前回の続き、というには時が経ちすぎてしまったので今現在の考え、とりわけ何故このようになり、今こうなのかを述べたいと思う。

前にも書いたが、自然災害の部分では揺れと津波であろう。
これは歴史上繰り返されてきたことで地元の人はある程度は覚悟をしていたが、さすがにここまで大きいとは思わなかったこともあり、被害は大きくなったと思われる。
津波は3Mを超えると大津波という分類がされるため、避難放送が3M以上の…というものであったために10Mを超えるとは予想できなかった人もいたという指摘がある。
放送が徒となって避難が遅れた可能性があり、それは今後見直しが必要になろう。
基本は大きな地震、もしくは大津波警報が出たら迷わず避難することなのだろう。
明治の三陸地震は揺れは震度3だが大津波が到来した。
今はそのときよりは津波が来ることを予測できるはずだから、どうせこないだろう、はやめて逃げることを意識づけることが重要となろう。


さて、問題は原発である。
今回の震災ではネットのインフラが良くも悪くも考察されている。
自分は主にツイッターから一次情報を入手しているが、多くの人は今だテレビ、新聞かラジオになる。
ネット言論を見ている人は理解している人も多いだろうが、日本の大手マスコミと呼ばれるものは、テレビ、新聞とくっついており(クロスオーナーシップ)更に記者クラブを結成し、官邸の情報を独り占めしていた。
民主党政権となり、徐々に開かれていったが、震災を期に再度閉ざしてしまった。
この問題は語ると長くなるので、上杉隆をググって調べてみるか、彼が設立した自由報道協会のサイトに行って勉強してください。
簡単に言うと、政府関係(検察含む)の記者会見を主催し(会場費用は官邸なので税金)記者クラブの会員しか参加できない閉ざされたもので、海外メディアやフリーランスのジャーナリストは入ることが出来ない。
それが何をもたらすのか、それは簡単明瞭で、政府とマスコミの癒着が生じ、パターナリズムが強化され、本来マスコミが担うべき“権力の監視”という機能が果たせなくなる、ということ。
これは国民にとって非常に不幸な結果を招く。
経済成長の陰に隠れてその実害が感じることは少なかったが、ようやくボロが出てくるようになった。

もともと日本は江戸時代から行政官僚の無謬性によるパターナリズム(宮台氏いわく)、が支配しており、要はお上主義で出る杭は打たれる社会であった。
明治維新も外圧からのクーデターであり市民革命ではないし、太平洋戦争後も無条件降伏でのGHQ支配で与えられた民主主義、自由主義であった。
民度が低いのは仕方のないことなのかもしれない。
一般国民が怒り、革命を起こしたことは無いに等しい。安保闘争、学生運動なども結局流行に過ぎない。
同調圧力もあり、何かかっこいいから、的なノリ。
信念はないし、それに足る知識が無い。

経済成長が全てを理念的なものを一層無味乾燥化させ、世界の経済大国になったが人々は幸福を感じることはなかった。
その経済成長を支えた原子力発電、世界では核電とも言う。

国民が経済成長の中で、人間が生きることにもう少し真剣に考えられていれば、情報公開の重要性に気付いたかもしれない。
新聞の社説を読むことが大人であると思った人も、その新聞がどういった組織であるかまでは考えなかった。
テレビ報道もそう。
人々はそれらの情報をある一定の基準に従った“真実”であると承認を与えていた。
それが何をもたらしていたか、東電との癒着、政府との癒着が暴露され、さすがに気付いたのではないかと思ったが、それは今だ成されない。
それはそうだろう。
そういう人は新聞とテレビしか見ないから。
当人が不利な記事を書くはずが無い。
だから問題はやっかいなので。
こういった人の情報リテラシーはくちコミで伝播し、高めるしかない。
若者はネットリテラシーが高いので、はっと気付いた人も多かったように思うが、新人類より古い人たちは中々難しい。
企業もまだその辺りが支配しているので、目覚めない。
おまけに人口比率は若者が圧倒的に少ない。
これでは日本が市民レベルで変われる日は大分先のように思われる。

