ぼく自身、ギャンブルは嫌いですし、パチンコは一切しない人間なんですけどもパチンコがなんであんなに儲かってるのかとか人を惹きつけるかとか、そういうパチンコ店の商売的な仕組みとかにはメチャ興味があります。

それにパチンコの聖地である板橋の大山で育った身ですので。


会社の同じデスク島に『パチンコ店の広告代理店出身の人』が新人としてやってきて、メシに行ってパチンコについて熱く語る機会があったので書いてみようと思った次第です。


彼と話すうちに『マルハンがいかにスゴイか』というテーマで盛り上がりました。

みなさん、マルハンをご存知でしょうか?

吟遊詩人ブログ

和田アキ子をCMに登用して『7がつく日はマルハン』でお馴染み、【7の日】で成功したパチンコ店です。

今やパチンコ店といったらパチンコしない人でもマルハンは知ってるという感じでしょうか?

マルハンがここまでメジャーな存在となり、勢いをつけ、進出してきたのは彼曰くここ数年の話といいます。

彼曰く、マルハンがここまで大きく成功したのはパチンコ店としては全国初で大々的に全国にCMを和田アキ子でうち、多くの人に【7の日】には出玉が多いマルハンと強烈に印象付けたから、

そこで飛躍したということでした。

そこで全国的に知名度を一気に上げ、
一気に店舗展開して【広告で成功した会社】だということでした。


他にも、他のパチンコ店とは違うマルハンならではの工夫された取組みを教えて貰いました。


◎店舗はキレイに明るい照明を徹底し、高い金で最高級のプラズマクラスタを多数設置し
 居心地のいい空間を提供する

◎店に入ったら四方八方あらゆるところ(灰皿、小物に至るまで)にマルハンのロゴとマルハンのマークがあり、
 一度来た客に強烈にマルハンのブランドを刷り込むだとか

◎店の外観・フロントのデザイン、店の前のディスプレイの話

◎昼時には腹を減らした人がメシに行ってそのまま帰ってこないことが多いから
 グレープフルーツの柑橘系の香り(空腹を和らげる効果)を流し対処するとか



結構、他社にはない工夫に工夫を重ねた部分があるようです。



さてさて、わたしは【広告で成功した会社】のくだりがどうしても納得できておりません。

【広告】で成功する会社など無いと思っています。
どんなに広告で成功しているように見えるサービスでも、そこは本質じゃありません。

サービス自体に大きな成功の秘訣があったのだろうと気になり色々調べてみました。


いやースゴイ。。。

ちょっと昔までヤクザ者とかが運営にからんでる薄汚い博打の場所というイメージだったパチンコを徹底的にビジネスまで昇華させTDLさながらのテーマパーク(言い過ぎ?)にまでしたスゴイ会社さんでした。


マルハンが初めから一番、力を入れたのは仕組みや小細工でもなく、広告でもなく結局は【人材】でした。
徹底的に人材を教育したみたいですね。今も現場の人材育成にはTDL顔負けの徹底した仕組みを取り入れてます。

創業時からの逸話はたくさんありますが、まず現場の人材のサービスレベルを上げることをどこよりも徹底して、教育し、それである程度の規模にまでなってます。なんだかんだ、マルハンほど徹底して人材教育してるパチンコ店はたぶん無いんじゃないでしょうか。

キレイな身なりは勿論のこと、店員は一流ホテルのドアマアンやウェイターのように懇切丁寧かつ礼儀正しいです。

おしぼりを渡すときは必ず腰をかがめ、客が気持ち悪がるほど、パチンコ店としては常識じゃ考えられないほど礼儀正しく親切に接客してくれるでしょう。


店内には店員の名前が全て張り出されており、客から『誰々の接客がよかった』という投票でランキング制のグラフまで作られております。

そこまで居心地のいい空間を提供することに徹底しているので客は多少負けても「まぁいいか、また来よう」と思ってくれるのかな?


