瞑想を続けていると、ときどき、自分が普段考えていることとは少し異なるように感じられる言葉が、心の奥から浮かんでくることがあります。
これは、前回の記事でも少し触れたことです。
私は、その言葉を便宜上「内なる導き」と呼ぶことにしました。
ただ、普段からそう呼びかけているわけではありません。理由は瞑想に入ると自然と聞こえてくるものだから呼ぶ必要がないからです。ただ、これから文章として紹介していくうえで、分かりやすくするために付けた呼び名です。
なぜ「内なる導き」と呼ぶのか?
それは、その言葉が観音菩薩や如来のような存在から届いているものなのか、それとも真我(しんが)、いわゆるハイヤーセルフから生まれているものなのか、私自身にも分からないからです。
もしかすると、長い瞑想の中で少しずつ育まれてきた、自分自身の深い意識から浮かんでくる言葉なのかもしれません。
私は今のところ、その正体をはっきりと決めつける必要はないと考えています。
ただ、その言葉に耳を傾け、記録を続けていくうちに、一つ気づいたことがありました。
内なる導きから伝わってくる言葉は、私をよりよい方向へと立ち戻らせるものであり、
ときには人生の大切な場面で、私が気づくべきことを教えてくれるものでもあったのです。
そこから私は、内なる導きから受け取った言葉を、記録として残すようになりました。
もちろん、その中には個人的な内容もあります。また、すべての言葉が、誰にでもそのまま当てはまるとは限りません。
それでも、誰かが自分の心を見つめ直したり、少し立ち止まって考えたりするとき、その助けになるような言葉もあるのではないかと思っています。
これから、このブログを通して、それらの言葉を一つひとつ、ゆっくりと紐解いていきたいと思います。