しかし稀代のジャーナリストがツイッターを武器に精力的な活動をしており、もしかしたら意外と早くに革命的なことは起こるのかもしれない。こればかりは分からない。
アフリカ、中東の革命は政府発表を信じない、という前提があってネットコミュニティの情報が信じられたが、日本は大手マスコミメディアが幅を利かせている以上、革命は至難の業。
原発デモは各地で起こっているが、大々的は報じないか全く報じない。
矮小化される。

とまあ、ネットインフラが整備されても活用する世代が限られていてはこれからの復興、エネルギー転換などフラットに話し合うことが難しい。
政府と大手マスコミが一緒になっている限り、どんなに正しいことでも政府筋の利害に会わないと握りつぶされる。

しかし孫正義まで潰せるだろうか?
彼の行動はまさに神である。
静かなる反逆だ。
ヘタな事件ででっち上げられないことを願うばかりだ。
これまでも政府にたてつくものは痴漢や窃盗などの冤罪を仕込まれ、イメーダウンを余儀なくされてきた。
そういう人が消されないためにも、私たちは声を上げていかなければならないと思う。
SNSでもツイッターでもいい。
世論を正しい方向にシフトさせていかなければならない。

私にできることなんて何もないかもしれないが、こうやって書いて意思表示をすることは重要だと思う。
分からなければ調べよう。
ネットはあくまで参考程度にし、最終的にはやはり本を読むべきと思う。
何かを盲目的に信じてはいけない。

多角的に情報を集め、真実を自分で見出そう。

原発問題についてはまた後日。


3.11 東日本大震災から一月以上が経過し、結局何が起こり、これから何が起こるのか、起こりうるのかが分かってきたと思いましたので、メモ代わりに書いておこうと思います。


■ 地震と津波。
世界で大きな地震が起こる地域は限られているといってもよい。
それゆえに、研究も世界規模というわけにはいかない。
先進国では日本が抜きん出ていてもおかしくはないが、それでも研究の歴史が浅く、予知は難しいとされている。
周期的なものはある程度の予測はつくが、直下の活断層タイプは予測は出来ないといってよい。
というより、活断層も次々と新しいものが発見され、日本はどこでも大地震が起きてもおかしくない島国であることが証明されたといってよいだろう。
過去の歴史、文献からも頻繁に大地震が起きている。
江戸時代の江戸は人口も今とは比べようもないが、当時として最大の都市であり、度々大地震に見舞われてる。
その資料から揺れの大きさも推定でき、地盤の強さが震源とは関係なく揺れの大きさに関わることが判明した。
地震学、地質学、変動地形学といった研究から多くのことが解明されたが、それは原発誕生の歴史よりも新しい。
ゆえに、この問題を複雑化させている。

今回の三陸は過去にも度々大災害に見舞われているので、地元の防災意識も強かったが、地域によってまちまちであり、逃げ遅れたところも多くあった。
生き証人がいない明治三陸地震の大津波など、風化されていてもおかしくはない。
しかし、その後も多く津波を経験しているこの地方は、関東人が考えるより遥かに防災意識が強いことを、ビデオニュースドットコムの第520回マル激トーク・オン・ディマンド『「想定外」にいかに備えるか』を見ると確認できる。
規定にとらわれて行動できない大人を前に子供の直感や洞察力は素晴らしいと思う。

発生をとめることが出来ない自然現象としての地震。
日本はずっとその歴史があったはずだが、何十年もすれば忘れる、いや、阪神淡路大震災ですら関東では忘れかけている。
地震学では地震の活動期と静穏期があることが分かり、日本列島は阪神大震災から活動期に入ったとされている。
その後の地震の発生記録を見れば一目瞭然で、M6以上の地震が多く起こり、地方ではあるが、大きな傷跡を残している。
首都圏は関東地震(関東大震災)以外はそれほどリアルに感じることがない。
それが今回のパニックにも通じていよう。
しかし震度5強の揺れは東京にとって今だかつてない揺れを経験したのは事実だ。
今となってはたかが震度5強。
しかし私もついに来たか、と思ったほど鮮明な恐怖が体に残っている。
職場の建物が古いため、途中で私も外に出たが、その後の余震の大きさも尋常でなく、とんでもないことが起こったな、と思った。

近くの公園は他の人も非難してきたのか、いっぱいいっぱいで、異様な雰囲気であった。
メール、電話は通じない中、ツイッターは普通に動き、とても心強かった。
震源や震度もツイッターからの速報で知った。
公園でも幾度と無く揺れを感じ、いつまでつづくのかと落ち着きを取り戻せないでいた。

