人吉鉄映会

人吉鉄映会

熊本県人吉市・球磨郡を走る肥薩線・湯前線・くま川鉄道の今と昔を発信していきます。

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人吉鉄映会です。

 

7月2週目の豪雨が1年前の悲劇を思い出させるようでしたが、幸いにも被害が出なくて何よりでした。

ただ、熱海の土砂災害は心が痛みます。亡くなられた方のご冥福を祈るとともに被災された方に心からお見舞い申し上げます。

 

さて、昨年の豪雨で被災した肥薩線の復旧を祈って懐かしの肥薩線川線(八代-人吉)を過去2回に渡お送りしてきました。ただ50年前の白黒写真だったので「記録」としてはそれなりの価値はあったと思いますが「映え」はイマイチでしたので(笑)、時代はずっと下って平成時代の懐かし風景をお送りします。

 

①1996年(平成8年)3月31日

  肥薩線上り856Dレ キジ馬号

 一勝地-球泉洞間

 

 

②1996年(平成8年)3月31日

  肥薩線下り5611Dレ くまがわ号

  白石駅

 

 

③1996年(平成8年)3月31日

  肥薩線上り860Dレ キハ140-2040    

  吉尾駅

 

 

 

④1996年(平成8年)3月31日

  肥薩線下り8881Dレ キハ31    

  吉尾駅

 

 

⑤1996年(平成8年)3月31日

  肥薩線下り863Dレ キハ140-2040    

  球磨川第1橋梁

 

 

⑥1997年(平成9年)3月30日

  肥薩線下り1191Dレ えびの1号

  球磨川第2橋梁

 

 

⑦1997年(平成9年)3月30日

  肥薩線上り1112Dレ くまがわ

  吉尾

 

 

⑧2001年(平成13年)6月3日

  肥薩線上り1266Dレ キハ31

  海路-瀬戸石

 

 

⑨2001年(平成13年)10月7日

  肥薩線下り9261レ 58654 SL人吉号

  万江川橋梁 西人吉-人吉

 

 

⑩2001年(平成13年)10月11日

  肥薩線下り9263レ DE10 1735

  白石駅

 

 

⑪2001年(平成13年)11月22日

  肥薩線上り1108レ くまがわ号

  吉尾-海路

 

 

 

⑫2004年(平成16年)1月3日

  肥薩線下り1108レ くまがわ号 先頭キハ58‐775

  球磨川第2橋梁 那良口-渡

 

 

 

⑬2004年(平成16年)1月4日

  肥薩線下り1231Dレ キハ31‐14

  球磨川第2橋梁 那良口-渡

 

⑭2004年(平成16年)3月13日

  肥薩線上り9262レ SL人吉号

  人吉-西人吉

 

 

⑮2004年(平成16年)1月13日

  肥薩線下り1073Dレ 九州横断特急3号 

  肥薩線上り1078Dレ 九州横断特急8号

  渡駅

 

⑯2004年(平成16年)1月19日

  肥薩線下り1081Dレ くまがわ1号 

  球磨川第2橋梁

 

 

⑰2013年(平成25年)11月26日

  肥薩線下り8241レ SL人吉 

  球磨川第2橋梁

 

平成時代にはいると「九州横断特急」(キハ185)や「くまがわ号」(キハ58系など)、今回は登場しませんでしたが、「いさぶろう・しんぺい号(1号・4号)」そして「やませみ・かわせみ」(ともにキハ40系)といった個性的な気動車、そしてそして何よりJR九州唯一の蒸気機関車でやがて100歳を迎える58654号の「SL人吉」が日本3大急流の球磨川に沿って勇姿を見せていました。

列車が走っているのが当たり前と思っていたので、それがなくなってしまっている現状、100年レイルと名乗っていた肥薩線がったった1日で壊滅してしまったという現実、未だに受け入れられないのが正直な気持ちです。

 

とにかく私が生きているうちに肥薩線が復活して、よぼよぼで杖をついてでもカメラを抱えて球磨川沿線で列車が撮れれば何もいうことはありません。

 

