スリランカと聞いて何を思い浮かべるだろう?
世界的に有名な紅茶の産地であり、上座部仏教(小乗仏教)の総本山で8月に行われるペラヘラ祭りには世界中から多くの人が訪れる。また、インドと並んで伝統医療のアーユルヴェーダが盛んで、世界遺産のシーギリヤロックや著名な建築家のジェフリー・バワを思い浮かべる人も多いかもしれない。
そんなスリランカと日本は、実は深い関係にある。
時は1951年のこと。当時日本は第二次世界大戦に敗れ、戦勝国であるアメリカ・イギリス・ソビエト・中国が、分割して統治する案が国連で協議されていた。情勢から分割統治案が決議されそうな状況だったが、あるスリランカ人の政治家のスピーチで状況は一変した。後にスリランカの2代目大統領になる、リチャード・ジャームス・ジャヤワルダナである。
「憎悪は憎悪によって止むことはなく、愛によって止む」
という釈迦の言葉を引用し、対日賠償を放棄し、日本の自主独立を支持した。このスピーチをきっかけに情勢が変わり、各国が日本の自主独立を支持し、戦勝国による分割統治を免れたのである。
今の日本の形があるのは、ある意味彼のお陰であり、当日の吉田茂首相も感動し、「スリランカへの恩を、日本人は未来永劫伝えなければならい」と語り、感謝の手紙を送ったと言われている。
また、自身が亡くなった後もスリランカと日本の発展が見たい、という想いから、自分の角膜の片方をスリランカ人に、もう片方を日本人に移植するよう遺言を残したが、遺言通り片方の角膜は日本人女性に移植されたのである。こうしたことから、鎌倉の大仏のある高徳院には、ジャヤワルダナの記念碑がある。
大統領を退任した後も、彼は何度か日本を訪れている。その際、著名な仏教学者である鈴木大拙と会い、日本で広く信仰されている大乗仏教とスリランカの小乗仏教の違いについて話をしたが、その時にジャヤワルダナは以下のように答えたと言われている。
「なぜ、相違点を強調するのですか?どうして、共通点を考えないのですか?」
ウクライナやイスラエルなど世界中の多くの地域で争いが続き、毎日に多くの人が亡くなっている。国や組織でなくても、自分も含めたほとんどの人が、他人と意見や考えの方の違いや、些細なことから言い争い喧嘩をしている。
もちろんどんなに話し合っても理解し合えないことや、はなから悪意を持って接してくる人がいるのも事実だが、まずは共通点を見つける努力は続けたいと思う今日この頃だ。