おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日も日常の気づき・感じたことをアウトプットしていこうと思いますグッ



今回は前回の
“会話”と“対話”の話からの気づき電球


よろしければ前回の記事も読んでくださいお願い



私は昔から“対話”から逃げてきてしまった
というか
昔から“対話”ができなかった




自分が何を感じ
どういう価値観を持っているかが
自分自身で分からなかったから




【対話】とは
自分と相手の価値観を交換して
価値観が異なるときはすり合わせる




だけど
自分の価値観がわからないのに
交換をすることができない




そうすると
相手は自分が価値観を話しているのに
相手は話してくれない




肩透かしというか
自分に価値観を話してくれない
深い話をすることができない
この人とはキチンと話しをすることができないと
判断されてしまうだろう




でも
対話をしたくても
出来なかったのだタラー
出来なかったのだ…アセアセ




自分の価値観に気づいていなかったから
自分の軸が何なのかがわからなかったから




深い話になると
逃げていた


相手に先に話をしてもらって
「そうだよね、それ私もそう思う」と言って...




嘘ではない
自分の価値観がないと
相手の価値観がスッと入ってきて
それで満たされてしまう




だから
話をする相手によって
コロコロ変わっていた




大勢で話をする場面では
どの価値観に合わせていいかわからなくなる




以前の私では
“対話”という意味も分かっていなかったし
なぜ深い話ができないんだろう?と思っていた




相手のことをもっと分かったらできるのかと
質問力がないからなのかと…




でも違ったんだ!

自分がどういうことを思ったのか
その思いと相手の人の思いと違いがなぜ違うのかが気になることで
質問は勝手に出てくる




相手のことを知る必要もあるが
自分が今何を感じており、何に興味があるのか
自分の価値観は何なのかをわかることが
相手と対話できる初めの段階かもしれない



そう今感じた照れ

おはようございます!
AYAMIですニコニコ


今日も日常生活での気づき・感じたことをアウトプットしていきますグッ




『会話は出来ているが、対話はできていない』



最近、朝井リョウさんの『正欲』を読んで
そして映画も観に行ったニヤリ



その中で
この言葉があった



今まで考えたことがなかった



コミュニケーションを行うためには“会話”が必要になるとは思ってた
たまに話をしていて会話が成り立っていない時がある



相手の人が話をして
こちらが質問をしようとしても
ずっと自分の話をしている人


質問をされて答えようとしているのに
そのまま自分の話をしている人




これは“会話”ができていないということである...タラー
と私は感じていた


対話とは何なんやろか?
会話と何が違うんだろうか?



調べてみる上差し





抜粋した内容を以降書く下差し


【平田オリザさんの言葉】

“会話”はライフスタイルや価値観が近い、親しい人同士のおしゃべり
いわゆる日常会話。
それに対し、“対話”とは、あまり親しくない人同士の価値観や情報の交換
若しくは親しい人同士でも、価値観が異なるときに起こるすりあわせである。

“わかり合っている”人とは会話で済むけど、“わかり合っていない”“伝わらない”人同士だと
対話になっている。

“対話”は自分の主張を相手に納得させる“対論=ディベート”とも違う
AとBの論理が擦り合わさり、Cという新しい概念を生み出すのが対話である。
対話の後には自分も相手も意見が変わるというのが前提。
変わることはネガティブなことではなく、むしろ新しい発見や出会いがある。



このことから会話は
周りから見ると上手くキャッチボールしているように見えるが
内側が本心がどうなのかは別であるんだと思った



本心を隠して上辺だけで話をしていることも会話



この中で
このようなことも書かれていた


対話において「伝える」という力はすごく必要



伝える力でもあるが
なんとか相手に伝えたい!という気持ちが必要である
それは自分も相手も共にそうだ



わかる人だけわかってもらえばいい
言ってもどうせわからないだろう
分かってほしいなんか思ってない
とか思って
伝えようとしないと
絶対に対話なんかできない



そして
何かを強制させるのではなく
自分の価値観を強要するのではなく
オタ以外の価値観が存在すること
そしてそれを共有すること(受け入れなくても受け入れてもいいが、存在することそのものを感じる)
それが対話であろう