次に本の紹介です。

熊本南部水害からょうど1年目の7月4日に球磨人吉の情報誌「どぅぎゃん」から「豪雨災害の記録」という本が出版されました。

水害直後から1年間の被害状況を集めた写真集になっています。もちろん肥薩線、くま川鉄道の惨状も取り上げられています。1冊600円、熊本県南(八代以南)では書店やコンビニ、熊本県北では大型書店で取り扱ってあります。それ以外の方はネット販売もされていますので関心があられる方は是非どうぞ。余談ですが、読者から寄せられた写真コーナーに小生も投稿していましたが、めでたく採用していただきました。

 

最後にチョット嬉しかったネタ。

先日長崎で引退したキハ66・67ですが、たまたま通りかかった川尻操車場に駐機されていました。

キハ66-1 川尻操車場 7月7日

キハ66+67

これ以外ににもSSL色やハウステンボス色もいました。全ての車両がここに一旦駐機され、その後解体されるそうです。

会えるとは思ってなかった車両、それに懐かしい急行色を見られていい七夕になりました。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・坂本 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回も前回に引き続き肥薩線川線(八代-人吉)の懐かしい鉄道写真をお送りします。

 

①1969年5月18日

  えびの2号 肥薩線下り1113Dレ 球磨川第2橋梁

  那良口-渡

 

 

②1969年5月18日

  えびの1号 肥薩線下り1116Dレ 

  那良口-一勝地

 

 

③1969年5月28日

  C57169[人] 肥薩線下り129レ(熊本-吉松) 

  球磨川第2橋梁

 

 

④1969年5月28日

 C5748[人] 肥薩線下り869レ

 一勝地-那良口

 

 

⑤1969年6月1日

  肥薩線上り622Dレ(人吉-八代) 球磨川第2橋梁

 

 

⑥1969年6月1日

 C579 肥薩線下り1121レ(門司港-都城) 

 球磨川第2橋梁

 

 

 

 

⑦1969年7月17日

  えびの2号 肥薩線下り1113Dレ

  一勝地

 

 

⑧1969年8月12日

  C57100[人] 肥薩線下り867レ

  白石-大坂間

 

 

⑨1969年6月12日

 C57195[人]  肥薩線下り8617レ 臨時急行「ひとよし号」・くまがわ 肥薩線上り118Dレ 交換

 白石駅

 

 

⑩1969年8月16日

 C57169 肥薩線下り129レ(熊本-人吉)

 渡駅

 

 

⑪1969年3月18日

 えびの2号  肥薩線下り1113Dレ

 大坂間-一勝地

 

最後にSL人吉情報。

 

6月12日運行からお供のDE10にもSL人吉のHMが付けられました。

これで鳥栖からの下り運行でもSL人吉とわかりますね(笑)

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

 

肥薩線の復旧についてJR九州の青柳社長が今年度中に復旧費を算出し、今後の方向性を決めるとのコメントがありました。以前から復旧は100億円程度とも言われていましたが、これではっきりとした数字が出ることになります。

 

但し、青柳社長は肥薩線はSL人吉を始めとする重要な観光路線とは認めつつも、生活路線ではないため慢性的な赤字路線で、多額の復旧費をつぎ込んでまで復旧すべきなのかというニュアンスのコメントもありました。沿線自治体の支援なくてはと言うのが最低限の条件になるようです。

 

間もなくあの水害から1年になります。熊本のTVではローカルニュースなどで水害関連情報が毎日のように取り上げられています。川線を走っているSL人吉の映像が流れるとさすがに心が痛みます。やはり観光が人吉球磨の最大の売りであることは明らかです。今後JR九州と自治体などの協議を踏まえた結果を待つのみです。

 

ということで、懐かしシリーズは肥薩線川線の古きよき風景を数回に渡ってお送りしようと思います。

 

①1969年(昭和44年)3月5日

  えびの2号 肥薩線下り1113Dレ 

  那良口-渡 船戸踏切  後方は球磨川第2橋梁

 

②1969年(昭和44年)3月10日

  C57130 肥薩線上り868レ  

  渡-那良口 球磨川第2橋梁

 

 

③1969年(昭和44年)3月5日

  C5737 肥薩線下り129レ(熊本-吉松)  

  那良口-渡 球磨川第2橋梁

 

 

④1969年(昭和44年)3月18日

  C57169 肥薩線上り貨物6866レ  

  大坂間(現球泉洞)手前

 

