人吉鉄映会 -8ページ目

人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

人吉鉄映会です。

 

今回は湯前線でマヤ車が運行した時の写真をお送りします。

 

東人吉-川村間 1974年(昭和49年)10月 試9373レ

48679+マヤ+58654

48679号は車籍上、国鉄で最後まで残った8620型(1975年(昭和50年)5月6日廃車)。

58654号は現在のSL人吉

 

人吉駅 1981年(昭和56年)5月 試9331レ

DD16 36+マヤ+DD16 番号不明

 

人吉-東人吉間 山田川橋梁 1981年(昭和56年) 5月 試9391レ

 

 

川村-東人吉間 1985年(昭和60年)5月 回9332レ

DE10 1758+マヤ

 

今回もご覧いただきありがとうございました。皆さんもお体ご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

今回の懐かしシリーズは人吉・球磨を駆け抜けたディーゼル気動車(以下ディーゼルカー)をお送りします。

 

まず、人吉・球磨のディーゼルカーの歴史から・・

 

戦後日本が復興を果たすと高度経済成長で国民の生活も豊かになっていきます。そういった中で生活に余裕ができた国民は観光地、行楽地へのレジャーへの関心も高くなっていきます。人吉・球磨地方は「人吉温泉」や「球磨川下り」を観光資源としたいところですが、九州山地の盆地にある人吉・球磨地方はトンネル区間が多く、蒸気機関車の煤煙が列車での往来に大きな障害となっていました。

 

このため人吉市と観光協会が鉄道当局に陳情し、1951年(昭和26年)12月1日に八代-人吉-湯前間にディーゼルカーが運行される運びになりました。

人吉に初めて登場したディーゼルカー キハ41600形(キハ-06)

先頭キハ41638(キハ-06 39) 1955年(昭和30年)5月 湯前線 東人吉-川村

 

キハ41600形はキハ41000形(昭和8~10年に作成されたガソリン動車)をディーゼル機関に変更したキハ41500形と同等のディーゼル気動車として1951年(昭和26年)に新造したものです。キハ41500にはない天井部の雨どいが付いています。

ちなみにキハ41600は1957年(昭和32年)の車番変更でキハ-06になっています。

 

人吉に配属されていた41600形は41638~42(1951年(昭和26年)10月製、のちのキハ-06 39~41)、41649(同11月製、のちのキハ-06 50)の6台です。これらの気動車はその後キハ-04のエンジンに乗せ換えられキハ-04 100番台に改造されたものもありますが、このキハ41638(キハ-06 39)は1966年(昭和41年)5月19日 加古川で廃車になっています。

 

記録によるとこの気動車は大人気で、いつも学生を中心として満員であったそうです。写真にも学帽を被って窓から顔を出した多くの学生が写っています。

 

 

次はキハ17(旧キハ45000)です。

本格的量産ディーゼル気動車として登場したキハ17

 肥薩線 人吉-西人吉 1957(昭和32年)10月

 

キハ17 42 湯前線 木上(きのえ)-免田間 325Dレ 

1973年(昭和48年)1月

 

キハ45000(のちのキハ17)は1953年(昭和28年)から製造開始され、1957年(昭和32年)キハ20系が登場するまで全部で402台製造されています。トイレ付きの片運転台車両です。人吉機関区には10台在籍していました。

 

写真のキハ17 42 は、1953年(昭和28年)12月製。 千葉から1955年(昭和30年)に人吉に転籍し、1979年(昭和54年)4月 人吉で廃車になっています。ちなみに走行している線路の傍らには現在くま川鉄道となって新しく開業した「おかどめ幸福駅」が作られています。

 

 

 

キハ17 308 湯前線 川村-東人吉間 324Dレ 

1973年(昭和48年)11月

キハ17 308 1956年(昭和31年)3月製 鹿児島から1960年(昭和35年)人吉区へ 1979年(昭和54年)廃車

 

キハ17 35 湯前線 一武-肥後西村間 324Dレ

1973年(昭和48年)11月

キハ17 35 1953年(昭和28年)11月製 東唐津から1961年(昭和36年)人吉区 その後島原へ転籍

 

この時代のディーゼルカーはまだいわゆる標準色。のちに出てくる朱色5号の「つまらない」首都圏色とは全然違ってかっこいいですよね。今のディーゼルカーはほとんど感じませんが、当時機関区や駅に行って停車しているディーゼルカーからはいかにも「ディーゼルエンジンですよ!」と言わんばかりにカン、カン、カン・・・・と大きな音を出していたのを思い出します(自動車のディーゼルエンジン車もそうでした)。なぜか心地よい音でした。