『正欲』の中で出てきたあの言葉の意味が今わかってきた
そしてもっと深く感じてきた電球



対話をするこという事
対話ができる相手がいるということ
お互いにこの人となら対話ができるなと感じるということ
そういう相手がいるということ、そういう相手になれているということが
この世界に存在する意味にもなるのかと



心の本心を出すことができる
これがどんなに素晴らしいことかと
めっちゃ実感できた



そして
対話する為には
まずは自分がどのように感じているかを見せることが大事だと思った照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


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今日は完全に勢いで書いてしまったアセアセ





なんであの頃こんなことに気づかなかったんだろう?

あの頃今と同じような考えができていたらもう少し上手く行っていたかも知れない…



こんなことを感じてしまうのは
なんでやろ?



小さい頃
なんでもかんでも初めてのことばかりで
経験したことがなくて
どんなことが起きるかわからないし
自分がどれほどできるかわからない
そして、他の人もどれくらいできるかもわからない



知っている人の真似をして学んでいく



その時の自分は
体力もあるし、柔軟性もあった
だから、真似することも完璧にできなくても、物事の奥をしっかり理解していなくても
表面だけでも上手く誤魔化すようにして行うことができたりすることができていた




そしていろんな経験をしてきて
自分の得意なこと・苦手なことがだんだんとわかってきて
苦手なことを避けることもできるようになってきて
どんどんと自分がしないようになってくることで
自分の世界が狭くなるようになる




そして体力やスピード感がなくなってきて
いろんなことに対して
昔はこんなこともスムーズにできたのにな…
何も考えなくてもできていたのにな…
ということでも、一歩目が重くなってしまう




いろんな経験をして
物事の先が検討つくようになってしまっている

それは良くも、悪くも…




そしてやる前から
自分はできないからな…
自分なんかが…と自己評価が低くなる

自己肯定感が低くなる




いろんな経験をしたきたから
この年齢になったから
今のこの環境だからこそ



気づけることがあると思う電球




学生の頃に今と同じような考えができてたら…なんて
思うこともあるけど
学生の頃の自分はその時の自分が考えていることがあっただろうし
今だからこそわかることもある




その時に自分に必要な考えがあり
同じような話を聞いたとしても
その時自分が必要ではなければ
きっと身にならないだろう




今の自分に必要な気づきであるから
今気づいたのであろう




今、感じている苦悩や不安も
きっと今だから感じていることであり
きっとそれはいつか苦悩や不安に感じることないかもしれない
実際、もっと若い自分の頃には今の苦悩や不安は感じたことがないことだろう
反対に昔、苦悩や不安に感じていたことも、今は何やってけ?って忘れていることもあるだろう