 

⑤1969年(昭和44年)3月18日

  肥薩線下り625Dレ(八代-人吉) 

  大坂間-一勝地

 

 

⑥1969年(昭和44年)3月18日

  「やたけ」 肥薩線下り801Dレ 

  大坂間駅(現球泉洞駅) 先頭キハ58613

 

 

 

⑦1969年(昭和44年)4月2日

  えびの1号 肥薩線上り1116Dレ 

  段-八代

 

 

 

⑧1969年(昭和44年)4月6日

  肥薩線上り626Dレ(湯前-八代)  

  一勝地-大坂間(現球泉洞)

 

 

⑨1969年(昭和44年)4月11日

  C57169 肥薩線下り867レ 

  大坂間(現球泉洞)-一勝地

 

 

 

⑩1969年(昭和44年)5月4日

  肥薩線上り628Dレ(人吉-熊本) 

  那良口-一勝地  芋川橋梁

この場所はSL人吉の撮影スポットしても有名なところです。

2018年(平成30年)4月13日  

肥薩線下り SL人吉 芋川橋梁

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

人吉鉄映会です。

 

41回目の懐かし鉄道写真シリーズは人吉・大畑を疾走するD51の連続写真を3題用意しましたので、ご覧下さい。

 

D51687  補機D51700

肥薩線下り871列車(人吉発 吉松行始発)

大畑ループ線(大畑-矢岳)

1968年(昭和43年)3月24日

 

 

 

 

 

 

 

一番最後の写真の所がループ線の終点になります。この下に横平トンネルがあります。

見づらいですが写真の真ん中あたりに「ループ線」と書かれた白い柱が立っていて当時はループ線の象徴になってました。

いさぶろうしんぺい号ではここで一旦停車し、眼下に大畑駅を望む風景を楽しめました。今となっては色んな意味で懐かしい情景です。

 

 

 

 

D51700  補機D51572 

肥薩線下り4589列車(人吉発 吉松行)

八代起点56.8Km地点(人吉-大畑間)

1969年(昭和44年)4月18日

 

 

 

 

 

人吉から大畑に向かう地点ですが、球磨川第3橋梁を過ぎると大畑方向には25‰の勾配を上っていくことになります。補機の572号機が力強く車列を押している様子が見られます。

それにしても長編成の混合列車です。この頃は人やモノを運ぶのに肥薩線は重要な役割を果たしていました。

 

 

D51700  補機D51890 

肥薩線下り4589列車(人吉発 吉松行)

大畑ループ線(大畑-矢岳間)

1969年(昭和44年)4月27日

 

 

 

 

 

 

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

3月22日、JR九州からニュースが発表されました。内容はSL人吉を5月1日から当面6月末までの土日祝日に、熊本-鳥栖間を運行するとのことです。

再びSL人吉を見られるのは結構なことですが、「また熊本以北運行かよ!」というのが正直な気持ちです。できれば熊本-八代間の運行も設定していただきたかったのが正直なところですが、これは以降の展開に期待したいところです。指定券の価格が倍になってるようですが、それでも即売(秒売?)は間違いないでしょうね。

 

思えば約1年前の2020年の3月14日がこの年のSL人吉の初運行でした。

SL人吉 鹿児島本線下り 人吉行き 川尻-富合 2020/3/14

 

SL人吉 人吉駅転車台にて 2020/3/14

思えばこの頃はコロナが流行しだした頃で、運行自体も危ぶまれてました。結局コロナ、それに豪雨の影響でSL人吉は人吉で見られなくなってしまいました。

 

今回は運行再開記念ということではありませんが、この人吉の宝、「58654号」が人吉機関区に配属された時の様子をご覧いただきます。ちなみにブログタイトルは以前のC55が配属されたときをそのまま流用しました(笑)。我々の世代はこれがわかりやすいだろうと・・・・

 

 

 

C57195が牽引する861列車に付随して若松区より人吉区に移送される58654号(2両目)

1968年(昭和43年)6月1日 肥薩線下り 西人吉-人吉

正に今人吉機関区に向かっている58654号です。2両目なので肝心の「顔」まで見えませんが、この車両が今後日本で一番有名なハチロクになるとは誰も予想だにできなかったことでしょう。

 

