こんにちは。多聞です。
今日は、「奇跡」についてのお話です。
一般的に奇跡と聞くと、交通事故で車は廃車になるほど大破したのに、運転していた人はまったくけがをしなかったというような、めったに起こらない大きな出来事を思い浮かべるかもしれません。
けれど今日は、そのような特別な話をしようとしているのではありません。
むしろ、多くの人が毎日のように経験していながら、当たり前だと思っていることについてのお話です。
日常から出会う奇跡
今年の夏、韓国の一部の地域では洪水による被害がありましたが、私が住んでいる大邱を含む南部地域では、現在、深刻な干ばつが続いています。一部のダムでは底が見えるほど水が減り、農村部の貯水池でも水が不足し、農作業に支障が出ている状況です。
ニュースを聞くと日本も今、厳しい暑さが続いているそうですが、韓国の大邱も同じです。昨日は気温が39度まで上がり、夜になっても30度を超えていました。
仕事を終えて家に帰ると、全身が汗びっしょりになっていたので、帰ってすぐにシャワーを浴びることにしました。
浴室に入り、シャワーの水を出した瞬間、勢いよく流れ出る水を見て、すぐに今の干ばつのことを思い出しました。
これほど水が不足しているというのに、蛇口をひねれば水が出る。
その光景を見ながら、昔のことを思い出した。
私が子どもの頃も、普段は水道の水がきちんと出ていた。けれど、今よりも断水することが多く、あらかじめ浴槽や大きな容器に水をためておくこともよくあった。
断水になると、その水で料理をし、食器を洗い、体も洗わなければならない。一日中、水を節約して使う日もあった。
そんな日のことを思い出した。
今、家で蛇口をひねれば水が出るということ自体が、実は「奇跡」なのではないか。
もちろん、あまりにも当たり前のことなので、
「そんなことのどこが奇跡なのだろう」
と思う方もいるかもしれません。
けれど、今、私たちが当たり前に目にする環境の多くが、ほんの40年ほど前までは決して当たり前ではなかったと考えてみると、奇跡ではないものなど、ほとんどないのかもしれません。
電気があるおかげで、これほど暑い日でも、エアコンをつければ生き返るような心地を味わうことができます。それもまた、奇跡と言えるほどではないでしょうか。
では、そのように考えたとき、心に浮かんでくる感情は何でしょうか。
それは、「感謝」です。
当たり前だと思っていたことが、本当は決して当たり前ではなかったと気づいた瞬間、心の中には自然と感謝の気持ちが生まれます。
私たちがこのような暮らしを送れるように、長い間、力を尽くしてきた多くの人たちに感謝の気持ちが湧いてきました。
それが誰なのかは分かりません。
それでも、心の中で感謝を伝えました。
「この世界には、違う目線で見ると感謝すべきことが思っている以上にあふれている。」
そんなことをあらためて感じた夜でした。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