今だからこそ
感じている電球





学生の頃、大人になったら困るから勉強しときなさい!とか
礼儀をしっかりしておきなさい!とか
言われたことがあるかもしれないショボーン




その言っていた大人たちは
自分が学生の頃に自分が実家り勉強しておけば良かったと思うからこそ
同じようになってほしくないというか思って
声をかけているだろうなー




でも学生の自分は
勉強よりも他の悩みや不安があったら
きっとなんでやねん!ってなるだろう




自分がその時にならないとわからない悩みや不安って絶対あると思う




だからこそ
今の悩みや不安をしっかり感じる
今の自分が何かに気づいたから、その悩みや不安が出てきている




しっかり
いままで自分がしっかりと生きてきたからこそ
いろんなことを感じてきたからこそ
悩みや不安が出てきているんだ




しっかり今の悩みや不安に向き合う
そしてその悩みや不安が出てきていることは
自分の人生が進んでいること
生きてきていること




今の自分だからこそ
気づけたのだ上差し

と思った照れ


おはようございます!
AYAMIですニコニコ


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人はいろんなことを分類している


Z世代と昭和世代の対比だったり
血液型で性格の傾向があるとか


いろんな分類がある


分類することで
そこに当てはまることがあると安心する



自分にとっての初めてのこと、わからないこと、知らんことに出会うと恐怖に感じることがある


怖いと思うのは
どういう結果が待っているかわからない、どういうものかわからないからである



だから自分の中でええ感じに処理しようとする



分からないものを
大きな特徴だけを切り取って
自分が経験したとか
自分が知っていることに分類してしまう
もしくは分からないものとして分類して
わかった気になる



なにも本質は分かっていないのにタラー



大きな括りで区別する



それで終了。理解した…となる。



そうすると
上手くハマればいいけど
そうじゃないと偏見が発生する



分類して自分の今ままで経験した分類の引き出しに入れれるものは受け入れて
入らないものは受け入れない、拒否する



自分にとって『いいこと・悪いこと』だけに分類してしまうこともある


わかりやすいものばかりをみて
曖昧なものは見ないふりをする



世の中って
そんなに都合いいことないのに…



グラデーションがあって
どちらの引き出しにも入るようなものもあるのに



分類して
自分の分からないを見ないふりをすることで
その人はどんどんと孤立してしまう



全部を理解する必要はないとは思うけど
見ないふりではなく
そのものを丸ごと見る、あることを認識する



一気にできなくても、少しずつ変化させていく



そうすると
あらゆるものの見え方が変わるかもしれない



自分にとっての初めてのこと、わからないこと、知らんことも
怖いことであるという分類に自分の中で収めてしまうのではなく
まずはそのことを丸ごと見てみる



そしてそれが本当に怖いことなのかを見てみる



すぐにそのわからないことにレッテルを貼らないで!
一度受け入れてみてOK



そうすれば見える範囲も増えてくると思う照れ


おはようございます

AYAMIですニコニコ



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【正しさなんか多数決】

 


さとうみつろうさんの著書

『悪魔のおしゃべり 正しさなんて多数決』から



 

その本の題名にもなっている言葉

これが本質なんだと

この言葉になんか納得したおねがい



 

前の記事にも書いたが

常識とか当たり前って誰が決めたんだ?

 



その常識

違うコミュニティに行ったら非常識になることもある



 

私が常識だと思っていることって

みんなに当てはまることか?

 



そう思ったら

常識や当たり前も

自分が今たまたまいてるコミュニティの多数決で多い方の意見である



 

【正しさなんか多数決】という言葉から感じた

 



だからこそ

常識や当たり前で自分の意見や行動を決めるのではなく

自分がどうしたいか

自分が何を採用するかであるなと感じた

 

 


 

またこの本の中に

【苦しみは正しさの副作用】

と書いてあった

 

 

正しいことをしようとするから

それを守るために苦しい

反することをするから苦しい

あかんことをしてると思うから苦しい

 



【正しさがその人の世界を小さくしている】



 

自分に厳しい人

ルールやルーティーンを強く持っている人は

そこから抜け出しにくい

 



その行動や思考の反対のことは

“悪”だと思ってしまう



 

正しいことばかりを見てしまうことで

視野が狭くなってしまう

 



コンフォートゾーンが小さくなる

スコトーマが出現する

 

 

【自分が持っている知識で消化できることを「理解」という】



自分がすでに持っている知識を超えていないこと。

 


スコトーマの外側にあること

それは自分の中に無かったこと



 

それは未知のものであり

理解するためには

スコトーマを少しずつ無くして

今あるコンフォーフォートゾーンの外側に出ないと

理解することができない

 

 


もう納得でしかない照れ



 

コンフォートゾーンの外側にあることを聞いた時・経験した時の

あの周りが明るくなる感じ!

(多分私の独自の感じなので共感は得られないと思いますが…アセアセ笑)



 

パラダイムシフトが起こること

ドーンと自分の思考が覆されること

 



これは自分に余裕がなかったり

柔軟性がないと

絶対に受け入れることができない

 


 

いつでも

このパッと周りが明るくなるような

パラダイムシフトを受けるために

いつでも吸収できるように

体調・気持ちの余裕が必要だなー照れ