 

転籍翌日は人吉構内で貨物入れ替え作業を行い、「慣らし運転」を行ったようです。

 

58654 人吉構内 入れ替え作業中

1968年(昭和43年)6月2日

人吉区在籍としての「最古」の写真です。

 

そして58654号は主戦場たる湯前線で主に木材を運ぶ貨物列車牽引機関車として活躍します。

58654 湯前線下り貨物372列車 川村-東人吉

1968年(昭和43年)6月6日

 

58654 湯前線下り貨物 川村

1968年(昭和43年)6月13日

(ネガの劣化で色合いが悪いです)

 

スタイリッシュで黒光りしたSL人吉号はデフも煙突もリニューアルしてますので、現役時代の58654号とは多少趣きも違いますが、やはり昔から湯前線を走っている姿をみてきただけに、自分としてはこちらになじみがあります。

 

58654号 人吉機関区 1968/12/6

 

ここからは余談になりますが、なぜこの時期に8620型が人吉に転籍したのかの理由の1つに、人吉区の78690号が1968年(昭和43年)5月10日(もしくは11日)にシリンダーに亀裂発生し、休車になったことがあげられると思います。これで湯前線の貨物牽引車が1両減ったわけなのでどこかから持ってくる必要性があったと推測されます。それがたまたま若松区の58654号だったのでしょう。この78690号は5月23日に一休車駐機のため真幸駅に回送され7月20日に廃車になってます。

D51700に牽引される肥薩線下り861列車(人吉-吉松)に連結され(2両目)真幸駅に回送される78690号

山田川橋梁 1968/5/23

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

今回は水害被害から復興中の人吉駅周辺の「今」をご紹介します。

 

人吉駅駐車場に誕生した仮設商店街「モゾカタウン」

 

まずは駅前のからくり時計前に「竜」が登場してます。

 

結構うまくできている竜です。お城と竜、面白い組み合わせですね。

 

そして水害で被災した商店の仮店舗が集まった「モゾカタウン」が出来ました。

 

 

プレハブの建物が向かい合わせに並び、間に屋外で食べられるスペースがあります。各店主はここで商売をしながらまた元のように町中での再開を目指すことになります。

 

パンフレットより

 

食べ物屋さんを始め色々なお店が入っています。各お店コロナ対策には十分配慮されていますが、屋外で食べたいな、という方には注文したものを先ほどの屋外テーブルにも持ってきてもらえます(お客さんの入りの状況でも変わると思いますが)

ただ開店が10時から11時と遅いので朝飯というよりお昼、そして夜の食事、更にちょっと1杯には最適です。是非お出かけください。1か所に集まっているのは非常に便利です。私は大勝軒さんのとんこつラーメンを頂きました。 美味しかったです。

 

そしてそのお隣、MOZOCA STATION も再開しました。過去のブログに水害で休館ではなく、閉館ではないかという情報を書かせていただきましたが、再開という運びになりまずは何よりです。

 

で、何か変わった?と言われても大幅には変わってません。コロナ対策で図書閲覧禁止、飲食禁止は継続中です。ミニSLは運行中。そして動いていない(動かさない?)プラレールのレイアウトが2面追加。目玉は八代の有名な愛好家が保有していらっしゃった行先板(サボ)が12枚新たに追加されたことでしょう。

上はその一部、ブログでも取り上げた年末年始の帰省用大阪直行便「ひとよし号」のサボです。貴重品です。ただこれだけの展示ではまだまだ物足りないですし、「人吉鉄道ミュージアム」を名乗るぐらいなら更なる展示も必要です。

 

で、やることは下の写真のコメントを(サボのショーケースに貼ってあります)。当会で所有している大量の鉄道写真を駆使して来られた方に人吉球磨の鉄道の魅力を伝えられればと思っています。有志の方が懸命に各方面に働きかけて頂いたおかげです。これで肥薩線復旧の機運が高まればという思いがあります。

 

そして今日もちびっ子のためにミニSLは走り続けます(左はくま鉄検修庫、右はモゾカタウン)

 

 

さて、機関区のいわゆる「クラ」には未だ豪雨で動けなくなったキハ140と220が駐機中ですが、140の車体には

 

 

ファンの思いが詰まった「愛のらくがき」

 

