『日本の神話185「仁徳天皇1」』を、宜しかったらもう一度読んでみてくださいませ。




ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

おしまい。
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