 

とりあえず今回はここまで、また紹介しますね。

 

コロナウイルスに感染され闘病されていらっしゃる方に心よりお見舞い申し上げます、また医療に従事されていらっしゃる方に心より敬意を表します。

 

皆さんもご自愛ください。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

毎日コロナのニュースばかりで、いつ明るい兆しが見えるのか分からない中、色々な施設も閉館になり暇を持て余すばかりの毎日の方も多いと思います。

そんな中、当方も始め、多くの方が投稿されているようにSL人吉も運休中であります。

 

SL人吉といえば、現在は休館中なのですが門司港の九州鉄道記念館での人吉鉄映会の祖「福井弘」の回顧展の開催を記念して、3月29日に写真撮影会を開催予定でしたが、コロナ蔓延防止のため残念ながら中止をいたしました。

そこで会の活動者の方が個人で3月29日に撮影に行かれて、その時の写真が送られてきました。

当人は個人的に行かれたとはいえ、さすがに被写体はSL人吉。多くの撮り鉄がいらしたそうで、結構賑わっていたそうです。

 

それも束の間、現在は運行しなくなってしたので、運休前の姿、となってしまいました。

 

コロナが収束して運転再開となればまた撮影も含め、SL人吉を満喫できるようになるので、ひたすら今は我慢しましょうね。

球磨川第二橋梁にて 2020年3月29日

 

芋川橋梁にて 2020年3月29日

 

コロナに感染され闘病されている方に心からお見舞い申し上げますとともに、一刻も早い完治を願っております。

また患者さんに対応されている医療従事者の方に敬意を示します。

 

皆さんもお体ご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

全国的に緊急事態宣言が発令された中、遂に東京の感染者も200名を超え、いつになったら集束の兆しが見えるのか全く見えない状態になってしまいました。

 

そんな気持ちが滅入ってしまう昨今でありますが、今回はそんな中でほっと出来る、懐かし写真2葉をご用意しました。少しでも心が和んで頂けたら幸いです。

 

 

小さな子供を汽車(58654号)に乗せ、記念写真を撮るお母さん。傍ではまだ小さい弟(or妹)を抱え、それを見守りって目を細めるおじいちゃん。

1970年(昭和50年)3月3日 湯前線 多良木駅にて

 

何かハチロクも子供を見守る優しい紳士(?)に見えてきそうな感じです。田舎のほっこりする風景ですね。

ここで国鉄職員が「あ、危ないんで」と出てきたら「職員OUT~!!!」ですね。

 

 

上り、下りの列車が停車する中、激務の間に機関士同士が語らうひととき

左 871レ D511545    右 872レ D511058

1968(昭和43年)9月29日 肥薩線 大畑駅にて

 

肥薩線山線(人吉-吉松間)は最大30.3‰の山越えを行う全国有数の難所です。そういった厳しい運行を行う機関士の方が何気に雑談でしょうか、語り合っている風景です。

今では運行本数も減り、上下線の列車が大畑駅ですれ違う風景は決して見られなくなりましたが、そうした懐かしい風景の一コマです。

 

 

 

コロナウイルスに感染され苦しんでいらっしゃる方にお見舞い申し上げます。

また、医療に従事され対応されていらっしゃる方にも心から感謝と敬意を申し上げます。

 

今の事態は何かしら全ての人に不都合を与えてます。早く収束させるためには、ひとりひとりの心がけですね。みんなで頑張りましょう!

人吉鉄映会です。

 

コロナ感染の勢いが衰えない中、各地で列車の運休が行われています。

ただ、肥薩線関係の列車は何とか運行を続けていたのですが、ついに本日15日に観光列車の5/31まで運休が発表になりました。

 

観光列車は熊本-人吉間の特急列車も兼ねています。人吉・球磨への足も単純になくなってしまうことですね。

ん~、車でいいから来てほしいのもある一方、コロナが収束してじっくり来てほしいな、という思いもあり・・・・

 

また、帰ってきてね~

 

昨日が熊本地震前震、明日が本震から4年になります。道路、鉄道も復旧し、元の生活に戻ろうとしています。しかし、その矢先のコロナ。全世界の通常の生活を奪っていますが、今が辛抱ですね。2,3か月後に笑って振り返えられればいいですね。

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は昭和47年(1972年)に起きた豪雨による土砂崩れで埋もれてしまった、真幸駅の惨状などについてお送りします。

現在の真幸駅。矢岳峠を越えて一段落、という駅です。山間の静かな駅です。

 

