あなたのとなりにいる 中年男子の本棚 -2ページ目

その98  橘さん、あなたは誰ですか

知的幸福の技術 自由な人生のための40の物語 橘玲


少し考えれば当たり前のことが、この世の中、当たり前に進んでいく。


 著者が若かりし頃、運転免許更新の試験場で見入った「警察官募集」のポスターの話がイントロ。著者は当時、知人の経営する会社で休みなく働き、妻子3人でボロアパートに住んでいた。先が分からない自分の現状に、安定した警察官という職業の募集ポスターにしばし目を奪われたのだ。著者はその後しばらくして、その会社を辞め(倒産?)、安定したサラリーマン生活を手に入れたが、同僚達のように天真爛漫に会社を信じることが出来ぬが故、いつもかすかな違和感を感じていた。そしてこう述べている。『安定したサラリーマン生活は定期預金と似ている、会社を信じて自分の時間と労働力を提供し、毎月利息(サラリー)を手にして満期(退職時)に元本が払い戻される。一方で、個人経営者は株式投資に似たハイリスク・ハイリターンの人生だ。』いま、元本が約束された定期預金はない。

 

 次の話。一時期名を馳せた知人クリエーターが首を括って自殺した話。憧れさえ抱いていた人物の最期に著者は悟る。『経済的な基盤がなければ、人は自由に生きられない。~自分の人生がいかに多くのものに依存しているかを知って慄然とした。会社が倒産してもまだ自由だろうか、年金制度が破綻しても豊かな老後が約束されているだろうか。』

 

 その次の話。最近何もかも上手くいっていなかった友人が人生をやり直したいと言うので大金を貸した。その金でオーストラリア大陸を縦断し自分を見つめ直しに行った友人。長い旅から帰ってきたら、彼の生活はさらに荒んでいた。今はアパートを引き払い二度と戻ることのない旅に出た。こんな橘シニカルワールドが続く。知的幸福の技術について読者に考えてもらうために、自分の身の回りに起きた現実と日本の現状を書き連ねている。そのどれもが、明るい話題ではない。

 

 しかし、私たちは何となく気がついているはずだ。どんなに居心地が良くても状況が一転すれば容赦なく切り捨てる会社のことを。一世を風靡する勢いのものは直ぐに飽きられることを。親しい友人が金を無心すると関係はそこで終わってしまうことを。そしてこの国家としての日本が頼れるものでないことを。

 

 今の日本は、いや特にここ5年くらい、必死で延命治療をしている患者に見える。そして、その国のめまぐるしく変わる宰相は、執刀医の様だ。小泉医師の手術は上手くいったように見えた。だが、モルヒネを投与されて、その時は痛みに気がつかなかっただけだった。手術がうまくいったとごまかされた後を、安陪医師が知らずに引き継いだ。根本治療がされていないから直ぐに再発した。そのひどさを知って患者より先に医師がダウンした。(で、小泉医師はモルヒネの効果が切れる前に退職していた)その後はあ~でもない、こ~でもないと投薬を変えたが結局、患者が民主病院に転院してしまった。斬新な治療を謳っていた民主病院は、実は執刀をしたことのない医者ばかりで、やっぱり良くならないような気がしてきた。

 

 いま、日本を漂う閉塞感の原因は、実は財政問題なのではないかと思う。どう考えても破綻が見えている年金や保険制度を支えるために、後の世代にツケを回しているだけだ。このツケは子ども手当ぐらいでは割に合わない。著者も述べているが、今の内に年金制度を廃止した方が良いのではないか。もともと、基礎年金の公費部分は3分の1だったはず。これを年金安心プランとして2分の1に上げたのはつい最近だった。2分の1負担を堅持するため、来年度予算は相当苦労した。だが、その後のあてはない。

 

 年金制度を廃止し、今の内に掛け金を全て返済してもらう。将来の財政への懸念が薄らいだとして、株高になり、円安、利上げになるのではなかろうか。専門家でないから分からないけど。

 

 この世の中、きっと当たり前のことが当たり前に動いていく。知りたくない当たり前のことが、この本にいっぱい書いてある。

 

 ところで、橘さん。あなたは一体誰なんでしょうか。


☆×4.5





知的幸福の技術
¥480
楽天

その97  タイトルがオーバー、かな。

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 橘玲



『伽藍(がらん)を捨ててバザールに向かえ!
恐竜の尻尾のなかに頭を探せ!』 って、なんのこっちゃ。


読了後、話がいろんな方向に飛んでよく分からなかったから、書いてあることをまとめて整理してみました。(以下まとめ)


 自己啓発は人が皆、無限の能力を持っていて、知能や性格が教育によって開発できることを前提としている。だが行動遺伝学では次のように言う。「やってもできない」

 適性に欠けた能力は、学習や訓練では向上しない。努力に意味はない。やっても出来ないのに努力することは、単なる時間のムダではなく、殆どの場合は有害だ。とやっても出来ない事実を認め、その上でどのように生きていくのかの「成功哲学」を持つべき。

