※mixiニュース引用の日記を転送します。


ツイッターを中心にそこからのリンクで情報収集しています。

ツイッターはテレビ、新聞などの利権に影響がないフリージャーナリストを中心にフォローしています。
利点は様々な情報を多角的に見ることが出来、一方通行でないことです。
批判ある人は@で直接言うこともできます。

テレビ、新聞では情報共有スクラムがあるためほとんど同じことしか出てきません。
この期に及んで利権の堅持。
この期に及んでやらせ。

とにかく多くの情報が錯綜しますが、
原発については確かなことは誰もわからないということ。
現場からの情報を得て保安院らに転送する人がどこまで本当のことを言っているかが第一の問題。
次はそれを聞いた保安院がどこまで報道するかどうか。
もちろん政治的判断も介入する。

そこで、今ある情報の中で何が考えられるかをそれぞれの知識人に聞く。
正直テレビはもどかしい。
もともとマスコミに出る教授はこれに限らず信頼がおけない。
そしてキャスターの無知蒙昧さ。
NHKはその中でもかなりマシである。

次に私の情報源であるジャーナリストのツイッターリンクを貼るので、ツイッターやっている人はフォローしてみるといいと思います。
最終的に真偽を判断するのは自分自身で。
これはマイミクの1人に、信頼おけるサイトを教えて欲しいと言われて考えました。
サイトも広告で成り立つ部分もあるので、これさえ見ればよいというのは無い。
ツイッターをしていれば、彼らのリンクからそういった数あるサイトから源泉して紹介してくれるので、良い情報を得ることが出来る。


上杉隆(フリージャーナリスト)
http://twitter.com/#!/uesugitakashi

佐々木俊尚(ITジャーナリスト)
http://twitter.com/#!/sasakitoshinao

原口一博(政治家)
http://twitter.com/#!/kharaguchi

郷原信郎(元特捜部、現弁護士)
http://twitter.com/#!/nobuogohara

岩上安身(フリージャーナリスト)
http://twitter.com/#!/iwakamiyasumi

津田大介(メディアジャーナリスト)
http://twitter.com/#!/tsuda

宮台真司(社会学者)
http://twitter.com/#!/miyadai




希望者も避難 福島脱出相次ぐ
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1537470&media_id=2
※mixiニュース引用の日記を転送します。


安全だと言った奴がまず始めに入れ。

しかし原発の実態を知らずに、ちょっと危険くらいにしか思っていなかった国民は激しく後悔する必要がある。
自分もその1人。

今回、色々調べているが、とんでもない国に住んでいると思ったよ。

今後何十年もヤシマ作戦でいいから原発無くして行きたい。



■安全のはずが命がけ…怒る自衛隊・防衛省
(読売新聞 - 03月15日 14:47)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1536013&media_id=20
※mixiニュース引用の日記を転送します。

現在のところ、
ツイッター、UST、ニコ動特番、そしてテレビで得ています。

国内ではクローズドになっている重要な情報が、外国からもたらされているようです。

パニックにならないように、というのと配慮かもしれないけど、もうそんなことは言ってられない。

記者クラブ問題を解決できなかったゆえに、重要な情報が知らされない事態。

今、一番まずいのは原発の正しい情報。
わからないものならわからないでいいし、だから早めになるべく遠くに避難するようにする、という判断をしなければならない。

津波はある程度去ったが、原発問題が今後の最重要課題か。
ただ、未曾有の地震なので、連鎖地震も否定できないだろうから、新たな地震にも注意しなければならないだろう。

動機とは、何か行動を起こすときにその理由となるもの、意味である。

その動機は、自然と起こるもの、というイメージだが、ではその自然と起こるにはどういった因子が作用するのだろうか。

犯罪報道に良く見られる、動機の解明、

それは何がその容疑者に作用し、その犯罪に至らしめたかを説明するために、便利な因子であるために叫ばれる。


人の行動には何かしら説明がつく。
そう思われている。
そう、精神医学、それに関わる諸科学の発達によって、動機の多くが解明したことは事実であろう。

動機の背景にあるもの、
その多くは社会性であろうかと思う。

社会性とは、つまり、我々がリアルタイムで暮らしている現代社会ということだ。

現代社会が営まれている背景は何か、

それはもちろん、文化であり、それを形成するに至った経緯、つまり、歴史だ。

歴史は義務教育で、学校で学ぶことになっている。
新しい歴史教科書問題で、その歴史教育に対する在り方が疑問視されたことの功績は少なからずあるかと思う。(その中身が問題だが)