肥薩線の真幸駅(宮崎県)は「真の幸せ」という語呂合わせもあり、入場券などの切符が需要がある駅で、実際行かれた方はこの駅にある「幸せの鐘」をたたかれた方もいらっしゃるでしょう。

 

その真幸駅のホームの端に大きな岩があるのはご存じでしょうか。

 

矢岳方向から真幸駅に到着前、ホームの大きな岩が見えてきます。(右側が駅舎。転向線に向かういさぶろう号より)

 

真幸駅に到着すると乗客の皆さんは、乗ってきた「いさぶろう・しんぺい号」の撮影や駅舎の訪問、そして幸せの鐘を鳴らす、もうちょっとマニアックになると、スイッチバックの線路を写す、これが一般的な行動ではないでしょうか。今回紹介する岩を見にホームの端に行かれる方は少ないですね。

岩には「山津波記念石」と銘うたれ、いわれを書いた掲示板があります。

 

まずは災害が起きる前の真幸駅の風景

1971年(昭和46年)3月矢岳へ向かう「えびの2号」  手前には蒸気機関車が駐機している

 

真幸駅を出て矢岳越えに挑むD51混合列車 真幸駅は山中の駅です。

 

1972年(昭和47年)7月の3日から6日にかけて集中豪雨が発生。これにより駅の裏山が崩落。家屋が27戸(別資料によると28戸というものもある)を押し流す山津波が発生。死者4名を出す大惨事になりました。土石流は30万㎥のも及び真幸駅を埋め尽くしました。このとき流れ込んできた8tの巨石が上に紹介した「山津波記念石」になります。

 

 

写真奥、土砂が流れ込んで線路が埋まった真幸駅 1972年(昭和47年)

 

駅に駐機していた蒸気機関車も被災。駅関係者が状況確認

 

真幸には真幸鉱山という鉄鉱石の産地がありました。流れ込んできた土砂が赤茶けていたのを覚えています。今でも駅周辺の湿地も似たような赤褐色の水たまりが見られます。

また真幸鉱泉というものもあり、いまでも飲める水が湧いているそうです。土石流に流される前は駅の奥側の山沿いに「真幸コーセン」という大きな看板も出ていました。(なぜかカタカナ表記でした)その看板も流されてしまいました。

 

その後、関係者の懸命な復旧により、九州の南部中央を走る当時は大動脈であった肥薩線は無事復旧しました。

まだ大量の土砂が残る真幸駅から矢岳方面へ向かう復旧最初の列車(DD51) 

1972年(昭和47年)8月24日

被災前のD51が走る写真と同じ場所から撮影

駅のホームには土砂を被った蒸気機関車がまだ残る

同上

 

今の石をよく見ると何と松の木が生えてきていました。もう50年も前の出来事。時代の流れを感じます。

 

 

・・・・と、真幸駅の被災の話はここまでですが、この時期の豪雨は更なる災害を巻き起こしました。

 

1972年(昭和47年)7月5日21時40分、人吉・大畑間を進行中の列車(DD51758+オハフ61139)が連日の豪雨で崩壊した築堤に突っ込み、転覆しました。この事故で機関士・乗客に負傷者がでました。

 

 

DD51はその後引き上げられましたが、客車(オハフ61139)は現地で解体されました。 

 

コロナで気を取られてましたが、あと1か月少しでもう梅雨に入りますね。最近の梅雨は毎年のように極端な豪雨で人命・財産(家)などを奪われてしまうような甚大な被害に至っています。

 

今回はそういった肥薩線の「負」の出来事を紹介しましたが、今年はこのようなご時世なので少なくとも豪雨にまで至らないことを切に願うばかりです。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

コロナに感染された方に心からお見舞い申し上げるとともに早い回復を願っております。

また、緊急事態宣言で自粛の影響をまともに受けている方もいらっしゃると思います。早い収束を願っております。

 

 

人吉鉄映会です。

 

懐かしの人吉・球磨鉄道写真の第8弾は急行くまがわ号として運用されていたジョイフルトレイン「アクアエクスプレス」です。

 

アクアエクスプレスは1988年(昭和63年)から2002年(平成14年)まで運用されたJR九州のジョイフル・トレインです。

原型はキハ28(1号車)とキハ58(2,3号車)で、特に1号車、3号車は写真のように前面を改造されています。(2号車の外装は塗装変更のみ。)

 

この列車は香椎線(西戸崎駅~香椎駅~宇美駅)を走っていたキハ58系臨時列車「サンシャイン号」の後継として誕生しています。車両デザインは今やJR九州の列車と言えばこの方、工業デザイナーの水戸岡鋭治氏であります。水戸岡氏は数々のD&S列車を設計されていますが、このアクアエクスプレスが記念すべき最初に手掛けられた列車になります。