なぜかキハ140の左目から感謝の涙が流れているような・・・(ただの塗装剥がれではありますが・・・)

 

人吉駅に戻るとくま川鉄道の代行運転のバスが駐車してました。結構いいバス使っているんですね。それでも鉄道が便利ではあると思います。

 

 

最後に、くま川鉄道情報。本日も永江社長とお会いできまして少し話をして頂きました。肥後西村~湯前間の一部運転再開を目指しているのは以前も書きましたが、暫定の検修庫はあさぎり駅に設置決定との事。ただ底を掘ったりする必要もあり、工事には時間がかかりそうとの事です。それでも九州内の3セク連合イベントや流出した球磨川第4橋梁の廃材を使ったアイテム、そして令和6年中の湯前線100周年イベントと、相変わらず社長の足はとどまるところを知らないようです。今後の展開に大いに期待しましょう。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

東日本大震災からやがて10年を迎えます。最大震度7を2回記録した熊本地震からも5年目を迎えようとしています。

 

東日本大震災ではTVの前で津波の恐ろしさを目の当たりにし、熊本地震では自らも大きな揺れを体験しました。何事もない平穏な日々がありがたいと思うのは被災しないと分からないというわけではありませんが、地震王国日本ではいつどこで起こってもおかしくないと思います。備えあれば憂いなしを常に心しておきたいところです。

 

今回の懐かしシリーズは1968年(昭和43年)2月21日に起こった「えびの地震」での人吉での肥薩線の運行状況をお送りします。

 

えびの地震は2月21日の10時44分、韓国岳(からくにだけ)付近を震源地とするM6.1の地震で宮崎県えびの市真幸(まさき)で最大震度6を記録しています。この本震を含め前と後の25日まで地震が続き「えびの群発地震」と称されています。この地震でシラス台地の崩落が各地で起こり甚大な被害を引き起こしてます。ちなみに1972年(昭和47年)7月豪雨で真幸駅が土砂崩れで埋もれた原因もこの地震でシラス台地が緩んでしまっていたのが原因と考えられています。(この土砂崩れの記事は真幸駅ホームの落石と合わせて以前ブログで紹介しています)

 

上2枚の写真は肥薩線下り2121レ(門司港-都城)の旅客列車です。牽引D51-545  人吉市内 撮影日付は1968年(昭和43年)2月21日8時頃。正にこれから大変な事態になる真幸方向へ運行している列車の写真です。この車両は真幸駅付近で地震に見舞われ真幸駅で立ち往生したという記録が残っています。

 

この地震により翌22日は肥薩線は人吉-栗野間は不通 人吉駅掲示板

 

 

 

通常運行時の肥薩線下り2121レ 5両編成  大畑-矢岳 1967年(昭和42年)1月

 

地震後は人吉以南への運行ができないので2121レは門司港-人吉間の運転になります。

2121レ オハフ33 536  手書きサボ(涙)

 

折り返し出発まで人吉区にて駐機

 

やたけ号(熊本-吉松)においては車体に直書き「人吉行」

 

やたけ号も折り返しまで人吉機関区に駐機ですが、中途半端な入り方ですね(笑)長い車両ですから仕方ない。

 


この地震での運休も3月1日の吉都線吉松-京町間の開通で全線開通の運びとなりました。人吉駅

真幸以南の被害状況の写真は手持ちにありませんが、本震後10日程度で全線開通しているところをみると鉄道の被害は甚大ではなかったようです。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。
令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。
コロナが収束していない状況です。
皆さんお体ご自愛ください。

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 
祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道
 
 

人吉鉄映会です。

 

昭和41年(1966年)は肥薩線川線(八代-人吉)にとって大きな転換期になりました。

 

肥薩線川線は戦後から8620型蒸気機関車が貨物列車や客車を牽引していました。

68641[人]肥薩線上り812レ(人吉-八代) 球磨川第2橋梁

昭和39年(1964年)9月

 

68624[人]肥薩線下り 大坂間(現球泉洞)-那良口

昭和39年(1964年)9月

 

68641 肥薩線上り862レ 人吉-西人吉

昭和40年(1965年)10月

 