さて、しかしその教育とやらで学んでいる実態はどんなことか。
それは公立、私立で大きく違ってくるとともに、地域によっても大きく異なる。

歴史は、文献だけで判断する教育などは到底できない。
だから学者という身分の者が、翻訳し、提示するのだ。
その時点で偏り、つまりバイアスが生じていることに、まず気づかなければならない。
そしてそれは仕方のないことであり、そのことをまず、学ぶべき対象に理解させることが必要なのである。
教育で得られるもの、そして弊害、それを被教育者が理解することができなければ、受け売りが増えるだけである。

「今から教えることは一つの視点であり、解釈に過ぎない。だから疑問に思うことがあればそれを解決するために教師に聞くか、自ら調べることをすべきである」と、教師は言わなければならない。
それが真の教育であると思う。

一定の社会調和が成されていた時代であれば、暗記で事足りる。
しかしそれ(冷戦)が崩れた。
永きに渡った大きな構造が変化を余儀なくされた。
新しいイデオロギー、
そんなものは出なかった。
何故か。
支配、とう権力構造を支えていた市民が、明らかに違う性質を持ったからだ。

その因子の一つがテクノロジーの進化だ。
資本という魔物を限りない欲望の道具として駆使し、地球全体を巻き込んで世界を複雑怪奇なものに仕立て上げた。


これを解けるものは僅かな人々であろう。
そうしてそこに利権が、保身が、個人が成しうる最大級の欲求の達成が、巧みに繰り広げられる。
その世界が、広瀬隆氏の説いた「赤い楯」であろう。

つまりは、
虚無的な美談もまた、金融大閨閥を発端とした世界帝国の中に取り込まれたものであり、ただのナルシシズムに過ぎないのである。
それは文学の否定、死亡ととっていただいても構わない。


動機とは、実はそんな大きな背景の中で起こっているものであるが、それを自覚できるものは少ない。
ということは、その段階をレイヤー(階層)にして表示してみると分かりやすいが、どの段階で自分自身の思考回路が停止してるかを発見することが重要である。


それは無論、その先を分かってからでなくては判断できぬものであるが。

まあ、それは置いておいて、そのことが示すことは何かと言うと、
自分が知らないことを知ること、または、判断できるかどうかという能力である。

過信、という言葉があるが、まさにこれである。
人は絶えず学ぶ存在であり、終わりはない。
それを知らずに全知を得たかのように振舞うものがいる。


あさはか、である。


知らないことを前提に、語る。

しかし、知らないということを知っていることで、人は新たな知を得るのである。


現代社会において動機は多様を極める。
多様を極める社会であるから当然である。
人の行動にはかならず動機があるが、
その動機が複雑怪奇な多様的社会性にあるとしたら、それは本人が理解し得ずに行っている行動ということにある。

そこに精神分析が、現代社会の、文化の、意味を包含し、司法の場で妥当な判断を下せるのかどうかは疑問だ。

DNAの螺旋構造のように諸要素が絡み合った現代。
ロストアイデンティティが叫ばれる日本。

人々の根底にある“確かなもの”は、意外と脆く、崩れやすいものなのだ。


動機は、薄くて脆い、それが日本社会の実態だ。
社会学者、宮台氏はその動機の薄さを理解し、問題を引き起こす引き金は社会にいくらでも存在し、それがゆえに個々のものを排除することは望ましく
ないとし、火薬を抜く社会を作り出すことが重要であると述べている。
彼は、そのためには後続の被教育者が、どのような教育を施されるかが重要であり、緩やかに変化していく社会を望んでいると思われる。