わたしの持論ですが、例外はあるかと思いますが大抵のリアルのサービスもWEBサービスも広告とか仕組みとかは二の次で【人材】が成功の秘訣だと思ってます。

大規模で成功しているサービスにはそのアイディア・仕組み(ビジネスモデル)も然ることながら中には必ずその成功も頷けるほどの優秀な人材・スタッフが中におります。

その上でのビジネスモデルやら小細工、広告戦略です。

人材のレベルが伴わないビジネスモデルや広告展開など長続きしません。

マルハンもベースは各店舗でTOPレベルのサービスを提供してるから広告展開しても倍々に伸ばせる訳であって。

もちろん、広告戦略でまた一段上のランクに上がったキッカケになったことは確かでしょうけどそれを支える現場の人材力があっての成功ではないかなと。


マルハンが成功したのは所々の小細工や広告戦略でなく、愚直なまでの現場の人材の徹底した教育とその実践。そして、それを支えるこだわりにこだわり抜いた経営者自身の思い描く理想、哲学が背景にあるのだろうと予想します。


色んなパチンコ店があります。

出玉をコンピューターでコントロールして客から金を吸い上げてやろうとか、台に小細工してみたりするところとか、小手先の小細工で短略的に儲けに走ったとこはイッパイありますが大規模に成功してるとこは殆んど無いんじゃないかな。

マルハンのようにそういう愚直なほどの哲学や姿勢を貫き続けるって容易なことじゃないですが、まさにそここそが成功の秘訣なのかな、と。

純粋にスゴいなぁと思います。



さかのぼれば【ヤスダ】というマルハンほどの規模じゃないですがパチンコ店のTOPプレイヤーがありますが(大山発祥のパチンコ店です)

昔から大山ではパチンコ店の聖地でライバル店が多かったのですが、店員はアロハ着た流れのチンピラやら他に就職先とかもなくて来たダメな人間とか人材のレベルもまぁそうですし、店内はタバコの煙で充満してたりとまぁ居心地の悪い空間でした。

そこで初めて徹底的に人材育成に力を入れて、大卒を雇い、制服を入れて、客に居心地のいい空間を提供しようとしたのが功を奏し、店舗数を増やし大きく成功していったみたいです。(間違ってたらすいません)


ちなみに、

ヤスダは小規模店舗を数多く出すという戦略なのに対し、マルハンでは数多く店舗数出すのではなく、ちょっと郊外に大型の駐車場を備えた大型店舗を出していくという戦略を初めてかな?とった会社です。

これも優れた戦略で、小規模店舗だと集客数の限界上、出玉の還元率だったり1回イベントやっての集客の効率だったり集金や集客の効率の部分で大規模店舗には敵わないとこが沢山あります。その分、マルハンは“客全体”に対する出玉の還元率だったりが結構~他のパチンコ店より良いそうです。

そりゃそうですよね、50台から集金するのと150台から集金するのとじゃ。

そこらへんで口コミやら評判もいいそうで、ちょっと車で10分走ってもマルハンへ行こうってなるみたいで広告戦略の【7の日】も後押しし、全体で正のスパイラルが回ってるみたいですね。


とまぁ長くなりそうなので今日はここまで。

わたしもマルハンなら行ってみようかなぁ~と思う今日この頃です。

備忘録までに書きました。



この前、女の子と『なんでmixiからFacebookとTwitter引っ越したか』って
話になって結構、面白い意見を貰ったので備忘録までに書いておこうかなって思いまして。


投稿者目線ではなくて、投稿を見る側からとしての目線で。
そこで出てきたのが


◎スマートフォンから見たときのユーザービリティ
◎刺激(情報の流れの速さ)



といった要素についてmixiよりTwitter、facebookは優れているという話が出てきました。
コレは聞いてみて『確かに!』と大きく頷いたところです。



mixiはスマートフォンから見た際に非常に見づらいという意見をよく聞きます。
具体的にどういうインターフェイスかまでは私も最近あまりいじらないのでよくわかりませんが。