その後の余震の数々はいうまでもないだろう。

とんでもない地震であったの事実だ。
しかし地震、津波だけで終わるなら誰しも受け入れられた。それは自然の成す現象であったから。

事態は原発震災という未知なる領域へ突入していた。


■ 原子力発電所
とにかく無知であった。
それを恥じるばかりだ。
電気という事業が何者であったのか、疑問すら抱いていなかった自分が恥ずかしい。
電力会社なんてJR的民営組織くらいにしか思ってなかったが、JRは私鉄というライバルがあるので全く別次元。
完全な独占企業ではないか。
それが国営でない。
発電と送電が一緒であることが問題であると指摘されているが、もうそんなレベルではないだろう。

原発は確かにこれまで事故を起こし、ニュースにもなった。
しかし、カタストロフィを起こすまではなっていないため、興味関心はその場で終わってしまう。
原発に異を唱えるものは届かない叫びを発し続けていたが、国策で原発を推し進めてきた政府、そして記者クラブ制度とその利権が彼らの叫びを真面目に取り上げることはなかった。
ちょっと関心を持った人が、そういった書を手にしただけに過ぎない。
それでは何も変化は起きない。
電力会社にとっては痛くも痒くもない。

歴史として、原発が化石燃料に変わるエネルギーとして取り入れたのは、1960年代後半の地震研究を見れば致し方ないことだったと思う。
しかし、その後研究が進み、日本列島は原発などはつくってはいけない土地であることが分かってきた。
大きなプロジェクトが進行し、高度成長期の日本にはその方向転換をする方がリスクに感じたのかもしれない。
たまたま日本列島は地震活動の静穏期であったため、大地震のあることさえも忘れるほど成長一筋に発展した。
そして成長後の日本に待っていたかのように大地を揺るがし始めた。
甘い基準と手抜き工事、手抜き検査で原子力プラントが作られたことは、数々の資料から判断できよう。
プラントにとって直接の驚異は揺れだ。
揺れはマグニチュードより震度。
そしてこれは震源の距離とは関係なく、断層、地質の構造によって大きく変化することが建設後にわかった。
そしてそれを指摘されているにも関わらず、そんなこてとは起きないというあるまじき前提で退けられた。

中越沖地震による柏崎刈羽原発の事故はあわや大惨事となる一歩手前の事故であったにも関わらず、その驚異を伝えるどころか、こんな地震にも耐えました、くらいに発表された。
しかし、今同じことが起こったら、民衆は黙っていないだろう。
それだけ、今回のことで知識を得たから。
また、度々指摘される静岡浜岡原発もまた2009年の静岡沖地震のたかだかM6.5の地震で浜岡原発の御前崎が震度6弱を観測し、これもまた大惨事一歩手前の危ない事態にあったことは記憶にとどめておかなければならない。

つまり、原発は大惨事になってからでは遅い、ということ。
とてつもなく、不可逆的現象で、取り返しのつかない事態になるからこそ心ある数少ない学者や知識人は叫び続けた。
かれらは出世からは程遠い選択をした。それを捨ててまで、その想像を超えた被害を予測していたということだ。
いや、御用学者でもわかっているはずだ。しかし万が一の確立よりも出世、金欲を重視したということだろう。
バカ正直に人々のことを考え、行動したものが辛酸をなめる。いつの時代も変わらない。

原発事故が不可逆的であること、これが大問題であるということ。
その中身もかなり複雑であり、かなり専門的なのかもしれないが、興味を持って学んだらそれほど理解できないものではない。
私もこの一月調べまくり、原子炉の構造から沸騰のシステム、発電の仕方、燃料の構造は理解できたし、核反応を停止させても、しっかり冷やし続ける必要があること、ある程度冷やし終えたものでも最終処理には相当な時間が必要なこと、その最終処分場も決めずにスタートした技術であること、などなど、普通に分かることばかりだ。

しかし、多岐にわたる。
正しく把握しようとしたら結構根気が要る。
電力会社はそこにつけこみ、どうせ大衆はわかりっこない、と考え、ごまかしだらけの隠蔽を行っているのが現状だ。
腹立たしい。