 

3両編成で

1号車 キハ28 7001 (キハ28 2445)

2号車 キハ58 7003 (キハ58 702)

3号車 キハ58 7004 (キハ58 703)

 

運用は1988年(昭和63年) 7月30日から博多-西戸崎間で開始され、1992年(平成4年)までこの路線で運用されています。

 

その後、人吉キャンペーンの一環として熊本運転区に転籍して、1993年(平成5年)急行くまがわの車両として運行しています。

1998年(平成10年に)中間車のキハ58 7003が廃車になったあと、くまがわ号の運用は2000年(平成12年)終了してます。(完全廃車による消滅は2002年(平成14年))

キハ28・58を改造したなんて言われないと分からないくらいに見た目が違いますね。今肥薩線を走っているD&S列車の「いさぶろう・しんぺい号」や「やませみ・かわせみ号」は外見はほぼ残して、内装や塗装を作り替えてますので違いが面白いですね。

 

くま川鉄道 肥後西村-川村を走る 4Dレ (2枚とも) 

くまがわ号として運行前の1993年(平成5年)3月14日 (運行開始は3月18日)

 

 

肥薩線 一勝地-球泉洞 1816Ðレ 1995年(平成7年)5月

 

肥薩線 渡-西人吉 1811Dレ くまがわ1号 1997年(平成9年)3月

 

海の観光のための列車が、その後海もない川沿いを走ることになるとは面白いですね。

肥薩線ではSL人吉を除いて、面構えが個性的な列車も見れなくなりました。一時的乗り入れでもいいので今の定期観光列車以外もこないかな~、と節に思っているこの頃です。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。自粛で辛い生活をされていらっしゃる方もおられるとは思いますが、まずは感染防止。

お体ご自愛ください

人吉鉄映会です。

 

主要都府県では緊急事態宣言が出され、日ごとに患者数の更新されている事態になっています。

当所熊本県では爆発的感染もなく緊急事態宣言は出ていないものの、それでも毎日のように患者が発生しています。昨日は県初の死亡例も出るなど、多分に漏れず自粛要請が出されている状況です。

 

そのような状況ではなかなか撮影に出かけることもはばかれるご時世で(3密ではないのですが・・・)、お休みとなれば写真や資料・データー整理で巣ごもりして時間をつぶす日々です。

先週は桜が満開でしたが、今日はすでにほぼ葉桜・・・もう夏に向かっています。

 

・・・ということで、今回は先々週の3月29日に熊本市西区の白川橋梁で撮影したSL人吉です。

SL人吉の橋梁写真といえば、球磨川第一橋梁、第二橋梁が有名ですが、橋梁を渡る車両を見るのはテンションが上がります。

この場所は熊本駅のすぐ手前で写真は上り列車なので、熊本駅到着5分前の位置になります。(橋を抜けたすぐ先は貨物駅)

この路線は鹿児島線になり、SL通過直前には「A列車でいこう」も通過します。

 

前置きが長くなってしまいましたが、ご覧ください。

 

今後も巣ごもりでまとめた昔の懐かしい写真やら、お出かけして撮影した写真などをご紹介します。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。早く収束してくれて行動が自由になるといいですね。皆さんも体をご自愛ください。

人吉鉄映会です。

 

懐かしの人吉・球磨鉄道写真シリーズも7回目。

今回は肥薩線の懐かしと言えば、何といっても蒸気機関車 Ð51です。

 

以前大畑駅のスイッチバックを取り上げましたが、約50年以上前にはそこから矢岳峠を越えるため、そのスイッチバック、ループ線を力強く走る重装備D51がいました。

 

肥薩線山線路線図  熊本県球磨地域振興局発行パンフより(再掲) 

 懐かし③でスイッチバックを紹介しましたが、ループはその先です。

 

 

 Ð51890 121レ 大畑ループ線 1961年(昭和36年)4月

門司港発、都城行きの列車です。夜行列車も人吉、大畑まで来ると日も上がりすっかり朝方になります。二等車も連結されていました。ループ線の中に立てられていた「ループ線」標識。当時は有名な標識でした。今は看板に変わっています。

こうしてみると非常に見晴らしがよく、いい撮影スポットですが、当時の蒸気機関車が走る沿線は火の粉が飛んで火災にならないよう、綺麗に線路沿いが整備されていました。(だたそこにたどり着くまでは果てしない道なき道を歩いて行かなければならない。)そんな山奥ではあります。