確かに、ガラケーからスマートフォンに移り変わるこの過渡期にmixiのスマートフォン対応(ただのスマートフォン対応ではなくスマートフォンの特性に最適化されたサービス設計も含んだインターフェイスの最適化)にあまりに遅すぎた印象はあります。そこで多くのユーザーを逃がし、twitterなどにだいぶ奪われたなという印象はあります。


結局、Facebookも試行錯誤してこうして今行き着いたように【タイムライン形式】がスマートフォンの特性に最適化されたインターフェイスであったと思うのですね。

そういった意味じゃ、Twitterなんてまさにタイムラインしかないし、この上ないスマートフォンに最適化されたシンプルで使いやすいインターフェイスですね。


Facebookもついこの前まではスマートフォンのアプリも起動後に立ち上がる画面はメニュー画面であったかと思うのですが改修してタイムラインが起動後に表示されるインターフェイスに変えてからだいぶ私の周りの評判いいですし、データは持ってないですけど、たぶん利用頻度も上がったんじゃないかと思っています。


スマートフォンユーザーって、あんま考えたくない人多いんじゃないかなぁと思うんですよね。

メニューがあってボタンを押して・・・ってちょっとでも考え選択してアクションしなくちゃいけないって面倒くさくなると思うんですよ。

起動したら勝手に情報が集まっててボタンなんか押さなくともそのままボーっとスクロールするだけで情報を一瞥できる、一つでもユーザーのアクションを減らす、ってそんな面倒くささをとことん排除した直観的デザインのインターフェイスって重要ですよね。それがタイムラインですね。


そして【タイムライン形式】であるってことが二つ目の要素である【刺激(情報の流れの速さ)】に繋がってくる思っております。女の子が言っていたのは『twitterの疾走感(情報の流れの速さ)を経験しちゃうとmixiの時の止まったような情報の遅さに辟易する』と。


そりゃそうですよね。mixiなんて似た者同士の自分のコミニュティ周りの内輪の人間しかいないもの、更新される情報も時間が止まっているように感じても仕方ない。

それに比べTwitterは外部の人間、有名人、ニュースまで入れ混じった多くの更新情報が一つの流れ(TL)に情報が集約されている様とは情報量も違いますし、その流れの速さ、疾走感とは比べ物にならないですよね。

一度経験すると戻ってこれないでしょう。大都会東京を経験しちゃうともう田舎になかなか戻れない感覚と同じで(違うかな?)。


投稿するにおいても、mixiだと自分の投稿や更新情報が案外残ってしまうということで躊躇する部分はあるけれども、Twitterではその雑多で速い流れの中に何か自分が投稿しても、すぐに流れていってしまうであろうと非常に投稿もハードルが低く気軽に投稿できると。

また、投稿へのフィードバックが表面化しない分、周りを気にせず投稿できるのもいいと。



最近の潮流としてそろそろ表面化して現れるんじゃないか?と思っているのがTwitterとFacebookどちらも使ってるユーザーの『Twitter』から『Facebook』への滞在時間のシフトの流れです。

決してTwitterは無くならないとは思いますが若干滞在する時間の量がシフトするだろうなと。


Twitterはその情報の流れの速さ、情報の濃さがまさに売りですが、それ故に「疲れる」ユーザーが増えてきます。

たとえば、受動的にしていても面白い呟きなど目に入ってくるので自然にフォローしていく人が増えていく⇒TLの情報量の多さ、濃さが増していく⇒TL上の情報を処理するのは非常に面白いが情報が濃いので時間を奪われる、エネルギーを要するとなりだんだん億劫になってくるケースが増えてくるだろうと考えます。


活字中毒者や情報中毒者、自分の情報処理と可処分時間のバランスを考慮しフォロー数を限定する人以外ではTwitterの情報処理が億劫になる流れがそろそろ来るんじゃないかと。