 私たちの性格は子ども時代の集団のなかで形成され、思春期になって完成する。ひとたび思春期を迎えると、それ以降死ぬまで人の性格は変わらない。なぜならそれもまた、進化の過程で選択された最適戦略だからだ。

 友だちとは時間軸だけでなく、空間的にも排他的な人間関係なのだ。友だちになるには、同じ時間と場所を共有していなくてはならない。

 困った時に本当に役に立つのは強い絆の「コネ」ではなく、弱い絆の「紹介」なのだ。

 ひとはみんな、自分が特別だと思っている。どれほど冷静沈着のひとでも「自分を中心に世界が回っている」という錯覚からは逃れられない。だから宝くじが売れるのだし、詐欺に引っかかる人が絶えない。

 世間から隔離された伽藍(社会)のなかで行われる日本式ゲームでは、せっかくの評判も外の世界には広がっていかない。それに対して、バザール(グローバル市場)と舞台としたゲームでは、評判は国境を越えて流通する貨幣のようなものだ。これから様々分野で評判獲得ゲームがグローバル化するだろう。仕事はプロジェクト単位になり、目標が達成されれば解散するから、会社や大学のようなムラ社会の評価(肩書き)に誰も関心を持たなくなる。

 マサイ族の幸福は、一人ひとりが部族共同体から認知され、尊重されている事からもたらされる。それは彼らが、愛情空間と友情空間の中に生きているからだ。人生にとって大切なもの(愛情や友情)は貨幣空間では見つからない。これが、お金が幸福の十分条件ではない理由だ。

 僕たちが他者の評価(承認)を求めるのは、幸福がそこにしかないからだ。

 高度化した資本主義社会では理論・数学的知能や言語的知能など特殊な能力が発達した人だけが成功できる。こうした知能は遺伝的で、意識的に開発することはできない。すなわち、やってもできない。

ところがその一方で、金銭的に成功したからといって幸福になれるとは限らない。ヒトの遺伝子は金銭の多寡によって幸福感が決まるようにプログラムされているわけではないからだ。ひとが幸福を感じるのは、愛情空間や友情空間でみんなから認知された時だけだ。

 都市化と産業化によって友情空間(政治空間)は貨幣空間に浸食されてきた。もはやかつてのムラ社会には戻ることは出来ないが、情報テクノロジーの発達によって、貨幣空間が友情化してきた。フリーで効率的な情報社会の到来は、全てのひとに自分の得意分野で評判を獲得する可能性を開いた。だったら幸福への近道は、金銭的な多寡は気にせず、好きなことをやってみんなから評価してもらうことだ。

 「好き」を仕事にしたいのなら、ビジネスモデル(収益化の仕組み)を自分で設計しなくてはならない。(ここまでまとめ)


 つまり、この本で述べているたったひとつの方法とは、「ニッチな世界でトップになれ(小さいロングテールの頭を目指せ)」と言うことだ。で、成功しなくてもその慰みが、「幸福は金を得ることではない。ましてや金を得るために能力を磨くことでも得られない。他人の承認を得ることだ。」ということになる。


 読み物としては非常に面白いけど、結論をそんなにもったいぶらなくても良いような気がします。

この本のわかりやすさ ☆×3

残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法
¥1,575
楽天




その96  適性を見直す機会となる本

優柔不断は“得”である~「人生の損益分岐点」の考え方~ 竹内一郎


思い返すと自分は優柔不断のくせに、大事なところはあまり考えずに決めてきたナ。


著者は「人は見た目が9割」を書いたあの人。この著者が、30代まで教員をする奥さんの扶養に入っていたとは意外だった。思春期の頃から、パニック障害を患い、それを自覚してサラリーマンにはならなかったという。現在は、劇作家、漫画原作者、評論家、大学教授といくつもの草鞋を履いているが、40歳に芽が出るまでは、それはそれは書くもの書くもの安く買い叩かれていたらしい。著者は、いくつもの顔を持ったことが結果的に良かったと述べている。投資もそうだが人生も卵を一つのかごに盛らないようにしなくてはならない。

 人生には波がある。波に乗ってツキにツキまくってもそう長くは続かない。自分の読みは外れて当たり前。そう考えて、人生は60年以上のスパンで考える必要がある。

 『私たちの生も、大きな目で見れば地球の資源です。資源をムダなく使おうとすることが、自分の生に、より謙虚に接する態度のように思えます。今の日本なら、人生を75年ぐらいに見立てて、60歳ぐらいまでに社会の役に立つように生きることが、資源を効果的に使う態度だとも思います。』

 そうなんだよ。我々の生も資源なんだよ。その資源を一つの組織に吸い尽くされ、あげくの果てに使い捨てられる理由はない。

 何でも「これしかない」と決めつけない。分からなければ、とりあえず進んでもダメならいつでも退却する。

 社会のため、家族のため、自分のために有効に資源は長く使いましょう。


この本の評価 ☆×う~ん決められん。


優柔不断は“得”である
¥735
楽天