さて、福島の現状を見てみるがよい。
3月15日のベントによって吐き出された大量の放射性物質が落下した先は、原発から半径40キロの飯舘村。
4月18日になってようやく非難指示。
この土地を指して、菅直人は20年住めなくなるといったのだろう。
チェルノブイリ以上かといわれる土壌汚染が分かっていながら、非難させなかった。
この村の人たちが、5年後、10年後どういったことになっているか、忘れずに見守る義務があると思う。

日本は島国であり、逃げる範囲は限られている。
チェルノブイリもスリーマイルも地震とは関係なく起きている事故。
日本も地震が関係なく起こる可能性があるが、それに加え地震という自然災害がいかに壊滅的ダメージを与えるかは、福島を見て証明されたはずだ。
人の住めない地を作り出し、今後いつ終わるかわからない海洋汚染を続ける。

そのようにしてしまったのは全て初動の判断ミスであるといえよう。
政治判断のミスだ。
東電は所詮一企業。この期に及んでも企業を守ろうとするのだ。
政治判断で的確な決断ができなかった。
一分一秒を争うことであるという認識、というより危機感がまるでない。
菅直人だけが悪いとはいわない。
自民党政権であっても似たり寄ったりだろう。
正しい責任の取り方をしてこなかった、日本政府、政治家が判断を遅らせ、結果不可逆的事態に陥らせたと考える。

そういった政府の非力、東電の対応に食い下がる手段もマスコミが両方に癒着しているため閉ざされてしまった。
官邸の会見が開かれたのは16日だ。
これも上杉隆氏の自由報道協会が必死の思いでこじ開けた。
しかし時すでに遅し。
ベントは行われ、大量の放射性物質はまき散らかされた後で、建屋も3つ爆発後。
メルトダウンも進行中。

もちろん、会見がひらかれていたら食い止められたかは分からない。
しかし、利権軍団の既得権益を守るスクラム会見などより、はるかにマシであったろうし、プレッシャーをかけることによって事態を少しでも好転出来た可能性はある。

上杉氏は記者クラブ制度をこの日までに解体できなかったことに、大きな無力感を感じ、今年でジャーナリストを辞めると宣言した。

それほど腐っているのが大手マスコミである。
そしてそれを抱き込む東電、情報統制を敷きだした政府。
大政翼賛会という比喩はその通り。
ネット規制や被曝量の基準値上げなどだけは素早く制定し、保身に一生懸命。

まだまだ言いたいことはあるし、自分の論にまとまりがなくなったのでここで一旦終わりにします。
とにかく、とんでもない時代だよ。
現実として生活を直撃してくるのはそう遠い将来ではないだろう。
大地震もこれから数年内に確実にいくつか起こるだろう。
津波もあるかもしれない。
他の原発も危機に陥るかもしれない。
悲劇はいくら想像しても追いつかないくらいだ。

自分に出来ることを考え、それをすること、それが大切になるだろう。
ややこしい、面倒だと思って今までどおり無関心を装うならそれでもいい。
それが日本の民度というものなのだろう。
それはもはや絶望しか感じられないが。


※mixiニュース引用の日記を転送します。


余震でいうならば、スマトラ地震をググってどういう事実がその後あるかを見れば分かると思います。

余震での問題であれば原発。
東北関東であれば福島を筆頭に、六ヶ所村、女川。
この動向に注視すべきです。

残酷なようですが、揺れ、津波での被害は受止めることができます。
しかし原発問題は人災なので受止められません。

そして石橋克彦教授をはじめ、技術者も指摘している震源直下の原発震災が最も留意すべきこと。
1995年以降、地震の活動期に入ったとされる日本、今後10年は続くであろうと言われている。
その中には東海地震、南海地震、東南海地震、そして相模湾震源の地震(関東大震災)も含まれる。


地元では防災意識が強く、揺れと津波にはある程度の意識があるのは救いだが、原発が直下のM8クラスの揺れに対応できる資料はないようだ。
福島の件で表面化した東電と政府、そしてマスコミの癒着は、安全基準をどれだけないがしろにしたかを証明した。

地震の研究は新しく、原発建設当時ではプレートテクトニクスすら認められていなかった。
だから原発建設時をせめても仕方が無い。
その後証明されてきたことをないがしろにし、利権を追求したコネクションを崩せなかったマスコミ、そして国民自身が目覚めなければならない。