どんなものでもそうですが、どんなに有益な情報が詰まっていても処理に時間とエネルギーを要するものを人は倦厭するようになります。


そりゃそうだ。人の可処分時間は加速度的に減ってきている。
そんなことして時間を潰していられるほど人生は長くないと気付く人も出てくるだろう。


そこで、ちょうどいいエネルギー量、気軽さで情報処理、繋がってる感の維持が気軽にできるツールとしてFacebookはうってつけなのではないでしょうか?

mixiほど底の知れた内輪な人間だけでなく、ある程度ビジネスライクな仲だったりそれほど親しくない人も混在する中で更新される情報は時に意外性に富んでいるし、そこそこにWebのニュース記事はイイネ!やシェアで入ってくるし、時事のことも最低限の情報は入ってくるし、ある程度みんなが何やってるか分かる、インターフェイスもTL形式で処理も見やすいし情報処理が楽だ。


人は忙しいし、時間ないからね。こんなシンプルさと手軽さが重要なのよ。



うん、もう眠いから寝る。

おやすみ。


(アメブロをPCから見たときの読みづらさは異常・・・。腹立ちます)

今や国内でも1000万人ユーザーを超え、キャズムを超え、mixiをも超えたFacebookですがそこのポジションはmixiでもよかった筈です。何故その位置にmixiがなれなかったのでしょうか?
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単純に≪大人な関係を維持して、浅く広く、遠すぎず近すぎず、人との関係を維持する≫のに最適なコミュニケーションデザインされたサービスがFacebookであったからと思います。

友人なら別ですが、知人や何かの関係者程度の人間関係でmixiやTwitterで繋がるのは正直、距離が近すぎますし抵抗がある人は多いでしょう。


最近は変わってきたらしいのですが(半年ログインしていないので最近の機能の詳細は知りません)、

元々のコミュニケーションデザイン自体がmixiは【匿名OK】であったり、【招待制による完全な内輪のための】【日記】を主軸とした投稿機能、【足あと機能】など日本人らしい完全な内輪向けにコミュニケーションデザインされたサービスであったかと思います。

まだエモい高校生、大学生には非常に向いてる厨二病的なコミュニケーションデザインされた機能が多い印象です。(特に足あと機能)


もともと顔の知れた友人のみに投稿する設計であっただけに内輪すぎる気の許した濃い内容やちょっとドロドロしたものなどアーカイブで残ってしまっている人も少なくないでしょう。クールに使っていて誰に中身を見せても大丈夫な人とそうではない人とがハッキリと別れたはずです。

内輪に向けて頻繁に投稿していた人は尚更そこの場で新たな人と繋がろうという気は減っていくでしょう。『もういいや、ここは内輪で気の知れた連中と群れるところだ』、と。

さらに閉鎖的空間にしていこうとするでしょう。


そこで急に社交のツールとして≪広く浅く緩く、SNSで新たな人との出会いを保存しておくための入れ物≫としてのツールの需要が出てきたからと言って人物の人となりが必要以上に相手に伝わりかねないmixiを使うでしょうか?

難しいと思います。


数的に言えば内輪でガッツリ絡むだけのSNSより、リアルの人間関係で広く浅く緩く繋がりたいってコミュニケーション需要のほうが多いので、それにはFacebookっていう爽やか軽やかなコミニケーションデザインされた場が求められたのです。

Facebookはまさにそういうコミュニケーション需要に最適化された爽やかな設計だと思います。

自分が投稿しなくとも時々、誰かの投稿にイイネ押しとおけばとりあえず緩いコミュニケーションは発生しますし。
本当にお手軽です。


Facebookで繋がったといったからといって「その人が結局どういう人なのか?」って人となりはよく分からないのでその人物を特に好きにも嫌いにもなりませんね。ニュースリンクのシェアか、場所のチェックインか洒落乙ランチの写真か、当たり障りない独り言が投稿内容を占めるからですが、それでいいのです。


