発達障害(自閉症)のある息子と紆余曲折 -26ページ目
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三輪車を漕げるように・・・

 長男が3歳で自閉症との診断名がついたころ,大好きな遊びのひとつが三輪車でした.最初は漕ぐことができず足でけって進むだけなのを見ながら,足で漕げるようになったら喜ぶだろうな・・・と考えていました.さらになぜかその当時の私は「この子を三輪車が漕げるようにして,これから自分の子供への働きかけの自信にしたい」とまで考えが膨らみ,ある意味,必死になって三輪車の特訓に取り組んだのでした.
 そのころは知識不足でABAやスモールステップなどの知識もないままでしたが,試行錯誤の末に三輪車を漕がすために取った手段はABAやスモールステップに類したものであり,後日の療育関連の図書理解に大いに役立ちました.
 成功のポイントを要約すると長男は最初,ペダルを漕ぐ足の力の入れ方がわからず,足をペダルに乗せても弛緩したままでした.そこで脚を手にとって三輪車を漕ぐ脚の動きを反復させながら,足に力を入れたときに三輪車を手で動かしてやることをひたすら延々繰り返しました.三輪車が動くことは長男の動機付けになっているのが幸いで,そうしているうちに足に力を入れるようになりました.そこから漕ごうとする意思にあわせて手で三輪車を押していました.押しすぎると長男の意思と三輪車の動きがミックスせず受身になり,押しが足りないと,足に力を入れること報われず,力を緩めてしまいます.こうしてバランスを取って脚の動きに応じて三輪車を押しているうちに,長男はとうとう足でペダルを蹴れるようになりました.ここからは,あまり間もなく交互に足で蹴れるようになり,三輪車を漕げるようになりました.
 こうして長男は新たな三輪車の楽しみを得て,私はささやかな自信を得て,そしてその代償には地獄!?のドライブが待っていたのでした.


 長男はその後,三輪車に乗ると降りずに延々と漕いでどこまでもいくようになりました.目的地不明で,途中で家に帰ろうとするとパニックです.たまにスーパーなどが目的地の場合があり,目的地に到着すると家に帰ることもあるのですが,大抵は目的地不明のまま付き添い人の気力・体力が切れパニックの長男を肩に抱え連れ帰っていました.長男の体力の続く限り付き合った結果,3kmくらい遠征したこともありました.長男の三輪車とのかかわりへの観察と試行錯誤の結果,スモールステップの大切さを知ったものの,「三輪車は「長男に憑依する」という理由で一時期封印されました.しかし三輪車を隠して見えないようにすると乗りたがる頻度は減ったのですが,たまに思い出して三輪車に乗りたがり憑依されていました.
 その後,自動車で迎えに行くとパニックなしで自動車に乗って家に帰り,三輪車でのお出かけを終了できることが判明.これは三輪車憑依中に妻の車と偶然に遭遇したことで判明しましました.それからは三輪車は解禁されました.

障害を「受け入れ始める」まで・・・

 療育施設で診断を受けるまでもなく,言葉の遅れが顕著で長男の発達障害は明らかに感じました.こちらのしゃべっていることは一定理解しているようでしたが,会話しようとすると典型的なオウム返しで自分の名前も言うことができません.こだわり行動も激しく本人の意向と手順が異なった場合には大パニックが待っていました.
 障害を受け入れないといけないと思いながら,言葉をしゃべれるようにならないかと,今思えば無意味な言葉かけもしてしまいました.長男の障害を受け入れようと思いながら,どこかで「健常な長男」を求めてしまいます.診断を受ける前に,しばしば見た夢があります.長男が自分の名前も言えるようになり安心するという目覚めの悪い夢です.診断前にもう覚悟をきめたつもりしたが心の底まで障害を受け入れることは結局できなかったように思います.
 施設で「自閉症」との診断を受けて,正直,安心しました.変な未練が吹っ切れ「長男が自分の名前も言えるようになり安心するという目覚めの悪い夢」は見ずに済むなと感じました.
 覚悟をきめたつもりから少し遅くなったけど,このときから「障害を受け入れる」作業が始まりました.「今,長男は自分の名前を言えないけど,長男のペースでいつかしゃべれるようになればそのときに名前を聞ければいい」