今やディーゼル車だけが走る路線となった肥薩線は火災のリスクもなくなり沿線を整備する必要もなくなったため、こういった景色は見られなくなりました。

写真を整理していて、門司港発、都城行きかぁ・・・今はそんな長距離列車無くなったなぁ・・・、列車も景色も今となっては感慨深い写真です。

 

 

大畑駅 スイッチバック転向線発車後のÐ51572 1965年(昭和40年)4月 

この煙感が蒸気機関車の醍醐味ですね。敢えて発車後や上り坂で撮る、みたいな((´∀`))   ボッ、ボッ、ボッ‥‥‥

 

 

大畑ループ線 Ð51545 補機Ð51170 4589レ 1965年(昭和40年)5月

当時、肥薩線の山線を撮っていたプロを含めた鉄道撮影者の方は、矢岳峠を力強く登っていくÐ51の姿をこのループ線やここから矢岳方面へ進んだ大野S字築堤で、補機も入れた編成を写すのが定番中の定番でした。

肥薩線の山線の大畑-矢岳間のいわゆる「矢岳越え」はカーブが多く、勾配もきついため(最大30.3‰)、補機を従えての運行でした。先頭車両から補機まで網羅するにはカーブでの撮影が一番です。肥薩線には幸いにもそういった撮影ポイント(=カーブ)があったので、蒸気機関車写真撮影の一大ポイントとなっていました。

この写真はワム、ワム、ワム、ワム・・・・・・・・・・・・貨車ええなぁ・・・昔はこういった混合も含めた長編成列車が当たり前の時代でした。

ちなみに現在、2両編成のしんぺい号がループを通過しているところを2両目から先頭方向を写しましたがこんな感じ。

当たり前だけど少し曲がっているみたいではあるが、ループ走ってる感、ゼェ~ロォ~です。(´;ω;`)

時代が変わればこんなものです。

 

大畑 Ð511687 814レ 1965年(昭和40年)6月 

築堤を走るÐ51 旅客列車

大畑 871レ 60.3k地点 1965年(昭和40年10月) 正に「山」線!煙の感じが最高!!

 

大畑-矢岳間 861レ 1965年(昭和40年)12月 

 

大畑ループ線を走るÐ51700 861レ 1966年(昭和41年2月)

 

矢岳を目指すÐ511058 左側に「ハエたたき」電柱が見られる。 1966年(昭和41年)9月

 

大野築堤を進むÐ511151(先頭)・Ð51170(補機) 873レ 67.4k地点 1966年(昭和41年)9月 

 

上の写真と同じ場所 Ð511058(補機不明) 1966年(昭和41年)11月 煙の出方でこんなに違うんですね。

 

まだまだいっぱいありますが、今回はこの辺で。また整理が進んだら第2弾をお送りします。

 

今回もご覧いただき、ありがとうございました。

人吉鉄映会です。

 

懐かしの鉄道写真、今回は湯前線(現くま川鉄道)を走っていたキハユニの写真です。

 

キハユニ15 2

1958年1月製造 1975年8月4日廃車

新造から廃車まで人吉機関区配属

 

愛らしい顔💛  人吉機関区 1970年(昭和45年) 2月

 

1974(昭和49年)4月 東免田-多良木

 

1974年(昭和49年)3月 人吉-川村 693Dレ

 

1973年(昭和48年)11月 川村 324Dレ

 

キハユニ26 2

1958年12月製造 1984年2月29日廃車

新造から廃車まで人吉機関区配属

1982年(昭和57年)11月 東人吉-川村 2326Dレ(後方はキハ58形+キハ47形)

 

キハユニ26 34

1961年1月製造 1985年2月22日廃車

新造配属美濃太田  1975年3月人吉機関区配置 廃車まで人吉機関区配属

1979年(昭和54年)1月 東人吉-川村 2325Dレ(後方はキハ16+キハ58)

 

1985年(昭和60年)2月 東人吉 2325Dレ(後方はキハ47形)

 

キハユニ26 35

1961年1月製造 1985年2月22日廃車

新造から廃車まで人吉機関区配属

1983年(昭和58年)1月 2325Dレ 東人吉

 

そして、終焉の時・・・

人吉駅での小荷物取り扱い廃止により使用停止で留置。廃車待ち・・・・

手前からキハユニ26 55・35・26・34

1985年(昭和60年)3月17日@人吉駅

 

郵便荷物二等合造車、キハユニ・・・・

郵便物も荷物も人も運ぶ働き者の気動車です。こういう車両が姿を消して寂しいですね。

 

ではまた