Twitterでは「TL」という一つしかない枠の中に投稿して、それら投稿が集まって時系列で連なって流れてくというイメージはFacebookとも似ておりますが、Twitterの本質は『そのユーザー個人のためのメディア』という印象です。

『勝手に呟いてるから見たきゃ勝手に自分のTLに取っていって見ろ、強要もしねぇし止めもしねぇぜ』というイメージです。


Facebookではみんなの共有掲示板に『すいません、ちょっと失礼します』って1箇所場所を借りて投稿するイメージに近いですね。投稿回数も投稿内容も気を使います。

明確な根拠はありませんが、ユーザー誰しもにそういう無意識な強制力は働いているかと思います。


・・・少し話が逸れましたね。


まぁ、ある種ではTwitterの繋がりは個人が勝手に呟いているのを覗き見るような繋がりですし、それにリプライやRTなどでしか目に見えたコミュニケーションが発生しづらいとなかなかハードルが高い部分は多分にございます。

大多数の人が求める『広く浅く緩くの繋がり維持のコミュニケーション』には不向きかもしれません。

人となりが必要以上に分かりすぎてしまいますし好き嫌いがハッキリ現れます。

(まぁ僕なんかおかげで転職大成功した訳ですが)



僕は表向きなことはFacebookに投稿し、Twitterはゴミ捨て場(便所)として投稿内容も切り分けています。今後、そういう人は増えるでしょう。

Facebookは≪出会いの保存、リアルの人間関係の維持のため≫の場所、Twitterは誰の目線も意識しないオフィシャルじゃない独り言の場所として使い分けをしていく人が。


社会にSNSが発生してWEB上で手軽に自己顕示、自己表現、承認欲求が数十秒で満たされるようになってきた中で、手軽な写真投稿でのリア充自慢、親指何振りかでのインテリアピール、何だって楽チンにできます。


さぁ、これだけSNSがあるなかでWEBによってまだ満たされていない人の承認欲求のかたち、コミュニケーションのかたちはあるのでしょうか?きっとまだあるに違いありません。

そんなコミュニケーションのかたちを探していくことで新たな良質なサービスが生み出せると思っております。


Facebookの場の空気を形成しているものとは何でしょうか?

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書きたいことの結論から書いてきますとfacebookやmixiは特有の『場の空気』が作っており、なかなかそれらを無視して行動が取りづらく周りの目を意識せざるを得ないSNSであるのに対し

Twitterは空気を読まないで行動してもギリギリ許容されてしまう寛容なSNSであるということが1つのテーマとして語りたい訳でございます。


以下も必ずしも各SNS全面的に共通する論理ではなく一面的な見方ではありますが一面的には至極、的を得ているかと思って書いています。

TwitterもFacebookにもビジネスやらゲームやら色々な使い方の側面はありますが今回書くのは一般的に使われている投稿やそれ周りのコミュニケーションツールとしての側面です。


ぼく個人の話ですが

Twitterで比較的イロモノばかりをフォローし過ぎたぼくにとっては、段々とTwitterのTLの情報を処理するのにあまりに濃すぎて時間とエネルギーを消費するようになって若干負担にもなってきていた中で
このFacebookという爽やかなTLに情報処理をする手軽さと『なんか繋がってる感』を維持するのに楽チンなツールであると最初に思いました。


mixiでは【村社会の空気感やしがらみ】についていけず、Twiiterの場の空気などほぼ無い自由な空間に逃げ出すも、だんだんと情報過多となり手軽なFacebookへと移ってきたかたちですが、ここもここで独自な空気が場を支配しておりました。