私は“ググれカス”という言葉は好きでなかったが、最近とても好きになった。
多くの情報がネットで流れる中、判断材料を得るのは自分自身。
人に聴く前にとりあえずググれ、と言いたくなる。

都合のいい情報だけ盲信してはいけないし、何かしらの偏ったイデオロギー
は問題外。
イデオロギーは機密が機能していたからこそありえた。
ウィキリークスの登場により、それは完全についえたと思う。

帝国主義的資本主義の末路は、機密の情報公開から始まった。
アフリカの革命はそれを物語っている。


話がそれました。

地震は今後長く付き合わなければならないもの。
地球にとっては当たり前のこと。
人類はここ数十年で飛躍的な進歩を遂げたが、地球の歴史にすれば無いような時だ。

人類の意志とは無関係に、地球は呼吸をする。
ただ、それだけのこと。

地震によって誕生した日本列島。
覚悟を決めるしかない。





■M7級余震、まだ一定期間は警戒必要…気象庁
(読売新聞 - 04月11日 21:34)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1566333&media_id=20
※mixiニュース引用の日記を転送します。


テレビ、新聞、ネット色々情報が錯綜してますが、震災一週間は大方政府、東電ガンバレだったが、徐々に批判が出てきているようです。

しかしここでつまみぐい程度の情報で2択をしてはいけないと思います。
それは懸命ではないし、いい方向には向かない。
そこで、ちょっと長いですが、これでも端的に分かりやすく現状を多角的に考察できる情報を提供しているのがビデオニュースではないでしょうか?

通常会員制の有料番組ですが、震災関係はすべて無料化してますので、是非見ていただきたく思います。

中でもこの2つ。
①緊急院内集会 福島原発の現状をどう見るか
http://www.videonews.com/charged/press-club/0804/001758.php
後藤氏の解説はとても分かりやすいです。

②あえて最悪のシナリオとその対処法を考える
http://www.videonews.com/charged/on-demand/511520/001784.php
長いですが、前半の60分でも見る価値があります。


■官邸に報告なし…枝野長官、東電に不快感
(読売新聞 - 03月26日 18:01)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1548378&media_id=20
※mixiニュース引用の日記を転送します。


今日で地震から一週間。
地震と津波の被害は尋常でないことは分かっていますが、世間の関心は原発にいっています。
何故か。
何も真実を想像できないからです。
真実を想像というのは変かもしれませんが、地震と津波はビジュアルで理解し、悲惨さを理解することが可能です。
しかし原発は、何も分かりません。
現在起こっていること、政府、東電、保安院、有識者会などの多数の記者会見がありますが、どれも論点がばらばらで何だか分からないものにしており、それが余計イライラさせ、不安にしているようです。

しかし、先の日記に書いた方々をツイッターでフォローし、ツイートを見ていると、錯綜する情報をある程度自分なりに咀嚼できるようになります。

原発については、私はほぼ無知でした。
チェルノブイリ原発事故が小学生のときに起き、酸性雨だ、禿げるなど騒いでいた記憶、
そして自分の実家のある茨城県でおきたJCOの臨海事故。これはとても危険な液体をステンレスのバケツで移動しているというだけでびっくりしました。
これも調べると裏マニュアルのさらに簡略化された作業だったらしいです。
しかも現場責任者公認。

とまあ、危険であることはわかっていたけども、何がどう危険かは全くわかりません。
放射線と放射能の違いもわからないし、人体にどのような影響があるのかもがんになりやすいくらいにしか思っていませんでした。

今回、この地震を受けて色々と調べました。
思うことは3点

1 想定外であったのかどうか

東北の三陸地震はそう遠くない過去、120年くらいの間に大きなもので2回起こっています。
1896年、1933年で、津波は気仙沼で38m、28mそれぞれ記録されています。
福島原発のある場所はどうであったかわかりませんが、津波に関する教訓として、2に以下のような文がありました。

『2、「俗説を信じず、最悪を想定して行動せよ」
 津波はいつも同じパターンで同じ場所を襲って来るとは限りません。一度引いてから押し寄せてくる津波もあれば、いきなり高波が襲ってくる場合もあります。また、前回襲われなかった海岸が大津波に襲われたこともありますので、常に最悪を考えて行動すべきです。「波が引いてから津波が来る」とか「過去津波がきたことがない」などの俗説を信じてはいけないのです。』