私もそこ同意している。

教育が薄い動機の隙間を埋めるものにならなければならない。

そう思うのである。


前回は理論的な見解を記したが、今回は具体的な、つまり日本における現代のうつについて考察したいと思う。


草食系男子
アラサー(アラフォー)
だめんず
キャリアウーマン
婚活(離活)


言葉というのは面白いもので、特に日本語は実に豊富な語彙を持つ。常に変化をする言語においても、表層の変化の激しさにはついていけない人も多い。
それは平準化された世界からの拒絶でもあり、それによって薄っぺらのアイデンティティを形成しているのも確かである。
それだけ“意味”に枯渇しながらも、それを苦労して満たさずとも安易な道が用意されているので“深さ”に触れることなく成長していけるこれまた一種の“表層”社会が日本だ。


昨今の若年層におけるうつの特徴は、「未熟性格」と呼ばれるものが多いそうだ。
これは平井孝男氏の『うつ病の治療とポイント』によると「自己中心でわがまま、自主性に乏しく依存的、欲求不満や自分の思うようにならないことに対する耐性が低い」傾向のものを差すようだ。
境界例というものと重なるところが大きく、いわゆる「自己中」がうつになるという非常にやっかいなケースだ。
そして平井氏が言うように、彼らは「悩む能力に乏しく、自分で悩む代わりに周囲を悩ませる」ので難治性うつ病の代表格であると言われている。

要するに“共同生活の中で生きている”という公共性を認識出来ないということで、それをもたらした要因はわかりやすいところでは、家族関係、とりわけ幼児期の体験がそのことを育ませなかったことであり、もう少し大きな枠組みでは、社会であり、核家族化の進行と高度経済による終身雇用の夢、一億総中流の幻想であり、結果としての郊外化である。
(郊外化については宮台真司氏の『まぼろしの郊外』を是非参照していただきたい)

つまり、こういった今となっては古き良き時代の残滓を引きずり、現実とのミスマッチを親も教育も埋められないことに、不安の増殖が起こる。
しかしそれはおおよその日本人にとって同じ条件ではある。
そこでうつにならない人、なる人の違いはなんであろうか。

キーワードは“動機”である。

人は何かをするにも“動機”があるとされる。
その動機が自発、能動的なものなのか、曖昧で受動的なものなのかで大きく分かれる。
先に記したような社会の中で、自らの行動に対して確たる動機を持つのは難しい。
宗教アイデンティティがない日本はなおさらで、2ちゃんねるの異常なまでの影響力が、それを示している。

信じるもの、すがるもの、その背後にある社会的承認として宗教があるが、それがない日本にとって自らのアイデンティティを動機付けるものは非常に薄い。

大家族があった時代は、そこで共同性を認識する術は身に付けられたが、核家族化の後の郊外化で家は孤立し、その役割を学校が担うようになり、学校化が起こる。これも先の宮台氏の著書を参考されたい。

薄っぺらの社会、それが「未熟性格」のうつ病の元凶であると思う。

ゆえに何が大切なのか、教育なのだ。
これは教育論にもなるので、ここでは差し控えたい。

うつを生み出す要因が社会にあることは分かっていても、その社会がどのような構造によって生まれたかについての考察が理解されない限り、日本特有の「臭いものには蓋」で、表層を繕うことで終わってしまう。
そんなことではもし、自分の身近な存在が手におえないようなうつになったとき、対応できない。
これは裁判員制度についても同じだ。
記者クラブ制度によって、確かなジャーナリズムが機能しない中で、そんなテレビと新聞から洗脳情報を知識として享受しているようでは脱官僚化は望めない。
インターネットはその壁をすこしずつだが、破り始めている。

うつは社会構造が大きく変化しない限り、複雑になっていくであろう。
従来の“分かるうつ”から“分からないうつ”が徐々に増えていく。
その対応のいろはも確定しないというのに・・・