ぼく自身の見方ではこのSNSの場を支配する空気を構成する要素は多分にありますが

一番大きな要素は『イイネ(Like!)』です。

その価値指標を主軸として投稿内容からコミュニケーション全体の空気感・文化を形成していると判断しています。

リアルの人間社会を肩書や地位・お金など明確な価値指標が支配しているようにFacebookという場では『イイネ!』が価値指標の中心軸なのです。

おそらくは殆んどの人はそれら空気を無視して自由に行動することは難しいでしょう。
本人の意図関係なく強制的にその価値指標に組み込まれます。


そんなものは関係ない!とは思えど、どうしても空気に飲まれ『イイネ!』を貰うための投稿内容に寄っていきます。Twitterのように自由気ままに投稿は難しいはずです。


投稿内容もTwitterとFacebookでは評価される価値基準は若干異なるように感じます。

ハッキリ言えばtwitterとfacebook共通の投稿している人の投稿内容はTwitterから見たときに酷くツマらないものであると自分の経験から帰納しています。


正確に言えばtwitterではツマらなくて読み飛ばしたのに、Facebookでは栄えてるそんな感じです。
Twitterではその薄い内容が霞んでしまっているのでしょう。


Facebookは完全に知人友人のソーシャルグラフで構成されているのに対し、

Twitterは投稿を読む人の多くが生の投稿者自身を知らない(興味ない)けど、その思考・価値観(呟き)には興味があるという人間が投稿内容を読むケースが非常に多いです。

私自身もフォロワーの3/2は知らない人です。

何を思っているかに興味はあっても、貴方自身には興味がないそういう関係が構成されている以上、自身のオチもない変わった風もない身寄り話や何を食ったか、どこに行ったかの写真など、Facebookの投稿の中心となってるテーマでは引きが悪いのです。

逆にFacebookでは思考を投稿することに危険性が感じられます。


なんでしょう?この空気の重さの違いは?

ずっと気になっていました。


それは『Facebookだとリアルの人間関係が絡んでくるからじゃないでしょうか?』

確かに無いとは言い切れません。

ですが、ぼくはTwitterも直接の上司、取引先、大学の先生などfacebookで繋がっている人とそー大きい差はありません。

(まぁFacebookでは役員から社長まで見られているというのはありますが・・・・)


仮に自身の査定に関わる役職者が投稿を見て問題になるケースは他社批判や自社の愚痴、コンプライアンスに関わる何かを投稿しなければいい訳です。Facebookで投稿するのにはそれ以上に肩が凝ります。

何故でしょう?


やはりFacebookの空気感・形成されてるコミュニケーション文化を語るに『イイネ!』なしでは話が進みませんね。

次回は『イイネ!』について語りたいと思います。

TwitterとFacebookの空気感の違いはどこから来るのでしょうか?

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『facebookでブログなんて晒したってモテないし、お前の根性の悪さと頭の悪さの周知に繋がるだけだぞ』





たった二度の更新で通称『痛ブログ』などと散々、facebookでのブログ更新を指摘された訳ですが懲りずにバカをさらしてみようと思う次第でございます。

ぼく自身はfacebookにちなんだ文献やブログを読んだこともないですし、SNSサービスを捉えるための体系的なフレームワークも社会学の知見も一切ございません。

まだ初めて1か月経つか経たないかですが、facebookは面白いなぁと思っており勝手にそれこそ何の根拠も引用もない一ユーザーの限られた一面的な見方としてfacebookについて書いてみようと思います。


前置きから。


ぼく自身はfacebookを始める前はTwitterのみしていたのですがfacebookは『やろう、やろう』とは思えど面倒くさくてどうにもやる気が起きませんでした。

別にSNSで繋がりたいリア充なグループに所属している訳でもないですし、仲良しは大体Twitterで繋がっていたので今更やるメリットも正直感じていなかった訳です。

アカウントの開設方法も知りませんでした。


ぼくみたいな流行に敏感でない面倒くさがりな男がわざわざアカウント開設するに至ったのは完全に『危機感』からでした。

合コンに行っても交流会に行っても女の子から『facebookやってないの?』と、周りの男たちとfacebookで繋がっていくのを尻目に【男としての生存本能的な危機感】を感じたまでです。