この頃の人吉機関区に在籍していた蒸気機関車はD51(肥薩線山線(人吉-吉松))と8620(肥薩線川線・湯前線)でした。昭和41年になると肥薩線川線用にC型テンダー車が導入されました。

 

C55 3 昭和41年(1966年)1月31日 吉松区より人吉区へ転籍(但し翌年10月にはまた吉松区に戻っています)

 

C55 3 昭和41年(1966年)1月31日 転籍当日 人吉機関区

 

C55 10 昭和41年(1966年)2月1日 吉松区より転籍

 

C55 10 昭和41年(1966年)2月1日

転籍当日 人吉機関区

 

C55 39 昭和41年(1966年)2月3日 吉松区より転籍(しかし翌月休車となりそのまま5月31日廃車になった)

C55 39 昭和41年(1966年)2月3日 

肥薩線上り860レに引かれ有火回送中 

大畑-人吉(山田川橋梁)

 

C55 19 昭和41年(1966年)2月5日  宮崎区より転籍

C55 19 昭和41年(1966年)2月4日

肥薩線上り860レにて回送

人吉駅手前

 

吉松や宮崎から人吉にやってきてますが、自力走行や甲種移送ではなく、通常の列車の後方に連結されて「ついでに」持ってきたようです。

 

こうやってC55そしてC57が人吉区に配属され今後川線で活躍するようになりますが、同然その分機関車はだぶついてきます。

大正生まれの8620は湯前線用を除き休車、廃車の憂き目にあっていきます。

 

58624

 大正11年(1922年)5月製。昭和5年(1930年)5月30日より人吉在籍。昭和41年(1966年)2月4日休車。 同5月31日廃車

 

78652 

大正13年(1924年)9月製。昭和9年(1934年)11月30日より人吉。昭和41年(1966年)2月4日休車 同5月31日廃車

 

58624 休車 一勝地駅

昭和41年(1966年)2月10日

 

78652(前)・58624 休車 一勝地駅

昭和41年(1966年)2月10日

 

78685 

大正14年(1925年)2月製。昭和20年(1945年)10月16日人吉転籍。昭和41年(1966年)2月6日休車。同5月31日廃車

78685 休車 人吉 煙突に封止あり

昭和41年(1966年)3月24日

 

かくして肥薩線川線は世代交代が行われました。

C55 24 肥薩線上り 人吉-西人吉

昭和41年(1966年)4月12日

 

ちなみに日本で一番有名な蒸気機関車(・・と個人的に思っている)58654号は昭和43年(1968年)に若松区より人吉に転籍しているため、この時点では人吉にはいません。つまり58654の人吉での主戦場は湯前線であって、観光列車になってから川線を走るようになったんですね。

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

 

 

 

 

 

 

人吉鉄映会です。

 

38回目の懐かしシリーズは年末・年始の帰省用に大阪と人吉を直行でつないでいた臨時急行「ひとよし号」の写真です。

 

「ひとよし号」は1965年(昭和40年)12月26日が初運行になっています。

ひとよし号と聞くと、どうしても昨年「無限列車」として全国的に脚光を浴びた「SL人吉(58654号)」を思い浮かべるのでしょうが、この車両は牽引は同じ8620型ではあるものの、当時肥薩線川線を営業運行していた機関車が当たっていました。(観光客も乗車していらっしゃったとは思いますが、主たる目的は帰省用です)

 

この年の運行は1965年12月26~31日(大阪→人吉)・1966年1月3日~12日(人吉→大阪)になっています。(全て戻りは逆走回送運転)

 

臨時急行「ひとよし号」看板 人吉駅(先代)

先代人吉駅のロゴが懐かしい。「着席券」50円、表現も値段も時代です。

人吉発21:06 大阪着14:27(看板は手書き修正してあります(笑))。およそ17時間半・・・今なら(肥薩川線が営業していると仮定して)人吉→熊本、急行で約1時間40分、熊本から九州新幹線さくらで新大阪まで約3時間半。乗り継ぎ時間を考えても6時間程度で行けます。時代は変わりましたね。

 

以後の写真は年末の大阪方面(下り)→人吉の営業運行と人吉→(上り)大阪方面の逆走回送運転になります。

 

1965年(昭和40年)12月26日 運行開始

肥薩線下り9613レ 「ひとよし号」  西人吉-人吉

牽引 68624 (人吉区)

