元々人間は自然信仰を重んじていた。
太陽、雨、雷、海、風、火山、大地、山、森、川、月、星、木、火、水…
作物、狩猟、漁業、森の恵み、海の恵み…
これらは自然である神からの恵みとして感謝して敬意を持っていた。
しかし自然を相手にして自然からの恵みだけではみんながいっぱい食べられて幸せな生活を送れる訳ではなかった。
人間の歴史の99%は飢餓の歴史。
身分制で階級制、一部の貴族や豪族、王様や領主は豊かな生活をしていたが、殆どの一般市民は貧しく飢えや国同士の争いや戦争で苦しい生活を虐げられてきた。
人間は弱い生き物だ。
だから何かにすがりたくなる。
心の救いを何かに求めてしまう。
人間が人間らしく生きる為の道徳、人を苦しみから解放する考え方を教えとして宗教が誕生した。
それを作ったのが仏陀やキリストだった。
そしてそれを一つに教えていった。
心理カウンセラーとは人の悩みを聞き出し、心理学を使って悩みや苦しみから解放してあげる知識を持っている人の事をいう。
昔は心理学という概念がなかった。
だから心理カウンセラーとして悩みを抱えて相談する人間からすれば神のような存在になっていたんだと思う。
心理カウンセラーとしての仏陀は荒行とかを止めて悟りというものを実感出来ました。
人の心を救う為の宗教、
人の心の苦しみから人を救える人は同じ苦しみを体験して理解して自分の中でそこから自分を救う方法を見つけた人が人を救えるものです。

自分を救える方法を見つけた事を悟りというんだと思うんですね。

でも宗教の信者は間違った解釈をしていると思います。

禁欲したり、荒行をしたり、自分を追い込み傷付け戒める事がより高い信仰心だと思うようになり、信仰している信者もそれが偉い人だと思っている。
自己満足の戒めをして自分を追い込んでも、それで人を救える訳ではないし、苦しんでいる人の気持ちを理解出来る訳ではない。
ただ黙々とお経を唱え、黙々と聖書を読む…
これで人の心は理解出来ないし、苦しんでいる人を救える教えもする事が出来る訳ではない。
それを履き違えている事に今の宗教というモノに違和感と疑問を感じます。
心理カウンセラーという人を苦しみから救うのになぜに神の名前を使う必要があるのでしょうか?
神を信じれば救われる…
神は元々は自然そのものです。
その自然を信じれば救われる。自然にお願いすれば願いが叶う…ちょっとおかしいんじゃないかって冷静に考えれば気が付く事なんですよ。
キリストも仏陀も人間です。
神ではありません。
しかし神として利用している…
それは信仰を利益に変えようとしているからです。
それで収益をあげて生活をしている。
僧侶、神父、神主は職種なんですよ。

でもいずれは宗教もこの情報化社会の中で淘汰されていくと思います。
それはみんなが宗教に対して疑問を持つようになるからです。

それも時代の流れなんだと思いますよ。