今や国内でも1000万人ユーザーを超え、キャズムを超え、mixiをも超えたFacebookですがそこのポジションはmixiでもよかった筈です。何故その位置にmixiがなれなかったのでしょうか?
吟遊詩人ブログ











単純に≪大人な関係を維持して、浅く広く、遠すぎず近すぎず、人との関係を維持する≫のに最適なコミュニケーションデザインされたサービスがFacebookであったからと思います。

友人なら別ですが、知人や何かの関係者程度の人間関係でmixiやTwitterで繋がるのは正直、距離が近すぎますし抵抗がある人は多いでしょう。


最近は変わってきたらしいのですが(半年ログインしていないので最近の機能の詳細は知りません)、

元々のコミュニケーションデザイン自体がmixiは【匿名OK】であったり、【招待制による完全な内輪のための】【日記】を主軸とした投稿機能、【足あと機能】など日本人らしい完全な内輪向けにコミュニケーションデザインされたサービスであったかと思います。

まだエモい高校生、大学生には非常に向いてる厨二病的なコミュニケーションデザインされた機能が多い印象です。(特に足あと機能)


もともと顔の知れた友人のみに投稿する設計であっただけに内輪すぎる気の許した濃い内容やちょっとドロドロしたものなどアーカイブで残ってしまっている人も少なくないでしょう。クールに使っていて誰に中身を見せても大丈夫な人とそうではない人とがハッキリと別れたはずです。

内輪に向けて頻繁に投稿していた人は尚更そこの場で新たな人と繋がろうという気は減っていくでしょう。『もういいや、ここは内輪で気の知れた連中と群れるところだ』、と。

さらに閉鎖的空間にしていこうとするでしょう。


そこで急に社交のツールとして≪広く浅く緩く、SNSで新たな人との出会いを保存しておくための入れ物≫としてのツールの需要が出てきたからと言って人物の人となりが必要以上に相手に伝わりかねないmixiを使うでしょうか?

難しいと思います。


数的に言えば内輪でガッツリ絡むだけのSNSより、リアルの人間関係で広く浅く緩く繋がりたいってコミュニケーション需要のほうが多いので、それにはFacebookっていう爽やか軽やかなコミニケーションデザインされた場が求められたのです。

Facebookはまさにそういうコミュニケーション需要に最適化された爽やかな設計だと思います。

自分が投稿しなくとも時々、誰かの投稿にイイネ押しとおけばとりあえず緩いコミュニケーションは発生しますし。
本当にお手軽です。


Facebookで繋がったといったからといって「その人が結局どういう人なのか?」って人となりはよく分からないのでその人物を特に好きにも嫌いにもなりませんね。ニュースリンクのシェアか、場所のチェックインか洒落乙ランチの写真か、当たり障りない独り言が投稿内容を占めるからですが、それでいいのです。


Twitterでは「TL」という一つしかない枠の中に投稿して、それら投稿が集まって時系列で連なって流れてくというイメージはFacebookとも似ておりますが、Twitterの本質は『そのユーザー個人のためのメディア』という印象です。

『勝手に呟いてるから見たきゃ勝手に自分のTLに取っていって見ろ、強要もしねぇし止めもしねぇぜ』というイメージです。


Facebookではみんなの共有掲示板に『すいません、ちょっと失礼します』って1箇所場所を借りて投稿するイメージに近いですね。投稿回数も投稿内容も気を使います。

明確な根拠はありませんが、ユーザー誰しもにそういう無意識な強制力は働いているかと思います。


・・・少し話が逸れましたね。


まぁ、ある種ではTwitterの繋がりは個人が勝手に呟いているのを覗き見るような繋がりですし、それにリプライやRTなどでしか目に見えたコミュニケーションが発生しづらいとなかなかハードルが高い部分は多分にございます。

大多数の人が求める『広く浅く緩くの繋がり維持のコミュニケーション』には不向きかもしれません。

人となりが必要以上に分かりすぎてしまいますし好き嫌いがハッキリ現れます。

(まぁ僕なんかおかげで転職大成功した訳ですが)



僕は表向きなことはFacebookに投稿し、Twitterはゴミ捨て場(便所)として投稿内容も切り分けています。今後、そういう人は増えるでしょう。

Facebookは≪出会いの保存、リアルの人間関係の維持のため≫の場所、Twitterは誰の目線も意識しないオフィシャルじゃない独り言の場所として使い分けをしていく人が。


社会にSNSが発生してWEB上で手軽に自己顕示、自己表現、承認欲求が数十秒で満たされるようになってきた中で、手軽な写真投稿でのリア充自慢、親指何振りかでのインテリアピール、何だって楽チンにできます。


さぁ、これだけSNSがあるなかでWEBによってまだ満たされていない人の承認欲求のかたち、コミュニケーションのかたちはあるのでしょうか?きっとまだあるに違いありません。

そんなコミュニケーションのかたちを探していくことで新たな良質なサービスが生み出せると思っております。