育鵬社教科書と自民党憲法改正草案 | だばなか大介オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本共産党河内長野市議会議員 だばなか大介

 育鵬社の教科書の問題点を勉強していくうちに、教育長の発言と、いわゆる日本会議の人達、あるいは安倍政権とその取り巻きの憲法改正の中身や主張と、育鵬社の教科書の内容、それらの3つが密接に関係し重なることを強く再認識したので、考えを整理することも兼ねて書き出して見ました。

 市立中学校の教科書選定をする臨時教育委員会で、和田栄教育長は育鵬社を推薦する理由について、

①戦後教育が「個人」を強調するあまり、
②社会の基本的なルールやきまり、社会性がないがしろにされてきた。
③そのことで家族のきずなが希薄になり、地域のつながりも薄くなった。
④だから郷土愛を育てなければならないので育鵬社。
と述べています(要約)。※文末に議事録本文掲載。

 

まず教育長は
 ①戦後教育が「個人」を強調するあまり、②社会の基本的なルールやきまり、社会性がないがしろにされてきた。
 つまり「個人を大切にする教育が、社会性を無視して、個人が好き勝手やっても良いと思う子どもを育てた」と論理展開しています。

 個人を大切する=自分勝手とは、、、 なぜ戦後の憲法が、戦後の教育が個人を大切にしてきたのか、その本来の意味や目的を理解していないと思います。

 日本国憲法は個人の上に国家を置き、戦争に突き進んだ反省から、すべての個人に生まれながらにして基本的人権を保障しました。そして国家を大切にするのではなく、個人を大切にすることは他人を大切にすること。個人を大切にすることは本当の国益に繋がる。これが個人を大切にする教育の本来の目的です。
 
 教育長の論理は自民党を離党した国会議員が、国会前で運動する若者に「戦争に行かないとは利己的だ」と言ったのと同じ思想で、大日本国憲法回帰・自民党憲法改正草案のように、個人よりも国家に重きがある、国家のために個人がいるという、思想から生まれてくる論理展開だと思います。


 そして決まりやルールを守らないと言いますが、安倍政権は立憲主義、憲法のルールをないがしろにして戦争法(安保法制)を強行しました。同じく河内長野市教育委員会は教科書選定委員会の答申をないがしろにして「愛国心」の項だけで育鵬社を採択しています。詳しくは→http://ameblo.jp/dabanaka/entry-12058067156.html
 なぜ自分たちだけは、社会の決まりやルールがないがしろにしてもいいのでしょうか?その答えは、国家のため国益のためだから良いと言うのだと思います。この国の主人公は、子どもたちであり市民ですが、彼らにとっては国家が主人公なんだと思います。

 育鵬社の教科書は、憲法は権力者を縛り、市民を守るためのもの「立憲主義」を明確に教えません。詳しくは→http://ameblo.jp/dabanaka/entry-12152189501.html
 そして自民党憲法改正草案は公共の福祉を公益にすり替え人権を剥奪し、憲法を国家を縛るものから市民を縛るものへと変質させようとしています。歴史の巻き戻しはゆるされません。


 ・・・ではなぜ、社会の決まりやルールがないがしろにされる社会になるのか。最大の原因は新自由主義です。弱肉強食・勝ち組負け組の社会。
 「新自由主義」何か聞こえは良いけど、英語で言うと「ネオ・リベラリズム」つまり復古的・自由原理主義。ルールは要らない、規制は緩和せよ、社会保障は自己責任で、貧困に落ちるのも自己責任、と言った極めて自分勝手な、社会の決まりやルールをないがしろにする社会です。「自分勝手で、隣人も友だちも蹴落として、勝ちあがっていく」自分勝手な新自由主義に問題があるのではないでしょうか。
 そして私は極めて自分勝手な新自由主義欠陥を補完するのが「憲法改正草案」であり「美しい日本を取り戻す」であり「愛国心」であるのだと思います。

 彼らの主張にもどります。
 自分勝手てな振る舞いが③家族や地域を軽ろんじてきたので、⑤愛国心が大切。

 あまりに短絡的って言うか、アイデンティティー・内心に対して上から目線だと思う。個人を大切にするもう一つの意味は、自分を大切にすることでこそ初めて、家族も他人も国家も大切に思える。個人を大切にすることこそが国益に繋がるってことです。自分の大切さ、世界で一つのかけがえの無い 自分を大切に出来なくて、どうして他人をかけがえの無い家族・友人・隣人・国家として愛することが出来るでしょうか。

 育鵬社が教えようとしている「愛国心」は極めて偏狭です。日本とヨーロッパとの違いの中であるいは、日本が他国より優れているといった、対立の中で「愛国心」を持たせようとしています。平和主義の項では話し合いや軍縮による平和ではなく、中国や北朝鮮の脅威論を煽っています。詳しくは→http://ameblo.jp/dabanaka/entry-12152888242.html
 他者を排除し、自分だけが優れている「愛国心」、あるいは「家族愛」などと言うものがアイデンティティーと言えるのでしょうか。自分を絶対的に大切にするのでなく、自分を相対的に特別視する愛国心は極めて偏狭で、他者を受け入れることの出来ない人格や社会を生みます。
 聞くに耐えかねるヘイトスピーチがそのいい例です。
 個人の上に国家を置き、「天皇万歳」「日本万歳」といって夫や子を戦場に送った「愛国心」を再び育ててはなりません。
 
 最後に日本国憲法第97条は次のように個人の基本的人権を述べています。

第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 美しくもあり重厚な条文です。なんと自民党憲法改正草案はこの条項を削除すると言います。個人が輝かない社会に未来はありません。

 この夏、決戦の時です。みなさんと力を合わせて、立憲主義・平和主義・民主主義守るために全力で頑張る決意です。



※以下、教科書選定時の教育長の発言を議事録より抜粋。
(和田教育長) 
 公民の教科書選定については選定委員会及び事務局の皆さんに東京書籍、帝国書院、日本文教出版、育鵬社の4社についてはこの間、特に細かい記述に至るまで相当な時間を割いて検討してきていただきました。
私 も普段から思っていることなのですが、戦後70年間、日本は科学技術を発展させ、国民生活を高め、世界でも類を見ないほどに成熟した社会を作り上げてきました。ただ、その裏で、科学の進歩や文明を追い求めるあまり、古き良き伝統・文化が衰え、「個」が強調されるあまり、社会の基本的なルールやきまり、社会性がないがしろにされてきた部分は、否定できないと思っています。例えば、家族のきずなが希薄になり、地域の孤立、地域のつながりが薄れてきたことなどです。そのため、60年ぶりに改正された教育基本法に基づいて、今本市ではそこに重点を置いて、古き良き伝統や文化を大切にし、郷土を愛する態度を子どもたちに育てようと、「ふるさと学」をはじめ、家庭、地域とのつながりを大切にした教育方針を掲げてきました。そのような部分に焦点を当てれば、先ほどの議論にもあったように、どの教科書にも家族について、取り扱っているのですが、やっぱり、育鵬社の扱い方が、他社とは違って重みがあるように思います。本市の子どもたちにふさわしいのはどこの教科書か考えると、私は育鵬社になってくるかと思います。