これを見ると、間違いなく今回の規模の地震、津波は想定内でなくては困ると思います。
津波が被ることは電気系統に重大な影響を及ぼすのだから。

■メモ
原発の燃料は停止していても常に冷やしておかねばならないほど高温を維持しており、それを冷却するにも装置が動いてる必要があります。電気が使えなかったらアウトです。
水がなくなって燃料棒がむき出しになり様々な危険な現象が起こり、最悪炉心溶融し、水蒸気爆発を起こします。
原子炉が破壊されれば、とてつもない放射性物質が飛び散り、甚大な被害になります。


2 最悪の場合、どの程度の被害にあうのか
最悪な場合は原子炉の爆発です。
これはチェルノブイリと同じです。そして福島第1には6基の原子炉があり、他の原子炉も爆発するものならチェルノブイリの何倍にも汚染が広がる確立が増える。

では実際放射性物質とは何なのか、放射線を出し続ける物質、放射能です。
これは大気の無数のチリが放射能になること。
それを何らかの形で体内に取り込んでしまうと、内部被曝になり、やっかいなことになります。
遺伝子を破壊する放射線、それが30年は出し続けるというのだから。

放射性物質はそのときの風向きによってどこに飛散するか、そして雨がとても重要になります。
いわゆる黒い雨です。
放射能を含んだ雨に当たったり、その作物などを食べてしまうと危険です。
実際、チェルノブイリでは原発付近よりも遠く離れたところでの被害のほうが多いということもあるようです。

しかし、これが重要ですが、原発の放射性物質でがんになったかを証明するのは難しいということ。
その他被曝による疾病はありますが、普通にしていてもなる病気なので、確実性が難しいようです。
生殖機能へのダメージや、奇形の子が産まれるなどは明らかにそうであろうと思いますが、後発のがんはわかりません。
広島や長崎で被曝した方でも長生きしている人はいます。
しかし何らかの不自由さはあるでしょう。その辺り詳しくわかりませんが、放射能による被害というのは何がどのように入ってきて、どの部分を侵してるのかなど条件が多岐に渡り、判断が難しい。
だからそれによって死んだ数などは、はっきりとしない。
むしろ風評被害も多く、それが差別を生み、何でもないのにそこにいたと言うだけで避けられることで、社会的に行きづらくなることが、実は大きな問題なんではないかと思います。

風に舞い、かなり分散されて遠方に行きますからよくわからないし、通常でも沢山の微量の放射線を浴びているわけですから。

今回の福島の件もただ怖がっていても、何に怖がっているか分からないことが一番怖いんだと思います。

最終的には調べて自分で納得するしかない事象かと思います。
印象で恐れすぎてはいけないと思いました。


3 今後の原発
まずは原発事故を何とか食い止められて、災害復興が始まったとき、エネルギー問題を真剣に考えることが重要。
原発は危険だからといって今すぐに止めることはできません。
しかし、浜岡原発や柏崎刈羽原発など、危険すぎる立地にある原発はただちに止めるべきと思います。
そうして次のエネルギー政策を太陽発電にしていくべきと思います。
ドイツが長年かけて投資し、システム化したように。
太陽光発電なんて、日本に向いてると思うけどね・・・
これは政治がやらなければいけないこと。
それには国民が意志を持って、それを応援しなければできない。
これからの公共事業は太陽光発電で!
原発は管理をしっかり見えるように公表し、過渡的エネルギーとして役割を終えてもらえればいいと思います。
すぐには廃止はできないものだから。

本来、政治のチェック機能は国民がしなければならない。
そのための情報公開が、クロスオーナーシップ制度、記者クラブ制度で一部に独占されていました。
この地震でも本日ようやく海外メディアとインターネットメディアに記者会見が開かれました。

政府の隠蔽も、企業の隠蔽もオープンになった情報から国民がチェックすることが大切になる。
それが自由であるための義務。
お上に一任では批判などできません。
公権力とは何よりも恐ろしいリヴァイアサンであるのだから。







福島第1 国内最悪のレベル5に
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1540087&media_id=2