成長が止まる・・・

  1歳から順調に言葉をしゃべり始め,言葉も増え,2語文もしゃべりかけていた長男でしたが,次第に言葉を失っていきます.語彙があまり増えなくなり,ついにはしゃべらなくなります.言えていたオムツ交換の要求も当然できなくなります.
 典型的な自閉症のセットバックだったのだと思います.当時は自閉症という認識もなく,ちょうど弟が生まれた頃であったので,これが赤ちゃん還りなのかと思っていました.
 退行する長男が2歳半のときに,環境が急激に変化します.まず手狭になった借家から,持ち家に引越します.さらに妻が次男の育児休暇を終え復職し,長男は保育園へ入園することになるます.
 発達障害に理解のあった妻はこの時期には「自閉症」の可能性に気付き,3歳前にはこの障害について夫婦で話をすることができました.そして療育施設で3歳の誕生日を前に診断を受けることを決めます.
 保育園には自閉症の可能性があることを伝え,理解のある対応をいただけことは幸いでした.
 この時期,理屈では自閉症の可能性が高いことを理解しても,長男の退行は不安でした.会話ができていたのが,オウム返しに・・・要求はすべてクレーンになり,要求が伝わらないイライラによる,パニックも頻発していました.
 長男も慣れない新居と保育園への適応するのに大変な時期でした.
 そして,診断を前に,親にも覚悟が必要で,その過程で自分自身の感情の起伏も激しく,この時期は親子で気持ちがもっとも荒んだ時期だったと思います.

長男が生まれてから・・・

 我が家は現在,5歳と3歳の2人の男の子に恵まれています.長男は3歳のときに発達障害(自閉症)と診断されました.長男は生まれたときからうつぶせ寝が大好きで,うつ伏せになると落ち着くようで,やたらと活発にバタついて生後2ヶ月で寝返りをするようになりました.当時は「多動症なの?」などと気にしていたことでした.這ったり立ったりするのも標準より早く,10ヶ月で歩くようになり運動発達は早いかったのです.自閉症の男の子を育てられている方のblogでも同様な運動発達の速さについての記述がありました.もしかしたら自閉症の子の成長の特徴なのかもしれません.
 長男が初めての子であり,当時は長男の成長だけが基準のあるがままを受け入れる状況だったので,結果論で今思えば的な部分もあるのですが,成長に従い気になる点がありました.ひとつは回るものが大好きだったこと.車輪も大好きで,スーパー等で目を離すと動いているカートの足元で車輪を観察しようとしてよく轢かれそうになっていました.もうひとつは公園などでの遊び方が変わっていました.遊具で遊んだり広い芝生で走るのことを好まず,枯れ草を細く細く割いて遊ぶのが好きでした.「この子は遊び方が小さい」と冗談で言っていました.家族が身に着けていたスリッパや上着を脱いだときに,そのスリッパや上着を持ち主の所に間違えずに持ってきて,着せようとしたり,履かせようとした時期もありました.
 しかし発達は順調なように感じていました.1歳前には手を振るバイバイや拍手するパチパチもできてました.良く言われる手のひらを自分に向ける「特徴的なバイバイ」ではない通常のバイバイです.人懐っこくて自分に注目してほしいときには「パチパチ」して,愛嬌を振りまいていました.
 1歳くらいから言葉もではじめ,いくつかの単語はしゃべっていました.1歳半くらいでおしっこやうんちも言葉でおしえるようになり,定型の順調な発達で,やや多動症の心配があるのかな・・・と思っていました.このころに次男が誕生します.赤ちゃんの弟に興味があって,仰向けになって弟を抱っこさせてもらうのが大好きで,その姿はしっかりしたお兄ちゃんに見えました.
 ところが2歳前から,順調に見えていた成長が止まります.
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