結局、今時からfacebookを始めようなんて思う人は動機が【取り残される危機感】って人は少なくないでしょう。
といいますか、ほぼ危機感でしょうね。


ぼくがfacebookを捉えるときやはり、やりこんだTwitterを相対に考えます。
どうもfacebookとTwitterでは大きな空気の違いをビンビンに感じております。


ぼくの中ではTwiiterは独り言ツールであります。Twitterの呟きにも何種類かあり

①面白い記事のシェア
②どうしようもなく溢れ出す自分の哲学、価値観の啓蒙
③どこかしらへ向けての自慢、何かしらのアピールで顕示欲を満たす
④単なる独り言


ここらへんが主流かと思いますが、一般の人は④単なる独り言を呟く場という使い方がメインでしょう。ぼくにしても同様です。


Twitterはある種、そのテキスト投稿の手軽さから他人の【独り言(思考の断片)を覗き見るツール】であるとぼくは思っています。

「Twitterは情報収集のためにやっているんだ」という方もおりますが正直、情報収集に役立つ呟きをする人など極々限られております。

基本的には【独り言(思考の断片)】で構成されていますし、世の中には自分と似た、または違う色んな価値観や思考があるのだと【いろんな人いるなぁ~】という思考の多様性を楽しむ場としてTwitterを楽しんでいる人は自分含め、周りの人間にも多いです。そんなツールです。


それ故に、比較的何を呟いても許される許容される空気感があり、知人友人の内輪、知らない外部の人間などを意識をせずに肩書・性別・国籍関係なく

『誰が言ったか』ではなく『何を言ったか(思ったか)』の単純な指標のみで、同じTLという枠の中で有名人も無名も平等に評価される価値観が構成されていると感じております。


Twitterには色々な側面があり、このような場で語りきれるほど簡単なものじゃありませんが
Facebookと比較した際に決定的に違いを構成している大きな要素があると感じております。


其々のサービス、匿名か実名かということ以上に文化を隔てる大きな空気感を作っているのは【ユーザーの投稿に対する評価の指標が表面化しているか否か】だと思っています。


奥ゆかしい空気を読むのに長けた日本人にとってTwitterが何故あそこまで一投稿に対するハードルを下げ、空気を読まず気軽に投稿できる場として賑賑しい様を形成しているかというのはユーザー自身が匿名だから以上に

ユーザー自身に【一投稿に対する読者(フォロワー)のレスポンス(評価)が見えづらい、分かりづらい】からであるとぼくは感じています。

『投稿に対する評価が表面化しない』つまりは、ユーザーは自分がいいことを呟いたのか、それとも誰も興味のないことを呟いたのかが判断しづらいということを意味します。

評価の指標としては一応3種類あって
①『リプライを貰うか』②『RTされるか』③『フォロワーが増えるか減るか』です。

①も②もなかなかハードルは高くてファンのついてる有名人でもない限り、よっぽどツッコミどころがねければそー簡単にしょっちゅう貰えるものでもありません。

③もなかなか気づきづらいです。

調べようと思えば本人がレスポンスを解析することはできますが
そういうものが表面化してフォロワーに伝わることはありません。


つまり、ユーザーは自分の今の投稿ウケたかな?ウケなかったかな?など想像の範囲で反省したり自己満足に浸ったりできる訳です。そりゃそんなフィードバックもない環境は投稿者にとっては【優しいぬるま湯】ですし、気軽なツールです。

本当は読者(フォロワー)は投稿者のツイートにドン引いているかもしれません。

しかし、そんなこと露知れず投稿者は【空気を読む必要なく】投稿を続けます。

それが文化として定着し、サービスの雰囲気全体として寛容な空気を醸し出し、
まぁTwitterで呟いたことくらい・・・なんて軽さも形成しています。

そこで炎上なんて問題も噴出してくる訳ですが・・・


ですが以前の記事にも書きましたが、mixiボイスならびにFacebookではそうはいきません。


次回に続く・・・・・