この記事は、穂吉のブログの「2012-12-17 16:36:47」にUPした『日本の神話217. ~第四部 大和朝廷~ =第二一章 雄略(ゆうりゃく)天皇=』という記事を再編成してUPしています。
最初のお話し 『日本の神話01』 前回のお話し 『日本の神話216』
先の天皇、
穴穂命(あなほのみこと)(安康天皇)様がお亡くなりになった後、
安康天皇の末の弟の大長谷命(おおはつせのみこと)様は、
長谷朝倉宮(はつせのあさくらのみや)にて
天の下をお治めになられ、
のちに、雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と呼ばれます。
この天皇が、仁徳天皇(にんとくてんのう)の皇子の、
大日下王(おおくさかのおおきみ)様の妹で、
若日下王(わかくさかのおおきみ)様を皇后といたしましたが、
御子はありませんでした。
また眉弱王(まよわのおおきみ)様と共に自害をした、
円大臣(つぶらのおおおみ)の娘の
韓比売(からひめ)様との間には、
白髪命(しらかのみこと)(後の清寧天皇(せいねいてんのう)(第22代天皇))様と、
若帯比売命(わかたらちのひめみこ)様の
御二柱がお生まれになられました。
また、この天皇の御世には、
呉国(くれ(ご)のくに)(大陸の南方)から
人民が渡って参りました。
そしてこの呉人を安住させる為に、土地を与えました。
その事により、その地を呉原(くれはら)と
呼ぶようになったのでございます。
- 追 記 -
「古事記」において、素性のわかる、『雄略天皇』の御子様は、記事にあげた 『韓比売(からひめ)』様との間の、『白髪命(しらかのみこと)』様と、『若帯比売命(わかたらちのひめみこ)』様の御二柱のみです。
(しかし3代後の『仁賢(にんけん)天皇』の皇后には、この『雄略天皇の皇女、春日大郎女(かすがのおおいらつめ)』様というお名前が出てまいります。)
と云う事で、古事記において『雄略天皇』の御子様は、1柱の皇子と、2柱の皇女の合計3柱であろうと思います。
(「日本書紀」には他に、『磐城皇子(いわきのみこ)』様と、『星川稚宮皇子(ほしかわのわかみやのみこ)』様が出てまいりますが、「古事記」では出てきません。)
「呉人」に土地を与えた『呉原(くれはら)』とは、今の奈良県高市郡の一部だと云う事です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
おしまい。