使用客車(確認できた4両)オハフ35 153+オハ35 1028+オハ35 484+スハフ42 333 (岡山区)

 

 

ひとよし号サボ

 

人吉駅到着後逆向運転で大阪方面に折り返し(回送運転) 人吉駅

 

 

 

翌12月27日 肥薩線下り9613レ急行「ひとよし号」 西人吉-人吉

牽引 68642

 

 

同「ひとよし号」回送 肥薩線上り9826レ 人吉-西人吉

 

 

12月28日 肥薩線下り9613レ急行「ひとよし号」 西人吉-人吉 万江川橋梁

牽引 68642

 

同「ひとよし号」回送 肥薩線上り9826レ 人吉-西人吉

 

 

12月31日 肥薩線下り9613レ 急行「ひとよし号」 西人吉-人吉

牽引 68642

デフが違うものの、同じ8620型なのでぱっと見、SL人吉か、と思えるくらいの写真です。

 

ちなみに、年明けてからの大阪方面への営業運行は1月3日からになります。1日、2日は運行がありませんので、客車は一勝地駅にて2日間留置されていました。(中央の客車です)

1966年(昭和41年)1月2日 肥薩線一勝地駅。

 

 

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが収束していない状況です。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・八代 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道

 

人吉鉄映会です。

 

昨年の令和2年熊本県南部地方の大水害で多くの被害が出ましたが、今から遡ること50年以上前の昭和40年7月にも球磨川水系の水害が発生し、肥薩線・湯前線(現くま川鉄道)が被災しました。

 

前回はその昭和40年7月水害による湯前線の状況をお伝えしました。今回は肥薩線の八代-人吉間のいわゆる「川線」の状況をご覧いただきます。被災の程度は違いますが、今回もまた復活してほしいという願いを込めて。

 

令和2年水害での肥薩線川線の被害状況は以下のブログに挙げています。

 

 

 

 

1965年(昭和40年)7月7日 水害4日後の瀬戸石駅

 

 

肥薩線瀬戸石駅近く。

令和2年水害では線路は完全に水没、流出しました。昭和40年水害でどこまで浸水したかの資料はありませんでしたが、線路自体の流出はなく、法面が崩れた程度のようです。鉄橋の流出もありませんでした。

 

 

電気系統も被害を受け、信号機が使えなくなり駅員が手旗で信号の代用をされています。瀬戸石駅にて

 

瀬戸石駅で水害のため立ち往生になった、肥薩線114レ(都城-門司港)の荷物車オハニ61 163[鹿カコ] を仮の復旧詰め所として使用たしたようです。後部に連結されている無蓋車は復旧用に後から連結されたもののようです。

 

 

崩れた法面に土嚢を積んで復旧しています。鎌瀬トンネル付近

 

保全用モーターカーで線路点検中

 

復旧用の資材を運搬するD51545 瀬戸石-鎌瀬間

肥薩線川線にD51が乗り入れている珍しい写真です。資材の重量があり、8620型では引けなかったのでしょうか。

 

7月7日でも断続的に列車が運行されているようですので、長期で運休されてようではありませんでした。令和2年水害でもこの程度の被害だったら復旧の話も早く進んだのではないでしょうか。

 

年末年始のTV番組や.新聞のインタビューでJR九州の青柳社長は「鉄道での復旧を念頭に」とおっしゃいましたが、BRTなどの代替運行案も案件として挙げられているようです。今や生活路線ではないのでバス輸送(BRTも含めて)というのがどうかとも思いますが、現在国道219号線が崩落して通行不能であるため、人吉へのアクセスは高速道路もしくは3号線経由で芦北方面から大回りで来るぐらいしかありません。高速道路が天候や事故などで不通になれば「陸の孤島」となってしまいます。そういう意味では復旧に高額や長期化する鉄道に固執すべきなのかも迷うところです(私が迷っても仕方ないですが(笑))

 

 

今回もご覧いただきありがとうございました。

令和2年豪雨で被災された方にお見舞い申し上げます。

コロナが猛威を振るっています。

皆さんお体ご自愛ください。

 

頑張ろう!   人吉・球磨・芦北・坂本 

祈 復旧!!  肥薩線・くま川鉄道